残夏初秋
夏が去るのを拒むかのように、暑さは街にとどまっていた。
街路樹の下を歩くと、緑の力強い青い匂いが、むっとするような空気とともにまとわりついてくる。
もう9月も終わりだというのに、南の王国にほど近いこの街はまだまだ涼しさとは無縁だった。
「ああ、冬が恋しい……」
美威はさして深くも考えずに、そう呟いていた。
この残暑にももう飽きた。
つん、と鼻が痛くなるくらいの冷たい空気が恋しい。
「それで、冬が来れば夏が恋しくなるのか?」
独り言にいちいちもっともなツッコミを入れないで欲しい、と美威は思う。
隣を歩く相棒を軽く睨んで、軽く口を尖らせた。
「そうよ悪い? 今日は絶対に空調完備の宿に泊まるからね! 熱帯夜の野宿はもう結構!」
「それは勝手にすればいいけど……もう秋は近いと思うんだけどな、私は」
ついー、と目の前を飛んでいったトンボを指さして、飛那姫が言う。
トンボよりももっと秋を感じられる何かが欲しいと、美威は切実に思うところだ。
「梨とか柿とかリンゴとか、期間限定のかぼちゃスイーツとかが出てこなきゃ、秋じゃないよ」
「ああ……そういう秋ね」
秋を感じるのは食いもんオンリーか……風情も何もあったもんじゃないな、とため息をついた飛那姫は、ふと何かに気付いたように足を止めた。
1件の店先。
仕立屋だろうか、店頭には色とりどりの布が下げられている。
ふわりと風になびいたそのうちの1つに、飛那姫の視線は止まった。
濃い桜色の布。
飛那姫は吸い寄せられるように、それに手を伸ばした。
少し厚手の、それでいてなめらかで軽い、絹の入ったような感触。
記憶の中の生地と、とてもよく似ていた。
「飛那ちゃん? その布がどうかした?」
「……収穫祭」
飛那姫の故郷、東の紗里真では毎年10月に収穫祭があった。
収穫祭にはいつも、こんな濃い桜色の布で作った着物を着た。
父王や兄と城下町のお祭りを見て回ったり、農村の見学に連れて行ってもらったこともある。
何の不自由もなく、家族が笑っていて、みんながいて、楽しかった頃の記憶。
もうあれから5年経つのに。
ふとしたことからわき上がった城での思い出に、飛那姫は苦い思いで蓋をした。
懐かしくないと言えば嘘になる。
もう平気になった?
それも嘘だ。
でも、今は隣に並んでくれる人がいる。
飛那姫は後ろで怪訝な顔をしている美威を振り返った。
こういう心細くなる瞬間に、この食い意地の張った相棒がいてくれて良かったと、じんわり思う。
「ね、その布買うの?」
「いや」
少しだけ笑って、飛那姫は布から手を離した。
「必要ない」
歩き出した後ろを、何よぅ、という声が追いかけてくる。
「そういえば、さっきあっちの方に屋台街があるって案内板があったぞ」
「ええっ、本当?! もう、それを早く言ってよねっ」
暑さを忘れたか、スキップしそうな軽い足取りで自分を追い越した美威に、飛那姫は口元を緩めた。
腹ごしらえの後は、今日の宿を探さなくちゃならないだろう。
5日ぶりに野宿から解放されるのは、飛那姫とて歓迎だった。
「あんまり急ぐと転ぶぞー」
のんびりとそう声をかけ、ふと上を見上げる。
雲が高くなってきた空には、赤いトンボが何匹も飛んでいた。
『没落の王女』番外編でした。