23 ガイアの姿
林長一郎は、現世に妻子や恋人が居る訳ではない。
是非ともやりたい事がある訳でもない。
常世での生活は、楽ではないが有意義で納得できるものだし、身内が居ないわけでもない。
だが、現世には両親と妹が居る。
疎遠にはなっているが、心配してくれているのは、よくわかる。
最近は、その家族の事が気になって仕事が手に付かない。
恐らくは、ホームシックと言うやつなのだろう。
そのストレスが、逆に魔法の練習の力になっていたのかも知れない。
彼は転移者としては比較的早く、一つの魔法を習得していた。
【雷属性の魔法】
転移の時に持っていた、スマホの充電ケーブルをばらして電線を露出させ、小さな電流を流しては試行錯誤していた。
「電流の向きは、こっちか?」
力を上げていくと、携帯バッテリーの充電ランプが点滅した。
「焦らず、時間をかけて、根気よく・・・・焦らず、時間をかけて・・・・」
まるで自己暗示の様に言葉を繰返し、彼は充電器に電力を貯めていく。
そう。彼の目的は【スマホの充電】なのだ。
グージャスから『時おり、現世と電波が通じる事があるらしい』と聞いて、万が一に賭けて居るのだ。
過去に現世で充電を急ぐあまり9V電池を直結して、充電器を壊した経験が、彼にはあった。
ここには、替えの充電器もスマホも無い。
転移直後の体調不良が有ったのは、生体が常世の空気に馴染んでいなかった為だと聞いていた。
ならば、機械は影響を受けないのではないかと考えたのだ。
事実、スマホはしばらく起動していた。
問題は【充電】だったのだ。
魔法のある世界では電化製品は必要ないので、コンセントも存在していない。
「苛つく、あ~ダルい。何とか急速充電か自動充電ができないのか・・・」
魔法にしろ手廻し発電機にしろ、長一郎は文明の利器【コンセント】の有り難みを、今、ヒシヒシと感じている。
魔法での充電は気を抜くとすぐに停止してしまうが、充電した電力が消えてしまわないのが、せめてもの救いだ。
魔法によって改編された事象が、術者の死亡により元に戻ると言う話は、御伽噺では良く有るが、『幻影による外観の偽装』等でない限り、【呪いが解ける】と言われる事象は起きない。
殺された人間は、犯人が死んでも生き返らない。
変化した物は、変化させた者がどうなろうと変化したままなのが現実だ。
農作業や手仕事の合間に、そんな作業をしていると、グージャスからの呼びだしがかかった。
最近は、彼も忙しかったらしく久しぶりの呼び出しで、部屋の窓に伝書用の鳥がとまっていたのだ。
「『今日は質問を受け付ける』?何か有ったのかな?でも、これで帰る為の情報が集められるかもしれない」
長一郎は、いまだに現世へ帰るのを諦めてはいなかったのだ。
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長一郎が知りたいのは、現世に帰る可能性だった。
「先ずは、本来の地球の姿から見るのが良いだろうな」
グージャスによって示された本来の地球は、見なれた地球の上に空洞があり、その更に上に幾つもの土の柱に支えられた薄い表皮の様な【天界】が乗っていた。
「なぜ、そんな構造に?」
誰が考えても、普通では有り得ない構造だ。
「あくまで推論ではあるが、 惑星誕生の時期に、内惑星系が大量の氷に満たされた時期があるのだと思われている」
現在の太陽系にも、外苑部に大量の氷の小惑星が存在する。
毎日、地球に落ちる数百の氷隕石やハレー彗星等は、その一部と考えられている。
この太陽系が生まれる当初。
惑星が形作られはじめてはいるが、まだ多くの岩石が宇宙空間を漂っている時期に、大量の氷隕石や氷小惑星が原始地球に降り注いだのではないかと言う話だ。
それがおさまった後に、再び岩石が堆積していくと、地下に氷の層ができる。
確かに有り得ない話ではない。
現在でも、ハレー彗星の様に周期的に内惑星系に入ってくる物も有るのだ。
その【団体さん】があったとしても、否定はできない。
惑星が成長して、内惑星系に星間物質が希薄になった近年では、ハレー彗星の様に大きい物以外は、太陽光で消滅してしまったのだろう。
「確かぁ、火星の水分の大半も、地下の空洞部分に氷として存在していると推測されているんだよなぁ」
長一郎の独り言の言う通り、火星も地下に空洞があり、氷の層が存在するとの学術調査結果がある。
火星が暖かい時期の地表水が染み込んだとするならば、巨大な空洞のできた理由が説明つかないし、元より岩石より比重の軽い水分が、惑星誕生の時に岩石より下方に集まる理屈が立たない。
そう考えると現在の火星の姿は、古代の地球に似ているとも、いえるのではないか?
「でも、その氷は何処に行ったのですか?それに、この穴は?」
グージャスが魔法で映し出した立体映像の地球は、【天界】と呼ばれる膜状の大地の各所に、穴が開いていた。
特に大きいのが、アメリカ大陸近くに開いた穴だ。
「うむ。各所の穴は隕石が落ちて開いた穴だろう。特に、その大穴には巨大な隕石が落ちて、中の氷の層を蒸発させてしまったと思われている。何しろ、人類も神も生まれる前の事なので、推測でしかないが・・・」
長一郎は、アメリカ大陸と言う場所から、恐竜を絶滅させたと言う隕石の話を思い出していた。
6600万年前の白亜紀の終わりに、直径10キロ級の巨大隕石がメキシコのユカタン半島に落ちたと言う説だ。
隕石の衝撃で、天界の表面にいた恐竜が、地面ごと地球に落ちたのは、想像に難しくはない。
グージャスの話だと、今も膜の様な天界の宇宙側には、巨大な生物が存在しているらしい。
そもそも、重力の小さい天界なら兎も角、地球の重力下で巨大な恐竜が生息できたのを疑問視する声は、今でも存在する。
つまりは、白亜記以前の物として発掘されている物は、実際には隕石衝突の衝撃で【天界】から落ちた地盤に乗っていた生態系だと言うのだ。
天界の存在が、ダークマターだけでなく、恐竜の絶滅まで肯定できるとは、長一郎にとっても驚きだった。
「で、ソナタが村人から聞いた【バベルの搭】と言うのは、この【アトラスの大陸】にあった世界樹の事であろう。ここは、今でも時空が歪み、常世と現世を繋ぐ回廊が開いていると聞く」
「現世に繋がる回廊ですか?」
長一郎は、その情報に【アトラスの大陸】と指し示させられた場所を見つめた。
現在位置からは距離があるが、行けない場所ではない。
そして、その【アトラスの大陸】と繋がっている地球側の場所は・・・・
「南極大陸?確かに【南極アトランティス説】なんて物も有るけど・・・」
実際、あのナチスのヒットラーが影武者を自殺せて、本物は南極大陸にある地底王国への入り口へと向かったと言う噂もあるくらいなのだ。
「では、ここに行けば現世に帰れる可能性も有る訳ですね?」
「オヌシも現世に帰りたいんじゃったな?確かに可能性が無いとは言えぬ。だが、この地の詳しい情報は、手に入らぬのだ」
そう言って、グージャスは、天界の内側を三色に色分けした。
かなり、まばらではあるが、主に北極側が白色、赤道付近の半分以上が赤色、南極と赤道付近の一部が黒色に着色されている。
長一郎達が居る赤道付近は、赤色の大きい部分に有った。
「これは何ですか?」
「この色分けは、三大勢力の分布図じゃ。赤い範囲であれば容易に行ける。白い範囲は交渉次第。黒い範囲は敵対関係にある勢力の地域を示しておる。見て分かると思うが・・・」
「南極は、ここと敵対関係の勢力下と言う訳ですね?」
南極と繋がっていると言うアトラス大陸は、グージャス達と敵対していると言う黒い色に染められている。
「じゃあ、俺なんかが【アトラスの大陸】に行くなんて、無理なんですね?」
「いや、そうでもない。【人間】と言う種族は、元々が、この黒い地域である【シーヴァス】、ソナタ達のヒンズー教で言う【シヴァ神】の眷族の領域じゃから、長一郎が侵入したとしても、咎められる事はないだろう」
「じゃあ、もし、領主様の許可が下りたら?」
グージャスは、長一郎の方を見て顔を歪める。
「現世では、人間が最上位の存在だから理解は難しいのかもしれないが、この常世では【人間】とは食物連鎖の下層でしかない。この領地の様に【生気を吸われる家畜】どころか、シーヴァスの地では【単なる肉】としか扱われず、野生の兎と同様に逃げ隠れする生活を送る事になるぞ」
そう。ここは人間主導な【現世】では無いのだ。
村人から聞いた話では、この領地の外でも人間は【食肉用の獲物】でしかないらしい。
それ故に、村の人間は首輪が外れる様になっても、この地を離れようとはしない。
吸血鬼である領主に生気を捧げてでも、この地に残ろうとしているのだ。
言わば、養蜂されている蜂に近い。
「アトラスの大陸は、そんなシーヴァス勢力の中心地に近い。人間が一人で生きて辿り着くのは不可能じゃろうな」
グージャスの話は、わずかな希望と、膨大な絶望を含んでいた。




