仕事と殺意とみよちゃんババア
「あなた、真面目に仕事やってちゃだめよ」
弊社に勤務して半年ほどで、私は上記のセリフを聞きました。
一瞬意味が理解できず、怒られているのだと思いました。
「仕事は殺す気でやるの」
はい?
と耳を疑いました。今この人なんて言ったの?この人ってこんなヤバい人だったの?
とんでもない人に絡まれてしまった、どうしよう、という私の動揺を他所に、その人は私から書類の束を取り上げて、あっという間に部署の人たちに声をかけて分担させてしまいました。
驚きながら、唯一手元に残された鬼門のような案件資料を握り締める私は、仁王立ちするその人を3度見ぐらいしました。
「その案件、一緒に殺すわよ」
それが私の尊敬する「みよちゃんBBA」との出会いでした。
BBAと呼んでいるのは、尊敬の意味を込めて心の中でそう呼んでいます。みよちゃんに向かってちょくせつBBAと呼んだことは、私はありません。みよちゃんはよく酔っぱらうと、「みよちゃんBBAっていってみなさいよ、いいなさいよ!」と謎の絡み方をします。なので、みよちゃんBBAと共に過ごした私にとって、みよちゃんはみよちゃんでありつつも、みよちゃんBBAが正式名称のような気がしています。
マツコ・デラックスのデラックスに当たる部分がBBAな気持ちです。
しかし不快な思いをされる方のために謝ります、ごめんなさい。
みよちゃんとの出会いは強烈でしたが、『仕事は殺すつもりでするもの』という大切なことを教えてくれました。もちろん物騒すぎて気軽に口にできる言葉ではありません。人前で堂々と言うべき言葉でもありません。ですが、胸に刻むには十分強烈なので、私の心の奥深いところへ根ざしてしまいました。
どういうことなのかというと、話は鬼門の案件に戻ります。
弊社は突如として常識の世界では理解できない夢だと思いたい案件が発生するので、これをエレクトリカルパレードと呼んでいます。当時新入社員の私が抱えていたものも、そのエレクトリカルパレード案件でした。
様々な関係者の思いがエレクトしてしまった結果、不平不満クレームなどなどがパレード状態になっており、心の平穏を保つためにあの軽快なパレード音楽を思い出しながら取り組むべき案件でした。何より私が苦しんだのが、弊社はその事象の発生には一切関係がないということです。
そうです、弊社は難しい案件を処理せよと丸投げされたのです。
放置することは弊社のお客様の利益にならないため、我々が取り組むことになった次第です。
そんなわけで毎日一体どこから始まっているのか分かりかねる問題箇所を掘り起こし、関係者に連絡を取り、聞き取り、解決に向けてまた関係者のスケジュールを調整しつつ、専門機関に助言を求める。
こうして書き出すと、面倒だけれどなんとかなりそう、という気持ちになりますが、当時の私もまったく同じ気持ちでした。つまりそういう手順をたどれば解決できるんでしょ?だったら大変かもしれないけどできるできる、と思うほど愚かだったのです。
思い返すとこの時点の私は、この案件の息の根を止めるという気持ちが一切ありませんでした。
うまくいかないのも当然のことだったと思います。
まず関係者が誰なのかわかりませんでした。
Aが「Bが〇〇と言っていた」と発言し、Bが「AとCがその話をしている場にはいたが、自分はかかわっていない」といい、Dが「AとBが対立していることは知っていた」といい、実はAにもBにも嘘をついて対立関係を煽り問題を隠ぺいしていたCが「大変なことになっているので助けてください。AにBがいじめられています、ひどいでしょう」というのです。
本来的な関係者はAとBなのですが、Dという俯瞰的に案件に関わっていた者を探し出すことに時間がかかりました。またCが直接の関係者ではなかったため、Bが嘘をついているのではないか?という方程式も私の中にはありました。
詳しく書き始めるときりがないのですが、嘘か真実かに囚われてしまった私は誰が本当の関係者なのか全く分からなくなってしまったのです。
「あなた殺すつもりでやってるの?」
みよちゃんがそう言うのも当たり前でした。
「関係者全員が嘘をついていたとしても、あなたのやることは変わらないのよ。だってあなたは嘘か真実かを確かめることが仕事じゃないの。この問題の息の根をとめて、この世から消し去ることが仕事なのよ」
みよちゃんは給湯室でマグカップにジンジャエールを注いでくれながら、お話してくれました。
「この人は本当のことを言っているはず、なんて気持ちで殺せるのかしら?」
Cの悪辣さに気が付いていなかった私は、どうしてこんなことをいわれるのだろうかとちょっと落ち込みました。普通の上司はここで私を叱責しておわりですが、みよちゃんBBAは決してそのようなことはしませんでした。みよちゃんはいつも最前線に飛び込んできてくれます。
「例えば人を殺すとき、どうやって殺すのか、いつやるのか、道具をどう用意するのか、一人でやるのか、逃走経路は、死体の処理は。そういったことを全部かんがえるでしょう。あなた考えたの?どうやってこの案件を着地させるのか、いつ何をするのか、いつどんな状況で誰を聞き取るのか、一人でやるのか、事実でないことを話していた場合どうやってそれを判明させるのか。そういうこと考えた?」
私はこのときはっとしました。
やっと「殺すつもりでやる」の意味が理解できたからです。
案件に対する殺意が足りていなかった私は、ただただ案件に振り回されているだけだったのです。すべてを把握し、この案件の主導権を完全に掌握するのだという強い意志を持って取り組んでいるのか。私はずっとそれを聞かれていたのでした。
思いかえすと、マニュアルだからと聞き取りだけして、そのあと何をすべきか見えてくると思っていた私は、見えてこなかったときのことを考えていませんでした。
「案件を扱う立場になった以上、あなたがすべてに責任を負うの。あなた程度やりすごせる、なんて甘いことを彼らに思わせては、弊社のお客様の不利益になるわ」
みよちゃんはそれから様々な起こり得る事象について、こういう展開の場合はこういう対処ができる、と教えてくれた上に、資料倉庫の鍵をくれました。
「完全犯罪を練り直しなさい」
私はそれから、計画を練り直しました。不明な部分は徹底的に裏を取り、不測の事態にたいする対処を考え、場所と時間を選び、スケジュールが合わないとわめく、関係者という関係者の上司や取引先からスケジュール調整して黙らせ、たとえ私が失敗しても必ずお前たちは仕留められるという本気度とあらゆる手段で見せ、準備の上挑みました。
みよちゃんは私の練り直した案に、一切口を挟みませんでした。
「あなたの案件なの。私は一緒にやるけれど、あなたが指示をするのよ」
自分の母よりも年上のみよちゃんに指示をするのは気が引けましたが、それこそそんな気持ちでこの案件が殺せると思うのか、ということだと思います。
かなり時間はかかりましたが、その後もお客様による自作自演の詐欺未遂案件なども併発しながら、何とか1年目の終わりには案件を終了させることができました。
少なくとも弊社は胸を張って「この案件は終了しました」と、たとえ10000人のお客様を前にしてでも言える、という状態に持っていくことができました。
みよちゃんはその間常に私の話に耳を傾けてくれ、私が案件のボスである、という態度を周囲に求めてくれました。当時まだ私の先輩に過ぎなかったその後の上司(のちに私に弁護士を使って脅されるかわいそうな人)も、みよちゃんを尊重して私を案件のボスとして接してくれました。
今にして思うと、この一年目のエレクトリカルパレード案件なんて、今後ものにくらべたら可愛い物でした。たぶん皆にとってそうだったのだとも思います。
他でもない弊社の仕事においては、案件の担当者が全権を掌握の上全責任を負う、という強い主権と責任が必要とされます。たとえどんなエキサイティングな案件を抱えようとも、それは変わりません。
案件のボスになる、とはそういうことなのだと勉強させていただきました。
仕事は真面目にやってもなんともならないことがありますが、殺意を持って取り組むとなんとか乗り切れた、ということが多かったです。
ただ弊社の我の体験に基づく話なので、だからほかのひとがどうだ、というのは一切私が言えることではありません。
わたしはみよちゃんBBAという素敵なババアに育ててもらった、ということを覚えておきたいなと思います。
みよちゃんは給与明細とボーナスと昇給表を良く見せてくれたし、年末調整のやり方と住宅ローンとタワマン購入のテクニックを教えてくれました。
経費でお菓子を大量に購入する方法や、有給をとっても誰も文句を言わないタイミングなどありとあらゆる些細なことも全部教えてくれました。
そのみよちゃんが一番最初に教えてくれたことが「仕事は殺意を持って乗り越える」でした。
みなさんの心の中にも、みよちゃんBBAがいて味方になってくれたらいいのにとも思います。