004・第25回記念アースFES(4)
ご注意 : この小説には地震をはじめとした災害の描写があります。
ルウイはトイレに急いだ。
通り過ぎるとき、白人少年が隣席の仲間に「あいつが、ガンつけたからさ」と言うのが聞こえた。
確かにチビだ。クラスメイトより肌が褐色だ。
インド人とかインドネシア人とか、よく間違われる。
間違われるというか、遺伝的にそっちなんだろうと思う。
でも、戸籍上は日本人の母とアメリカ「白人」の父との子だ。
僕にとって肌の色のことをからかわれるのは、「お前が白人の子のわけないだろう」と言われるのと同じ。
よりによって、今日は、白人の少年からそれを言われた。
怒りの感情より、白人の子と偽ってごめんなさい、という気持ちで涙が滲んでくる。
怒っていいのに、殴ったっていいはずなのに。
ごめんなさい。騙しててごめんなさい、と自分を卑下してしまう。
(今、地震来い。もう死んだっていい。)
……父は、僕が2歳の時、病気で他界している。
本当の父は誰? と母に聞く勇気がない。
聞いたら、運命の歯車が動き出して、母と一緒にいられなくなる気がするから。
トイレで顔を洗い、気分を落ちつかせる。
連中の方を見ないようにして座席に戻った。
外の景色に集中して、気を紛らわせよう。
そう、あんな奴らごときに、今日の楽しみを奪わせるもんか。
座席の上に正座して体ごと車窓に向かうルウイ。
そこかしこにある車両進入禁止の立て看板に混じって、対向車線側に、横長の看板が6mぐらいの間隔で並んでいる。
「タリカ鋼管株式会社 新ME構造・耐震鉄管 設置個所」とある。
自車線側にもある。
「株式会社ACsDC 東京都庁採用新案・ガス漏れ検知機能付き鉄管 設置個所」。
ちがうメーカーだ。
地震後に生き残っているのはどっちだ!ファイ!
消防車と救急車が路肩に免振装置を敷いて待機している。
バスは最徐行速度で、その脇を通り過ぎる。
おじいちゃん運転手はうとうとしている。
パトカーだけが住宅街をゆっくり巡回している。
車体に長野県警察とある。他県からの応援だ。ご苦労様。
遠目に、民家の玄関前にブルーシートに覆われた塊が見える。
角ばっているから横倒しにされた冷蔵庫・タンス・洗濯機とかかな?
2階のガラス窓は取り外され、代わりに広げたダンボールがガムテープでとめてある。
何より更地が目立つ。
震度5強の揺れに耐えられない建物は、この1年で解体されたらしい。
民家、商店街それに病院。
今向かっている富士吉田会場も、大型商業施設が取り壊されてできた。
人口流出は避けられない。
過疎の村の中には、廃村が決まり、アースFESが文字通り最後のお祭りになるところもあると聞く。
ちょっとだけ希望もある。
免振装置をはじめとした防振・防災器具の進化だ。
予め地震が来るとわかっているから、それらは実に、よく売れる。
よく売れるから多くのメーカーが参入し、競争原理で性能がよくなる。
画期的だった商品がある。
「ハニカム免振装置」だ。
名田瀬建設株式会社が6年前から製造・販売している。
それまで主流のゴム免振装置は、速い小刻みな揺れをゆっくりな大きい揺れに変えるもので、建物自体が大きく、ぐにゅー、と動く。
日本の密集した住宅地には不向き、庭の広いお金持ち向きなのだ。
比べて、ハニカム免振装置は強い揺れが来ると、装置内部が自己破壊、即、自己修復を繰り返す。
建物が壊れる前に、敷いてる免振装置が先に壊れることで、建物を守る系の免振装置。
建物自体は全く動かない。
ゴム免振装置は設置費用込みで500万円~かかる。
けど、ハニカム免振装置は4基で350万円。レンタルなら200万円だ。
申請すれば国から補助金が出て150万円以下になる。
僕は、このハニカム免振装置に詳しい。高校入試に出してほしいくらいだ。
問題 名前のハニカムの由来は?
円形の天板を外して中を覗くと、ハニカム構造(ハチの巣状)の枠が見える。これが、由来。
問題 名田瀬建設株式会社の前にハニカム免振装置を製造していたメーカーは?
鹿児島県の猿田工業株式会社。今は製造していない。
名田瀬建設以前にハニカム免振装置が作られていたこと自体、知られていない。
知っているのは当時、猿田工業の社員だった人ぐらい。
僕が何で知っているかっていうと、母が勤めていたから。
問題 猿田版ハニカム免振装置と名田瀬版ハニカム免振装置の違いは?
猿田版は単に円筒形。
名田瀬版は、スコッチウイスキーなんかが入っている角瓶を、縦に縮小した形状で、上3分の1が円筒形で、下3分の2が直方体。
設置業者さんが転がして運べないように、下の方を直方体にしたとかなんとか。
問題 性能の違いは?
名田瀬版は震度4以上のレベルの揺れがこないと作動しない。
猿田版は感度が高く、震度3以上のレベルの揺れで作動する。
つまり、猿田版ハニカム免振装置の性能が格段に上。
問題 高性能なのに猿田版ハニカム免振装置はなぜ見かけない?
猿田版ハニカム免振装置は50台しか製造していない。
その50台も市場に出ていない。幻の免振装置。
問題 なぜ?
猿田版ハニカム免振装置に重大な欠陥が見つかったから。
問題 重大な欠陥とは?
猿田版は、中の薬剤が塩分に反応して変質し、その状態で強い衝撃が加わると爆発する。
つまり、海に近い場所の建物に使えないのはもちろん、爆弾としてテロに使われる可能性が出てきた。
名田瀬版は塩分に反応しない薬剤を使用、変質せず爆発もしないが、その分、感度が格段に下がった。
問題 欠陥が見つかった経緯は?
初出荷分50台の振動試験中、偶然、海水を被った1台が爆発した。
問題 事故の被害は?
建物的には倉庫の屋根に穴が開いて、棚が一つ倒れた程度。
人的被害が大怪我1名。僕の母。車いすに乗るようになった。
問題 猿田工業はどうなった?
免振装置製造を中止した。塩分に反応しない薬剤が当時なかったから。
問題 猿田工業は倒産した?
倒産しなかった。
元々、ハニカム免振装置はオテンキ・ウェザー社の委託で製造したもの。
オテンキ・ウェザー社からごっそり違約金を受け取り、本業の自動車部品の製造ラインを拡充した。
ちなみに、母も賠償金をたんまり受け取った。
問題 名田瀬建設もオテンキ・ウェザー社の委託で製造してる?
名田瀬建設が自社ブランドで製造・販売している。
ただし、ハニカム免振の基本特許と”塩分に反応しない薬剤”の特許を持っているオテンキ・ウェザー社に、価格の5パーセントの特許使用料を払っている。
質問 母の大怪我の要因をつくったオテンキ・ウェザー社をキライになった?
ノー。
お会いしたことはないけど、オテンキ・ウェザー社の衣川 剛志さんという方から、個人的に、毎月10万円が送られて来る。
オテンキ・ウェザー社から賠償金はもらったから、そんな必要はないのに、もう8年も送られている。
衣川さんはハニカム免振装置を開発した人。
爆発することを見逃し、人を大怪我させたことに技術者として責任を感じている。
そんな誠実な技術者のいる会社を嫌いにはなれない。
質問 将来の夢は?
オテンキ・ウェザー社に就職すること。
別に、僕のあこがれの人、柏木 清眞子さんがオテンキ・ウェザー社にいるから、というわけではない。(……こともない。)
僕にとって、オテンキ・ウェザー社は正義の会社。
日本を救うヒーロー。
――高速バスが会場に近づく。
会場周辺は多種多様なメーカー・型式の、バス、バス、バスだらけ。
富士吉田会場は3万人だから、ざっくり1,000台以上の”契約バス”が観客を運んできた計算だ。
指定の駐車場に着いた。
広々とした更地に100台近くのバスが駐車している。
んうー、ルウイは背伸びする。
残り16分。よし間に合った。
すぐさま、スタッフ数名が高速バスに駆けよる。
乗客を降ろす前に、車体を電動ジャッキで上げ、ハニカム免振装置4台を車体の下に潜り込ませ、ジャッキを下げる。
すでに100台近くこなしてきたからか、息ぴったりで手際が良い。
富士吉田市役所のネームの入ったお揃いのポロシャツが頼もしい。
――――――――――
アースFES用語で、免振装置の上で地震を体験することを「浮足」体験という。
アースFES用語というかネットスラングだけど。
反対に、地面に足をつけて地震を直に体験することを「直脚」体験という。
「直脚」できるのは14歳以上と規定されている。
僕は14歳だが、正直怖い。
大体、13歳だった去年から、この1年間に大きい地震が鹿児島には起きていない。
……ということは経験値的には、僕は実質13歳だ。
いや、この理屈なら、僕は10歳だ。
なぜなら、僕が10歳になった2029年から、地震予報が開始されたのだ。
この年から大きい地震は体験せずに済んでいるのだ。
日本人全員が……だけど。
もうひと声行ける。
僕は6歳だ。そう、6歳児。
なぜなら……、僕が6歳の時、車いすの母がバリアフリーのマンションに引っ越した。そこにはゴム免振装置が付いていた……。
6歳より以前の記憶は、あやふやなのでこれで許してやろう。
つまり、僕に”直脚”体験をさせるということは、実質、6歳児を震度5強の恐怖の中に放り込むのと同じなのだ。
人権問題に発展するね。国際問題か? いや人権問題? どっち?
とにかく、この屁理屈が気に入った。
母には”直脚”したって言えばいい。
いや、言う必要もない。
母は”直脚”・”浮足”なんて言葉知らないし、「車内観覧」という裏技も、たぶん知らない。
だからバスを降りない。
でも、さっきの連中には僕の”浮足”を知られたくない……。
――――――――――
乗客が一斉にバスを降り始めた。
連中も降りる列にいる。
僕は立ち上がって、リュックの中をまさぐり、「あれ、どこいった?」と探し物のふりをして、皆をやり過ごした。
バスを降りた乗客は、スタッフの誘導で、駐車場の北側にある石段を降りていく。
全員降りたと思ったおじいちゃん運転手は、すぐ後ろにいた僕を見て……。
「また、なんか失くした?」
「いえ。あの、……僕、車内観覧組です」
「あ。車内観覧はこのバスじゃないよ。
東の方に車内観覧専用のバスが5台並んでいるから、そっちに移動して。
このバスはスタッフの退避所になるから」
バスを降りる。
ハニカム免振装置を敷いてるから、バスのステップが10センチ高くなってる。
向き直って、おじいちゃん運転手に「帰りもよろしくお願いします」と言う。
会場の方向からアナウンスが漏れてくる。
何度も繰り返えされている。
<安全のため、前後左右の人との距離を、2メートル以上とってください>
ルウイはその中を一人、携帯でラジオを聞きながら、東へ向かった。
―*―*―*―*―*―
佐藤アナ『……時刻は7時39分になります。
”時間帯”まで6分を切りました。
現地の富士吉田会場は25℃。こちら東京は28℃です。
気温が上がってきました。
鈴木さんもハンカチで汗を拭いていらっしゃいます』
鈴木『いやぁ、議論伯仲しましたからねえ。
……お、涼しい風が来た。
夏は冷房様様ですなあ』
佐藤アナ『あ、さっき言おうとしたこと思い出しました。
鈴木さんも”様”つけるようになったんですね。
2回ほど”ジヨアイ様”って。
前はつけてませんでしたよね』
鈴木『ただの機械に”様”はないだろう、って言ったらクレームがきてね。
……てのは冗談。
……様つけるでしょう。日本人なら』
―*―*―*―*―*―
<つづく>