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大人と子供

 両親の死から葬儀が終わるまであっという間だった。

 葬儀――父の同僚だという神宮司雅人が一手に引き受けてくれた――が終わった翌日、慶太からの指示に従い優斗は自室で身の回りのモノを整理していた。

 小一時間ほどで作業は終わり、あとは連絡が来るのを待つだけになる。手持無沙汰になったので、リビングに移動してテレビをつけてみる。売り出し中のアイドルがニコニコと笑顔を浮かべて、新発売のCDの宣伝をしている。何とかという政治家が、難しい話をしている。明日最終回のドラマの特集をしている。

 何も変わらない日常を、流し続けている。

 それ以上、見る気も起きず、テレビの電源を切ると、見計らうようにインターホンが鳴った。ノロノロとした動作で玄関まで行くと、自分とそう年の変わらないように見える赤毛の少女が立っていた。

「皆川優斗君?」

「あ、はい」

「迎えに来ました。私は橘皐月、よろしくね」

 言って手を差し出してくる。おずおずと差し出された手を握ると、少し痛い位の力で握り返された。

「あの、父と母の葬儀に来てくれていましたか?」

「あ……うん」

ほんの数日前の記憶。声を押し殺すように、肩を震わせて泣いていた少女は優斗の印象に強く残っていた、

「その……ありがとうございました」

 何のための礼か。両親の死を悼んでくれたことだろうが、それだけではない気もする。それが何かは分からないが。

「荷物はそれだけ?」

 優斗の持つ荷物。当面の着替えを含めた身の回りのモノ。それらを集めてもカバン一つに収まる程度だった。

「はい、これだけです」

「うん、じゃあ行こうか」

 そう言って皐月が指し示す先には一台の車がある。普通の一般車ではない、濃い緑色のワゴン車。その助手席には渚慶太の姿がある。

 渚慶太と会うのはあの日以来となる。別れ際に「落ち着いたらこちらから連絡する」と言ったきり葬儀にも顔を見せることはなかったし、実際に連絡を入れたのも別の男からだった。

「荷物はそれだけか?」

 後部座席に皐月と並んで座った優斗に、振り返ることなく慶太から言葉が放られる。

「はい」

「そうか」

 短い会話。

「じゃあ行くぜ~」

 気の抜けた声で運転席の男(多分、電話をしてきた人物だ)が告げて、ゆっくりと車が進み始める。

「ああ、自己紹介がまだだったな。俺ぁ門崎響也だ。よろしくな」

「よろしくお願いします」

「まあ、あんまり長い付き合いにはならないと思うけどな。ていうか、その方がいいし」

 含むような言葉に、優斗はこれまで考えていなかったことを思い出す。

 荒唐無稽な馬鹿馬鹿しい話を。


「あいつら。お前から見て、あれは何に見えた?」


「何に見えた、って」


 怪物。悪魔。モンスター。そんな、あまりにも陳腐な、現実にはあり得ない言葉が浮かんでは消えて、また浮かんでくる。だが、そんな「あり得ないもの」の存在を口にすることが出来ない。


「それが、正解だ」


慶太が言った。

「人ならざる存在、人を喰らう獣。人類の天敵。悪意をその身に取り込み変わり果てた人」

聞き捨てならない説明の一文。


「人……あれが、人間ですか?」


「ああ。全部じゃないが人間もいる。『元』がつくがな」


「でも、どうして、あんな……」


「いるのさ。根源が。人を人でなくす、邪悪な存在。人の心を、肉体を、尊厳を。犯して、喰らって、嬲る、そんな存在がな」


「そんなの、聞いたことないですよ。そんなの、いるわけがない」


「聞いたことなかろうが何だろうが、お前は見たはずだろ?手前くらいは手前のことを信じろ。お前が見たものは、紛れもない現実だよ」


「…………あれは、何なんですか」


「化物。侵略者。悪魔。怪物。魔なるもの、【魔獣】って呼び方が一番有名だろうが、まあ、それはどうでもいいか。お前にとっての問題は、奴らの呼び方じゃねえ」


「僕の問題?」


「ああ。実際に見たお前には分かるだろう?【魔獣】は明らかに人とは逸脱した姿形をしている。普通の人間が、聞いたこともない、いるわけのない姿形。お偉い学者連中に言わせると、地球の生物史、進化の系譜にはない生物体系。そんな存在が、何で生まれる。自然発生でないとしたら、それは意図的に生まれたっていうのが正しい……そうだ」


「意図的……ですか」


「ああ。それが、俺達の最大の敵、全ての根源たる【魔王】だ。かつては十二体、今は七体。どいつもこいつも、その存在だけで害悪を俺達に撒き散らす、最低最悪の存在さ。そして、師匠……お前の親父や、お袋さんを殺した【魔獣】は、その【魔王】に近しい存在だろうよ」


「【魔王】」


「そいつらから、お前を護る。それが俺の仕事だ」


 本当に馬鹿馬鹿しい話だ。

 侵略者?化け物?それと戦う正義の味方?

 年齢が二桁に変わる頃から、アニメや漫画から離れていった優斗からすればあまりにも荒唐無稽で、くだらないと一蹴したくなる話。

 だけれど。

 現実を見てしまった。

 一週間前に見た「アレ」

 異形なる姿。

 確かにあれは……怪物だった。

 そしてそれを遥かに上回る恐ろしい存在が自分を狙っている……。

「大丈夫、優斗君?顔色が悪いみたいだけど」

 不意に声をかけられ、伏せていた顔を上げる。視界に広がる皐月の顔。鼻孔をくすぐる妙に甘い香りに、驚きよりも照れが優先されて「何でもないです!」と裏返った声が出てしまった。何事かと言わんばかりに慶太が首だけ後ろを向けてくる。

「どうした?」

「いえ、別に……」

「そうか」

 まるで興味の無いと言わんばかりの口調。それに腹を立てたわけではないが、しかしどこか無関心とさえ言える渚慶太の態度は気分の良いモノではなかった。

 自然、慶太と同じく、優斗も相手とは逆の方向、車内から見える街並みに目をやる。ちょうど市街地に入ったあたりで、ビルに囲まれた街並みが目に入る。同じように、日常を謳歌する大勢の人たちの姿も。

昨日と同じ今日、今日と同じ明日、明日と同じその先の未来。それが決して確定したものでないことを知らず、その尊さの価値に気づいていない人々。

 つい前までは自分もあちら側だったはずなのに。

【魔獣】と呼ばれる人ならざる存在を知り、その存在が自分の命を狙っている。

『そいつらから、お前を護る。それが俺の仕事だ』

 不意によぎったのは慶太の言葉。

 彼は確かにそう言った。

 だがどうやって?

 相手は肉食獣のように巨大で俊敏な怪物。

 対して渚慶太……彼はどう見ても人間だった。確かにその肉体はまるでアスリートのように鍛えられたようのモノであろうが、それでも人間だ。そして人間である以上、壁はある。どんなに鍛えても人は虎より速く走れないし、鮫より速く泳げないし、ましてや鳥のように飛ぶことは出来ない。

「あの……渚さん」

「何だ?」

「渚さんは……」

 どうやって僕を護るって言うんですか?そう問いかけようとして、しかし言葉は中断される。

有り得ないことではないのだ。

だが、まさかこの数日の間に二度も、自分が乗っている車が強制的に横転させられるなどと予想出来ない事態である。



門崎響也には三つの趣味がある。

一つは自分の仕事とも密接に触れ合っている銃器の収集であり、もう一つは友人の影響で集めている古い漫画本の収集、そして最後の一つが車であった。特に今回購入した車は自衛隊の友人から購入したもので、見た目こそ通常の車両と変わらないが、中身はあちこちを違法寸前――部分によっては、逸脱させた――まで弄繰り回した特注車である。借金までして購入してから半年、宝を扱うように丁寧に手入れをしていたのだが。

「がああああああ!何てこったぁぁぁぁぁ!」

 叫んだ。反転し、無惨なまでに全身を歪ませた愛車の姿に響也は涙目になる。

「まだ三十回分は支払いがあるんだぞ……!」

「そんなこと言っている場合じゃないでしょう!」

 叫ぶ。愛車の残骸、その影。皆川優斗を抱きしめるようにして地面に伏せる皐月の言葉は冷酷だった。そんなこと?なんでそんな酷いことを言えるんだよ!

「くそったれがぁ……!」

 恨み骨髄と言わんばかりに、響也は空を見る。

 彼は確信している、この状況の元凶、その居場所を。


 空を舞う時、その胸を満たすのは例えようのない征服感であった。

 地べたを這いずる多くの人、それを見下ろすたびに自らが特別な存在であることを認識出来る。倍ほどの長さに伸びた腕、その腕から生える羽。蝙蝠と人の中間の自らの姿を、決して好んではいない、むしろ嫌っていると言っても良い。だがこの麻薬のように浸透した高ぶる感情は、それを越えて余りある。

 今だってそうだ。

 この姿が与えるのは自由に舞う翼だけでない。車一台を容易にはじき飛ばす力、はるか下方の人間を容易に捕らえる目、その全ては自らが人を越えた存在であると認識させてくれる。

(さて……)

 そうして彼は見定める。

 狙うべき標的。聞いた話では十三歳の少年だという。与えられた命令はその少年を攫うこと。手足の一本が無くなろうと構わないそうだ。そして彼の目は数十m下にいる少年……この姿に怯えきった表情を見せている少年を捕らえる。そのすぐ側には護衛であろう少女、少し離れた所で、自分に怒りに満ちた視線を向けてくる男を認識する。

 …………おかしい。

 護衛にはもう一人いると聞いた。要注意人物として伝えられる、この業界の最有名人。その話の殆どが眉唾物……あいつらの、マッチポンプだというのが、彼を含めた多くの同類の結論であったが、それでも警戒を怠ってはいけない相手。まだあのスクラップ同然の車内に残っているのだろうか?だとすれば無残な肉塊になっているだろう。そんなことを考えた瞬間であった。

「どこを見ているんだよ」

 声が聞こえて、同時に岩か何かを思わせる固い物体が、彼の背中に衝突した。

「ガぁアアァつ!?」

「飛行型か、珍しいな」

 その口調は、内容とは裏腹に一切の興味がない。せいぜい「少しばかり大きめの猫がいる」程度の感想と同じ色合いしかない。

 落ちていく、空から陸へ。

「甘く見るなよ。空は飛べねえが……まあ、これ位はな」

 彼には分からない。その背に乗る男――渚慶太が、襲撃の瞬間、正確には襲撃寸前に車から飛び出し、同時に高さ数十mのビルを数瞬の間に、垂直に駆け上がっていたことなど。

 落ちていく、彼にとっての聖域から唾棄すべき凡俗の空間へ。

「それでもこいつは、面倒だ。ちょいと取り除かせて貰うぜ」

 ついで襲い掛かる耐え難き苦痛。何とか姿勢を保とうと努力することさえも不可能になる。

 落ちていく、人でなくなった彼は、その何よりもの証である翼を持つ腕を力任せに千切られ、次いで命を奪うに充分な衝撃が与えられた。


「うあああっ……」

 悲鳴さえあげられない。それくらいの惨状が目の前にひろがる。

 全身を鉛に思わせる銀色に染めた人型の……両腕を千切られ事切れた怪物、その体を踏みつける、人の姿をした何か。

「おい、慶太!てめえ、襲撃されるって読んでやがったな!」

 響也の怒り狂った声に、ようやく優斗はその人物が渚慶太で、自称父の弟子であり、自分を護ると公言した男であることを思い出し。

 それが文字通り、怪物を殺し尽くす力……純粋なる暴力を有することを認識した。

「マサカ、ソンナワケネエダロウガ」

「何で片言なんだよ!あの車、元々のだって生産中止になってるレアものなんだぞ!?」

「ご愁傷様」

「他人事かよ!?」

「それよりも、おい皐月!」

 食ってかかる響也を無視し、声をかけてくる。

「騒がしくなる前にさっさと行くぞ。優斗を連れて行け」

「了解、さあ行こう、優斗君」

 皐月が手を引っ張る。それは最初の握手の時に比べると優しく、現実を実感させる温もりを感じさせたが、それに思いを馳せる余裕など優斗にはなかった。


「一番手前の部屋がお前の部屋だ」

「あ……はい」

 案内された優斗の部屋。家賃が高いことだけは分かる高層マンション。入口からリビングまで、意外なほどに綺麗にされており、宛われた優斗の部屋も同様であった。ベッドやタンス、机に本棚、どれも新品の匂いがする家具が、センスのあるコーディネートで設置されている。

「必要なモノは一式揃えてはあるが、足りないモノがあれば言え」

 そっけない口調。ほんの数十分前、一体の怪物を仕留めた疲れなどは見られない。

「あの……」

「何だ」

「さっきの……何なんですか?」

「二度目だろうが、見たのは。あれが【魔獣】、俺達の敵だ」

「いや、それじゃなくて……さっきの渚さんの……なんて言うか……」

「ああ。大したことじゃねえ。ビルの壁を駆け上がっただけだ」

「駆け……?」

「誰にだってその気になれば出来る、そこの二人だって」

「あんな一瞬じゃ無理よ……」

「それにビルの屋上から、あの【魔獣】までの距離も相当あっただろうが……」

 澱んだ目の皐月と響也に、慶太は眉を顰める。

「出来る奴はいる……」

「……あなたは何なんですか?」

「正義の味方じゃ不足か?」

 僅かに。ほんの僅かに口元を歪ませる慶太の顔は決して「正義」を口にする人間の顔ではない。少なくとも皆川優斗という、十三歳の少年の常識内では。

「知りたいなら、覚悟がいるが、今は忘れろ。お前は余計なことは考えるな。どれくらいかかるかは分からないが、お前が元通りの生活に戻るのに時間はそうかからねえ」

「戻れませんよ」

 両親が死んだ。

 怪物がいて、自分を狙っている。

それが自分の現実。

それを知って元通りの生活になど戻れるわけがない。

「戻れるさ、きっと」

それだけで話は終わりとでも言いたげに慶太は背を向ける。その背を見続けていた優斗の両肩を皐月がそっと叩く。


「それにしても、お前さんも随分と大見得切ったなぁ」

 いつの間に持ち込んだのか。箱買いをしたビールを美味そうに飲みながら、響也がケラケラと笑う。それに対して慶太の飲むペースは遅いのは下戸だからというわけではない。単に酒の味を美味いと思わないだけだ。

「別に大見得でもねえ。事実だ」

「相手が【魔王】でもか?」

「だとしたら好都合だ。奴らはここ何年か姿を見せてないからな」

「怖いねえ、優斗は餌代わりか?……冗談だよ、そんな怖い顔して睨み付けないでくれ」

 慶太から顔を逸らし、半分ほど残っていた缶ビールを空にする。

「でも大事な護衛対象だって言うなら、優斗ともうちょっと話したらどうだ?積もる話だってあるだろう?」

「ねえよ」

「だとしてもちょっとばかり冷たすぎねえか?」

「普通だ」

「…………どうせこの件が終わったら記憶の隠蔽処理を施すから、か?」

「喋りすぎだぜ、門崎」

「そいつぁ失礼」

 悪びれた様子もなく響也は本日四本目の缶ビールを開ける。慶太も再びチビチビと飲み始める。

「酒臭っ」

 ポツリと呟くのは皐月である。上下赤色のジャージ。色気も何もない湯上がり姿だった。

「おう皐月嬢ちゃん、一杯どうだい?」

「仕事中です、いりません」

「そいつは助かるぜ。嬢ちゃんの酒乱っぷりは俺の手には余る」

「なっ……!」

「そんなに酷いのか?」

「ああ、慶太は知らないんだっけ?嬢ちゃんの二十歳の誕生日にさ、何人かで飲みに行ったんだけど、いやヒデえの何のって……人をからかって命落としかけるとは思わなかった」

「ちょ……門崎さん!」

「その愚痴の内容なんかよ、こりゃまた初々しいというか」

 言いかけて、響也の言葉が止まる。視界一杯に広がる皐月の足。その隙間から見える殺気だった女の目。

「…………黙れ」

「…………はい」

 足を降ろし、そうして今度は慶太に視線を向ける。

「優斗君は?」

「寝たみたいだな」

 慶太の視線の先。優斗の寝室。

「優斗君と話しはしたの?」

「お前までそれかよ」

「だって優斗君だって色々気持ちを整理しなきゃいけないでしょ?少し位気晴らしっていうか、心を落ち着かせるためにもさ」

「俺と話したって落ち着くも何も無いだろうが」

「そんなことないよ!慶太は皆川先生の弟子でしょ?色々話すことだって」

「ねえ……よっ!」

 立ち上がり、ペチリと皐月の額を叩く。

「飲み過ぎた、もう寝る。部屋は好きなのを使ってくれ」

「ちょ……慶太!」

 慶太は言葉を聞かない。そのまま自室に引っ込んでしまう。

「ったく……!あの頑固者!」

 忌々しげに手近にあった缶に残ったビールを流し込む。苦いだけで、美味しいとは思えないのだが、それでも飲みきる。

「あ、嬢ちゃん」

「……何です?」

「それ、慶太の飲みかけ。間接キスだな」

 空き缶と、響也の額が衝突する小気味よい音が響き渡った。


 カコーン、と小気味よい音を耳にしたが、また響也が皐月の癇に触ることを口にしたのだろうと思い追求はしない。

 見慣れた天井。壁の向こう側に師の息子が寝ているのは不思議な気持ちではある。

 慶太の胸の内にあるのは、一つの決意と謝罪。

 多分誰一人望まないであろう自分の決断、満足するのは自分だけ。

 それでもやらずにはいられない。

「師匠、スンマセン」

 今はいない師に謝る。

 無論、それに返答などは無かったが。


 眼前に並べられている幾枚の皿。その中で一番手近にある皿に載っているオムレツにフォークを差し込むと、食欲をそそる玉子とケチャップの匂いが明日那の鼻孔を擽る。まずは一口、優雅な動作で口に運ぶと彼女の期待を裏切らない豊かな味が口内にひろがっていく。

「お味はいかがでしょうか、オーナー?先月とは違う塩を使っているのですけど」

「うん、なかなかだ。これなら新メニューとして出しても問題ない」

 明日那の言葉に、顎髭を蓄えた料理長が緊張感を解く。

【戦士団】が経営する都内のシティホテル、その施設内にあるレストランのオーナーである明日那は時折、こうしてメニューの味見をする。それは明日那にとっての娯楽であり、数ある趣味の一つでもあった。

「朝から美味しい物を食べる、これはとんでもない贅沢だけど残念だ、こんな緊迫した場での食事じゃ味が半減する」

「そいつは悪かったな、オーナー殿」

 明日那の真後ろ。音もなく立っている慶太に顔を向けることもない。

「急ぎの用件か?そうでなければ後にしてくれ。私はとても忙しい」

「飯を食っているだけだろうが……」

「食事は大事だろう」

「なら食いながらでもいいから聞いてもらうぜ」

 話ながらも明日那の手は止まらない。

「分かった、聞くだけは聞くよ」

「ああ。実は……」

「どうしたんだ?続けてくれ?」

 すっとぼけたような明日那の口調に、慶太は舌打ちする。明日那の背後に立つ慶太、更にその背後には雅人の姿があった。

「どうした渚、俺がいては話せないことか?」

「単に面倒くせえだけだ」

 肩越しに雅人を睨み、無視することに決める。

「優斗に【霊式術】を教えることに決めた、その報告だ」

「へえ」

 ようやく、明日那が慶太に顔を向ける。話に興味を持ったのか、単に食事を終えたからか慶太には分からない。

「何のために?」

「自衛の為だ」

「本当に?」

「それ以外に何があるんだよ」

「戯言も大概にしろよ、渚」

 怒気を隠しもせずに雅人が言葉を投げ付ける。

「貴様の魂胆は見えている。朱鷺也の息子に、親の仇討ちをさせるつもりか」

 慶太は返さない。それが何よりの肯定だった。

「あの子がそれを望んだのか?」

「……いや」

「だろうな。あの子は俺達とは違う。戦う人間でも戦える人間でもない。だとしたらお前が強制したのか」

「まだ優斗には何も言っていない。【霊式術】のことも話していない。全部これからだ」

「ならばその申し出は不可だ。大体、あの子は十三歳、年を取りすぎている」

「俺は十七の時に師匠から教えてもらったぜ」

「お前や門崎は特例だ。本来であれば思考が常識で固まる物心付く前に……」

 ハッと雅人の顔が濁る。

「貴様……わざと敵の襲撃を許したな」

 昨日、優斗を移送中に【魔獣】が慶太たちを襲ったという報告は受けている。だがその報告に雅人は違和感を覚えていたのだ。空戦型とはいえ、敵意を露わにした【魔獣】の襲撃、慶太であれば事前に察知が出来ていたはずだ。さらに慶太であれば、他の人間は勿論、優斗にもばれることなく始末は出来たはずにも拘わらず、そうしなかった理由。もしやと思っていたが、慶太の顔を直接見て、その狙いを確信する。

 怪物さえ越えられる人間の存在を認識させること。

「貴様という奴は……!」

「決断するのは優斗だ。俺だって無理強いはしねえ」

「ふざけるな!例え優斗が望んだとしても、そんなことは許さん!」

「だから決めるのは俺でもあんたでもねえ、優斗だろうが!」

「貴様は自分の言っていることが分かっているのか!?親の敵を討つためと言って、無垢な子供に力を持たせ戦わせるなどと……!」

「なら『学院』はどうだ!あいつよりももっと小さなガキ共を戦わせるために洗脳しているんだろうが!」

「何も知らないクセに知った口を聞くな!『学院』とてあくまで前線に出るか否かは任意だ!強制はしていないし、何より復讐心で剣を持たせるようなことはしていない!そもそも、息子に敵討ちをさせて朱鷺也と美弥子が喜ぶと思っているのか!」

「知ったことか!大体死んだ人間が文句を言うかよ!」

「故人を侮辱するな!」

「今生きている人間の意見を無視するんじゃねえよ!」

「ルールとは護ってこそ価値があるモノだ!朱鷺也も教えたはずだぞ!」

「そのルールが生きている人間の矜持と倫理を護るモノだったら、とも言っていたぞ!」

 睨み合う。ただひたすらに。お互い、目の前の相手と分かり合うことなど出来ないことを分かっている。唯一の調停役であった男も今はいない。

「分かったよ慶太、お前の要求を呑もう」

 上品な仕草で、口周りを拭きながら明日那が告げた。

『なっ……』

 慶太と雅人、二人して唖然としているのはどちらも明日那が慶太の願いを聞き入れると思っていなかったが故であるが。

「その代わり条件が二つある。一つは皆川優斗君個人の意志に任せること。強制も誘導も無しだ」

「……最初からそのつもりだ」

「もう一つ。慶太、お前戻ってこいよ」

「……どこにだよ」

「うちだよ、【鳳戦士団】にさ」

 気軽な口調だが、譲らぬと言う力が込められている。

「正直言って私は皆川優斗君にさほど興味はない。朱鷺也さんと美弥子さんの忘れ形見ではあるが、だからといって二人のように過度な肩入れをするつもりはない」

 その言葉に雅人が眉を顰める。痛い所をつかれた顔であった。

「だけど慶太、お前の存在はそうじゃない。味方に対しても敵に対してもお前の影響は大きい。そんなお前がうちに出戻ってくれれば色々と好都合なんだよ」

「俺は動物園のパンダか」

「自覚があるならもう少し愛想良くしてほしいけどね。で、どうする?安心しなよ、三年前と違って私もそれなりに政治力を身につけてね。フリーランスの狩人から組織に所属する戦士になる、という一点が変わるだけで、他はこれまで通り。お前は今まで通りにこちらが渡した情報に従って狩り続けてくれればいい」

「その結果を戦士団の戦果として宣伝するってか?」

「何だ、不服か?名誉とか、そんなもののために戦っている訳じゃないだろう?」

 皮肉……とは言えない。だが僅かな邪気を込めた言葉。

 実際その通りではあるから反論する気もないし、明日那の申し出は予測通りだった。それにどう応えるかも含めて。だが即答をしなかったのは彼の中に僅かに残る幼稚な精神、駄々とも言える小さな意地であった。

「分かった、そっちの方は任せる。好きにしてくれ」

「ん、好きにするよ」

 話は終わりだった。部屋を出ようとする。雅人が鋭い視線を送っていたが無視した。どのみち二人の間で真っ当な会話は成り立たない。

「おい、何処に行くんだ?」

「皐月たちを下で待たせているんだよ」

「ああ、さっき展望レストランに案内したよ。今頃は食事を楽しんでいるはずだ」

「じゃあそこに行くんだよ」

「だから待て、まだ話があるんだ」

「話?」

「いや、話じゃないな。【鳳戦士団】に戻ると言うことは私の指揮下に戻ると言うことだから、命令だ」

 ニッコリと。女神の如き微笑みを浮かべて明日那は告げた。


『うっま……い!』

 本当に美味しいモノを食べた時、人間とはこんな顔をするんだ。前菜を口にした皐月と響也の綻ぶ顔を見て優斗はそんな感想を思い、同時に自分はいまどんな顔をしているのだろうと疑問を持ったりもした。

「あ、優斗君、いい笑顔」

「!」

 どうやら二人と似たような顔をしていたらしい。引き締めようと思うが緩んだ表情筋は言うことを聞いてくれない。

「優斗、食っておけ食っておけ!なかなか食えねえぞ、これだけの食事は!」

 掻き込むようにしてスープ、そしてサラダを口に運ぶ響也。隣で皐月が「恥ずかしいなぁ、もう」と頬を赤らめているが、箸を動かす手は止まっていない。周囲の客層……上等なスーツに身を纏う人々と比べれば、外見だけで既に浮いている三人であるが、皐月と響也が気にしているようには見えない。

「お、戻ってきたか」

 山盛りの乗っかっていたクロワッサン(今まで優斗が食べたどんなパンよりも美味しかった)を空にして、薄切りにされた生ハムに手を伸ばそうとした響也が手を振る。レストランの入り口。慶太がそこに立っていた。

「随分と遅かったじゃないか」

 慶太が座って第一声の響也の感想。ここに鳳明日那――偉い人、ということだけ皐月から聞いていた。父の上司でもあったという――に会いに行くと慶太が早朝に宣言し、離れてはいけないということで優斗も一緒に連れてこられた。用事自体は五分で終わると聞いていたが、既に一時間ほど経過していた。

「ああ、少しな」

「で、用件って何だったんだ?」

「野暮用だ」

「野暮用ね……で、その手のそれは、出戻った証ってことか?」

 言われて響也の視線の先にある慶太の手、そこには朝には無かった銀色のリングがあった。

「ご明察通りだよ、ったくあの女」

「俺からすりゃあ羨ましいがね。あの明日那さんに頼られるなんてよ」

「良いように利用されているだけだ。代われるものなら代わってほしいぜ」

 二人の話の意味は優斗には理解出来ない。二人もそれを期待しているわけではないだろうが。

「まあ俺のことはいい、それよりも」

 言って慶太が振り返る。そこには何もない。

「…………ちょっと待っていろ」

 大股歩きで慶太が再びレストランの入り口まで引き返し、戻ってくる。一人ではない。その隣にもう一人の人物を連れてきて。

「皐月、門崎、こいつも今日からチーム入りだ」

「っと……こいつはまた」

 響也が目を丸くする。当然だった。慶太の隣に立つのはどう見ても十代前半と見える少女だったからだ。腰まで伸びた黒い髪と全てを吸い込むような黒い瞳。その瞳に一瞬、優斗は魅入られてしまう。

「去年『学院』をトップの成績で合格したんだと。まだ十四歳だが、優秀だから繰り上げで卒業して実戦に参加している……だとよ」

 十四歳、自分より一個上だ、と何の意味もないことを優斗は思う。

「去年の首席卒業者?」

「ああ。名前はサレナだ」

 サレナ。その名を聞いて一瞬、響也と皐月の二人が目を細める。優斗からすれば初めて見る、猜疑の色。

 最初から最後までサレナは口を開かなかった。


「一体どういうことですか」

 慶太とサレナ、二人が去った部屋で雅人は尋ねる。

「どのこと、ですか?」

「全部ですよ。優斗への訓練を許可したこと、渚への再所属の要請、サレナを渚の下に就けたこと」

「不服ですか?」

「……従いますよ、貴方は私の上司なんだ」

「そんな顔で言われると困ります」

 本当に困ったような顔で言うのだから、雅人としてもそれ以上は言えなくなってしまう。

「まあ先程言った通りですよ。朱鷺也さんの抜けた穴の影響は大きい。それを埋める役として慶太ならばお釣りが来ます。皆川優斗君には申し訳ないけど、その代価となって貰っただけです」

「では皆川優斗に敵討ちをさせることを認めると?」

「あの少年が望むなら、それもいいでしょう。もっとも出来るとは思えませんがね」

 その通りだろう。

 極々普通に育ったあの少年。

 渚慶太や自分のように戦う人間ではなく、父である皆川朱鷺也のように戦える人間でもない。

 戦ってはいけない人間なのだ。

 それを望む人間がいるとしても。

「ではサレナは?」

「あの子の才能を只々放置するのは勿体ない。今のうちに多くの経験をなるべく早めに積ませてあげたいですし、そのためにはあいつの側に置いておく方がいいと判断しました」

「それは理解しています。私が聞きたいのは今、このタイミングで渚に預けたことです。今回の一件が片づいてからでも良かったのでは?」

「あの子のジンクスが優斗君に降りかかるようで心配ですか?」

「……こんな稼業をやっているんです。多少はそういうモノを信じるようになってしまう」

「大丈夫ですよ、根拠は無いですけどね」

 ある種の直感というものだろう。

 そしてそれにケチをつけるには、明日那の直感は鋭すぎるから、雅人はそれ以上は何も言わずに黙るしかなかった、


 部屋について早々。宛われた部屋に戻ろうとして引き止められ、リビングのソファーに座るように言われた。

「話がある」

 慶太の言葉はシンプルだった。正直に言えば、最初に会った時とは全くの別人に思える。

「お前は怪物を見た。そして思わなかったか?俺達があんな怪物とどう戦うのか」

「……はい」

「昨日俺が見せたのは、そのうちの一つだ。【魔獣】を長い間研究している連中もいるし、そのための知識を蓄えているやつらもいる。奴らを殺すために特化した武器を作っている職人もいる。だけどな、あいつらと戦うために、一番古くから使われているのが、俺達自身の力だ」

 昨日見た光景。あれこそ怪物以上に鮮烈な印象が残る。渚慶太が優斗に見せたのは正しく力という存在を具象化したモノだ。権力や財力、人が群れを成し文明を形成して行くに連れて生まれた力。それら一切を無力化する、暴力という名の生物が持つ最古の力。

「昨日も話したけどな、【魔獣】を生みだすのは【魔王】だ。そして【魔王】は人間を【魔獣】へと変貌させる」

「はい」

「人を【魔獣】に変えるのは、奴らにとって朝飯前だ。人には『霊核』っていう人を人として模らせている器官がある。それを【魔王】に掴まれ、弄られ、その結果、人は人の形を維持できなくなると、【魔獣】へと変貌する」

 怪物。

羽根の生えた銀色の生物。

 鉄の肌色をした巨大な四足獣。

 そんな怪物を制した、目の前の人物。

 そこまで思考して、ハッとする。

 慶太がまっすぐに見据えてきた。

「そして俺たちは自分の意思で『霊核』から力を引き出す。人のまま、だが、奴らと戦うために」

 渚慶太の言葉。吐く息一つ一つに圧力が込められている。本人にその気は無くても周囲を圧迫する力。

「最初に言っておく。お前の両親……特にお袋さんはお前がこういうコトに関わることを嫌っていたし、師匠だってこの場にいたら反対するだろう。だけど決めるのはお前だ。その権利があるし、それに連なる義務もある。それらを全て受け止める覚悟があるんだったら」

 握り拳。大きな拳ダコがある手を優斗の前にやる。

「俺が教えてやるよ。この力の使い方を。そしてお前が殴るべき相手をな」


 ベランダにて夜風に当たりながらミネラルウォーターを飲み干す。

「随分とまあ、えぐいことやるねお前も」

 隣に立つ響也の手にはやはり缶ビール。

「反対か?」

「いいや。お前の気持ちも分かるしな」

「俺の気持ち?」

「お前なりの恩返し、のつもりか?皆川先生への」

「馬鹿馬鹿しい。だったらあいつを護るだけで終わらせている」

「そうかい」

 しばしの沈黙。

 二人の間に沈黙の風が流れた時、それを破るのは常に響也だ。

「まあ協力はさせてもらうぜ。どのみち、お前は教師には向かないよ。特殊すぎて」

「期待している。俺はサレナを連れて明日から捜索に入る」

「なあ、そのサレナ嬢ちゃんのことだけどよ」

 窺うように室内を見る。リビングには優斗とサレナ、そして皐月がいる。皐月は必死に子供二人に話しかけてはいるが、優斗はともかくサレナは依然として無表情のままだ。口がきけないわけではないが、最低限のイエス・ノーでしか返してこない。

「聞いているか、あの小さいお嬢ちゃんの噂……」

「噂?俺が知らなきゃいけないことか?」

「……いや。多分、明日那さんがあの子をお前に預けた理由を考えれば、まあ、知ってようが、知らなかろうが、どうでもいいことだろうよ」

 そう言って響也は話を打ち切り部屋に戻る。皐月に一言二言。必要のないことを言ったのだろう。思い切り睨まれていたが内容までは分からない。

 ただ。

 思い出すのは優斗の返答。


「教えてください」


 一言だけだった。

 何かの熱意があるわけでもなく、かといって興味を持つわけでもなく。

 勿論、話を持ちかけたのは慶太だし、望んだ結果を得られて疑問に思うというのもおかしな話だが。

「何を考えているんだか……」

 そんな一言を口にしてみて、自分の行動だって同じように朱鷺也や雅人が困惑したのだろうと思うと少しばかり暗澹たる気持ちになってしまう。

 大人になってしまったのだろうか、と。

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