第124話 何を聞いたの?
八月某日。
とある中華料理店の個室、赤い回転テーブルの上座に座った俺は、とりあえずニコニコと笑顔を作りながらも、予想外に重い空気に戸惑っていた。
なぜ、稲葉もしずくちゃんも緊張した面持ちで先程からほとんど話さないのか。
回転テーブルの上にはツバメの巣やらフカヒレの姿煮等、一目で明らかに高いとわかる料理が並んでいる。
こんな空気でなければ、さぞかし俺のテンションも上がった事だろう。
「えっと、今日は私に話したいことがあるんだよね。まずはそれを聞きたいな」
勤めて笑顔で俺はしずくちゃんと稲葉に話しかける。
というか、なんで二人共今日はこんなに固くなっているんだ?
今回、稲葉は今日すばるの家にしずくちゃんの家の車が迎えに来るまで会ったり連絡を取ったりもしなかったが、もしかしてまた俺の知らないうちにしずくちゃんと何かあったのだろうか。
正直、二人で勝手によろしくやってくれて全く構わないが。
「あのっ、すばるさんは、お兄ちゃんの事……どう思ってますか?」
「随分唐突ね」
意を決したように口を開いたしずくちゃんに、俺は微笑みながら小首を傾げる。
「私は好きです!」
「知ってるわ」
そう答えれば、しずくちゃんはびくりと肩を揺らして黙り込んでしまった。
笑顔で相槌を打ったつもりなのだが、もしかして、逆に怒っているように取られてしまっただろうか。
怯えさせるつもりは無いのだが、どうしたものかと稲葉の方を見れば、気まずそうにたじろいだ。
おい、なんか言えよ。せめてしずくちゃんをフォローするとか……。
などと思いつつ、あんまり沈黙が続くので、料理が冷める前に食べてしまう事にした。
美咲さんはよく色んな料理の店に俺を連れて行ってくれるのだが、その時にもしどこかで恥をかくといけないからと、一宮雨莉と一緒になって食事ついでにテーブルマナーを教えてくれた。
おかげで一通りのテーブルマナーはわかる。
中華料理は上座に座る人間の挨拶などが終るまで料理に手をつけるのはマナー違反とされる。
この場合は俺だろう。
「とりあえず、お料理冷めちゃう前に頂きましょうか」
そう声をかけてナプキンを膝の上に置き、料理を自分の取り皿に取り分ける。
稲葉としずくちゃんはそんな俺の様子を見て静かにナプキンを膝の上に乗せだす。
料理を取り終えてテーブルを回し、左側に座るしずくちゃんに送れば、しずくちゃんも料理を取り出す。
美咲さん達に教わらないと気付かなかったのだが、稲葉もしずくちゃんも、どんな料理でも食事をする時のテーブルマナーが完璧だ。
俺は記憶を辿りながら確かこうだったはず……と食べるのだが、二人はそれを当たり前のように自然にやってのける。
こういう時、本当に二人共育ちが良いんだなと思う。
他の台無し要素が大きすぎて忘れがちではあるが。
美咲さんには、中華料理は親しい人間同士が会話を楽しみながら食事をする事を大切にしている。みたいな事を言われた。
しかし、稲葉が料理を取り終えた今も、この部屋には沈黙が満ちている。
なぜ、こんなにも重い空気なのか。
いくらか食事が進んでも沈黙のままなので、俺は思い切って口を開いた。
「ところで、今日の本題は何かしら? 別れ話?」
笑顔で稲葉に尋ねてみる。
そういう事なら遠慮はいらないどころか、むしろ俺はこの後楽しく食事をして、上機嫌で帰れるのだが。
「違う! そうじゃないんだ!」
しかし、返ってきたのは稲葉の焦ったような否定だったので、俺はなんだ違うのかと心底がっかりした。
「じゃあ、どういう話なの?」
だとしても、このまま沈黙に戻られては困るので、俺は質問を続ける。
「すばる、俺はまだ別れたくない。もう少し猶予をくれないか?」
「ん?」
稲葉は急に真剣な顔になって俺を見る。
主張は前回と同じだが、そこには妙に鬼気迫るものがあった。
「ごめんなさい! すばるさん、私、すばるさんがあんまり優しいものだから、すばるさんに甘え過ぎてしまって……」
「うーんと、話が見えないのだけど……」
俺が首を傾げていると左側から声がして、しずくちゃんが今にも泣きそうな顔をしていた。
「篠崎さんから聞いたんです。そんなにもすばるさんの事追い詰めてたなんて知らなくて……」
「……えっと、一真さんから何を聞いたのかな?」
何してくれてるんだあの人……!
ここ最近の事もあり、俺の中での一真さんへの不信感がハンパない。
一体しずくちゃんに何を吹き込んだというのか。




