プロローグⅥ
二人が寝床として選んだのは、小さいがまだ建築して間もないビジネスホテルで、そこを選んだのは彼女だった。
「もっといいホテルはあると思うぜ」
という彼の言葉に
「でも、この建物、可愛いから」
と言われたら返す言葉は無い。別段、可愛らしい作りには思えなかったが、彼女が望むのならばそれでいいだろうと思った。実際、部屋にはまだ新築の香りが残っていて、その面積の割には大きめのベッドで、楽しそうにゴロゴロと転がる少女を見ていれば、ここがどんな高級ホテルよりも素晴らしいものに思えてくるのだから、我ながら現金だと思う。
その小さな部屋が二人の城で、その周囲にある小さな街が二人の領地で、その日からの一週間が二人にとって最後の、蜜月の時だった。
食事をした。
ありふれたジャンクフード、ラーメン、寿司、コーラ、オレンジジュース、ショートケーキ、チョコレートパフェ。部屋に持ち込んで食べたものもあれば、彼女を背負って行った店先で食べたものもある。どれも彼女にとっては初めての食べ物で、どれも全部を食べ切れなかったが、彼女は美味しいと言って笑顔を浮かべた。
買い物をした。
人からもらった金で彼女に物を買うという行為が、あまりにも情けなく感じたが、割り切ることにした。この金の分の借りは、生涯をかけて返すと既に誓っていた。もっとも買ったのは二つだけ。一つは幼児向けのありふれた絵本。もう一つはやはりありふれた、デフォルメ化された、目つきの悪いライオンのぬいぐるみ。
「貴方にそっくり」
そう言って自分とぬいぐるみを見比べてくる。「似てねえ」と仏頂面でそう答えると「ほら、やっぱりそっくり」とさらに笑顔になった。
観光をした。
とは言え、別段観光名所がある町でもないから、行ったのは初詣の時期でなければ人が来ないであろう神社とか、平日の閑散としたデパートとか。だけどその一つ一つを。まるで宝物を見るかのように目を輝かせている少女の横顔は、とても美しかった。
彼女と出会って六日目の夜。
二人は初めて、互いに触れ合った。
元々、彼にその気はなかった。彼にとって少女とは「そういう対象」ではなかった、はずだった。そんなものではない、もっと神聖な、不可侵の存在。最初にあった日からその思いは変わらないはずだったが。
それは欲望だったのだろう。
もう分かっていた。
この七日の間だけでも、もともと色白だった少女の肌はさらに色素を失っていた。食事の量はさらに減っていた。眠る時間が増えて、背中の重みはさらに軽くなっていた。
彼女の命が尽きることを。
彼女と別れねばならぬことを。
怖かったのだ。
彼女がいなくなった後、彼女のことを忘れないでいられるか。今いる彼女をそのまま覚えていられるか。
繋ぎとめたかった。
彼女の思い出を、その感触を、その温もりを、その存在すべてを。
「貴方は、泣き虫だね」
月が雲に隠れている夜。隣の少女は、優しい笑顔でそう言った。その瞳は僅かに涙でぬれていた。
「私ね、幸せだったよ」
「まだだ。まだ、もっと、沢山、幸せになれる。生きてさえいれば。きっと今よりもずっとずっと、幸せになれる、なれるんだ!」
納得がいかなかった。普通の人間が普通に手に入れる事が出来る程度の営みが、彼女にとっての至上の幸せだなんて。彼女はもっと幸せになるべきだ。もっともっと、笑っている時間があるべきだ。
なのに、どうして。
「ねえ、そこに……いる?」
目の前にいる少女の口から洩れた、絶望を告げる言葉は震えていた。
「いる、俺はここにいるぞ。どこにもいかない、俺はここにいる、いつだってお前のそばにいる」
俺のそばにいてくれなんて、傲慢な事は願わない。
ただ生きていてほしい、ただ笑っていてほしい、それだけが望みなのに。
その願いは、叶わない。
「私の、我儘、聞いて……」
その言葉が終えるか否かのタイミングで彼女を抱きしめた。
彼女の言葉を一言一句逃さないように、自分の言葉をしっかり伝えられるように。
涙を流しているのをばれないように。
笑顔を浮かべていると嘘をつけるように。
彼女の口にした我儘という名の願い。
その全てに彼は「分かった」と願いの数だけ返答をした。
そうして、最後に。
彼女は笑顔を浮かべて。
「私、貴方に会えて本当に良かった。私は貴方に会うために生まれて、生きて、この世界にいたんだね」
全ての命を肯定する彼女が最後に口にしたのは。
自身の命を、人生を、その死さえも肯定する言葉だった。




