トップスの呪い
トップスの呪いに皆さんはかかったことがありますか?
季節の変わり目によくまき散らされる呪いです。
ボトムを買いに出かけたはずなのに、トップスを買って帰宅するアレです。
最近暖かくなってきたな、春らしい服でも買いに行こうかな。
そう思って手持ちの服をみると、私は一体昨年の春はどんな服装をしていたのかわからなくなります。
こんなの着てたの?ダサくない?などと思うときもあれば、こんなの着てたの?暑くない?と昨年と今年の今頃の気温が違うことに気が付かず、真剣に悩むときもあります。
代わり映えしないな。
春らしいボトムが欲しいな。
白いスカートとか、緑の明るいパンツとか。
よし、買いに行こう!
そう思って意気揚々出かけます。そして最初のほうはボトムをきちんと手に取ります。
この色かわいいな。
目移りしそうな新しいお洋服を前に、うきうきとした気持ちになります。しかし数分後ちがうことを考え始めます。
丈長くない?
私は身長が低めなので、服を買いに行くとまずこの壁にぶち当たります。股下が短い人の存在を、なぜ認識してもらえないのでしょうか。裾を切っておけばそれでいいだろう、という指摘はもっともなのですが、試着室に長蛇の列をつくるユニクロに出くわしたことはありませんか?私はあれを見ると何もする気が起きなくなります。
すごいならんでる。パンツ一枚にこれだけ並ぶのもな…。
かといって、家で裾上げするのも面倒。
とりあえずチェックしといて、平日の仕事帰りの空いているときにこよう!
そう思って店を後にします。
断言できますが、平日の仕事帰りに立ち寄りません。
そんな気力はいつだってないからです。
なのに休日のショッピングの度に、平日の自分が今日の自分と同じくらいの体力を持っていると過信しているのです。愚かです。
せっかくきたから、春らしいTシャツを買おうかな。
はい、ここでトップスの呪いにかかります。
Tシャツでは飽き足らず、UVをなんとかするニットとかも買ってしまいます。
これは着回しができるし、買っておいたほうがいいな。
そんなことを考えますが、着まわしができるという理由で服をそろえすぎて、着まわさない奴はどれなんだ、どれがパンチの利いたアクセントに成り得る奴なんだ、という問題にいつも出くわします。しかし愚かなのでそのことには気が付いていませんし、良い買い物をしたとさえ思っています。
最近のセルフレジってすごいな、カゴを置くだけで商品を確認してくれる。
レジで毎回そこに感動し、どのサイズの紙袋に入れるべきか悩み、結局は大きすぎる紙袋に入れてかえります。
あ、この緑のパンツ素敵。
そう思って別の店に入ります。そして同じことを思います。
丈長くない?
切ったら終わり、のタイプならよかったのですが、やれフレアだスリットだが絡んでくると悩みは尽きません。
このパンツはスリットとフレアのシルエットがあるから、裾って切れないよね?
じゃあ裾上げできないから着れない?
あ、サイズが結構たくさんある。
短い丈のもある。
そう思って手を伸ばし、体に当ててみてちょっとほっとします。
よかった、丈が合いそう。
しかし世の中は甘くなどないのです。かがみを見てあることにやがて気が付きます。
私の体が明らかにはみ出している。
そうです。丈が短いということは、なぜだか世間ではウエストも細いということになっているのです。まるでお前は適正体重をオーバーしているんだ、と言わんばかりです。被害妄想ですが。
無理だ、戻そう。
ハンガーラックに商品を戻し、こう考えます。
何か春らしいブラウス、仕事でもつかえるような奴買おうかな。
仕事にもつかえる、という免罪符で一体どれだけトップスを買いそろえるつもりでしょうか。
何着同じ色を買っても同じようなことを毎年思ってしまいます。
帰りに薬局によって帰ろう。
もうこの時点で、平日にパンツを試着しに来るつもりなどほぼありません。予定から消えてしまっています。
私はこの呪いに毎年かかっていますが、解ける日はくるのでしょうか?
最終的には薬局でジュースではなく、無糖の何かを買って帰った自分をちょっとほめるような気持ちでその日を終え、次の日に普通にお菓子もアイスもたべるといういつもの光景になります。
呪いなどと呼んで、自分のせいじゃない、みたいなことを言っていますが、結局は自分の撒いた種を受け止めきれないだけの愚かなこの頃です。