09 新入の仕事
翌日の夕方、長一郎には新入りの行う定番作業の説明がされていた。
可能ならば親戚である憲明と同じ仕事が妥当なのだが、新入りの定番は交代で行っている業務であり、作業が下手な者や不慣れな者がおこなう汚物処理となっていたのだ。
日本の都会や住宅地では、汚物は各家の地下に備えつけられた浄化槽で簡易濾過された上で、下水道を経て河川などに流されている。
地区によっては、汚水処理場で一括処理している所もある。
日本の古い家屋や海外では、バキュームカーによって各家庭の汚水枡から定期的に回収して処理場へ運ぶ所もあるが、下水を通って何の処理もされずに河川などに垂れ流されている国も少なくはないらしい。
農家の一部では、人糞を発酵させて分解し、畑などの肥料にする事が、昔から行われてきた。
いわゆる【肥溜め】と言う奴である。
数百年も生きている人間が居る上に、食料を自給しているココでは、汚物の浄化システムと肥料の生産システムを別々に作る効率の悪さから、肥溜めが導入されているのだろう。
長一郎が今日、説明を受けるのは、共用トイレから糞尿を、畑にある肥溜めに移す作業だ。
「思った程は臭くないな」
共用トイレは、けっこう綺麗に使われているが、流石に汚物は臭うだろうと思っていた。
が、裏手に来た長一郎は、それほどの異臭を感じなかったのだ。
汚物が流れ込む排水枡に、蠢く灰色の何かが居た。
「スライム?」
長一郎は思わず、その名前を口にした。
【スライム】とは本来、ある種のジェル状の性質を持った物質の総称だ。
粘土や泥などの無機物から、生物の分泌する粘液などの有機物、またそれらの複合体など多くの物が【スライム】と呼ばれる。
架空の生物としての【スライム】は、1931年にH・P・ラヴクラフトが発表した長編小説に出てきた黒い粘液状の生物【ショゴス】が元祖ともいわれている。
日本で昭和中期の人ならば、1978年から売り出された緑色の玩具【スライム】を懐かしく思うのではないだろうか?
だが、近年の【スライム】のイメージは、某ゲームソフトのキャラクターである丸くゼリー状の架空生物によるものがメインだ。
弱く、何でも食べて、擬態をしたりする。
昨今流行のラノベでも、その能力を利用した作品を目にする。
勿論、汚物処理に使っている小説も多々ある。
長一郎が口にした【スライム】は、ゲーム由来の架空生物だ。
「スライム?別に粘液って訳じゃないが・・・これは【プレタ】と呼ばれている生物だ」
半液体と言うよりは【蚊柱】の様な群体にも見えるソレは、時おり人や動物の様な形にもなる。
「これは汚物を専門に食べるプレタだ。吸い込まなければ特に害はないし、あまり汚物から離れる事もない」
「汚物を食べる生き物【プレタ】か・・スライムと言うより、確か仏教の五行だか六道だかの人間の生まれかわり【餓鬼道】に、そんなのがあった様な記憶があったな・・・」
餓鬼には幾つかの種類があるが、その内の【少財餓鬼】は、 膿、血などを食べるもので、ごく僅かな飲食だけができる餓鬼だ。
その他に人間の糞尿や嘔吐物、屍など、不浄なものを飲食することができるといわれる。
餓鬼には、食べた物が火になって身体を蝕む者や、線香の煙りしか食べられな者など食べ物が限定されていたりと、その種類は多岐にわたる。
いずれも人間としての前世の報い【罰】として、餓えに苦しみながら死ねない存在に転生したものとしている。
物語としての【転生物】は、実は仏典が元祖と言えるのだ。
「あまり数が増えていたり、排水枡から出ている様だったら、燃やせば処理できるから」
「火は、どこから持ってくるんですか?」
長一郎は、震災の火事で多くを失った祖母の影響でタバコを吸わなかった。
コンピニバイトからの帰り道だった彼に、ライター等の持ち合せは無い。
「火って・・・あぁ、そうだったな。当面は、誰かを呼んで焼いてもらってくれ」
教育担当の同僚は、長一郎の首もとを見て納得していた。
作業は簡単なもので、長い杓で汚物を桶に移し、台車で運ぶだけだ。
プレタが居ない場所を選んで掬う様に注意するだけの力仕事だが、急ぐものでも無いらしい。
多少の異臭はするが、臭いと言う程の物でもない。
長一郎は興味本位で、杓を使ってプレタを叩いてみた。
完全な蚊柱と言う訳ではなく、やはりゼリー状の感触が有るが、変形するだけで死ぬとか消えるという事にはならない。
「そもそもゲームとかは、なぜ剣で倒されたんだろう?」
作品によっては、コアが弱点な物もあるが、防衛本能があれば弱点の周りだけ網状に硬くして防ぐというのが【生物】である筈だ。
「これがリアリティって奴なのかな?」
プレイヤーや登場人物に都合の良いだけの生物は、故意なサービス以外の何ものでもない。
そもそも現実から逃避したいから読む物語やゲームだったりする訳なのだから。
宗教やオカルトを盲信するのも、現実逃避と言う意味では大差無いが、信じず『有るかもしれない』の範囲で留めているのが、長一郎のスタンスだった。
「こんな世界に迷い込んで、根底から総崩れになったな」
恐らくは多くの転移者が感じたことを、長一郎も感じていたのだった。