オイルタンカー 第一話 帰港
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巨大な船が、海上を、ただ一隻で航行している。
それはVLCCと呼ばれる、30万トン型のオイルタンカーだった。
略称は、Very Large Crude Carrierの意味で。
これは、20万トンから32万トンまでのサイズのタンカーをさす。
これ以上サイズが大きい50万トン型タンカーは、ULCC。Ultra Large Crude Carrierとなる。
船は、全長は330メートルあまり。幅は60メートルで。甲板上から船底までは29メートル。船の高さは、18階建てのビルほどにもなる。
船全体のサイズだが。これは、タンカーの説明でよく使われるように、東京タワーを横に寝かせた大きさに匹敵する。
文字通りの巨大船だ。
こんな馬鹿デカイ船なのだから、乗組員たちが生活する居住区域も、さぞや広いのだろう。と想像すると思う。
でも居住部分は、甲板から上に出ている船橋部分くらいしかない。
じつはこの巨大船の中身は、ほとんどすべてが、石油を輸送するための巨大タンクになっているのだ。
ちょっと想像しにくいが、私たちがよく知っている従来の船のイメージを捨てて。
東京タワーサイズもある。原油を貯蔵して遠路を運んでくる巨大なオイルタンクを思い描くと、わかってもらえるかも知れない。
VLCCは、危険物である原油を大量に移送するために、船の構造上、いくつも、安全措置がとられている。
タンカーの船体は、ダブルハルという構造をしている。
これは、海難事故にあって船体の外側が破損して。穴があいても。その内側にある内殻が破られないかぎりは、タンクの原油が漏れないようにするためだ。
船内の巨大タンクは、隔壁を設けて、17のタンクにわけてある。
座礁事故にあって船底に大穴があいても。これによって、漏出する原油の量をおさえられるし。
積み荷である原油が急に減って船体のバランスが崩れても、転覆しないようにするためだ。
この巨大オイルタンカーを使って、一度に運べる原油の量は、30万キロリットルあまり、になる。
ドラム缶に換算すると150万本分となり。25メートルプールに蓄えると、一千杯分もの量だ。
そして、この話の主人公である、真壁環は。その巨大オイルタンカーの甲板に立つと。
目の前に広がる穏やかな海原を、憂鬱そうな顔で、眺めていた。
真壁の役目は、この大型船の護衛だった。
船会社から頼まれて。真壁は、我が国と中東の産油国とを行き来しているタンカーの護衛の任務についていた。
ちなみに護衛は彼一人ではない。なにかあったら真壁の判断で、手持ちの通信機器で通信衛星を中継した緊急連絡を入れて、付近にいる護衛の艦艇を呼ぶようになっている。
今現在、南シナ海を囲むようにある、我が国と親交がある東南アジアの各国。フィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、シンガポールの各港には、海上保安庁の巡視船が停泊している。
真壁だけにかぎらずに。南シナ海を航行中の他の監視役から連絡を受けたら、すぐに巡視船は出動できるように待機していた。
無線機の呼び出し音が鳴る。
真壁は、船内の連絡用に使う小型無線機を、上着のポケットから取り出すと、耳に当てる。
連絡をしてきたのは、この巨大オイルタンカーの船長だった。
「報告します。たったいま本船は、目的地に到着しました。どうやら今回も、無事に積み荷を我が国にまで運ぶことができたようです。真壁さんにも御協力を頂き、感謝をしています。どうも、御苦労様でした」
「こちらこそ。御苦労様です」
船長の声をきいて、真壁は。相手の胸中を察する。
まだタンカーをシーバースに入れるという大仕事が残っているが。それでも南シナ海と東シナ海を無事に抜けることができて安堵しているのだろう。
続けて、船長が真壁に尋ねる。
「真壁さん、このあとはどうする予定で? すぐに、またほかの船の護衛ですか?」
「いえ。陸に上がって、休暇をとらせてもらいます。
休暇が終われば、すぐにまた海にもどってきますがね」
「そうですか。私たちは原油を降ろしたら、すぐにまた次の原油の受け取りのために中東までとんぼ返りです。
私たちのかわりに陸で先に休暇を楽しんできてください」
「ええ。そのつもりですよ」
気分は晴れないままに、真壁はそう儀礼的にかえす。
真壁が護衛として乗り込んだ巨大オイルタンカーは、中東から運んできた原油の揚荷のために、大きな港がある沿岸の近くにまでやってくる。
しかし、30万トン型タンカーが港に入ることはない。
私たちは勝手な想像で。もどってきたタンカーがどこかの大きな港に入って。港からそのまま、沿岸地帯に建設された丸型のオイルタンクに原油を入れる、と考えるが、実際はそうではない。
30万トン型タンカーは、あまりに巨大すぎるので。港の水深が足りなくなったり、港内でほかの船との衝突する危険が高い。
そこで、原油や天然ガスなどの危険物を運搬する大型船は。ターミナルと呼ばれる陸上港ではなくて、シーバースと呼ばれる海上に建設した受け入れ基地で、積み荷の揚荷や積荷を行う。
受け入れ基地とは、海上につくられた。見た目は桟橋のような施設である。
真壁たちが乗ったタンカーの到着にあわせて、港で待機していた5隻から6隻のタグボートが近づいてくる。
タグボートは、タンカーの前後について。オイルタンカーをシーバースに接岸させる手伝いにとりかかる。
タンカーのような大型船は、速度を落とすと舵が効きにくくなってしまい。方向転換に手間取るようになる。
そこでタグボートが、その船体でタンカーの船体を傷つけないように押して。シーバースに接岸させる。
タンカーがシーバースから離れるときは、今度はタグボートに引っ張ってもらう。
真壁が乗り込んだオイルタンカーは、タグボートの協力でシーバースに接岸をすませると。タンカーに積まれた20本ある係留ワイヤーを降ろし。ワイヤーを使ってシーバースとの固定を行う。
続いて、原油の放出作業が始まる。
基本的に、オイルタンカーは。貨物タンク内の油を船外に放出する場合は、機関室のボイラーを焚いて。タービンをまわし。本船のポンプを動かして。そうやって、油を船外へと放出する仕組みになっている。
だが海へ捨ててしまっては、ここまで運んだ苦労が無駄になってしまうので。
その前にシーバースに用意されたローディングアームがいくつも伸びて。
船側の積み出し用の取り合いフランジへ、それぞれが接続されて、ガッチリと固定される。
ローディングアームは。接続部分をそなえた、内部に配管が通っている大きな金属腕のような機器になる。
接続口の位置をリモコンで調節したり。船が揺れてアームがはずれても、自動的にバルブが閉鎖されて、原油の漏出事故をふせぐようになっている。
準備がすむと。ポンプが作動して。貨物タンクからローディングアームへと原油が送られていく。
原油はさらに、シーバースから海底のパイプラインを通って。沿岸のタンクや製油所へと送られる。
こうまでするのは、タンカーが扱っているのが。石油という爆発しやすい危険物だからだ。
万が一にでも陸地に近いところで事故が起きれば、大惨事になる。
そうならないために、オイルタンカーは。沿岸から離れた海上で。石油の積み下ろしや積み込みを行うのである。
ちなみに、原油を積載したタンカーの停泊時や。原油の放出作業の際には。消防艇や防災船が、火災事故の発生にそなえて待機する決まりになっている。
オイルタンカーから降りた真壁は。海上に建設されたシーバースのコンクリ敷きの浅橋の上に立つと。
視界をふさぐ壁のような原油を満載した巨大船と。これもまた大きな、巨大船に接続されたローディングアームを見上げる。
自分が運んできた原油は。あのいくつもある、とてつもなく巨大な金属製の機器の内側を通って、海底に敷かれた移送配管を移動していって。8キロ先にある、沿岸に建設された原油の備蓄基地まで、いまも送られているのだ。
そして、備蓄基地まで送られた推定30万トンあまりのドロドロした原油は。今度はそこにある工場で高熱を加えられて精製されて。私たちが知っているあのサラサラした石油につくりかえられる。
つくりだされた石油は、あの丸いタンクにいったん貯蔵されてから、タンカーや貨車、タンクローリーやパイプラインを使って、全国各地に出荷されていく。
運ばれてきた石油は。全国の火力発電所で毎日の電気をつくりだす燃料として燃やされたり。ガソリンスタンドで自動車を動かす燃料として販売されたり。
ほかにも、それを必要とする人々に消費されていくわけである。
「……でもそうやって、遠いところから苦労して運んできた巨大タンカーいっぱいの原油も。この国で使う一日分の石油にもならないんだよな。
この国で使う石油消費量の一日分は、大型タンカー2、5隻分。国民一人あたり、一日で4リットルになる。
巨大船に入るぶんの石油を、苦労して運んできても。半日分の燃料にさえ足りないんだからな……」
真壁はそう感想をもらすと。大きな仕事を成し遂げた満足感よりも。これから先も。ずっとこの大変な作業を、いつまでもくりかえさねばならないのだ、と思いやって、ため息をもらす。
ともあれ、明日からは休暇だ。
仕事を終えた真壁は、寝泊りするために借りている都内にある賃貸マンションの一室に帰宅することにする。
「まずは。そう。ウチに帰って、休もう……」
真壁が最寄り駅までもどった頃には、時刻はすでに21時をまわっていた。
すっかり夜になった街は、街灯のあかりや深夜営業の店舗のネオンが明るく輝いて。道路沿いに自動車のライトが数知れず行きかう。夜の姿となって、にぎわっている。
真壁は電車から降りて。駅の構内から出ると。人々の雑踏に入って。その夜の街の喧騒をききながら繁華街を歩く。
電車や自動車も、街の灯や人々の暮らしも。あの巨大なオイルタンカーが苦労して運んできた石油がつくりだしているんだ。
あんなに苦労して運んできたタンカー一隻分の燃料も。たった一夜のにぎわいに費やされてしまう。
真壁は、そんなふうに思いを馳せる。
我が国は、石油や天然ガスなどの燃料を、ほとんどすべて海外からの輸入に依存している。
年間で消費される石油の総量は、2億8千万キロリットルあまり。石油に関しては、八割から九割を中東の産油国から輸入している状態にある。
中東から我が国ヘの燃料移送の航路の経路は。インド洋からマラッカ海峡を抜けて。南シナ海から東シナ海を通る。およそ、1万2千キロの海路の旅路となる。
この距離を、オイルタンカーは。片道20日間あまりの日数をかけて、行き来をしている。
中東とのあいだを往復しているオイルタンカーは、七百隻あまり。
私たちの生活は、この七百隻あまりの大型タンカーによって支えられている。そういっても過言ではない。
だが使う側の人たちは。そのへんのことを理解していない。
まるでその辺から湧いてくる、くらいの気持ちで。石油があることが当然のように、消費してしまう。
べつに使うことがいけない、と言っているわけじゃない。でも雑踏のなかを歩きながら、ネオンの光や行きかう自動車のライトを見ていると、真壁はこのようにだれかに問いたい気持ちになる。
「……それでいいんだろうか? いや、よくないよな。じゃあ、どうしたらいい?……どうしようもないか。こんなことを悩んでも、しかたがないか……」
休暇は、次回もちゃんと自分の役目を果たせるように準備するための調整期間だ、と真壁にもわかっていた。
指定された賃貸契約のマンションの部屋にもどって、食事とシャワーと睡眠をとるべきだった。
真壁にも、それはわかっていた。
でも、やりきれない気持ちをまぎらわせるために。真壁は帰宅前になじみの店によって、少し飲むことにする。