17 吸血鬼戦法
現世の吸血鬼伝説ではコウモリに化けたり、煙になって姿を消す伝承がある。
常世の吸血鬼達も、自らを霧単位の分体に分けたり、再構成したりする事が可能だった。
ミストレアも例に漏れず霧散化が得意だったのだ。
当然、それは魂についても言える。
ただ、現世ではマリア同様に憑依体を離れては、維持に多大な生命力を消費する。
そこで彼女は、長一郎に聞いていた【体内に巣食うウイルス】に分体を憑依させて、ばら蒔いていたのだ。
これは、車で移動中にサヤが咳をしたのを見て思い付いた戦法だ。
「インフルエンザは恐いわねぇ」
「私を殺すつもりなのか?」
「理由と謝罪の機会は与えたわ。私は、とうの昔から貴女の正体は見抜いていたけど」
ミストレアは、サヤが車で幼虫を嘔吐した段階で見当を付けていた。
組織化されており、子供を働かせる昆虫としては、蜂と蟻が有名だ。
そして、幹部候補達に飛ぶ気配は無かった。
戦法としては、蟻でも蜂でも変わりなかったが。
「【虫】風情が、相手を見定めずに【鬼】に刃を向けたのが間違いね」
ミストレアを睨むマリアの肉体が、部分的に崩壊を始めている。
この時、既に車の中で【何か】を吐き出した事を思い出して安堵したサヤが、ミストレアに近付いてきた。
「教祖様が倒れたので、皆が助かるのですね?」
サヤはミストレアを救世主の様に見ていた。
だが、ミストレアの反応は冷たい。
「何を言っているの?女王蟻が死んでも、働き蟻は 死なないわよ。ただ、増えないだけ」
「じゃあ、支部や、ここに居ない信者は?」
「数年後には、さっきの【幹部候補】みたいに、内側から乗っ取られて、人間でなくなって死ぬだけよ」
サヤは、口を開けたまま固まった。
「助けては下さらないのですか?」
「なぜ私が?私は私の命を狙った虫を退治したたけだけど?」
サヤは既に、ミストレアを抹殺しに行った事を思い出していた。
と、言うよりも既に【魅了】は解いている。
「御願いです。この身を差し上げますから、他の者もお助け下さい」
どうやらサヤには、教会内に【恋人】が居る様だ。
ミストレアは、マリアの存在が完全に消えたのを確認して、少し考え込んだ。
そして、自分の手のひらに小さな魔法陣を浮かび上がらせる。
「グージャス?控えている?」
『ハイ、姫様。何カ問題ガ起キマシタカナ?』
ミストレア程の存在と、豊富な魔力があってのみ出きる通信だ。
常世では、ミストレアの【肉体】が声を出している。
現世ではグージャスの声が魔法陣からも聞こえてくる。
「日本語で話なしなさい。例えばなんだけど、現世での協力者が居れば便利かしら?」
『これでよろしいですかな?協力者ですか。それはもう、いろいろと調べさせれば、領地の役に立つ事は多いでしょう』
「一人、候補を見付けたわ。パスを繋ぐから、教育して魔女に仕立ててちょうだい」
『承知しました』
「聞こえていたわね?サヤ。貴女に魔界の者と話す力を与えるわ。それで勉強し、【本物の魔女】になって友人を助けなさい。対価は、あと三日間、私の侍女勤めと以後の情報提供よ。受け入れる?」
「三日間?その後はどうなさるのですか?」
「三日後に、私は魔界へと帰るわ。ここには期限付きで調査に来ただけだから」
既にマリアの寄生で、魔力の一部を垣間見たサヤならば、難しくはないとの判断もあった。
この教会に来た者の多くは、魔女に成りたかった者だ。
確かに成りたかったが、あんな化け物に成りたい訳では無かった。
そしてサヤ達は、既に体から魔力が失われている事を自覚している。
「ヴァンパイア・・・私も吸血鬼になるのですか?」
マリアの行いを見ればサヤが、
そのように考えるのもしかたなかっただろう。
「この世界の伝承は、多くが間違っているわね。この方法なら、貴女は人間のまま【魔女】になれるわ」
下手に【常世の存在】に改変しても、時間制限ができるか、マリアの様に大規模な生贄が必要になる。
グージャス程まではいかなくても、人間村の住人くらいに成れば、彼女の目的も達成されるだろうとミストレアは考えていた。
「わかりました。受け入れます」
「よろしい。少し、頭が痛くなるけど我慢なさい」
「はいっ」
ミストレアは、手の平の魔法陣をサヤの額に押し付けた。
サヤの顔が痛みに歪む。
『サヤとやら。聞こえるか?儂はミストレア様の配下でグージャスと申す魔法使いじゃ』
「グージャス様?聞こえます。御姉様の御名前は【ミストレア様】とおっしゃるのですね?」
まだ偏頭痛がするが、サヤの頭の中に声が響く。
ミストレアは、その肉体に宿る【空間の歪み】の一部をサヤに転写したのだ。
将来的にサヤの子孫が【異世界転移】する可能性が生まれたが、それは因果応報とも言える。
『では、三日間はミストレア様の御手伝いをする様に。その後で魔法の基礎から始める』
「御願いします。頑張ります」
こうして、現世に正統派魔法使いが生まれる事になるが、それは、また別の話となる。
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現世に常駐の配下ができた事でミストレアの【現世視察】は、情報の面では意味がなくなった。
「サヤ、貴女のおかげで文章にできる調査は任せられる様になったわ。これで別の調査に集中できるわ」
「別の調査?御姉様は魔界から人間界の調査にみえたのですよね?その【別の調査】とは、何を御手伝いすれば良いのでしょう?」
【愛の魔女教会】から車で都内へ戻る車を運転しながら、サヤは自分に関わる事だけを限定して聞いた。
【愛の魔女教会】に残った者達は今回の、常識では理解できない、説明や立証できない状況を解決する為に、『教祖が薬物を使って信者を騙していたが、発覚したので逃走した』とした。
彼女達は【被害者の会】を結成し、教会の財産を現金化して救済に充てる方針を取ることにした。
建物や不動産は勿論、オマジナイや魔法グッズの販売まで手掛けていた教会は、売却すれば、かなりの金額になる。
一部は現行通りの商売を続ける部所もある様だ。
媚薬や麻薬の香など、物証は揃っているので、刑事事件として届けてもいる。
犯人たるマリアが捕まる事は有り得ないが。
ただ、ミストレアが来てからのビデオ映像は『マリアが逃走時に途中まで消した』として、完全消去してある。
大講堂のビデオ映像だけは、バックアップをとってあり、いまだに寄生されている信者の説得に使われる予定ではあるが。
当然、ミストレアとサヤは、今回の事には関与していない事になっている。
この二人の反感をかえば、被害者の肉体的救済は勿論、魔女術の入手方法が失われるので、現場の全員一致の判断だ。
「私への手伝いは、文字にできない情報の調査。味や音、芸術に関する調査になるわね」
ミストレアの応えに、サヤは首を傾げる。
「申し訳ありません御姉様。具体的には、どの様に?」
「具体的には、美味しい物の食べ歩き、音楽や演劇などの鑑賞、レディースコミックの読破かしら?」
サヤがズッコケて、車の運転が乱れた。
「ははは・・・・そんなものを御求めで?」
「そうよ!この人間界は面白いわ。あの虫が支配したがるのも判るくらいにね」
支配者階級にある者の苦悩は、現世も常世も、たいして変わりないのだろうが、娯楽は雲泥の差がある。
既に魂を売り払ったサヤではあるが、少し気になる点が無いわけでもない。
「あのぉ、御姉様。人間界に滞在中は、御姉様も教祖様と同様に【生命力】と言うか【生贄】を必要とされるのですよね?」
サヤの質問に、ミストレアは笑みを浮かべる。
「勿論よ。ただ、虫と違うのは、寄生して肉体を変えたり命を奪ったりはしないわ。近くを通るだけで生命力を奪える。領民を減らす事なく、少しづつ沢山の者から徴税するのが、良い君主とされているわ」
「誰も傷付かないのですか?」
「少し、疲れるだけよ。スポーツ観戦のスタンドとかは、効率的よね?」
サヤは内心ホッとして、アクセルを踏み込んだ。