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永遠のクオリア  作者: 三嶋 亜未
Chapter 1 彼が世界から消えた理由
5/7

5. 全ては忘却の中に

「またね、エル」


最後にそう伝えれば、少女は(いま)だに涙の跡が滲む大きな瞳を一杯に見開いた。

数秒の後、彼女の姿は最初から其処(そこ)になかったかと思う程、あっさり消え去ってしまう。


――その余韻すら、残さずに。


会話の途中から、エルの姿が徐々に透き通っているのは気づいていた。

彼女にとって、此処(ここ)での出来事は夢として処理されるのだろう。


体は現実に置いたまま、意識だけで迷い込んだようだった。


「……痛いなぁ」


自分の手首に視線を落とし、僕は呟いた。

先程まで触れていた彼女の手の感覚が、頭から消えてくれない。


痛むのは、体ではなく心の方だ。


君が望むならまた会える、とエルには伝えたけれど。

それは半ば自分の願望を写した言葉だろうと、諦めの悪さに苦笑するしかない。


読みかけの本の続きを今更見る気にもならず、指先で描いた魔術式で地面に置かれた本を消す。

以前であれば杖という媒介が必要であった物体移動系の魔術も、此処に来てからは身一つでも簡単に使えるようになった。


それは、僕が世界の一部になったことも原因なのだろう。


溜息を零した僕の肩に、周囲を飛んでいた白い小鳥がとまった。

解除キーを唱えればそれが手紙に姿を変えることは知っているが、今はそんな気も起こらない。

左手の人差し指を肩の前に出せば、その先端を数度(つい)ばんでから小鳥は指先に移動した。


「分かってはいたけど、(こた)えるものだね」


当然、目前の小鳥はなにも答えない。


彼女と会うのは、実に一年ぶりだろうか。

時間の感覚が曖昧なこの空間では、正確な日時を計る術は無い。


久しぶりの彼女は、なにも変わらなかった。

けれど、全てが変わってしまった。


当然だろう、今のエルにとって自分は見知らぬ男性(・・・・・・)なのだから。

記憶と変わらない声で紡がれるのは、どこか距離のある硬い言葉。


覚悟していたとはいえ、なにも感じないはずはない。


彼女の記憶に、僕は存在しないはずだ。

けれど、先程まで目前に居たエルは涙を零した。


『やっと……。っ、会えた……』


無意識だろう彼女の言葉に、一瞬浮かんだのは歓喜と絶望。

すぐに冷静になって、心臓が凍り付くかと思った。もちろん、比喩表現として。


『……忘却(リスィ)


僕の短い呟きを、彼女は覚えていないだろう。

全てを忘れる、そのための魔術だ。


エルが僕を思い出す時、それは彼女を時空の狭間(このばしょ)に縛り付けてしまうことを意味している。


僕の存在が彼女の中に残っていたのは、偶然か。

それとも僕に対する、世界の憐憫だったのだろうか。


自らの手で可能性を消した今となっては、それすら分からない。


茫然とした表情で僕を見る彼女が、脳裏から消えない。

その瞳に浮かぶ涙は、いつの間にか止まっていた。


――時間切れ(タイムオーバー)は、呆気ない。


白い鳥が、星空に羽搏く。

あの手紙の受取り相手は僕が指定されているはずなので、きっと周囲を飛び回るだけだろう。


勇者と共に魔王を倒した、あの日。

僕が使った魔術は成功したとも言えるし、失敗だったとも言える。


最も正確な表現をするのならば、発動したはずの魔術としては完全に失敗したが目的を達成するという意味においては成功だった。


僕は背後の大樹に歩み寄って、樹皮に額をつけて目を閉じる。


あの日王都を押し潰そうとしていた、災厄の月の発生自体を消し去ることは不可能だった。

実際に遡って分かったのだが、あれは世界に対する呪いの一種だ。


ただエネルギーの指向性を操作して、時空間の狭間――つまり、此処に閉じ込めることは成功した。

それを繋ぎ止める(くさび)として、今の僕は存在している。


今自分が触れている、月の成れ果て(・・・・・・)である大樹に意識を移す。

不安定に渦巻く力は今のところ内部で完結しているようだ。


額を放して、木の幹に背を預けて座り込む。

瞳を閉ざせば、浮かぶのは先程別れた彼女の姿。


エルの幸福を願うのであれば、彼女はもう此処に来るべきではない。

けれど、自分の口から出たのは完全に別の言葉。


目を瞑ったまま意識を手放し、風に乗せた。

大樹の根元で崩れ落ちる自分の体を、客観的に認識する。


ふと捉えた白い小鳥の視界を借りて、僕は遥か上空にある現実との境界へ羽搏いた。

世界と同化した影響か、肉体的制約や空間条件は今の僕にあまり意味を成さないようだ。


無事に目覚めた彼女の姿だけ確認をしたら……少し、眠ろう。

そう思っていたというのに。


「……まさか。いや、なぜ今になって」


浮かんだ光景に、思考が止まった。

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