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永遠のクオリア  作者: 三嶋 亜未
Chapter 2 聖女様誘拐事件と私の神様
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6. 幼い日の約束

――それは消えてしまった、思い出の断片。

穏やかだった世界で交わした、優しい約束のお話。




「ユーリの、いじわる」


幼い少女はそう呟いて、ひとり薄暗い部屋で膝を抱えた。


年齢は六、七歳前後だろうか。

空色のワンピースを着た彼女は、小さな両手で服の裾を握り締める。


肩の下で切り揃えられた淡い栗色の髪が、俯いた少女の頬にかかった。


背には本棚。反対側の壁沿いには、喫茶店で使用される食材と在庫管理の作業机がある。

日光による劣化を防ぐためだろうか。倉庫として使用されている部屋に窓はない。


数秒後、パチンと小さな音がして部屋の照明がついた。


遅れて室内に現れたのは、少女より若干年上の少年。

彼は静かに背後のドアを閉めると、俯く少女に歩み寄った。


少年は少女の一歩手前で足を止める。

膝を折って目線の高さを合わせると、静かに彼女の名前を呼んだ。


「……エル?」

「ユーリなんて、知りません」


小さな少女は俯いたまま顔を上げない。

どこか不機嫌な声色で、精一杯大人びた言葉を返した。


「うん、ごめんね」

「ごめんなさいは、いま受付してません」

「そっか」


どうやら余計に機嫌を損ねてしまったようだ。

頭上に伸ばされた少年の手から、少女はふいと顔を背ける。


少年は即時的な説得を諦めたらしい。

一拍置いて、少女と同じように冷たい倉庫の床に座った。


しばらくの沈黙。

徐々に重くなる空気を破るように、少年は口を開く。


「大丈夫だよ。僕はここにいる」

「ユーリは、いつもそう言うの。だいじょうぶ、って」

「そうかな?」


小さく首を傾いだ少年に、少女は顔を上げて大きく頷いた。


「そうなの。エルは、全然だいじょうぶじゃない」

「どうして?」

「だって、みんなエルのことを置いていくの」

「学校に行くだけだよ。お休みの日にはちゃんと帰ってくる」

「……そう言って、帰ってこないもの」


お父さんも、お母さんも。

続いた言葉に、少年は困り顔を浮かべた。


少女の両親は、数年前に旅立ってしまったのだから。

一生会うことが叶わないほど、遠くに。


言葉を探す少年を見て、少女は再び顔を俯ける。


「置いていくのは、わたしがいい子じゃないから?」

「エルはとっても良い子だよ。今日は少しご機嫌斜めのようだけど」


少年の藍色の瞳が、優しく眇められた。

悲観的な言葉はすぐに否定されたが、少女は首を左右に振る。


「違うの。おぼえてないから、いい子じゃない」


少女の意外な言葉に、少年は瞬きした。


「うん、ごめんね。どういう意味だろう、教えて欲しいな」

「お父さんと、お母さん。いい子でおるすばんしてて、って言った。でも、おぼえてないの。他にもたくさん、約束したのに」

「……その時、エルは小さかったからね。記憶は薄れていくものだし」


仕方ない、という響きの言葉。

少女はしばらく悩んでいる様子だったが、心の内を伝えることに決めたらしい。


だからね、と躊躇いがちに言葉を繋ぐ。


「ユーリもいなくなったら、忘れちゃうかも。おんなじに」


少女の大きな瞳が、わずかに潤んだ。


少年は再び少女の頭上に手を伸ばす。

その手は、今度こそ受け入れてもらえたようだった。


彼女の淡い栗色の髪をゆっくりと撫でながら、少年は言った。


「大丈夫だよ」

「だいじょうぶ、じゃない」


少女は頬を膨らませる。

その表情には“納得がいかない”と書いてあるようだ。


束の間考えるように少年は視線を空に向け、少女に具体的な案を提示する。


「じゃあ、忘れないように紙に書いておこうか」

「それでもダメだったら?」

「その時は、僕が覚えていて教えてあげる。それは駄目かな?」


彼は少女の瞳を覗き込んだ。

少女は数度大きく瞬き、それから小さく首を振った。


「ううん。ダメじゃない」


そっか、と少年は笑う。


「じゃあ、戻ろうか。夕食の途中だから、母さん心配してるよ」

「うん、わかった」


先に立ち上がった少年は、座り込んだ少女に手を伸ばす。

少女はその手を取って隣に並んだ。


少年は手を繋いだまま部屋の出入り口に向かう。

ドアを開こうと手をかけて、数秒固まった。


「あれ? 開かない……」


どうやら、押しても引いても動かないようだった。


部屋の鍵は、外側についている。

けれど、ここは夫婦二人が営業する小さな喫茶店だ。


二人とも少年と少女がこの部屋にいることは知っているはずだ。

誤って閉じ込められたという可能性は有り得ない。


「ごめんなさい。エルが、ちゃんとご飯食べないから」

「それは関係ないと思うけど」


少年はドアと壁の隙間に目をやる。

残念ながら、ぴたりと閉ざされていて状態は覗けない。


「うーん、元々鍵の調子は悪かったからね。中で金具が折れたかな」


予想が当たっていると仮定する。

問題の鍵はドアの外側だ。内部にいる彼らに問題解消の手段は無い。


不安そうに少女は繋いだ手を強く握る。

少年は膝を曲げて彼女の肩に手を添えると、小さく笑いかけた。


「一度、深呼吸しようか」

「しんこきゅー?」

「そう。こういう状況だと、視野が狭まるからね」


少年は言った。


「まずは落ち着いて、周囲を見回すのが良いと思うよ」


少女は大きく息を吸って、言われた通りに周囲を見回す。

けれど結局意図が分からなかったのか、こてんと首を傾いだ。


黒髪の少年は、そんな少女に苦笑して室内を見た。


「今必要なのは、助けを求めること。あるいは外の誰かに、このドアを“開けなきゃ”って思ってもらえれば良い」


最初に目を向けたのは、在庫管理の作業机にある台帳。

隣にはペンとインクも置かれている。


それから天井近くに視線を移した。


「通気口は、ちょっと連絡を取るには難しいかな」


経路としては使用可能だろう。

けれど、その出入口には格子が掛かっている。


少年は本棚、床、空箱、食材と目を動かし、最後に再びドアを見た。


「うーん、杖なしだと制御が甘くなるから……。ちょっと、離れてて」


そう言って手に取ったのは、小麦粉。

ドアと反対側、一番物が少ない部屋の隅で少年は立ち止まる。


彼は小麦粉を一掴み、無造作に空に放った。


「……爆発せよ(エクリクスィ)

「ひゃっ!?」


言葉と共に、小麦粉の周囲が一瞬赤く光る。

夏に庭で遊んだ、花火のような音がした。


舞い上がった粉に、彼は少し(むせ)る。

茫然とする少女を振り返って、少年は柔らかい笑みを浮かべた。


「微妙だったかな。まあ、でも」


少年の視線の先、ドアの向こうで(かす)かな足音が聞こえる。


「……ちょ…、どう……の。二人…も、大丈…?」


続いたのは、女性の声。

室内では、外の声ははっきり聞き取れない。


けれどドアに手を掛けて、相手も状況に気づいたようだ。


「つ…に、壊れ……。ごめ…、工具…持っ……」


遠ざかる足音に、少女は若干不安そうな顔を浮かべた。

なんとなく言葉の予想がついている少年は、少女の近くに歩み寄ると手を繋いだ。


「大丈夫だから、座って待ってよう」

「……でも」


少年は先に床に座ると、言葉を濁した少女を促す。

数秒悩んで、少女は彼の隣に腰を下ろした。


二人は手を繋いだまま、ぽつりぽつりと会話を続ける。


「部屋を出たら、ノートを買いに行かないとね。エルは、何色がいい?」

「きれいな、こい青の色」

「そうなの? もっと可愛いのを、選べばいいのに」

「いいの。ユーリのだから」

「……そっか。最初は、なにを書く?」

「ええと、ね――」


部屋のドアが開くまで、あと数分。

白紙に戻った紺青のノートは、今も彼女の部屋の片隅で眠っている。

二人が聞き取れなかった言葉。

『……ちょっと、どうしたの。二人とも、大丈夫?』

『ついに壊れたか。ごめん、工具を持ってくる』

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