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007・富士吉田会場(3)

ご注意 : この小説には地震をはじめとした災害の描写があります。


 永遠に続くかと思われた地震は、徐々に揺れ幅が小さくなり……消えた。


 尾裾(おすそ)は、その場で両膝、両手をつき胃液を吐く。

 目の前の人は胡坐(あぐら)をかいて一点を見つめたまま、パウチに入った経口補水液(けいこうほすいえき)を口にしている。

 水、要るわ。

 手洗い場に行こう。

 ……いや、すぐ余震が来るかも。


 吐いたものに手で砂をかぶせる。

 かぶせながら思う……。

 ……とっさに「ジヨアイ様」って……でた。


 信仰を持っている人はその信じている神様にお祈りするんだろうが、とっさに思い浮かんだのがジヨアイさ……ジヨアイだった。


(……呼び捨てしていいのか? )


 妻が子供たちにジヨアイ様が見てるだとか守ってくれるだとか普段言っているから、それに引っぱられた。

 だいたいジヨアイさ……「ジヨアイ」というのは「慈与愛の光(じよ あいのひかり)」の教祖が勝手につけた名前。

 「EFAシステム」が僕らがつけた”正式な”名前だ……。


(……呼び捨てにしていいのか? )



 ――少し前――

 観覧専用バス5号車の車内では、空調がパワーを1段階上げた。

 ルウイは会場の音楽に合わせ、右脚に重心をかけ、”引きずっていた”左足でリズムをとっている。

 右手はズボンのポケットの中。

 左手は携帯を持ち、親指で操作して、オークションサイトの中古フィギュアを物色している。

 落札を狙っていたのは、野生動物を擬人化したキャラクターの未開封品。

 昨夜1万円だったのが、いつの間にか20万円に上がっている。

「やっぱり、そうなるか」ルウイは天井を仰ぐ。


 ……外の音楽が消えた。


 すぐさま携帯に目を戻すルウイ。

 携帯画面に「17」の数字が表示されている。

 …………「15」…………

 ……だ、大丈夫。ここはハニカム免振装置の上だ。

 ……「13」………………

 子供たちが母親にしがみつき、怖いと言いながら顔を隠す。

 母親がお祈りしましょう、と言う。

 …………「6」…………

 ……「3」…………

 ゴゴゴゴゴゴゴ。地鳴りが、真東から観覧バスを襲う。


 ……地鳴りってこんなにはっきり聞こえるんだ。

 ガタガタガタガタ。バスの車体に振動が走る。


 子供たちの何人かが「ジヨアイ様」とお祈りする。


 揺れが大きくな……りかけて、スーッと消えた。

 揺れがシャットダウンされた。

 揺れが震度4レベルに達したことで、ハニカム免振装置が作動した。


 ――5号車を支える4台のハニカム免振装置――

 その内部では、自己破壊と自己修復が目まぐるしく交互に起きている。

 ハチの巣状に並んだ幾つもの枠の内、その半数を満たしている物質Aは、最初の「衝撃」で硬質なゴム状からジェル状に変質し、中の支柱を保持できなくなる。

 代わりに、残りの半数の枠を満たしている物質Bが、ジェル状から硬質なゴム状に変質し、天板から伸びている支柱を保持する。

 次に来る「衝撃」で、硬質なゴム状になっていた物質Bが、再びジェル状に変質して、支柱を離す。

 同時に、ジェル状になっていた物質Aは再び硬質なゴムに変質して、支柱を掴む。

 さらに来る「衝撃」で物質Aはジェル状になり、支柱を離す。

 同時に、物質Bは硬質なゴムに変質して、支柱を掴む。

 このサイクルが高速で循環し、全ての「衝撃」は硬質ゴムがジェル状に「破壊」されることで吸収され、同時にジェル状の物質が硬質ゴムに「修復」されることで支柱を支える。

 これで、地面の揺れに関わらず、多くの支柱に接続している、天板は微動だにしない。

 ――――――――――――――――――――――


 ルウイは、子供のすすり泣く声以外は静かな、バスの車内から会場を見る。

 砂埃で遠くの方は霞んで見えないし、近くにいる人も振動で輪郭を失っている。


 多くの観客が震源地の方向にある、この高台の観覧バスに頭を向けている。

 皆、両膝あるいは両手も地面につけて、上半身が前後に激しく動く。

 両手が宙にある人は、何でもいいから何かにつかまろうと必死に手を伸ばしている。

 観覧バスの方を向いていなかった人は、四肢を投げ出して地面を西に東に転がっている。


 ルウイは、全く揺れのない観覧バスから見ているせいか、その光景はリアルなCG映画を思わせ、異様に感じた。

 母親たちは子供たちを抱きかかえ、会場に背を向けて、地獄の光景を見せまいと必死だ。

 ……耐えろ耐えろ。頑張れ頑張れ。


 振動で砂埃の立つ崖の縁……土が塊で剝がれ落ちる。


 ガタガタガタ。

 地震が発生して約3分後、観覧バスに震度3レベルの揺れが3秒ほど復活する。

 すぐに震度2、震度1と小さくなり、何も感じない震度0の領域に落ちていった。

 母親たちが口々に「ね、ジヨアイ様が止めてくれたでしょう」と言っている。


 名田瀬版ハニカム免振装置もやるじゃん。

 ……でもやっぱり震度3レベルの揺れで動作してくれなきゃ、子供たちがかわいそう。



 ――「ふじやまハイクオリティパーク」の園内――


 ここでも、約3分間持続した地震の揺れが消えかけようとしている。

 激しく振動していたローラーコースターのレールも、今やキーキー(きし)む音とカンカン金属同士がぶつかる音がどこからか聞こえてくるだけ……。


 人のいない園内に静寂が戻ってくる…………はずが、大観覧車だけキーキー軋む音がなくならない。

 それどころか、大観覧車をささえる支柱の表面に、細かい振動が現れては消え、消えては現れしている。

 ビビビビビ―――――ビビビビビ―――――ビビビビビ―――――。


 やがて、細かい振動が現れるタイミングで支柱自体が揺れ始める。

 ブゥオンッ―――――ブゥオンッ―――――ブゥオンッ―――――。


 支柱から伝わった揺れで大観覧車ごと揺れだす。

 ゴゥオンッ―――――ゴゥオンッ―――――ゴゥオンッ―――――。


 揺れ幅が大きくなる。

 ゴゥオーン―――――ゴゥオーン―――――ゴゥオーン―――――。

 ゴゥウーオーーン―――――ゴゥウーオーーン―――――ゴゥウーオーーン―――――。


 支柱と大観覧車の揺れるタイミングがずれ始める。

 ブゥウー”ゴ”オーーン―――――ブゥウー”ゴ”オーーン―――――ブゥウー”ゴ”オーーン―――――。


 大観覧車の一番下についているゴンドラが繰り返し支柱にぶつかる。

 ブゥウーオーーン――”ゴガッ”―――ブゥウーオーーン――”ゴガッ”―――ブゥウーゴオーーン――”ゴガッ”―――。


 ゴンドラのガラスが派手に飛び散る。

 ゴッッ……パーン。


 鋭い音とともに、大観覧車と支柱を繋ぎとめていた回転軸が、折れる。

 パシッ。


 大観覧車が一番下のゴンドラを押し潰して、地面に落ちる。

 グシッッ……ドーン。


 大観覧車はゆっくり回転しながら、園の外へ進みだす。

 ゴロッ。



 ――少し前――

 本震後、ルウイは透明アクリル板に顔を近づけて、近くを凝視している。

 観覧バスが止まっているこの高台の、崖の先端が本震前より近くなった気がする。

 いや、周囲に生えてる草の位置から推測すると実際に1メートルくらい近くなっている。


 誰かが確認に行かなければならない。

 最年長者で男の僕の責務だろう。


 余震はすぐには来ないよね?


 ビビりながらバスを降りた。

 崖が崩れて観覧バスごと転落しそうなら、観覧バスを見捨てて自分だけ逃げる。


 ……という邪な考えを封印するために、携帯を置いてきた。

 携帯がないと「K子」フィギュアの予約ができない、という(かせ)を自分にはめた。


 崩れたところに直接見に行くのは怖いので、離れたところで四つん這いになり、首だけ伸ばして見る。

 思ってたより急な崖ではなかった。

 直角なのは上の50センチぐらいで、あとは下までゆるい傾斜だ。


 おそらく直角部分が削れただけ、大丈夫だ。地割れとかは無い。

 余震が来ないうちにバスに戻らないと……。


 その時「グシーン」と鈍い音。

 間を置かず「バラバラパラ。キーンキン」何かが崩れ、何かとぶつかる音がした。

大きな音ではない……遠くで工事やってる? さすがに今日は……。

 それとも、パレットの上に重ねられている、ブースの骨組みが崩れた? 

いや、そんな近くの音じゃなかったし、崩れている様子もない。


 やっぱり、遠くだ。


 ルウイは目を閉じて耳を澄ます。会場のざわめきしか聞こえない。

 さっきの音は気のせいだった? 


 ルウイは、ゆっくり首を回して街の風景を見ていく。

 会場~ブースの載ったパレット~更地と道路~ふじやまハイクオリティパーク~河口湖方面。

 戻って、~ふじやまハイクオリティパーク~……ん? んっ!

 ふじやまハイクオリティパークの大観覧車がゆっくり回りながら移動している。


 ルウイは、携帯をかざして大観覧車を画面に捉え、拡大する。

 ゴンドラが……押し潰されようとしている!


 大観覧車はゴンドラを押し潰すとき、進むのを一旦やめ、潰し終えたらグッと進んだ。

 もう、全ゴンドラ60基のうち、7基が、中身を食べた後のブドウの皮みたいになって、巨大車輪にぶら下がっている。


 会場に視線を戻すルウイ。

 震度5強を体験した直後の観客は、……座って両肩を抱えている人、地面に大の字になっている人、四肢を地面につき、吐いている人、……。

 良くて両手を膝においた中腰の人で、すっと立っている人がいない。


 誰一人、会場の外の異変に気づいてない。

 そもそもパレットに積みあがっている簡易トイレ、ブースの骨組み、大量のグッズが、観客の目から巨大車輪を隠している。


 巨大車輪は……だいぶ動いた。

さっきのところから200mくらい進んでいる。

 ゴンドラは半分の30基がブドウの皮になっている。

 

 会場まで緩やかな下り坂になってるし、間に障害物がない。

 道路を渡れば更地、更地を渡れば道路の繰り返しだ。


 ゴンドラを潰し終わったら速くなる。

 時間がない。このままでは、会場を直撃する。


 ルウイは崖の縁に立ち、息を大きく吸ってから3万の観客に大声で「逃げろー」と言う。

 しかし、このタイミングでDJの音楽が再開された。

 声がかき消される。


 でも、他にすべがない。時間がない。

 巨大車輪の方を指さしながら、大声を出し続ける。

 でも、誰一人こちらを見ない。

 無力感で涙が出る。


 声がかすれて、出なくなった。


 ゴンドラを全部潰し終え、巨大車輪は加速した。

 会場まで500メートル。


 ……音楽が止まった!


 スタッフが気づいた?気づいてくれた?

 ステージを見る。


 電光掲示板に「16」の文字。


 ちがう余震だ!


 この状況で余震も……万事休す。

 100人どころじゃない1,000人以上死ぬ。


 せめて、5号車の子供たちの親は助かってくれ。


 「15」「14」

 何人か巨大車輪の方を見ている。

 今は無音だから、音で気づいたんだ!


 「13」「12」

 大半が気づいた。キョロキョロしている。

 どうしていいかわからないんだ。


 「11」「10」

 観客が西と東に分かれて逃げはじめた……。



 ――尾裾(おすそ)は、巨大車輪の、まさに(わだち)になる位置にいた――

 逃げ切れる。

 車輪の幅はせいぜいが5メートル……もない。

 メタボの俺だって、それぐらいは走れる。

 よし、高台の方。西へ向かって走り出す。

 直後、東へ向かって逃げようとした隣の人とぶつかり、転ぶ。

 お互い謝ってる時間はない。

 すぐに起き上がる。

 皆に合わせて、今度は東へ走り出す。

 とたんに、西へ逃げようとする隣の隣の人とぶつかる。

 転ぶ。さっきより派手に。

 やっぱり、西だ!

 振り向いた瞬間、誰かとぶつかり、転ぶ。

 このデブ!罵声を浴びせられる。

 最初にいた位置から1メートルも進んでいない。

 まずい。いや、あせるな。

 上半身を起こす。

 とたんに誰かがぶつかり、ふたりとも転ぶ。

 痛い。どこかが痛い。

 まだ、まだだ。

 右膝をついて立ち上がろうとした瞬間、立ち上がれずそのまま転ぶ。

 痛いのは、右膝だった。

 あきらめるな。左膝で。

 ゆっくりしか起きあがれない。

 上半身を起こした瞬間、意識して見ないようにしてた巨大車輪を、見た。


 車輪の直径は100メートルぐらいある。

 巨大車輪(アレ)が会場内で倒れたら……。


 ――あれが円ではなく正方形だと仮定すると、2メートル間隔で観客が並んでいるから100メートルで50人、それが縦×横で正方形の中に2,500人が入る。

 正方形とそれに内接する円の面積比率は、約1対0.8だから、2,500の8割の2,000人が車輪の中にすっぽり入る計算だ。

 実際は、2メートル間隔どころか人が重なって倒れている状態で、倒れた車輪は2度3度とバウンドして押し潰す観客を増やすだろう。

それに倒れる前に踏みつぶす観客を足して、……3,000人死んだとしてもおかしくはない――。


 ……自分は3,000人の中に確実に入る……。

 体は動かないまま、頭の中では他人事のように計算している。


 頭に「運命」の2文字が浮かび上がった。


 巨大車輪がさらに巨大になるのをじっと見ている…………。


 (……呼び捨てにしていいのか? )


 さっきの問いかけが突然、自分の声となって聞こえた。

 ……ハッ、どうせ転ぶんなら!

 尾裾(おすそ)は、地面に打っ()して、匍匐前進(ほふくぜんしん)をはじめた。


 ジヨアイ様。ジヨアイ様。ジヨアイ様。……と声に出しながら。



<つづく>



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