エピローグⅡ
渚慶太の眠りは浅い。
眠りながら起きている、という表現が正しく、ほんの僅かな異変を感じれば、即座に臨戦態勢を取れる。
そんな浅い眠りの中でも、時折、夢を見る。
そして夢の中でも、意識が覚醒している慶太は、その夢が夢であることを意識する。
「明日美」
と、名を口にする。
愛した女を。
今もなお、愛している女の名を。
自分の記憶と一切違わない女は、変わらぬ笑みを浮かべて、見つめてくる。
しかし慶太は、最初に名を呟くだけで、それ以上の言葉を紡がない。今、目の前にいる女が本物でないと分かっているから。
だから、これは。
多分、気紛れというやつだろう。
「明日美、お前によく似たやつと出会ったぜ」
自分に自信が無くて、ひどく弱くて。
だけど、俺にはない強さを確かにその心に持っている。
「ありゃ卑怯だろ。大したことできない癖に、自分の力以上のことをしようとする。危なっかしくて見てられねえよ」
【清姫】との戦いの後、戦士団に残ると聞いた時は正直呆れた。さっさと記憶を消して、元の生活に戻ればいいのにとも思った。
「だけど、まあ、あいつが自分で決めた道だしな」
自分は今、きっと笑っているのだろう。
明日美の前でだけで浮かべられる笑みで。
夢の中だけで浮かべる、穏やかな笑みで。
『おい慶太!聞こえてんのか、おい!』
緩やかなまどろみから、慶太を引きずり戻したのは響也の声。
「何だよ」
『……お前まさか寝ていたのか』
「一瞬だけな。それで、どうした」
『どうしたってお前こそ……いや、まあいい。お宅のお弟子さん!またやりやがったぞ!』
「ああ、分かった、大体」
それまで待ち伏せていた建物の屋上から飛び降りる。五階建ての建物から、しかし着地の際に一切の音が立たない。
『粘り強いと思ったが真逆だ。辛抱が全然足りないぜ、あいつ』
「物事によるんだろうよ」
正式に慶太の下に優斗、そしてサレナが配置されて二週間。優斗の命令違反はこれで五度目だ。
理由も予想がつく。民間人に被害が出る可能性が1%でもあれば飛び出す。そのサポートと言ってサレナまで付いていく。結果、その尻拭いとして皐月や響也、慶太まで影響するが。
「まあ、いいだろうよ。あいつが起こすミス程度。尻拭いは明日那たちにやらせりゃいい」
『お前はそれでいいだろうけどよ』
響也と話しながら、慶太は繁華街をまっすぐに突っ切る。繁華街の裏道、そこは驚くほどに人の気配がない。まるで別世界、自分の生きる世界だ。
『慶太、お前場所移動しているか?』
繁華街の騒然とした空気が失せたことで、響也から怪訝とした声が返る。手短に、電柱に表記されている住所を伝える。それを聞いた響也の「今、【魔獣】がその方向に向かっている。多分、あと十秒くらいで」と続く言葉を「いや、今、目の前にいる」と遮る。
事実、慶太の目の前には六つ足の獣がいる。犬科の獣のごとく突き出した口の隙間から絶え間なく涎が垂れ流されている。
グルル、と牙の隙間から洩れる呻き声は、天敵に巡り合ったことを自覚していた。
「よう、俺は渚慶太っていう。見ての通り人間だが、お前は?」
返答はまさしく獣の瞬発力による襲撃。
パパパン、と幾つもの風船が破裂したかのような音……敵の爪が触れるよりも素早く、慶太の拳が計十二発、叩きこんだ音が路地に響く。
「まったくよ」
自分の拳は、何も救えない。
かつて人であり、今では獣に堕した存在を、滅ぼすことだけ。
無論、それで残る命があるにしても。
何かを消し去ることでしか、何かを残すことのできない力。
それは、自分のような人間の生き方を変えた、彼女の持つ力とは真逆のモノ。
だが、それでもいい。
手にしてみたいと思う力とは異なれども、この力のおかげで彼女の願いを叶えることができる。
だから、それでいい。
己の未来、その終着点はきっと碌でもないもので。
だけど、代わりに彼女の愛した世界が、人としての営みの中、残るのであれば。
それでいい、そう思えるのが渚慶太の意思だった。
【魔獣】が吠える、痛みを怒りに塗り替え、再度慶太に襲い掛かってくる。
そして、渚慶太は。
己の拳を繰り出す。




