2話:水俣病の原因究明と一流銀行に就職
2000年末頃には、日本は、いつの間にか世界トップクラスの金保有国になっていた。金は、パニックが起きると必ず上昇する逃避通貨となった。これを持っていれば、今後、大きな経済ショック、株の暴落、大震災時にも上がると考えられていた。その頃、一人っ子の山久一雄は、両親、祖父母に面倒を見てもらい育った。
しかし山下家は、自由な気風で祖父も株と喧嘩で負けるなと言うだけで何を勉強しろとは言わなかった。クラブ活動はサッカー部に入ったが先発メンバーではなかった。父は、トップをめざせが口癖。山久一雄は、慶応小学校に入学し、その後、慶応のエスカレーターに乗り、慶応大学まで通うことになった。
しかし、中学2年、1988年夏休みの自由研究で、仲間3人と一緒に熊本水俣病について研究した。熊本水俣病は、1956年、熊本大学医学部の研究チームにより、有機水銀原因説が有力視された。しかし同年11月12日には厚生省食品衛生調査会常任委員会・水俣食中毒特別部会が大学と同様の答申を出した。
ところが厚生省は、11月13日に同部会を突如解散した。1960年4月、日本化学工業協会が塩化ビニール酢酸特別委員会の付属機関として田宮猛雄、日本医学会会長を委員長とする「田宮委員会」を設置した。後に熊本大学医学部研究班も加わった。有機水銀説に対する異説として清浦雷作・東京工業大学教授らがアミン説を発表した。
彼らの主張がそのままマスコミによって報道されたため原因は未解明という印象を与えた。田宮委員会が諸悪の根源の様になっていた。その後、水俣病に原因は、判明せず被害者が増えた。1961年、水俣市で女児「3歳」死亡。病理解剖で胎児性水俣病と確認。1962年、水俣病審査会、脳性小児マヒ患者16人を胎児性水俣病と認定した。
1963年2月16日、熊大研究班の報告会で入鹿山且朗『いるかやま・かつろう』熊大教授が新日窒水俣工場アセトアルデヒド酢酸設備内の水銀スラッジから有機水銀塩を検出したと発表した、1964年1月、白木博次東大医学部教授が、入鹿山らの研究結果を論拠に水俣病の原因がメチル水銀であることを確定する論文を発表した。
「1968年9月の厚生省の水俣病とメチル水銀化合物との因果関係の公式認定に繋がった」
しかし、熊本水俣病の原因究明に長い年月を要した。当時の分析、科学のレベルでメチル水銀が原因かどうかの判断をするのには限界があった。
「もう一つ学者が自己の保身のため真実を言い出さない者もいた」
「確信を持った学者でも容易に言い出せる社会情勢でなかった」
「しかし、それが正しいと弁護してるのではない」
「学者も自分の信念で行動すべきだと山久一雄は怒りに震えた」
「中学の自由研究で、そんなに熱くなるなよと仲間から言われた」
「山久一雄は、それでも納得できず、変わり者扱いされた」
「その当時から長いものに巻かれるのが大嫌いだった」
最終的に政府が発病と工場廃水の因果関係を認めたのは、1968年と大きく遅れる事になった。その後、1968年9月26日、厚生省は、熊本における水俣病は、新日本窒素肥料水俣工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物が原因であると発表した。
それと同時に科学技術庁は、新潟有機水銀中毒について昭和電工鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀を含む工場廃液が、その原因と断定した。この2つを政府統一見解としたが、この発表の前の同年5月に新日窒水俣工場はアセトアルデヒドの製造を終了していた。
この時、熊本水俣病が1961年、最初に胎児性水俣病の死亡報告されてから既に12年が経過していた。なお、厚生省の発表においては、熊本水俣病患者の発生は1960年で終わり原因企業と被害者の間では1959年12月に和解が成立した。その後も関西水俣病裁判は、継続した。
この中学2年の時の自由研究の経験から公害の恐ろしさ、大人の欺瞞「ぎまん」が大嫌いになった。それでも、山久一雄は、慶応中学、高校、大学へ進んだ。その後慶応大学で経済を勉強して卒業しエリートコースをひた走った。しかし、何か割り切れないものが残った。
やがて1992年9月12日、20歳になり父が成人祝いに100万円を与え投資で増やせと言われた。1994年会社訪問をして山久一雄は、東京三菱銀行に入りたいと父に相談すると、それが良いと言われ入社試験を受けることにした。その後、東京三菱銀行の筆記試験と面接試験をした。面接の時に、お父さんの職業と勤務先を聞かれ、東京都職員、下松納税事務所の副所長と答えた。
「これを聞いて、すごいねと面接官の顔が、ほころんだ」
「資料を見てサッカーやるんだと聞かれた」
「そこでスター選手でなく控えですと言うとうけた」
「数学の成績も良いし検算も早くできるねと聞くので、ええと答えた」
数日後、採用内定所が送られてきて身体検査、医者の診断書も取る様に書いてあった。