転生してお金持ちの猫になる話
――私、なんで仕事してるんだろ。
夜、コンビニでパスタを買って、街灯に照らされながら歩いていると、ふと思うよね……。
いや、もちろん、仕事をする理由を知ってはいる。
生きるためだ。
資本主義のこの国では、生きるためにお金が必要。そして、お金を得るには仕事をしなければならない。自明の理。
そう。わかってる。十二分に理解してる。
でも、なんか不意に虚無が襲ってくるんだよね……。
そして、人間とはなんであろうか、みたいなエセ哲学が頭をよぎる。人間とは、人間とは……。
問いに答えなどない。ただ、冷たい風を頬に受けて、ふっと息を漏らすだけ。
そんな私の虚無はどうなるかというと――
――最終的に、猫吸いたい、で落ち着く。
「家に帰って猫を吸えたらな……」
猫を飼ったことはないが、なんか、あのもふもふのお腹に顔を埋めて、スーハースーハーできたら、虚無が消える気がする。知らんけど。
「長毛の三毛かな……」
全体的に長い毛足。とくに首周りがもふっとしている。
明るい茶色と黒がいい具合に配置されてて、おなかは真っ白。いいね。最高だね。
想像の猫を胸に抱き、一人で、くふっと笑う。
ちょうど青になった歩行者信号を確認して、そのまま歩みを進めた。
右手に温めてもらったトマトパスタの入った袋。左手に想像の猫。
そんな私は左折してくる車に全然気づいていなくて――
***
『あれは死んだな……』
真っ白な世界に一人で座り込む。
ボソリと呟いた声は風に溶けていった。
うん。あのサイズの車に、あのスピードで突っ込まれたら、だいたい死ぬ。
私の最後の記憶は、車のヘッドライトが眩しかった、ということで、事故当時の記憶はないのが幸いなのか……。痛いとか怖いとかがないのはよかったのかもしれない。
そう。だから、それはいい。
なんか死んだなら仕方ないなって思う。
今の問題は――
『ここはどこ、私はだれ……』
こんなテンプレートな台詞をいう日がくるなんてね……。
真っ白な世界……具体的に言えば、雪がしんしんと降り積もる街中の裏路地っぽいところで、私は途方に暮れていた。
『こわい……』
なにがこわいって、風景の大きさだ。
でかい。めっちゃでかい。
なんとなく裏路地っぽいというのはわかったけど、私が知ってるサイズの十倍ぐらいでかい。なんだ、巨人仕様か。
そして、さっきから呟いている独り言もこわい。
日本語で話してるのに、なぜかミャウって聞こえてくるんだよね……。ミャウとは。
『もう、これは、あれだな』
顎を引き、自分の体を見る。
そこにある手はグローブみたいな形をしていて、白い毛がもふっと生えていた。
てのひらを自分に向ければ、そこにはピンク色のぷりっとした肉球。わぁ、かわいい。
『猫だな』
猫でしょうね。
『……ちがうよ、神様。そういうことじゃない』
そう。私は猫を飼いたい、猫を吸いたいと思っただけで、猫になりたいって思ったわけではない。
神様ぁ! 間違ってますよぉ!
でも、それを言っても、届く相手はおらず――
――なんか生まれ変わったら、猫になってしまった。
その事実にがっくりと頭を落とし、手で頭を抱え込む。
はたから見れば、猫が雪の中にうずくまって、前足で頭を押さえているように見えるんだろう……かわいいね……。
「どうしたの? 大丈夫?」
そのとき、人間の子供特有の少し高い、鼻にかかった様な声が響いた。
そして、とてとて、と近づく足音。
それに反応して、そっと頭を上げてみれば、そこにはしゃがみかんで私を見下ろす男の子がいて――
「どうしよう? 猫ちゃん、ひとりなの?」
優しい声音と、こちらを怖がらせないようにした小さな音量。
ぽっちゃりとした体形の彼は、琥珀色の目を優しく細めている。
背中から差した光が、その子の柔らかそうな金色の髪をきらきらと輝かせていた。
『君……お金持ってそうだね』
そんな彼に言葉を返した……つもりだったけど、実際はミャウと一声返した。
思わず返してしまった言葉は失礼だったが、仕方がない。だって、私に声をかけてきた男の子がそれはそれはお金持ちです、というような恰好だったのだ。
スリーピースのスーツを着て、蝶ネクタイをつけた男の子など、七五三かピアノの発表会ぐらいしか見たことがない。
が、目の前の男の子はナチュラルにそれを着て、さらに質のよさそうなコートを羽織っていた。
「坊ちゃまー、オルトン坊ちゃまー! 一人で走っては危のぅございます!!」
「ステフ! 見て! 猫が!」
「猫、ですか?」
男の子の後ろから、息を切らして走ってきた人が、男の子の向こうから、ヌッと姿を現す。
ロマンスグレーなその人は、黒いスーツに白い手袋をつけていた。
うん。執事ですかね。
坊ちゃまとか呼んでるし、男の子はタメ口で、大人が敬語だもんね。
お金の匂いしかしない。
「母猫とはぐれたのかもしれませんね」
「そっか……ねぇ、このままだとかわいそうだよ。連れて帰っちゃダメかな」
「……坊ちゃま、なんてお優しい」
男の子の言葉に、執事らしき人はじーんと感動している。
いや、ただの子供の気まぐれ感があるのに、そんなにすぐに感動していいのか。
しかし、これは好都合。押せばいける。心がそう告げている。Go and Go! と。
『はじめまして、猫です(たぶん)。気づいたらここにいたので、詳細はわかりかねますが、拾っていただけた際には、決して迷惑をかけないと誓います』
「わぁ、猫ちゃんがピシッと座り直した」
『このまま、ここにいても、きっとまったくどうしようもなく野垂れ死にです。おねがいします。おねがいします。私はとてもいい猫。いい猫です。恩を返す猫です』
「わぁ、猫ちゃんが突然、前足を前に出して、頭を雪にすりつけてる」
『なんの心配もせず、おいしいごはんを食べて、他人の金で悠々自適に暮らしたいです。おねがいします。おねがいします』
猫が土下座をする生き物かどうか。
飼ったことがないから、私は知らない。
でも、今は心のままに。ありのままの私で。
とりあえず、必死に頭を雪にすりつけていると、体をそっと持ち上げられた。
「猫ちゃん、大丈夫? 雪は冷たいよ?」
子供の手で簡単に持ち上げられる私はどうやら、子猫サイズみたいだ。
男の子は私をそっとコートで包むと、ゆっくりと執事らしき人へと向き直った。
「僕がちゃんと世話をするし、父さまと母さまに説明もする。ステフ、連れて帰ってもいいかな……」
「……そうですね、こんな雪の中で一匹では子猫もつらいでしょうし」
「やったぁ! ありがとう!」
『やったぁ! ありがとう!』
男の子の胸元。コートの襟から頭だけ出して、私も執事らしき人にお礼を言う。
すると、執事らしき人は私を見て、首を傾げた。
「……なんだか、変な猫ですが」
「ちょっと、おしゃべりだよね」
そんな執事らしき人の言葉に、男の子もふふっと笑う。
私はそれにミャウと鳴いて答えた。
『神様、ありがとう……!』
私はついにやりました。
人類の三大欲求
・石油王にお小遣いをもらって生活をしたい
・宝くじで5000兆当てたい
・金持ちの飼い猫になりたい
その一つを満たしました……!
――転生して、金持ちの飼い猫になったよ!
***
「シャトレーズ、どうしてもこの首輪はしてくれないの?」
拾われてから一週間。
私は男の子のもっちりとした膝の上でお腹を見せながら、顎裏をくしゅくしゅと撫でられていた。
『シャトレーズ』という、ケーキ屋みたいなのが男の子がつけた私の名前だ。
そして、男の子は左手にきらきらと光る宝石がふんだんについた首輪を持ち、うーんと唸っていた。
『いや、猫にこの首輪はない。この首輪だけで私の人間時代の給料の3か月分ぐらいありそうだよ。無理。これつけてたら、なんか攫われそうで、やだ。私が悪い人間だったら、猫の首を落として、首輪だけもらうね。こわいね。こわすぎるね』
「シャトレーズは本当におしゃべりが上手だね」
『そうだね。でも、ミャウ以上の意味が伝わらないから、ちょっと困るよね。ね。いいから、その首輪はやめて。普通のリボンとかでいいよ。どうせ首の毛がもふもふで見えなくなるし』
「うーん……シャトレーズは女の子だし、きれいな宝石がもっといっぱいついてないとダメなのかなぁ」
『ちがう! 全然ちがう!』
伝わらない思い。
キィ! となった私は、顎を撫でていた男の子の手をバシバシバシッと前足で叩いた。
もちろん爪は出さない。ピンクの肉球でバシバシッとやっているので、もはやこれはご褒美である。
案の定、私の攻撃に、男の子はふふっと笑った。
「シャトレーズはかわいいなぁ。絶対この首輪が似合うと思うのに」
『やだ。攫われる』
「うーん。シャトレーズの言葉がわかればなぁ」
『それな』
毎朝の恒例行事、首輪をつけたがる男の子と拒否する私、というじゃれ合いをしていると、扉がコンコンッと鳴らされた。
どうやら、男の子は朝の勉強の時間のようだ。
「じゃあ、シャトレーズ、いい子にしててね」
『はーい。勉強がんばってね』
男の子は膝から私を下ろすと、座っていたソファから立ち上がる。
私は扉から出ていく男の子を見送って、床で一つ、うーんと伸びをした。
そして、そのまま床を歩き、繊細な彫りが施された木のベッドへと飛び乗る。
とても高級そうなベッド。マットのスプリングも素晴らしいし、上掛け布団もふかふかだ。
その上掛け布団の上でくるんと丸まると、私の鼻先にはふさふさのしっぽが乗っかった。
――自前の毛皮、最高。
あの日、拾われた私はこの屋敷に連れてこられた。
圧倒的な金持ち感を感じさせる屋敷で、使用人さんたちもごろごろといる。
そんな屋敷で、私はまず鏡をのぞいた。
そこに映ったのは、長毛の三毛猫。私が死ぬ前に考えていた妄想の猫だった。
子猫ではあるらしいが、猫を飼ったことがないので、正確な月齢はわからない。
歯は生えていたし、ミルクじゃなくてごはんを食べることが出来たから、生まれたてではないんだろう。
毛は柔らかく、目はつぶら。そして、きゅっと上がった口元は非常に愛らしい。
そんな私を拾ってくれた金持ちの男の子――オルトン君はとても可愛がってくれている。
まず、普通にごはんがおいしい。
キャットフード的なものを出されると思っていたら、ちゃんとしたごはんだった。
前世で死ぬ前に食べようとしていた、コンビニのパスタよりよっぽど手の込んだものを食べている。
白身魚のテリーヌ、コンソメジュレ仕立て(猫用に味付けは薄め)みたいなのを食べさせてもらっていて、猫の舌で十分おいしさを感じられるのだ。
ありがたい。
金持ちはそれだけで神。
そんなわけで私は今日も惰眠をむさぼる。なにもない日々、なにもない時間、なにもない眠り。イッツアスペシャルデー。毎日が特別。
***
そんな特別な毎日を謳歌して早二ヶ月。
最初は私を拾ってくれたオルトン君の部屋から出られなかったが、最近では屋敷内を自由に闊歩できるようになっていた。
なにをするってわけでもない。
ごはんを食べて、寝て、運動不足を感じればカーテンに上り、絨毯で爪をとぎ、メイドさんの前であえてお腹をごろんと見せて誘惑をする。そういう日々だ。
本当に転生して良かったわーと思っているのだが、今日はなんだかちょっと違った。
なにが違うかというと、オルトン君が非常に落ち込んでいた。
なにが原因かというと……。
「シャトレーズ……僕って友達いないんだ……」
『お、どうしたオルトン君。友達? 友達か。大丈夫、私もいない』
そう。いない。気ままな猫一匹暮らしだからね。
「がんばって話しかけようと思うんだけど、なにを言っていいかわからなくて……」
『えー。うそーオルトン君、おしゃべりじゃね? 私と一緒にいつも話してるのに』
「シャトレーズとだとこんなに話せるのにね」
『それな。なんかミャウとしか言ってないのに、もしかして伝わってるの? って思うときあるよ』
「僕が人付き合いがうまくできていないって話題になって、母様が他の人にいろいろ言われたみたいで……」
『あー……出た、ほっといてくれたらいいのに、なんかいろいろ言ってくる人。あー、やだねーあー本当に嫌だねー』
それは辛い。それは落ち込む。
あれでしょ? なんかどうでもいい人がいきなり心配してますよ、あなたのためですよ、みたいな顔して、いろいろ言ってくるやつでしょ?
で、オルトン君のお母さんがそれを聞いて、心配になったか、不安になったか、怒るかして、オルトン君に友達作るように言ってきたっていう……。めんどーい! それめっちゃめんどーい!
なので、わかるわかると頷きながら、オルトン君の右手を肉球でポンポン叩く。
気にすんな、気にすんな。
友達はいてもいいけど、いなくても大丈夫だって。雨風しのげる家があって、ごはんがあって、よく寝て、適当に仕事? 勉強をこなせば十分だって。
「……シャトレーズ」
『ん?』
「……ありがとう」
オルトン君が膝の上に乗っていた私を持ち上げて、そっと抱きしめる。
結構、本気で落ち込んでいるようなので、うーんと伸びをして、オルトン君のふわふわほっぺをペロと舐めた。
「んっ……シャトレーズの舌はざらざらだからちょっと痛いかも」
『うん。だよねー私も思った。ペロのつもりだったけど、ザリッていったね』
オルトン君が抱きしめていた体を離し、私と目を合わせる。
その目はやわらかく細まっていて、どうやらちょっとだけ元気が出たようだ。
「今度ね、僕のうちでお茶会を開くことになったんだ」
『ほーう』
オルトン君が私をまた膝に戻して、よしよしと頭を撫でてくれる。
私はその手に額をこすりつけながら、オルトン君の膝の上でごろんと仰向けになった。
「母さまが僕と同じぐらいの子をたくさん呼んでくれたらしいんだけど、僕、うまくやれるかな」
『やれるやれる。オルトン君は優しい子だし。一緒に鬼ごっこでもすれば仲良くなれるって』
まあ、金持ちの子が鬼ごっこするかわからないけど。
「……明日さ、もし友達ができたら、シャトレーズに会ってもらってもいい?」
『もちろん!』
オルトン君の膝の上で仰向けに転がっていた私は右前足で自分の胸をトンと叩く。
任せとけ!
すると、オルトン君はそんな私を見て、ふふっと笑った。
***
そうして迎えた、お茶会当日。
お茶会はどうやら、庭の東屋のあたりで行われているらしく、庭からはいつもは聞かない男の子たちの声が聞こえる。
私は様子を見るために、庭木の影からこっそりと伺った。
そこには――
『いや、ぼっち……。主催者なのにぼっち……』
4人が集まって、楽しそうに談笑する男の子たち。そして、それをちらちらと眺めながらも、少し離れたイスに座ったまま、一人ぼっちでいるオルトン君。
うん……。主催者ぼっち……。これはつらい……。
昨日、落ち込んでいたオルトン君を思い出し、私はあちゃーと右前足で頭を抱えた。
別にさ、一人でいるのは全然悪くない。が、オルトン君が話をするために開かれたお茶会で、オルトン君以外の人が盛り上がっているのをただ見ているオルトン君の心境を考えると……。
よし。やはりここは私が一毛皮脱ぎましょう。
あの日、拾ってもらった恩。私は忘れてはいませんよ。恩を返す猫なのでね。
『おーい! こっち見て!!』
庭木の影からスッと身を出し、できるだけ大きな声で鳴いた。
あちらには、ミャーウ! と聞こえたことだろう。
「え、猫?」
「声、聞こえたよな?」
「あ、あそこ!」
談笑していた男の子たちが話をやめ、あたりを見回す。
一人が私を見つけて指を差すと、全員が一斉にこっちを見たのがわかった。
私は全員の視線が集まったのを確認してから、もう一度、大きな声を出す。
『諸君! 私のかわいさにメロメロになりたまえ!』
できるだけ優雅に。でも、わずかに残る子猫のかわいらしさも交えつつ。スッスッと足を出して、前に進んで行く。
オルトン君のお金の力と愛のおかげで、毎日いいものを食べ、しっかりと手入れをされた私の長毛の毛皮はもふもふででも滑らか。一歩進むごとにふわっふわっとそよいだ。
さらに、尻尾をまっすぐに立てれば、尾がさわさわと風に揺れる。
これぞ、私のかわいさを最大限に発揮する歩き方! メイドさんも執事さんもオルトン君も常にやられる最高の姿!
「うわぁ! とってもかわいい猫!」
「ふわふわだな」
「あちらへ行くようですね」
「あいつの猫か……」
男の子たちが私に注目しているのを感じ、にやりと笑みがこぼれる。
猫なので、このニヤリさえかわいく見えているだろう。
私は男の子たちの横をとととっと走り抜けると、まっすぐにオルトン君だけを目指した。
ここで、男の子たちに直接、行かないところがミソである。
「シャトレーズ……今日はお部屋で待っててねって言ったのに……」
『うん。そう言ってたね』
近寄っていく私を見て、オルトン君は複雑そうな顔をした。
でも、気にせずにぴょんっとオルトン君の膝に飛び乗る。
もっちりとした膝に座って、頭をすりっと押し付けると、オルトン君はゆっくりと私を撫でてくれた。
「シャトレーズはかわいいから、みんな触りたくなっちゃうよ。そうしたらシャトレーズに良くないと思ったのに……」
『うん。オルトン君のことだから、私のことを考えてくれたんだなとは思った』
そう。実は今日、私はオルトン君から外出禁止令を出されていた。
正直に言うと「お茶会だから一緒にいて」と頼まれると思っていたし、そのつもりだったのだが、オルトン君はそういうタイプの子ではなかったのだ。
話がうまくできないのならば、猫である私を話のネタにしたり、そばに置いて心を落ち着けたりすればいいのに、オルトン君はそれよりも、私がたくさんの子どもに会って、ストレスを溜めることを心配してくれたらしい。
友達になった場合には会って欲しいが、まだその段階ではないため、私には部屋にいて欲しかったのだろう。
オルトン君は本当に優しいと思う。この優しさが伝われば、必ず友達ができるはず。あとはきっかけ。そのきっかけを私が作るというわけだ。恩を返す猫なので。
『外出禁止令破ってごめん。ドアに向かって話しかけたら、メイドさんが開けてくれたよ』
「……また、みんなにお腹見せて誘惑したの?」
『バレてる』
オルトン君はどうやって私がこの庭まで来たか、すぐにわかったようで、「もう……」と小さくため息をついた。
そして、そっと私を抱き寄せる。
「……ありがとう。ちょっと今、勇気がなくなってたから」
『うん』
「シャトレーズが来てくれてうれしかった」
『そりゃよかった』
まだ、友達を作るきっかけにはなれていないけれど、とりあえず来ただけでも効果はあったようだ。
ミャウミャウと返事をすると、そこに男の子たちが集まってきて――
「すごくかわいい猫だね!」
「あ……うん……」
「なんて名前なの?」
一番背が小さくて、でも明るい男の子がオルトン君に話しかける。
いいぞ、この子はコミュ力が高そう! しかも猫が好きそう! しめしめと笑えば、オルトン君がこっそりと私の耳に声をかけた。
「……名前、教えてもいい?」
『いや、私はオルトン君の猫だから。勝手に教えてもいいんだよ。紳士的すぎる』
猫に名前を教えてもかまわないかと許可をとる人間はそうそういない。
『いいよ。どんどん教えて』
どうぞ、と前足で示せば、オルトン君はうん、と頷いた。
「名前はシャトレーズって言うんだ」
「シャトレーズ! 名前もかわいいんだね!」
「あ、……僕が、つけたんだ」
「うん! とってもいい名前!」
「そうだな、似合ってる」
「あ、ありがとう」
いいぞ! ちゃんと会話になってる!
まだおどおどした話し方になっているが、男の子たちがそれを気にした様子はないし、名前を褒めてもらって、オルトン君はもうれしそうだ。
会話に一番背が高い男の子も参加して、全員で同じ話題で話すことができている。
これなら、私が一毛皮脱いだ甲斐があったというものだ。
「触ってもいいかな?」
「あ、どうだろう……」
一番背が低い男の子が、さっきから手を出したり引っ込めたりしている。
急に触ってこず、ちゃんと許可をとろうとするあたり、とても好感が持てるね。
でも……。
『オルトン君以外、ダメー』
男の子の手から逃れるように体を避け、オルトン君へとすり寄る。
「あ、ごめんね……ダメみたい」
「ううん! いいんだ! こっちも無理なこといってごめんね」
「今、会ったばかりだしな」
「うん。そうだよね」
一番背の低い男の子はちょっと悲しそうな顔をしたけれど、すぐに気を取り直してくれた。
本当は触られてもいいんだが、ここで触らせてしまうと後に続かないのでね。
何度かね……通ってくれたらいいよ……。ごめんね……計算高い猫で……。
さすがにちょっとかわいそうなので、右前足を差し出す。
「あ、ここに手を出してみて」
「え、ここ?」
「うん。そこ……で、てのひらを上に向けて……」
オルトン君の指示で、私の右前足の前に男の子の手が出される。
私はそのてのひらに右前足を載せ、ぎゅうっと体重をかけた。
「わ、重い……!」
「あ、そのまま……」
「うん! ……猫の手ってあったかくてふわっとしてるね」
そうしてしばらく体重をかけたあと、そっと右前足をどかす。
すると――
「わあ! 足型がついてる! かわいい!」
男の子が自分のてのひらを見て、うれしそうに歓声を上げる。
そのてのひらにあるのはそう。
『肉球スタンプです』
猫の肉球ってかわいいもんね。
「あ、俺も、それして欲しい……ダメかな」
「シャトレーズ、どうかな?」
『いいよ』
「じゃあ、オレも!」
「シャトレーズ、どうかな?」
『いいよ』
盛り上がる男の子たちのてのひらに一人ずつ、スタンプを押していく。
その間に、オルトン君は色々と話ができたようで、お茶会が終わるころには、すっかり、男の子たちの一員として、話ができていた。
「じゃあ、またね!」
「また来る」
「次は面白い本を持ってきます」
「今度は、体も動かそうぜ」
「うん、待ってる」
次の約束をしている姿を見て、私はうんうん、と頷いた。
***
「シャトレーズ、今日はありがとう」
『恩を返す猫なので』
「母様がすごく喜んでくれた。それに……僕もうれしかった」
『うん』
「僕にも……たぶん、友達ができたのかも……」
『あれはもう友達でいいと思う。これから何度も会うし、いっぱい楽しいことがあるよ!』
「……シャトレーズのおかげだ」
『いや、オルトン君が優しいことがみんなにちゃんと伝わっただけだよ。オルトン君はすごいから、自信もっていこ!』
お茶会が無事に終わった夜。
ベッドの中でオルトン君に腕枕をされながら、ミャウミャウと話していく。
オルトン君は私の声を聞いて、ふふっと笑みを浮かべた。
「シャトレーズの言葉がわかるわけじゃないけど、いつも励ましてくれてることはわかるよ。本当にいつもありがとう」
ちゅっとおでこに口づけ。
その優しい感触と、もちっとした腕、あたたかい布団とほわほわの体温に包まれると……ついつい……。
「シャトレーズ、喉が鳴ってるよ?」
『これはね、生理現象。止められない……』
ミャウミャウと答えながら、でも、喉のぐるぐる音が止まらない。猫になってわかったけど、これ、幸せだと勝手に出ちゃう。喉をぐるぐる言わせてると、もっと幸せになっちゃう……。
「かわいいね、シャトレーズ」
オルトン君がふふっと笑って、腕枕していないほうの手で私の喉をクシュクシュと撫でてくれる。
うう……幸せ……。
もっとして欲しくて、顎をあげて喉を見せると、オルトン君がまたふふっと笑って、続けて喉を撫でてくれた。そのかかる吐息も気持ちよくて……。
『ああ……幸せ……』
「僕、幸せだな……」
ベッドの中で二人で幸せを分け合って。ぬくぬくのベッドにいると、目がゆっくりと閉じていく。
「あのとき、シャトレーズに会えてよかった」
『私……も……』
「ずっと、一緒だよ」
『うん……』
「……シャトレーズ、もう寝ちゃった?」
『……ん……』
あのとき、お金の匂いを感じ、拾ってもらった私の勘が冴え渡っていたと断言できる。
私はオルトン君がなにか言っているのはわかったけれど、もう返事もできなくて……。
「僕はもう、シャトレーズ以外を好きになれない気がする……」
小さく呟いたオルトン君の声は、とても優しい音だった。