30 チート無し
旅に出る直前に、ミストレア様はグージャスに言って、長一郎の首輪の再調整をしていた。
出立後に聞いたのだが、首輪は普通、身体が常世に慣れる為の促進と補佐をする物だが、それを翻訳と補佐に限定してくれたのだそうだ。
順応が進むと、帰還の障害になる可能性が高い為らしい。
村での生活は共同作業なので、魔法を修得する必要が無かった為に、今の長一郎に使えるのは充電に使った雷系の魔法だけだった。
ある意味で、その少なさも帰還実験が認められた要素である。
魔法の微調整と持久力には自信があるが、出力としては村でも最低ラインと言える。
勿論、魔法の種類も無いので、ここでの能力的には『人間最低ライン』だ。
「あ~、チート欲しいよぉ~」
望んではいけない事と解っていても、【この現状】の長一郎は叫んでしまう。
【この現状】とは野生生物との戦いだ。
「もっと腰を落とせ!腕力だけで剣を振るな、脚力と上体の捻りを生かせ!」
指導してくれるのは、ミストレアの護衛のティラナだ。
現世の人間社会でも繁華街から離れるほど、治安は悪くなる。
更には首都と言える場所から離れれば離れる程、治安は悪くなる。
国境に近付けば尚更だ。
常世においても同様な事は言えるが、この規模の隊列を見れば、田舎道でも知的生物は襲って来ない。
だが、野生生物にとっては隊列とて、獲物の群れに過ぎないのだ。
都市部から離れれば離れるほど、野生生物の数は多くなり、遭遇回数も増える。
そんな環境を利用して、ミストレアが約束した剣術の訓練が長一郎にほどこされていた。
「実地訓練から始めるなんて、あんまりだぁ~普通は素振りからでしょ?」
「ちゃんと、弱い奴しか回してないぞ。それも一匹づつに間引いてやっているんだから、文句を言うな」
見れば、隊列に襲い掛かってくる獣の大半を、蜥蜴人達が瞬殺している。
勿論、魔法などは使っていない。
離れた場所で獣を倒しているディーガが、長一郎と目があった瞬間に、その様子を見て鼻で笑った。
勢いよく鼻息を吐き、口角を引き上げる様は、明らかに人間のソレを真似た行為だ。
今まで、剣など手にした事の無い長一郎ならば仕方の無い事なのだが、そんな現世の常識は通用しない。
あからさまな、その行為に長一郎は不快になった。
「戦いの最中に、余所見をするな。体重移動や剣の振り方は、他の奴を真似ろ!」
ティラナからの喝が飛ぶ。
長一郎は意識的にディーガから視線をそらして、講師であるティラナの教えに従って剣を振った。
素人は30分も全力で剣を振るえば動けなくなる。
「マメが痛い~腕が上がらないぃ~脚がつってるぅ~」
疲労困憊で倒れ込んだ長一郎を横目に、蜥蜴人達が獣を殲滅していく。
猪の様な獣だが、その牙は鋭く、寸足らずのハイエナの様なもので、気を抜けば手足の数本は喰い千切られるだろう。
かなり数が減った為か、一部が逃げ出すと一気に獣は居なくなった。
「長一郎。先が思いやられるぞ!」
ティラナが倒された獣の首を切り落としながら、長一郎に声を掛ける。
馬車の方からは、人間達が一斉に走り寄り、首を切られた獣を逆さにして血抜きを始めた。
恐らくは、今後の食卓にのぼるのだろう。
「はははっ、散々だなぁ」
「ああ、ありがとう」
話し込んで仲良くなった元聖職者のチャールズが、長一郎に水を差し出した。
彼は、続いて蜥蜴人達にも水を配っていくが、度々、長一郎に視線を送っては、微笑みを浮かべている。
「確か、息子が聖騎士団で死んだとか言っていたなぁ」
御互いの身の上話もした長一郎には、剣を片手にへばる長一郎を心配する理由に心当たりがあった。
長一郎は独身だが、チャールズが剣を持つ長一郎で、亡き息子を思い出しているであろう事は察しがつく。
チャールズをはじめ、他の者達には『今はミストレア様の御気に入りで、同行する事も多くなるので、他の者達に喰われない様に自衛の剣を習っている』と言う偽話を話してある。
所詮は【食料扱い】である人間の価値は低く、出先で他者につまみ食いされる事も考えられるからだ。
基本、吸血鬼の様に【殺さない食事】をする者は、他に類を見ない。
相手からすれば『同じパンじゃないか?目くじら立てるなよ』くらいの扱いになるだろう。
そう言った訳もあって、人間の中でも生命の危険性が高い長一郎が、剣術を習うのを哀れむ者はあっても、羨む者や不満に思う者は皆無であった。
「チャールズさんを裏切る事になるのか・・・」
本当は一人だけ現世へと向かう準備をしている長一郎は、特に優しく接してくれるチャールズを騙している事に、若干の心苦しさを感じる。
「長一郎さん。頑張って修得して、共に村へ帰りましょう。家族も居るんでしょ?」
「はい。曾祖父が待ってます」
『家族』。そうだ。現世で心配してくれているであろう両親や妹達を思い、長一郎は、その気持ちを隠すのだった。
「あ~っ、でも生き残る為にチートが欲しいなぁ」
「長一郎さんの国では、そんな『他人のフンドシで相撲をとる』様な事を推奨しているのですか?」
実に的確な翻訳である。
恐らくは、近代化以前の生まれであるチャールズさんには、近年の日本で流行っているラノベなどの『チート』についての認識が違うのだろう。
いや、現実を踏まえるならば、自分だけ僅かな繰り返しで【経験値】が上がってレベルアップしたり、敵を倒しただけで【スキル】を手に入れて使いこなしたり、いくら童話レベルだとしても、甘やかされ過ぎだろうと、半分ファンタジーの世界に居る今なら理解できる。
「妄想だらけの流行文学に浸りすぎて、普段の思考も他力本願の傲慢になっているのかも知れませんね」
「私の時代より、数百年は経っているでしょうに、人間は原罪から逃れられないのですね」
【原罪】。日本では【七つの大罪】として知られる、その中には、『怠惰』と『傲慢』がある。
「やっぱり、人間自体か【悪魔】なんですかね?」
「これが【試煉】なんでしょう」
チャールズは、座り込んでいた長一郎へと、手を差し伸べた。
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