プロローグⅢ
彼の世界は一変していた。誰か、たった一人でも自分という存在を肯定してくれる人がいる。それが幸せであり、宙に浮かぶと錯覚するほどの充足感を与えてくれることを知った。
ましてその相手が自分にとって、掛け替えのないと思える相手であれば尚更だった。
目に映る景色が違って、耳に聞こえる鳥の囀りが違って、吸う空気さえ違って。
世界がこんなにも色付き、希望に溢れているモノなのだと、理解出来た。
彼女が住まい、肯定する世界が大切なモノだと思えた。
だから。
それを護るために自分はいるのだと、彼女の住まう世界を護るためにこの拳の価値はあるのだと心底から思えた。
思えたから。
「嘘だろ?」
何で、そんな素晴らしさを知ってしまったのか。
知らずにいれば、世界に無関心でいられれば、世界は自分の敵だと思えていれば。
こんな絶望を知らずにいられたのに。
「嘘じゃない」
男が言う。自分より一回り年上の男は、悔しさに全身を振るわせ、それでも血を吐くように告げてきた。
「嘘だ」
真実は分かり切っている。
それでも否定したかった、否定せずにはいられなかった。
「嘘だって言え!!」
怒りに任せて掴みかかる。目の前の男は他にもいる大勢の大人の中では、唯一自分を頭ごなしに否定をしなかった人物だった。堅物な所はあっても、少なくとも率先して嫌う相手ではなかった。だが仮に男を殺すことで、今伝えられた真実が覆るようであれば迷わずに実行するつもりだった。それどころか、自分を含めた全ての人類の命に対しても同じコトを行えたであろう。
「嘘じゃないんだ」
男がもう一度呟く。自身にも言い聞かせるように。
もはや噛みつく力さえ出てこない。膝を折り地面に突っ伏した。今までボロボロにされて倒れることはあっても、心までは折れることは決してなかった。生まれて初めて絶望という言葉の意味を体感した。
「彼女の命は残りわずかだ。長くて、あと一週間ほどだろう」
男の言葉は、天啓の如く、どうしようもないくらいに確定的だった。