5.辿り着いた先
逃走経路を確保し、距離を下げたことは喜ばしいことだ。
だが、相応の代償が起き始めていた。
『もはや武器は使えんか。……この体も悪い状態だ』
「え?」
薙刀は仙術に堪えきれず瓦解しており、もはやガラクタとして捨てる他なかった。
それに合わせて、キヨシの肉体は散り始めていた。
なぜか紙みたくボロボロとなっていて、その浸食が止まらない。
痛みは無い。
ただ取り返しが付かないような、それでいて肉体の感覚が失われていくのは感じていた。
「こ、これって。どうして……」
『仙術の影響だ。まだ仙人の境地に至ってない肉体であるにも関わらず、我が無理に発現させたため崩壊している』
「そんな、嫌だ………。死にたくないのに。何をしているんだよ……」
『申し訳無いが、この状態が長引けば肉体は消失する。そして今は止める手立てが無く、消失するのは時間の問題だ。つまり間もなく死んでしまう』
それでは本末転倒だ。
生きるために逃げて、逃げるために仙術を使ったという流れなのに。
それなのに仙術を使ったために死を迎えるなんて、間抜け過ぎて笑い話にもならない。
『とにかく進むぞ。体が動き続けるまでな』
「僕は、逃げるために生を授かったわけじゃない。みんなを見捨てるために生きてきたわけじゃない。なのに、どうして……」
『落ち着け。仙人の境地から遠ざかるほど崩壊は早まる。無心で走れ』
死に直面しているに無心を保てというのは、あまりにも冷酷な話だ。
都合良く使い捨てるために助言しているのではと疑いたくなるほど、何もかもが無茶苦茶だ。
道理に合わない。
所詮は他人事で何も教えず、何も分からない内に自分を殺すつもりなのだろう。
『おい、雑念が増えているぞ』
元々、自分の身の丈に合わないことをするべきじゃない。
ここで死ぬ程度の存在だったわけで、それが自分の命運だったと受け入れるべき。
実際、自分より遥かに優れた長男のシゲヨシは死にかけているはず。
それなら義原家どころか人間として劣っている自分は、ここで終わりたくないと願うのは傲慢。
『聴こえて無いのか?それとも、これが運命だと捉えるべきか。しかし、大人しく世の理に従うほど弱者では無いはずだ』
「僕は……ヒバナ、シゲヨシ兄さん、父上……。みんな…」
キヨシは心身共に死を迎えてかけている。
それは間違いない。
しかし、ここで他者の名を出したのは救いを求めているからでは無い。
自分の死を直前にしつつも、最期まで他者を想っているのだ。
そのことに憑依しているセイセンは気づき、説得を始めた。
『良いか、キヨシ。その恐怖、心配、悩み、それらを余計な事だとは言わん。だが、安易に呑み込まれるな。押し潰される前に押し返せ』
「死にたくない、死にたくない……。僕は………あぁ…」
『負の感情は持ったままでいい。ただ自分が信じているものを見失うな。先ほど教えたはずだ。遥か遠くを見ろ、世を広く識れ。そして自ら覚えたこと、他者から与えられたことは思い出さないと意味が無い』
そこでセイセンは彼の体を使い、ある物を握らせた。
今は薙刀を捨てているから、もう何も持ってないはず。
それなのにしっかりと握っていて、その弱々しい感覚をキヨシは大事にしようとする。
そして、彼が手にしたのは小さな袋だった。
人によっては変哲もない小さな袋のはずだが、それは彼を正気に引き戻す力があった。
「お守り………。昨日、ヒバナちゃんから貰ったお守り。今日のためにって、僕に渡してくれたお守りだ………」
『死を目前にして挫けるのは容易い。思考停止して諦めれば良いからな。だが、それは解決へ至らない。ただ放置し、自身の視界を塞ぎ、あとは忘却しようとするのみ。それでは呪縛から解放されないままだ。内側へ引きこもるだけでは、自分しか居ない世に取り残される』
「…ははっ………ごめん、セイセン。それ以上、あれこれ言われても僕は難しく考えられないや。いちいち回りくどいし」
『な、なに?そうか……?うむ、まぁ気を付けよう』
「でも、僕を想ってくれる人が居ると思い出せただけ報われた気分だよ。それについては、ありがとう。もし死ぬ事になっても、さっきよりは良い気分で逝けるかもしれない」
『何を言う。そう易々と死なせんさ。お前はかけがえのない子孫。そして非力であっても、村の皆にとっては自慢の誇りだと記憶を見れば分かる』
「よく分からないけど、そんなことまで出来るんだね。うん、心なしか気力が湧いてきた」
危険な状態である事には変わり無いが、寸前に奮い立つことができたのは事実だ。
そのままキヨシは、謎の存在セイセンと共に一晩中駆け抜け続けた。
そして夜が明けて日が高くなりかけているとき、ついに彼は両脚を失くして転倒する。
もう全身が朽ち果てかけていて、顔の半分近く紙屑へ化している。
きっと自分は死ぬ、このまま消える。
ただ不安は無かった。
『まだ眠るな。前を見ろ』
そう言われてキヨシは霞む視界を何とか理解しようとする。
目の前にはレンガで補装された大きな道が続いている。
それに先進的な外装の高い塔があって、塔の後ろには広大な湖が広がっていた。
更に塔からはロープウェイが伸びていて、美しい湖を越えた先へ行けるようになっていた。
しかし、キヨシからすれば何もかもが見たこと無いもので溢れ返っている。
全くもってここはどこなのか。
あれは何なのか。
綺麗な洋服を着た人達が歩いているし、自動車も当然のように走っている。
何も理解できない光景だ。
だから自分が通った道がどうなのか確認したいところだが、今は振り返ることができない体だ。
なにせ彼の下半身は既に消失していて、横たわることしかできない。
もはや思考ができず、あとは呆然とするのみ。
ぼんやりとした意識で、ほぼ眠りに落ちた感覚で終わりを迎えるだけ。
そんな中、塔から一人のおばさんが出てきた。
腰が少し曲がっていて、人が良さそうな顔をした白髪で背が低めのおばさん。
おそらく同じ国生まれでは無く、なぜだか慌てている。
そのおばさんは躓きそうになりながらもキヨシの下へ小走していき、どこからともなくチリトリと箒を取り出した。
それで何をするのかと思えば、まるで埃を取るように紙屑の彼を集めて、チリトリの中へ回収するのだった。