表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/21

1話:山久一雄の誕生、円安阻止、バブル崩壊

 主人公の父、山久和彦「1949年生まれ」、祖父、山久公彦の血筋か、計算が早く洋楽が好きで数学、語学が得意だった。また、金儲けも大好きだった。父の山久和彦は小さい頃から実家が日本橋にある老舗の海苔屋のだったので金に困ることはなかった。厳しく躾けられ文武両道の考え方が強かったが、戦後、軍国主義の間違いに気がついた。


 そのため彼は、自由に勉強し進路を選択しトップをめざせと教育された。山久和彦は、1972年、日比谷高校を卒業後、上智大学英文科を卒業した。4月に同じ年の下山哲子さんとお見合いし、6月結婚。その後、1974年9月12日、長男の山久一雄が、誕生した。しかし山久一雄の出産が難産であったため、その後、哲子さんは、子供を産めなくなった。


 この時、山久家のために申し訳ないと泣いて両親に詫びた。祖父は、君の命が助かっただけで結構と言い慰めた。父、山久和彦は、一橋大学を出て東京都の蒲田駅から近い大田区都税事務所の1980年に課長昇進した。東京都のエリートコースを歩んできた。春先の納税の時期は、忙しく、帰りも遅い。しかし、それ以外の時期は、そうでもなかった。


 その頃、父の関係で蒲田駅近くにマンションを買って住んでいた。その姿を見て育った息子の山久一雄は小さい頃から賢く両親とも教育に熱心であった。1981年にアメリカの大統領に就任したレーガン大統領は、アメリカの経済力と軍事力の強化を図ろうとした。レーガン大統領は。それまでのケインズ政策とちがって 「小さな政府」を主張した。


 そのため、政府支出の抑制、大幅な減税、規制緩和などのレーガノミックスと呼ばれる政策を行った。しかし、一方で、軍事支出の激増によって財政赤字は拡大し、アメリカは高金利政策をとったのでドル高になり、アメリカの輸出競争力を弱めた。1980年代のアメリカは財政赤字と経常収支の赤字が同時に進行する「双子の赤字」に悩まされた。


 アメリカ国内では保護主義が台頭した。保護主義傾向に危機を感じた先進諸国は、会議を開いた。1985年、ニューヨークのプラザホテル「セントラルパーク近くのホテル」でG5「先進5ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議」が開かれた。その会議の内容は、米ドル高を是正するため、日本・アメリカ・ドイツの通貨当局がドル売りの協調介入を決めた。


 そうして円高ドル安にする事で合意「プラザ合意」である。これで日本の経済の息の根が止まるはずだったと言われている。この結果、急激な円高ドル安が進行し1ドル240円台だった為替レートは、急騰し1ドル120円台まで円が急上昇。日本は、円高を利用し海外直接投資が増大し資本収支は大幅な赤字となる。


 この時期、円高を利用、日本企業によるアメリカの企業や不動産の買収が増えた。しかし、急激な円高は日本企業を直撃し円高によって日本製品の国際競争力は低下した。そして輸出主導型で成長してきた日本経済は1986年、円高不況に。企業の中には円高の影響を回避するために生産拠点を海外に移すところも多く産業の空洞化という事態が起きた。


 しかしプラザ合意の思惑通り円高になったが、あまりに短期間でドル安、円高になりG5各国の首脳達も心配した。その後、G5のメンバーにイタリアとカナダを加えたG7「先進7ヶ国」が「そろそろこの急なドル安に歯止めをかけましょうと言い始めた」これが1987年2月に開かれたルーブル合意である。

 ところが、このルーブル合意をしてもドル安トレンドは止まらなかった。それに加えて1987年10月にはニューヨーク株式市場で歴史的な株価下落「ブラックマンデー」が起きドルは一段安となった。1987年末にはついに1ドル、約120円まで円高・ドル安が進行、プラザ合意からたった2年の間にドルの価値は半減した。


 もちろん、あまりにも急激すぎる円高に見舞われた日本は、輸出産業に深刻な大打撃。ルーブル合意でも止まらなかったドル安を句止めようと、G7は1987年12月22日に「これ以上のドル下落は好ましくない」と緊急声明。これをクリスマス合意、もしくはクリスマス声明とも呼ばれる。


 これで、猛威を振るったドル安トレンドはなんとか一服。止まらない円高・ドル安に苦しみまくっていた日本にとっても、実にありがたいクリスマスプレゼント。その後、日本経済は、円高不況対策で、低金利政策を継続し行き場のなくなった大量の日本円が、株式、不動産市場に流れバブルが発生した。


 バブルを潰そうと1990年3月の総量規制など荒療治を大蔵省と日銀がタッグを組んで実施した。そのため一気に、反転し、株、土地の価格は暴落し、バブル崩壊。これ以降、日本経済の暗黒時代が続いた。これが今まで言われている話。ところが、その当時の日本の大蔵省は、優秀なエリート集団が集まっていた。


 じっと反撃の時期を待つ。そうして1999年金価格が1グラム千円になると日本円で金の地金をアメリカ、ヨーロッパ各国などに知られないように大量に買い始めた。日銀や大蔵省の役人が、特別会計から大手銀行を通じで、毎日、連続して淡々と金を購入した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ