迷探偵ヨシ
「よっちゃん、今日はお琴ないんでしょう。あんみつ行きましょうよ。」
授業が終わり教室で帰り支度をしているとヨシはクラスメートのワカとサヤに声をかけられた。
「あらだめよ。この人これから約束があるんだから。」
断ろうとすると隣の席のカズが割って入って答えた。
「約束?あなた最近はお稽古と家事しかすることがないってぼやいてたじゃない。」
「そうだったんだけどね…。」
「お父さま公認のシェフ見習いとお付き合いすることになったのよ。今日はいつもはつけない帯締めなんかつけちゃって、デートなんでしょう?」
「う、うん。」
巡査の娘で何でもお見通しという風なカズに口で勝てる者はいない。持ち前の洞察力で今日カズユキとデートすることを見抜かれていた。ヨシがカズに話したのは家でカズユキに告白されたということだけだった。「一を聞いて十を知る」とはきっとこういう人のことを言うのだろう。
「なあんだ、私たちにも教えてよ水臭い。」
「ついこの間のことだったから…。」
「でもよかったね。正直うらやましかったんでしょ、みっちゃんのこと。さ、皆さん帰りましょう。」
他にも何人か女子が加わっていつものようにおしゃべりしながら校門を出た。
少し歩いて校舎とは反対側のグラウンドに面した三叉路を曲がるとそこには意外な人物が立っていた。
「え…。」
木の陰に隠れるようにして琴の稽古仲間であるヒサとソース屋の次男ヒデオが何やら話し込んでいる。美形のヒデオが若いヒサと通りを背にして話している様子はちょっとした男女の逢瀬を見てしまった気持ちにさせられる。だがヒデオは妹のミツの恋人のはずだった。
(どういうこと?)
気になって見ていたら視線に気が付いたヒデオが慌てて
「じゃ、そういうことだから。」
と言って走り去ってしまった。
もう卒業していて普段ここらで見かけることもないヒサがいる理由も気になった。
「ヒサちゃん、どうしたの?」
「それは、そのう…。」
返事の歯切れが悪いなんてヒサらしくなかった。
「…今度卒業した生徒で集まるんですって。そのお誘い。」
そう言って白い封筒を掲げてみせる。
「そう。ねえ、最近ゆっくり話せていないじゃない。久しぶりに『アプリコット』行かない?」
最近疎遠だった友人と会うからと言えば優しいカズユキはきっと許してくれる。ずっと様子のおかしいヒサもことが心配だった。
「ごめん、今日は早く帰らなきゃ。…しばらく一人にさせて。」
「何なのよ…。」
結局ひらひらと振られた封筒とともにヒサはそそくさと離れて行ってしまった。
釈然としない気持ちを抱えつつ家に戻ると珍しくキヨシが来ていた。姉のサチに学校のことを面白おかしく話して笑わせている。笑い上戸のサチは布団の上でおなかを抱えて笑っていた。
「安静にって先生に言われたでしょう。」
あまり笑わせすぎても咳が止まらなくなるので軽くたしなめた。
「キヨちゃんがうちに来るなんて久しぶり。」
幼い頃から一緒に遊んで過ごしてきたが、たいていはヨシの方からソース屋や映画館の階段に出向いていた。
「ああ、いや…。」
なんとなく切り出しにくそうなキヨシにお茶を出すと言って台所に連れ出した。
「どうしたの?」
今日はこればかり言っている気がする。
「…今日みっちゃんは?」
「いないけど。」
「俺も余計なお世話だって分かってんだけどさ、」
「だから何がよっ。」
ヒサもキヨシももったいぶってなんなのだろう。ヨシはいらいらしていた。
「もしかしてお前知らないのか、ヒデオとミツが別れそうだってこと。」
「…知らない。」
そんなことは初耳だった。
「たぶんヒデオの奴が何かしでかしたんだろうけどさ。ミツに話しかけてもろくに返事もしてくれなくなったって毎日ため息がうるさくて仕方ないんだ。事情だけでも聞き出せないかと思って来てみたんだ。でもさっちゃんは何も知らないみたいだしお前もとなると手掛かりなしみたいだな。」
邪魔したなと言って勝手口から出ていこうとするキヨシにヨシは待ってと言った。二人の寄りを戻す手掛かりはなかったが、その原因に心当たりがひとつだけあった。
「ヒサと会ってるからかもしれない。」
帰りに見かけた二人の姿は恋人同士に見えた。ミツよりヒサの方がヒデオとも年が近い。あの封筒も実は中身は恋文だったのではないか…。考えるほど二人のすれ違う原因がヒサのような気がしてきた。キヨシに伝えると
「まさか、ありえないさ。」
と言ったが二人でもう少し情報を集めてみようということになった。
「彼ならよく女学生と会ってるわよ。」
翌日、ヨシが教室で何人かに最近のヒデオのことを何か知らないかと聞いて回るとカズにこう返事をされた。
(あんたはヒデちゃんの何なのよ。)
仮にも恋人がいる人のことをさも何でも知っているかのように言わないでほしい。いくらヒデオがちょっとした有名人でも今年転校してきたばかりのカズの口調には違和感を覚えてしまう。カズは何でも当然のように話す癖があった。
「よくってどれくらい?」
ヒサとヒデオの仲がどこまで深まっているのか気になった。
「毎日よ。最近よく見かけるなーって思ったら、必ず違う女の人と一緒よ。さすが王子は違うわねー。」
「えー…。」
思ってもみなかった事実に驚きを通り越して声の力が抜けていく。相手はヒサだけではなかったのだ。ヒデオはその美しい容姿を利用して女性を次々に虜にしていく現代の光源氏だったのだ。
「どうしよう…。」
今すぐミツに知らせて別れさせた方がいいと思った。
「どうしようってあなたには関係のないことでしょう。何か事情があるみたいだったしあんまり付きまとっちゃ迷惑よ。」
そりゃあ同時に何人もと逢瀬を重ねるなんて公にできない事情に決まっているじゃないか。大声で叫びだしたい気持ちを抑えてヨシは心の声を胸にしまい込んだ。何でも理科の実験のようにとらえるカズにはきっと人のココロがないのだろう。いっても無駄だとヨシはひとり教室を後にした。
家に帰って夕食の支度をする。いつもはもっと遅くなってから取り掛かるのだが、今日は手を動かしながら少し頭を冷やしたかった。
グラグラと沸いた鍋のなかの気泡のようにいくつもの疑問が浮かんでは消えた。ヒサの言っていた同窓生の集まりの話が本当だったとしても今頃何のためだろうか。小さい頃から見てきたヒデオの印象は女の子のようにか弱くて優しい子というものだった。ぜんそくでみんなにおいていかれてしまったと泣いていたヒデオのそばにはいつもミツがいた。外で走り回るよりも絵本を読むのが好きだったミツの影響でヒデオも本が好きになった。少し浮世離れしたロマンチストのヒデオの言葉を一番理解できるのはミツだろう。だからこそお似合いな二人だと思っていた。
(それなのに…。)
ヒサが最近抜け殻のようになってしまっているのはきっとヒデオのことで頭がいっぱいだからだろう。あんな神様にも愛されるような顔をしていながらその声で人の魂を抜き取ってしまうなんて。
(実はセイレンだったなんて。)
ミツの持っている外国の神話集にでてきた生き物のことを思い出した。その魅力で人を虜にしておびき寄せ、決して離してはくれないのだ。ヒサもそんな魔力に屈してしまう人だとは思わなかった。
(私は何を見ていたんだろう。)
いくら調味料を入れても色も味もつかない鍋は、ヨシの自信を飲みこむ何か恐ろしいもののように思えた。
「…ヨシ、おいヨシっ。」
気が付くとキヨシの顔がすぐ近くにあって心配そうな目をしていた。
「鍋に砂糖なんか入れてどうするんだよ、牛鍋にでもするつもりか。」
「そんな贅沢できるわけないじゃん…。」
言いながらどうしてここにキヨシがいるのか分からなくて混乱した。
「なら止めだ。ぼーっとして火の前になんか立つなよ、まったく。」
そう言うと火を止めてしまった。
「今ちょっと出られるか。さっきヒデオが遅くなるから夕飯はいらないって言って出て行ったんだ。あとをつけるぞ。」
カズから聞いたことを伝えようと思ったが実際に目で見た方がキヨシも納得してくれると思ってうなずいた。
「お母さんに言ってくるからちょっと待ってて。」
ヨシが台所から出ていくと残されたキヨシは砂糖水の入った鍋を見て本当は何を作ろうとしてたのだろうかと首を傾げた。