第34話 バレンタイン当日
バレンタイン当日、俺は張り切っていた。
朝から念入りにメイクをして着飾り、前日にラッピングまで済ませておいたチョコレート菓子を持ち、家を出る。
朝は忙しいかもしれないので、篠崎さんには夜、家に帰る頃にでも渡す事にする。
その日は特に撮影や仕事の予定も無かったが、午前中に美咲さんがいるであろう事務所に行き、まず美咲さんと当たり前のように隣にいた一宮雨莉にチョコチップマフィンを渡した。
美咲さんはかなり喜んでくれて、自分からもと、明らかに高そうなブランド物のチョコを渡された。
一宮雨莉からも、多分数百円前後位のやたら可愛い箱にチョコレートが一粒だけ入った、一目で義理とわかるチョコを渡された。
「それにしても、彼女にこんなに思ってもらえるなんて、いーくんは幸せ者ねえ」
感慨深そうに美咲さんに言われて何かと思えば、最近俺がチョコレート菓子をしょっちゅう作っていたのは全て今日稲葉に渡すチョコのためだと美咲さんは思っていたようだった。
確かに稲葉と付き合っていることになっているすばるが、バレンタインに向けてなんて言いながらチョコレート菓子を連日作っていればそう思うのが自然だろう。
それに、元はと言えば、稲葉がバレンタインには、いかにも本命なチョコが欲しいと言い出したのがきっかけではあるので、あながち間違いともいえない。
「稲葉のリクエストですからね。ちょっと張り切っちゃいました」
「ふふっラブラブねえ」
俺がそれっぽく答えれば、美咲さんも満足そうに頷いた。
それから俺は事務所の他の人にもチョコチップマフィンを配った後、稲葉の一人暮らししているマンションへと向かった。
今日の予定はあらかじめ話し合っているので家にいないはずはないのだが、なぜか稲葉はエントランスのインターフォンを何度も鳴らしてもでなかった。
仕方が無いので稲葉のスマホに電話しても繋がらない。
そうしているうちに、ちょうどマンションから出て来た人がいたので、入れ替わるように中に入って、稲葉の部屋の呼び鈴を鳴らしたが稲葉が出てくる気配は一向になかった。
ドアノブにチョコレート菓子を引っ掛けて、稲葉にその事をメールしておく。
何か急に用事でも入ったのだろうと俺は特に気にせずスマホの時計を見る。
時刻は昼の十二時過ぎを指していた。
優司と優奈との待ち合わせは夕方の六時からだ。
当初は稲葉の家で適当に時間を潰してから待ち合わせ場所に行く予定だったのだが、どうしたものか。
一旦家に帰ろうとした時、俺のスマホに稲葉からの着信があった。
しかし、出ようとした瞬間に切れてしまった。
もう一度こちらから電話をかけてみれば、今度は電話の電源が入っていないという音声が流れた。
もしかしたら今、稲葉は修羅場中なのかもしれない。
と、高校時代、稲葉に電話をかけたら電源が入っていないという音声が流れ、それからしばらく連絡の取れなかった稲葉が後日、自称許婚の女の子(一宮雨莉でもしずくちゃんでもない)に監禁され、スマホが破壊されていたという事を知ったのを思い出した。
……大丈夫だろうか。
しかし、この場合俺にできる事は何も無いし、高校時代数多くの修羅場をなんだかんだ五体満足で切り抜けてきた稲葉なら大丈夫なんじゃないだろうかという気もしてくる。
それに、今そんな事をしそうな人物なんて一人しか考えられない。
また突然稲葉に思いを寄せるエキセントリックな女子が新たに現れた可能性も無くは無いが、多分今回の犯人は十中八九しずくちゃんだろう。
一応美咲さんに連絡した方が良いかとも考えたが、もしかしたら明日には戻ってくるかもしれないし、今下手に事実を伝えて美咲さんが心配しだすと、バレンタインで美咲さんとの甘い時間を過ごそうとしていた一宮雨莉の機嫌を確実に損なう事だろう。
とりあえず明日まで様子をみて、それでも稲葉が帰ってこなかったら美咲さんではなく、一宮雨莉の方に相談するのが一番安全そうではある。
まあ、なんだかんだでしずくちゃんなら特に稲葉に危害を加える事は無いだろう……そう思いながら、ふと俺は彼女にすばるの家が知られている事を思い出した。
俺はすばるの家には帰らず、稲葉のマンションの最寄り駅近辺で昼食を取ることにした。
今迂闊にすばるの家に戻って、何も起こらない保障は無いからだ。
俺は駅前のファーストフード店に入り、ランチセットを注文し席に着いた。
まずは状況を整理しよう。
恐らく稲葉は現在、しずくちゃんに囚われている。
コレは正直放っておいても死にはしないので放置でいいだろう。
次にしずくちゃんの狙いだ。
+プレアデス+のツイッターを頻繁にチェックしているらしいしずくちゃんが、わざわざ今日、バレンタインデーに行動を起したのはそれなりの意味があるはずだ。
恐らくは、バレンタインに向けて気合を入れている、ように見えるすばるの出鼻をくじくつもりなのだろう。
しかし、クリスマスの時にも偽装工作をしていたが、実は一緒に過ごしてはおらず、すばるもその事は気にしていないということをしずくちゃんは知っている。
そんな人物が今更、バレンタインデーに一緒に過ごせなかった位で稲葉を諦めると考えるだろうか、少なくとも腹は立てそうではあるが。
そんな事を考えていると、すぐ後ろから声がかかった。
「おや、そこにいるのは、もしかしてすばるさんですか?」
振り向けば、トレーを持った一真さんが立ってた。




