モンキー中学校
中学生の頃、校舎の壁に白い部分がありました。
それが何のシミなのか、入学して間もなくわかりました。
トイレットペーパーです。
お昼休み中に教室移動をしている私たち新入生の頭上を、けたたましい笑い声と共に白い何かが飛んでいきます。べちゃ、という音をたてて壁に張り付いたそれを見て、2階の窓から先輩たちが手を叩いて笑っていました。
先輩たちがいる場所はトイレです。
彼女たちはトイレから濡らしたトイレットペーパーを壁に投げて遊んでいたのです。
それほど間を置かずに気が付くことでしたが、私は地元でも有数のモンキー中学に入学していたのでした。
「あれ、美紀ちゃんたちは入学してないの?」
小学校の時のクラスメイトの姿がないことを思い出して周りに聞くと、そんなことも知らないのかという顔をされました。
「美紀は私立の中学校に行ったよ。だってお金持ちだもん。沙也加も遠藤君もだよ」
私は当時私立の中学校に通う、という人が実在することに驚きを隠せませんでした。テレビの中の話だと思っていました。
友達は皆不安そうな顔をしていました。
「やばいよね」
「うん。やばいって聞いてたけどさすがにヤバい」
「こんなところで3年間過ごすの?」
「まじで『モンキー』じゃん」
モンキー
誰が言い始めたのか、的を得ています。その言葉に、「自分の理解の範疇を超えていて、同じ人間だとは思い難い」という意味が込めれられていることがひしひしと伝わってきます。
いわゆる荒れた中を学校である、ということをモンキーという言葉に集約するという、差別的で人権の観点から余裕でアウトとい言わざるを得ない表現ですが、そこになじめない生徒にとっては、その表現は自らの常識と価値観を保護するために必要なものだったと思います。
トイレットペーパーを窓から壁に投げつけてあそぶ、などは可愛い物でした。
まず授業はあまり成立していませんでした。教員が生徒を教室の椅子に座らせるのに10分かかり、授業中突然卑猥な歌を歌いだす生徒を隔離したり、ノートを持ってきてもいない生徒にプリントを配ってやったり、普通の授業などテレビの中の世界でした。
「あ!女の人が裸で着替えてる!!!」
授業中にそう叫ぶ遊びが流行っていました。そうなると皆席を立ちあがって、どこだどこだと探します。そして本当はそんな人はいないのですが、また誰かがこういいます。
「本当だ!あそこだ!」
打ち合わせもなにもしていないのですが、そういう遊びの不文律に皆従うのです。そして最後に別の者が、窓に群がっていない席に座ったままの生徒の中から、自分たち方へ顔を向けている者を選び、こういいます。
「あ!山田がこっち見てる!山田も裸の女が見たいんだ!ムッツリスケベ~!」
と叫んで皆ではやし立てます。
山田さんは顔を真っ赤にしてうつむき、他の生徒は自分はこの遊びの餌食になるまいと顔を伏せます。授業中に突発的にこうした遊びが始まるので、彼らはエロテロリストと呼ばれていました。
そのほかにも突発的にこう叫びます。
「吉田のお〇こって臭そう!!!」
それを吉田さんに向か発言した挙句、隣の席で平然と昼食を取り始めます。
大変なショックが吉田さんを襲いました。
しかし教員の目の前で行われたそれは、受け入れなければいけないものかのような空気がながれていました。
「吉田さん大丈夫?」
人前でそう聞くことははばかられました。帰り道に聞くと、彼女は涙目でした。
「大丈夫。モンキーの言うことに傷つくほうがおかしいよ」
彼女が気丈だったと思いますが、彼女が気丈になる必要などあってはならなかったのだと思います。
今なら不登校になってもおかしくありませんが、我々は中学校というよりも、モンキー中学校にいるのだからという感覚があり、このくらいのことは毎日のことでした。今思うと学校の先生たちはなぜ止めたりしなかったのか?という疑問も残りますね。
モンキーたちの行動は理解の範疇を超えています。
とにかく人を貶めたいという欲求に駆られている彼らがいまだに理解できませんが、懐かしいものです。
部活に入るとそこでは先輩モンキーによる支配が待ち構えています。
「1年生は運動場を歩いちゃダメ、走るのが決まりだから」
「1年生は2・3年の荷物を持たなきゃダメ」
「荷物を持つとき、2・3年に断られたからって引きさがるのは甘すぎ。もっと私にさせてくださいという気持ちで行くべき」
「先輩より先に水を飲んじゃダメ」
「先輩より膝を曲げちゃダメ」
「先輩のいる場所で座っちゃダメ」
「先輩より…」
先輩という存在によって自らを他者よりも下位に置く訓練を受けさせられているようでした。先輩たちは部活に打ち込み、授業ではエロテロリズムをたしなみ、昼休みにはトイレットペーパーで壁と戯れ、大会では全国レベルに食い込むという、普通よりも抜きんでた存在ではありました。
「この大会に勝って晴嵐学園に行くんだ、スポーツ推薦で!」
それがだいたいのモンキー先輩たちの夢でした。スポーツ推薦で私立の強豪校へ行く。そのために部活を頑張る。モンキーである彼女たちはそのたった一つの選択肢にステータスを全振りしていました。
その結果待ち受けているものは、中1の勉強も分からない高校生の誕生でした。そして強豪校で怪我や事故によりアイデンティティを失って地元でぶらぶらして真夜中に盗んだバイクで走り出すようなことをしていました。
先輩モンキーたちの部活に一生懸命な姿はN〇Kでも取り上げられていました。私はそのとき、テレビって嘘つきなんだな、と思いました。
部活動は毎日あり、さぼることは許されず、毎日1時間部活後にモンキー先輩たちによるお叱りがあり、夏休みも冬休みもお盆も正月もずっと練習三昧でした。
休みが欲しい、と教員に言い出せる雰囲気ではありませんでしたが、勇気を振り絞って川口さんという方が申し出ました。
「休みだと!?そんなことをしたら、スポーツ推薦を目指してる奴らは他の学校のやつらに後れを取ることになるだろ!あいつらにはスポーツ推薦しかないんだから、練習を減らしたら将来が真っ暗になって学校で暴れるぞ!」
と、こんな感じの対応でした。とにかくスポーツ推薦で高校に送り出しさえしてしまえば、比較的学校の平和は保たれるという見解でした。当時の私たちは今よりもさらに荒れる学校を想像し、おとなしく引き下がり、みんなで部活をやめることにしました。これに付き合っていたら、私たちの進路もモンキー先輩と同様になってしまうからです。
モンキー中学とは言え、勉強やテストも一応が普通の中学と同じレベルのものが課されます。モンキーの環境から抜け出したい、絶対にこの人たちともう二度と人生で同じ瞬間を過ごしたくない、という熱い思いを持つ生徒のおかげで、モンキー中学は上位高校への驚異的な進学率を誇っていました。
一般的にモンキー中学かどうか見極めが難しいのは、こうした生徒たちによる不屈の精神のおかげで、学力が平均されてしまうせいもあります。
勉強についていけなくなった生徒には、モンキー先輩というロールモデルがあり、知っている人の何人かは卒業するころには同じ道をたどっていました。祭りの時期になればお花代と呼ばれるお布施を巻き上げるために学校中の生徒に絡み、そして卒業生のモンキー先輩にその金を上納し、そのモンキー先輩はさらにモンキーな先輩に上納し、最後は青年会という、土木屋とヤの付くグレーな商工会が仕切る組織の肥しになり、それをまたN〇Kが地元の伝統ある祭りとして取材にくるという、社会の縮図のようなことが繰り広げられていました。
世の中のすべてに当てはまることではありませんが、少なくとも私の知っているモンキー中学の常識ではありました。
卒業式の日は、自転車に日章旗をくくりつけたモンキーたちによる、校内自転車暴走族がだいたいにして行われ、教員が叫びながらそれを止めるまでがセットでした。
会いたいとは微塵も思いませんが、皆元気ですか。
元気ならいいな、と思っています。