狐火、あるいは、血統書
──うわぁ、なんて美しいんだ。
狐だ。狐の嫁入りだ。狐の面を被った人たちが歩いている。行列だ、花嫁のための行列だ。
突然、花嫁がこちらを見た。何かを言っている。そう、優しい声で。表情はお面のせいでわからない。なんだ?
「坊や」
目の前で両親が倒れていた。
ああ、僕は。
◆
いつも同じ夢をみている気がする。
どんな夢なのか思い出せない、否、思い出したくないのかもしれない。例えば両親が死んだときの夢、とか。
ピンポーンとベルが鳴った。これは僕の部屋に取り付けられているベルの音だ。僕が返事をするよりも前に、ベルを鳴らした犯人は部屋に入ってきた。
「勝手に入らないでくれよ、兄さん」
「なら和仁、鍵をかけろよ」
「今起きたんだ。ああ、眠い」
「せめて規則正しい生活をしてくれよ」兄はぶつぶつと小言を言った。「一緒に墓参りに行こう、と引きこもりの弟を誘ってやったのに、弟はいつまでも部屋から出てこない。さて、このときの兄様の気持ちは?」
「それはこの前断ったじゃんか。兄さん一人で行ってきなよ」
「いや、来い。絶対に」
「なんで」
「両親の命日くらい、墓へ行け。外へ出ろ。俺だって、お前を一生保護できるわけじゃないんだ」
兄は養子だ。だから僕とは血がつながっていない。僕の──僕が十四歳のときに死んだ両親は、なかなか子供ができなかった。そこで養子をとらといって兄が邪険に扱われることはなかったから良かったと思う。兄は異常なほどに僕を可愛がってくれた。
「ほら、折角休みをとったんだ。行かないとは言わせない」
こうして僕は部屋から引きずり出された。
◆
「おい、和仁! 大丈夫か……母さん! 父さん! 和仁、なにがあったんだ……」
「ぼ、僕は、僕は、なにも、し、知らない。気が、ついたら、か、母さんと、と、父さんが、た、倒れて、て」
ああ、僕は。
◆
外に出るのは三か月ぶりだ、と思う。たまには日の光を浴びろ、と兄に庭まで引っ張られることはあるけれど、家の外にはなかなか出なかった。墓へは車で出かけた。兄の運転は少々荒っぽい。
「よし、着いた」
両親の墓はきれいだった。おそらく、兄が掃除してくれているのだろう。兄は持ってきた花を供え、線香に火をつけようとした。「つきにくいな、しけてたかな」
やっと火がついた。兄はそれらを墓前に置き、目を閉じて手を合わせた。僕も同じように手を合わせた。僕は両親が死んだときのことをほとんど憶えていない。兄が言うには両親は僕の目の前で死んだそうだが、本当になにも憶えていないのだ。
「なぁ」兄が突然口を開いた。「今日はこの後レストランで昼ご飯を食べないか。今、最近給料をもらったばっかりだからお金持ちなんだ。好きなもの、頼んでいいぞ」
申し訳ない。ふと、そう思った。きっと、兄は僕というお荷物のせいで自由に過ごせないのだ。どうにかしなければ。どうすればいいのかはわかっている。僕が自立すればいいのだ。学校はとにかく、働きに出れば。でも、学歴もなんにもない僕は働けるのだろうか。
結局、レストランで朝ご飯兼昼ご飯を食べた後家へと帰ってきた僕はまた自分の部屋に引きこもった。今度外に出るのはいつだろう。たぶんずっと先の話だ。そう思いながら、眠りについた。
◆
「坊や、そこに落としてしまった私の櫛を拾ってくださいな」
優しい、花嫁の声。落ちているのは美しい櫛。
「はいどうぞ」
坊やと呼ばれるような年齢ではもうないような、気がする。
「坊や、私の可愛い坊や」
僕は、この人の子供だった?
「和仁? なにをしているの?」
女の人と男の人が近づいてきた。すると、花嫁は鋭い声で「なんと汚らわしい」と怒鳴って、二人は倒れた。
「坊や、私の坊や」
ああ、僕は。
◆
ピンポーンと遠くから聞こえる。これは、僕の家のベルではない。家の呼び鈴だ。今、あいにく兄は家にいない。家にいるのは僕一人。どうしようか。でるか、でないか。
──おいで。
今、誰かに、呼ばれた気がする。
──坊や。
どこかで、聞いたことのある、優しい。
──私の坊や、こちらへおいで。
行かなければ。僕は、行かなければ。そう思って、その一心で。
「はい」
僕は玄関のドアを開けた。そこには──
「すみません、突然来てしまって。あの、私、今日このあたりに引っ越してきた者でして。これ、つまらないものですが……これからよろしくお願いします」
若い女性だ。差し出してきたのはお菓子のようだ。隣の空き家に引っ越してきたのか。
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
それじゃあ、と女性は去っていった。ところで、兄以外の人と話したのはいつぶりだろうか。僕はへなへなと座り込んでしまった。なんだか疲れた。部屋に帰ってゲームでもしよう。
そういえば、部屋でなにをしているんだと兄に聞かれたことがあるが、特になにもしていないから返事に困った。ビデオゲームで遊んでいるわけでも、漫画を読んでいるわけでも、動画を見ているわけでもない。ただぼんやりと過ごしているのだ。初めのころ、両親が死んだばかりのころはそれが楽しかったが、だんだんとなんとも思えなくなってしまった。なんだか、味気ないのだ。
◆
「お前、もう来たのか」
青年がやってきて、花嫁に言った。彼は、誰だっけ?
「あ、あんた。悪いかい? 私はやるべきことをやった。あとは、この坊やを連れて行けば」
「残念だが、そうはさせない。和仁、逃げるよ」
ああ、僕は。
◆
「和仁、昼に隣の人と話したのか」
兄がドア越しに話しかけてきた。もう夕方か。
「うん、なんとなく」
「そうか。夕飯、ここに置いておく」
実をいうと、僕自身、なんであのとき玄関に行ったのかよくわからない。なんとなく、そう、なんとなくだった。
「あ、あのさ、今日は、一緒に食べたい」
「ええ! いいぜ。兄さんはうれしいよー」
「今から行くから、ちょっと待っててね」
僕も変わっていけるのだろうか。変わっていけるはずだ、きっと。明日は外へ出てみようか。
夕ご飯を食べて、風呂に入り、眠ることにした。今日は疲れたからよく眠れるだろう。
◆
──坊や、こっちにおいで。
どこからか、声が。坊やは、僕?
──おいで、こちらに。
「あなたは、誰?」
──私は、あなた。
「あなたは、僕?」
僕は、誰?
──このゆびとまれ、この身に宿れ。
行かないと、今すぐに。
──おいで、おいで。一つに戻ろう。
ああ、僕は。
◆
「出かけるだって!」
珍しく朝早くに起きた僕は兄に、外へ出かけてみたいということを話した。
「このままじゃいけないって、思ったから」
「いや、いいんだ……うれしいよ、兄として。でも、気をつけてな。アレには……」
最後のほうに兄がなにかを言った気がしたが、小さな声だったために聞き取れなかった。
町は思ったより変わっていない。平日の昼間に学生風の、でも異様に髪が長い男がほっつき歩いていたら、いくら多様性の時代といえども怪しまれるのは無理はない。そうわかっていても、周りからの奇怪なものを見るような視線が痛かった。
「あの、」
いきなり後ろから話しかけられた。「ひゃい」という変な声がでてしまって恥ずかしい。振り返ると、そこには先日見たばかりのお隣さんが。
「ああ、やっぱり。お久しぶりです」
「あ、あの、お、お久しぶりです?」
「ところで、あなたは学生さんなんですか? それくらいの年かなって思ったんですけど」
嫌な質問だ。でも、そう思うのも仕方ないだろう。
「あ、じ、実は、少し前から学校には……」少し前ではない、だいぶ前である。
「ああ、そうなんですね、すみません。あ、あの、今一人なんですか?」
「はい、そ、そうですが」
──なら、丁度良い。
お隣さんの声が違う声に聞こえた。懐かしい、これは、誰の。
──おいで、坊や。
あれ、行かないと。花嫁が、狐の花嫁が呼んでいる。
──ほら、こっちだよ。
行かないと、早く。あ、でも。
「帰らなきゃ」
──どこに? こちらがあなたのおうちだよ。
どこに? 答えは、わからない。
──坊や、ようやく捕まえた。
ああ、僕は。僕は、誰だ?
「おい、和仁!」
誰かが呼んでいる。あれが、僕の名前だっけ?
「行くな、兄さんだ!」
兄さん? 誰だ?
──だめだよ、坊や。もう逃げちゃ。
「逃げろ、和仁!」
僕は、僕は。ああ、そうだ。僕は。
僕は、和仁だ。兄さんの弟の、和仁だ。
◆
僕は倒れたらしい。気が付いたら、僕は自分の部屋に運ばれていて寝ていた。
目が覚めたとき、兄は「よかったぁ」と言って泣いた。
「ねぇ、兄さん」
「どうした?」
「僕は、お隣さんと話している途中に倒れたの?」
「うん、そうだって聞いたよ。あまり無茶はするなよ」
「ねぇ、兄さん」僕は立ち上がりかけていた兄を呼び止めて言った。「兄さんは、狐と関係があるの」
「和仁……どうしてそんなこと」
「憶えているんだ、倒れたときのこと。僕は狐の花嫁に呼ばれた。それを兄さんは必死に止めてくれたよね。これまでも、あんな夢、たくさん見たことがある気がする」
「和仁、お前は全部……」
「そう、全部思い出した。母さんと父さんが死んだときのことも」
「そうか、でも、忘れたほうがいい」兄さんは静かにそう言った。「おやすみ」
僕は再び眠りについた。
◇
とうとう和仁は思い出してしまった。全部、全部。
「あんた、記憶を消したのかい?」
「ああ、お前来ていたのか……あんまり大きな声をだすなよ、和仁が起きちゃう」
「それにしてもいつ坊やを私にくれるんだい、また妨害なんかしてきて。あんた、本当に渡す気あるの?」
「いや、ない。だからお前は俺を連れ去れ」俺は言った。「さぁ、早く」
「約束と違うじゃないか!」
「俺じゃ不足か?」
「いや、別にいいんだ。でも、そしたらあの子はどうやって生きていくんだい?」
「和仁に俺の体を明け渡す。記憶とかとも、一緒に。和仁はこれから『俺』として生きていけばいい。和仁の存在は抹消する。それくらい俺にはできるよ、母さんの子だからね」
「あ、あんた」花嫁は目を見開く。「今、なんて」
「ほら、早く。もう一回、母さんの子として生まれるのも悪くないからさ」
■
狐の女は自分の子供を失った。と、いうのも少し目を離した隙に、何者かに連れ去られてしまったのだ。犯人は恐らく人間である(実はこの子供は攫われたわけではない。捨て子と思われて拾われてしまったのだ)。
怒り狂った狐の女は自分の子供を必死に探した。そのうち彼女は本来の目的を忘れて幼い子供を記憶ごとこの世から抹消するなんてことまでしだした。ちなみに、彼女の姿は普通は人間には見えない。
ある日、彼女はある少年を見つけた。大人にだいぶ近づいてはいるものの、今度の獲物は彼にしよう。そう考えた。「坊や」振り返った少年は、何と愛らしい。
そうだ。殺さないで、自分の子供にしてしまおう。それがいい。
──おいで、坊や。
「だめだよ、僕の弟を連れて行っちゃ」
突然、青年の声がした。「お前、狐か」
「あんた、見えるのかい」
「ああ、はっきりと。見える体質なんだ。とにかく、だめだから」
「なんでよぉ」
「僕の大切な、やっとできた家族なんだ。そんなに、和仁が欲しいの?」
「ああ、あの坊やは、絶対に私の子にする」
「なら、取引をしよう」青年は怪しく笑って言った。「俺たちの両親を殺せ。そうすれば俺が大人になったとき、和仁を迎えにこい。渡してやる」
「あんた、正気か? 親を殺せなんて」
「俺と両親は血がつながっていないんだ」青年は悲しそうだ。「それに、両親は俺があまり好きじゃない。なんだか恐れられているんだよ」
□
俺は長い間一人で生きてきた。村の人から「化け物」と言われてから、ひっそりと。でも、家族というものにはずっと憧れていた。
化けることも、記憶操作も簡単だ。誰に教えられたわけでもないのに、できる(俺は本当に化け物なんだろうな)。俺は、その化け物の能力を使って人間と家族になることにした。
長い間子供ができない夫婦のもとに養子として。俺は不審に思われずに潜り込めた。誰かのぬくもり。なんて心地よいのだろう。
しばらくして、弟ができた。本当に幸せだった。でも、それは長くは続かない。
気が緩んで、記憶操作に支障が出だした。なんとなく、そう、本人たちからしたらなんとなくだろう。俺は不審に思われだした。辻褄が合わないことが増えだしたのだ。
俺は家での居場所を失った。弟は今まで通りだったけど、つらい。
そんななか、狐の女に、俺の実の母親に出会ったのだ。折角の機会だ。利用しないわけない。
母だとは、一瞬でわかった。なんだろう、まるで稲妻が走ったようだった。母はこちらに気づいていないと思うと少し寂しかったが、会えたことそれだけが、俺には嬉しかった。
俺は、なにも悔やんでなんかいない。
母さん、一緒に帰ろう。おうちに帰ろう。
◎
俺は、目が覚めた。
ん? 俺? 僕? なんだか違和感が。
──和仁、ごめんなこんな兄さんで。
「俺」の声が聞こえる。
──強く、生きてな。
誰だ? なんだか懐かしい。
──おいで、坊や。
──うん、母さん。
親子が歩いていく幻想を見た。
なんで僕は泣いているんだ? 意味もなく僕は泣き続けた。
ああ、僕は。
もとは部活で書いたもので、題名を変更しました。