オイルタンカー 第五話 再会
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たとえば、最近の海賊の被害はどのようなものか、と言われても。
たいがいの人は意味がわからずに、ただクビを傾げるだけだろう。
帆船や蒸気船といった、船足が遅い船舶が海上交通の主力だったの時代ならともかく。
なにかあれば沿岸警備隊の高速艇がすぐに救助に来てくれて。
人工衛星を使ったGPSから船の現在位置を確認できて。
船に積んだ無線の通信局からリアルタイムで陸上の通信局とやりとりができる現代おいて。
本当にそんなアナクロな活動ができるのか、と不思議に思うはずだ。
ところが、悪名高いソマリア海賊たちを例に挙げるまでもなく。じつは現代でも海賊の被害はあとを絶たない。
なぜなら現代でも、海上輸送の主流は船舶であって。国際的な物流網が発達した分だけ。犯罪の規模もまた大きくなったからだ。
つまりは、現代でも。海上の犯罪者たちは減るどころか。場所によっては、増加傾向にさえあるのだ。
現代の海賊たちは、海賊たちが活動する場所にあわせて。
中東の産油国に近い、南アメリカ型、西アフリカ型のソマリアの海賊たちや。
マラッカ、シンガポール海峡、南シナ海およびインドシナ海域に出没する、アジア型の海賊たちに、わけることができる。
もちろん、この海域以外にも海賊たちはいるのだが。この二か所で海賊事件が多発するせいで、それぞれを海賊事件の代表例にできるくらいなのだ。
南アメリカ型、西アフリカ型の海賊たちは。着岸または港外で錨泊している船を、強力な武器を用いて襲撃するのが特徴になる。
このタイプの海賊たちは、現金や貴重品、貨物や船用品等、動かせるものはすべて強奪する。
なので一件あたりの被害額はアジア型の海賊よりも高額になる。
事件の規模が大きくて凶悪なせいもあって。法執行機関が海賊の取締りに対して消極的であることが多い。というよりも頻発する国が無政府状態なので、海賊たちが好き勝手やっているといえる。
アジア型の海賊は、コッソリと船に侵入して。乗組員の部屋や船の倉庫から、現金や貴重品を盗み取るタイプになる。
こちらは、錨泊中や着岸中の船を狙い。夜間航海中の船舶の船尾から侵入をして、貴重品を盗む。
このタイプは、暴力沙汰は少ないが。侵入が発見されて逃走する際に海賊が暴れるケースもある。被害額は相対的に小さい。
ソマリア型にくらべると、アジア型の海賊の発生場所は、法執行機関が機能しているところが多い、
だが場合によっては届け出た関係当局が海賊たちに関係している地域もあるので、それが徒労に終わることにもなりかねない。それだけ汚職が多いのだ。
(ただしアジア型の海賊も近年は凶悪化しており、乗組員を殺傷するケースも増えている)
地域別的にみればソマリアの海賊たちが事件の発生件数ではトップだったが、取締りの強化によって2012年からはインドネシアの海賊たちがそれに取って代わっている。
国際海事局海賊情報センター、アジア海賊対策地域協力情報センターのまとめによれば。東南アジアで2014年12月15日までに年間で発生した海賊事件は、177件が確認されている。
前述したように、その多くが軽窃盗だが。注目するべきは、武装集団による小型内航タンカーへの襲撃や。タンカーのハイジャックの件数が増加していることだ。
軽窃盗犯とは違い、こうした武装集団は小型タンカーを数日間ハイジャックして。そのあいだに積み荷である船舶用軽油を、犯人側が用意した別の船に移し変えて奪う、という手口をとる。
いずれのケースも、武装した犯人がエンジン付きボートやスピードボートを使ってタンカーに近づいて。船内に乗り込み、乗組員を人質にとる。そして油だけでなく、現金や乗組員の所持品を強奪する。
アジア海賊対策地域協力協定、情報センターのまとめでは。2014年は9月までに奪われた油の総量は、1万1400トンにのぼるという。
襲撃の際に大所帯で自動小銃やロケットランチャーを使うソマリアの海賊たちと比較すると、南シナ海の海賊たちは、少人数で規模が小さな押し込み強盗の集まりにも思える。
ただし不思議なのは、どちらの地域でもタンカーから油が抜き取る武装強盗被害が増えていることだ。
どうやら取締りがきびしくなったせいで、持ち物などの貴重品を盗むよりも、転売されても足取りの特定が難しい石油や灯油を狙うようになったらしい。
南シナ海で真壁たちのタンカーを襲ったのは、この海域で活動しているアジア型の海賊たちだった。
だがその強引な襲撃の方法は彼らの従来のやりかたとは異なっていた。大胆で計画的で、爆発物を使用するという、過去に例をみないものだった。
タンカーの乗組員たちは、タンカーに乗り込んできた海賊たちに対抗するために。
ブリッジがある船橋へ侵入させないように、船橋の出入口を内側から施錠する。という対処をした。
こうした対処方法は、海賊対策のセンター側から提供された、過去に南シナ海で襲撃された船舶の情報を参考にして立てられた警備計画を、タンカー側で取り入れた成果でもあった。
とはいえ、海賊たちは今回は、遠隔操作で点火できる爆発物を複数用意して、それを標的の船に持ち込んでいた。
ブリッジに篭城した船長以下乗組員たちに対して。船を明け渡さなければこの爆発物を使用する、と脅迫する方法をとった。
海賊ではなくて、まるでイスラムのテロリストがやりそうな手口であって。こうした事態を予測していなかったタンカーの船長や乗組員たちは、対応がわからずに混乱をした。
そこで真壁が、乗組員の身柄と、タンカーを爆発物から守るために、自分が海賊たちと交渉する、と提案した。
そのためには、まずブリッジから下の甲板にまで行かねばならない。
ブリッジを封鎖していた鍵を内側からあけると、真壁は出入口の扉の隙間から廊下に出る。
背後で扉が閉まるのを確認してから、階段で下の階へとむかう。
甲板にいた海賊たちはすでにブリッジへの通じる扉の鍵を壊して、船橋の内部に侵入を果たしていた。
途中階まで降りた真壁は。船員たちの自室に入り込むと、金銭や貴重品など金目の物を略奪中だった海賊たちと出くわす。
だが海賊たちは部屋を荒らすのに夢中で、非常階段を下りていく真壁には気付かない。
そのまま真壁は、ブリッジの一階まで階段で降りると、見付からないように甲板に出ようとする。
だがそこで彼は、見張りをしていた海賊の二人組についに発見されて、背後から取り押さえられてしまう。
真壁は背後から二人に、それぞれ頚と腕をつかまれて、乱暴なやりかたで力まかせに引き倒される。
多勢に無勢だ。状況を考えれば争っても仕方がない、とはわかっていたが。真壁はそれでも、自分の後頭部をつかんで頬を硬い甲板になすりつけるように押さえている海賊の男に大声で言い返す。
「オイッ、放せっ! いいから、お前たちのリーダーのところへ連れていけっ! そいつに大事な話があるんだっ!」
言葉が違うので伝わるはずもないのだが。覆面をつけた二人の男は顔を見合わせると、愉快な冗談でもきかされたように大声でいっしょに笑い出す。
海賊の一人は立ち上がると、履いている靴で真壁の背中をドカッと踏みつけて、動けないようにする。
真壁はグエッと声をあげたが、さらに靴底がグリグリと背中を踏みつけてきたせいで、苦痛に身動きが取れなくなる。
もう一人は笑いながら蛮刀を取り出すと、手にした蛮刀を高く振り上げて、それを力ませに打ち下ろそうとする。
肉も骨もいっぺんに叩き切る、重量がある大きくて鈍い刃の一撃をくらえば、身体のどこを斬られてもひどい結果になるのはわかっていた。
真壁はあわてて踏みつけている足を払いのけようとするが、間に合わない。
蛮刀の一撃を身体に受けて真壁の苦しげな悲鳴が上がる前に、だがそれを制止する鋭い一声が響く。
それをきいて、蛮刀を握った海賊の手が途中でとまる。
「××!」
「××?」
真壁には、なにが起きたのか、さっぱりわからなかった。
でも、二人組にまた乱暴にその身が引き起こされると。ちょうどこの場にやってきた、彼らよりも立場が上の者らしい、別の覆面をした海賊たちの一団に引き合わされて、事情を理解する。
覆面の海賊たちの先頭にいる一人が拡声器を手にしているのを見て、真壁はその海賊が先ほど甲板からブリッジにいる自分たちに降伏を呼びかけてきた人物だ、と知る。
引き倒されたときに頬を切ったのだろう。顔の半面を出血で赤く染めている真壁にむかって。覆面の人物はきびしい態度と口調で、いいきかせる。
「私がとめなければ、そいつらはお前の頚をはねて、死骸を海に捨てて知らんふりをしていたろう。
このドサクサでお前がいなくなっても、だれも気付かない。蛮勇を行うにしても、もっと慎重にやらなければ、生き残れないぞ?」
真壁はその拡声器を手にした覆面の海賊を眺めてから、こう返す。
「助けてもらってなんだが。どうやらあんたが、海賊集団のリーダーらしいな。おれはあんたたちに、船長からの伝言を伝えに来た。
だがその前に、おれが個人的にききたいことがある。いったいタンカーを乗っ取った目的はなんだ? 遠隔操作ができる爆発物を使うなんて、なにが狙いだ?」
真壁がそう問うと、その覆面のリーダーは、ほかの海賊たちがいる前で、それが当然であるかのように、胸を張って、堂々と言い放つ。
このオイルタンカーが運んでいた大量の原油を、我々がまるごといただく。我々の仲間がそのための船を用意している。
仲間の船と合流したら、タンカーに積んである33万トンの原油をその船に移し変えて。それを盗品を売りさばく業者に高値で買い取らせる算段だ。
このタンカーも売り物にする。船体の色を塗り替えて、船名を書きかえて、新しい名前で登録してから、売り飛ばすつもりだ。どちらも大金になる。この仕事がすめば、我々は大金持ちになるだろう。
知っているか、お前たちだってカネになるんだぞ? お前たちを人質にとって、お前たちの国の政府と交渉すれば。一人につき四百万ドル、4億1千万からの身代金をぶんどれる。この業界じゃ、お前たちの国相手の人質の値段の相場が決まってるくらいなんだ。
とはいえ、そちらはやたらと手間とヒマがかかるから、私は遠慮しときたいけどね。
その覆面のリーダーが、大声を張り上げて、堂々とした態度で、まわりにいる連中にそう訴えるのをきいて。真壁はかえって疑いを抱く。
もしかするといまのはポーズで、本心はそうじゃないんじゃないか。と勘ぐる。
真壁は少し考えてから、こう返答をする。
「そちらの目的はわかった。だがしかし、タンカーの乗組員を身代金目的の人質として利用するつもりなら。こちらはブリッジをそちらに明け渡さない。
いますぐに連絡を入れて、沿岸警備隊と海保の巡視船をここに呼び寄せる。だがタンカーの乗組員を無事に解放すると約束するのなら、要求を受け入れてもいい」
拘束されてひざまずかされて。蛮刀の一撃で気まぐれに処刑されかねない境遇にありながらも。真壁はそう強気の発言で相手に食い下がる。
覆面のリーダーは腕組みして真壁の顔を眺めると、しばし考えてから、頷いてこう言い返す。
「わかった。身柄の安全を保証しよう。ただし解放するタイミングはこちらで決定させてもらう。
原油を移し変えている最中に、海上警察の監視船に来られるような事態は避けたいからな」
「了解した。約束の反故は無しだぞ? いいな?」
「もちろんだ。名誉にかえて、約束を遵守する。そちらの賢明な判断に感謝する」
リーダーらしいその覆面はそう真壁に返すと、ほかの海賊たちにいまの真壁とのやり取りの内容を彼らの言葉で伝えてから、その場から立ち去ろうとする。
その後姿にむかって真壁は尋ねる。
「最後に、もうひとつ教えてくれ。計画じゃあ、乗組員として入り込んだ協力者がタンカーに爆発物をしかける段取りじゃなかったのか? おれはそうだとばかり思っていたんだが?」
逃げないように左右を海賊たちに拘束された状態で真壁が背後から問うと。その覆面姿の海賊のリーダーは足をとめて振り返り、真壁に次のように説明する。
「計画していた予定が変更になったのよ。前もってタンカーの乗組員を買収するつもりだったけれども、接触した相手がだれもこちらの誘いに乗ってこなかった。
だからこうやって襲撃を強行して、乗り込んだあとでタンカー側にこちらの要求を強引に呑ませるよりなくなったわけよ。
でも、うまくいったでしょう? 真壁さんがこちらの指示通りに、海保の巡視船側に連絡を入れないでいてくれたから、この通りタンカーの乗っ取りは成功した。ブリッジを占拠したあとは、こちらでタンカーの操船を行い、計画を次に進めさせてもらうから、よろしくね」
「なるほどね。そういうことか」
真壁は海賊たちにつかまったままで、その後姿を見送るしかない。海賊たちを指揮しているのは、真壁をおとしいれて協力するように持ちかけた、共和国の留学生、メイリンだった。
顔を隠していたが、真壁は今回のやりとりでそれを知る。