3.悪鬼
慰霊祭の一連の流れ自体は、単純なものだ。
まず神輿を前に神主が祈りを捧げ、ヒバナ含む由緒ある巫女が神聖なる舞いを披露する。
そして提灯を手にした村人達に見守られながら神輿を運び出し、村の中を一通り歩き回るのだ。
その行進の際、キヨシは手のひらサイズの二枚の木札を打ち鳴らし続けて、途中で出現する悪鬼を義原の当主が討つ。
あとは神輿を御神木にまで運ぶことで、供養儀式は終了を迎えるというの。
当然、それぞれが慰霊祭に相応しい恰好をしなければならない。
キヨシと長男のシゲヨシ、そして彼らの父上は袴姿だ。
またシゲヨシと父上の二人は真剣の薙刀を携えていて、現当主の父上の顔には朱色の化粧が施されていた。
より勇ましく見せつけるもので、守護神を体現した姿と言える。
そして空が綺麗な月夜に満ちたとき、慰霊祭が開催される。
まずは予定通り、神主と巫女達による祈りが始められた。
その間は大勢の村人が境内に集まり、祈る様子を大人しく見守るだけだ。
もちろん、巫女として舞いを披露するヒバナの姿もあって、彼女は華やかな装飾品で身を彩っていた。
巫女の中で一番幼い彼女だが、他の巫女と比べても決して見劣りしない振る舞いで魅せる。
一つ一つの動作が洗練されていて、滑らかながらも力強く、村人達の感心を強く湧き立たせるヒバナ。
そして場には響く鈴の音、奏でられる笛の音色、静かに発せられる和太鼓の打音だけが辺りを包む。
見上げれば美しい夜空の星々が見えていて、前を見れば灯篭で照らされた可憐な巫女の舞いが繰り広げられている。
あとに聴こえるのは人々の静かな息遣いと、柔らかく流れる風くらい。
もはや全てが幻想的であり、これ以上無いほど慰霊祭としては煌びやかで厳粛なものだ。
そんな中、キヨシは隣に居るシゲヨシ兄さんの異変に気付く。
薄暗いせいで観察しないと分からないが、顔色があまり優れてないようだ。
このタイミングで不調なのは好ましくない事態だから、キヨシは心配して小声で話しかけた。
「シゲヨシ兄さん、大丈夫?」
「あ、あぁ………。正直、だいぶ緊張している」
「うーん。兄さんって、結構あれだよね。なんというか……。うん、本番に弱い。昨日の夜からまともに食事できてないし」
「それくらい緊張しているんだ。食べ物に喉が通らなくなるのは普通のことだろう」
「父上は朝昼晩、その三食とも三人前くらい食べていたけどね」
「それはいつものことだ。本当に尊敬するよ」
尊敬と言うのは皮肉なのか、それとも言葉通りの意味なのか疑いたくなるところだ。
しかし長男のシゲヨシは生真面目だから、言葉通り尊敬しているのだろう。
同時に、それだけ真面目過ぎるから緊張に弱いのだとキヨシは思った。
「じゃあ、そんな尊敬する所しかない父上に敬意を表して、父上と同じ態度で居たらいいんじゃないかな。手本すべき人物が間近に居ると考えたら、だいぶ気が楽でしょ。とりあえず真似すれば良いだけだ」
「なるほど。言われてみれば、その通りだな。緊張で視野が狭くなっていた。………しかし手本となる父上は、うたた寝しているな」
「え?いやいや、まさかそんなことあるわけが無い。あの厳格な父上が大事な時に気を抜くなんて、絶対にあり得ないはずだけど………。うわぁ…、これは酷い。父上は父上で緊張感が無さ過ぎる」
今は誰しもが巫女の舞いに注目を向けているから気づかれてないが、シゲヨシが言った通り父上は仮眠状態へ突入していた。
勇ましく座ったまま綺麗な背筋を維持して寝ている姿は、まさしく筋金入りの眠り様だと感服する他ない。
もしかして今までも祭事の時は寝ていたのかと初めて知り、ひとまずキヨシは見なかったことにする。
「父上は非常に多忙な身で、日頃から睡眠時間が少なかったはず……。そのせいで、僅かな合間に休む技術を身に付けてしまったんだろうね……。ただ満腹になったから寝たとは思いたくない」
「さすが父上だ。常に万全な状態で長を全うするため、休息の技を会得するとは。つくづく尊敬する」
「兄上は真面目というより天然なのかな。誰もが認めるほど凄い人なのに。これは次の新春、弟として気を引き締めないと……」
こうして二人が話している間に祈りが終わり、それと同時に父上は覚醒して立ち上がった。
まったく寝起きだと感じさせない威風堂々とした姿であって、確かに凄い生活術なのかもしれないとキヨシは感心する。
それから予定通り神輿は村人達に担がれ、村内の移動が始まった。
義原一族の三人は神輿を先導して歩き、その後ろを神輿が付いて行くだけ。
ただ祭りらしく賑やかに行進するわけでは無く、あくまで慰霊祭としての移動だ。
だから物静かな雰囲気を崩してはならない。
また伝統通り、キヨシは二枚の小さな木札を手にする。
「さぁキヨシ。打ち鳴らしを頼むぞ」
「はい、お父上様」
父上に催促され、キヨシは木札を打ち鳴らす。
それが行進開始の合図となるが、それだけでは済まされなかった。
カァンと打ち鳴らした瞬間、キヨシは一人静かに混乱する。
「え………?」
彼の眼には大地、建物、人、それら全てが透けて見えたのだ。
唐突な上、なぜなのか不明だ。
酷い幻覚かもしれない。
更に一つだけ大きな物体が透けておらず、その物体は離れた場所でゆっくりと動いていた。
謎の存在が蠢く上、家々の前に飾られている木札が輝いている。
ただ、どの現象もキヨシしか観測していない。
村人達のみならず、長男のシゲヨシ、義原の当代である父上まで異変に気付かず、行進が始められた。
「なんだ……?なにか、すごく嫌な気配がする………」
キヨシは流れで足を前へ進めはするものの、やはり強烈な戸惑いを受けていた。
気が付けば透けて見える現象は失せていて、普段通りの様子に見えている。
だが、言い表し難い危機感が湧き上がり、キヨシは焦燥感に駆られた。
「何かしないといけない気がする。このままだと見逃すだけで、どうにかしないと」
『眼を瞑れ』
不意に、どこからともなく男性の声が聞こえた。
まるで心の声を発している時のような聞こえ方で、脳内で自分と喋っている感覚だ。
だから幻聴と何ら変わらない。
それなのにキヨシは違和感を覚えず、ほぼ無意識的に目を瞑る。
すると再び周囲が透けて見え、謎の大きな物体がこちらへ近づいて来ていることを彼は知った。
「シゲヨシ兄さん!父上!」
堪らずキヨシは声を荒げた。
それによってシゲヨシと父親が訝しげな眼差しを見せかける直前、激しい衝突音が発せられて神輿が宙を高く舞う。
相当な重量があるはずの神輿が勢いよく飛んでいくため、尋常では無い出来事が起きたのは明らかだ。
また非常事態は続き、いつの間にか巨大な獣が皆の前に立ちはだかっていた。
とは言え、それを獣だと認識したのは一人いるかどうかだ。
他の動物に例え難い獣、形容しがたいほど醜悪な怪物、おぞましい姿形をした巨大生物。
どれも適切だが、目撃した者からすれば正しい表現では無い。
その存在を一言で他者へ教えるなら、それを『悪鬼』と呼ぶのが一番相応しいだろう。
とにかく巨体で全身が生々しい血肉で覆われていて、現世の生物とは言えない造形をしている。
この悪鬼は、歪な顔が張り付いただけの肉塊だ。
「みんな下がれ!討ち払いだ!」
勇敢なる父上は取り乱すことなく、村人に避難を呼びかけながら薙刀を構えた。
彼が冷静で居られたのは、悪鬼を呼び寄せること自体はまだ予定通りだったからだろう。
しかし、なぜか最初に飛び掛かったのはキヨシだった。
華奢で弱々しい肉体の彼は木札を手に前へ出て、跳躍するなり木札を悪鬼へ刺す。
それによって悪鬼の肉体からは黒い血液が滲み出るが、怯ませる事すら叶わない。
やはり木札程度では、どう扱おうとも殺傷能力が低いのだ。
「『この道具では浅いか!』」
「馬鹿!何をしているキヨシ!」
彼を呼びかけたのは、身内の誰なのか分からない。
唯一分かることは、その言葉が言い終わった瞬間に悪鬼の長い手が長男のシゲヨシを弾き飛ばしていることのみだ。
神輿を吹き飛ばした力だったことを考えると、きっと彼は無事では済まされないだろう。
「シゲヨシ兄さん!うああぁあわぁ!?『おのれ、悪鬼め!』」
キヨシ本人は気づいて無いが、つい先ほどから自分が思ってない言葉が口から出ていた。
何者かが彼の体を借りて喋っている様は、これも間違い無く異変の一つだろう。
何にしろ、シゲヨシは一呼吸する間も無く意識を奪われており、深手を負うと共に昏睡状態へ陥っていた。
「『くっ、思っていたより体が鈍いぞ……!』」
そしてキヨシは自身の身体能力に文句を垂らしつつ、シゲヨシが吹き飛ばされた際に落とした薙刀を拾いに向かう。
その間に父親が自分の武器を手に前へ出ていて、力強い振りで悪鬼を斬ろうとする。
「なんということだ!これほど強大な悪鬼、今まで現れなかったというのに!」
「『待て!すぐ斬ろうとするな!まずは自分の身を守れ!』」
立ち向かおうとする父親に向けて、キヨシはアドバイスを送った。
しかし、このような窮地で声が届くわけが無い。