5.
PV数が1,000を越えました。ありがたいことです。
1000という数字は馬鹿に出来ない数字です。だって山間の閑村レベルなら住民全員がこの小説を読んでいるということです。つまり、私こそがその閑村の支配者ということなのだよー、な、なんだってー。
という訳で、今からモヒカンの運転するバイクのサイドカーに仁王立ちして赤いマントをたなびかせ、「キ、キングの軍だー」と山間の静かな村を阿鼻叫喚の地獄絵図に作り替えに行ってきます。探さないでください。
「――――ん、んん……」
目蓋の裏で感じた光の気配に、三咲は浅い眠りから目が覚めた。地面に雑魚寝だったので身体の節々が痛む。心地よい目覚めとは到底言えない。彼女はんん~、としなやかに腰を反らして大きく伸びをした。
「ふ、……わふぅ」
小さくあくびをかみ殺す。周囲は朝靄に煙る深い森。異世界(仮)の夜は更けて、正しく3日目の朝を迎えていた。やっぱり夢オチはないらしい、と三咲は寝起きのボンヤリした頭で再確認する。
斜面にぽっかり空いた小さな広場、そこの大岩の根本が彼ら3人の当面の寝床だった。
あたりから比較的乾いた枯れ葉をかき集めてベッド代わりにしたそれはとても快適とは言えない。地面の湿気に服がじっとりと湿っていて気持ちが悪いし、時折身体を這う虫の感触には怖気が走る。三咲は袖口に鼻を寄せ、染み付いた土の匂いに顔を顰めた。
三咲は寝る前に下ろした髪を京都の土産物屋で買った柿渋染めのシュシュで手際よくポニーテールにまとめる。手櫛を通した髪は少し脂じみてきていて、指を通すたびにきしきしと引っかかった。匂いと言えば、もうそろそろ身体から匂う体臭が自分で我慢できる域を逸脱しそうにあり、年頃の女子としては正直食糧難より緊急を要する懸案に思える。今なら風呂と引き換えに宝物である池波○太郎の『真○太平記』全12巻を手放すこともやぶさかではない、と三咲は唸って痒みを覚えた髪の生え際あたりを手で掻いた。
そんな女子の葛藤はつゆ知らず、三咲の隣では朔が身体を丸めて静かな寝息を立てていた。ただ、その綺麗な顔が少し苦しげに眉根を寄せているところを見ると、三咲と同じように寝心地快適とは思っていないようだった。
朔の身体の上には悟のXLサイズのジャケットが掛けられていて、寝息と一緒に規則正しく上下に動いている。そして朔の向こう側で寝ていたはずのジャケットの持ち主の姿はそこになく、落ち葉がぐしゃぐしゃに乱れた跡だけが残っていた。
三咲は立ち上がり、自分が身体に掛けていたブラックのダッフルコートを肩掛けに羽織った。頭の上で、カツ、カツと何かが動く気配がある。彼女は大岩から数歩離れて上を覗く。するとそこには、大岩の上でしゃがみ込み何やら作業をしている悟の姿があった。
「……玉置君……おはよう」
「あ、おはよう黒田さん。よく寝られ……てはいないみたいだね」
「枕が変わると、よく眠れないんだよ」
「枕どころか、布団すらないからなあ」
ぷがあ、と悟は大きな牙の並んだ口を開けてあくびをした。悟の顔にも抜けきらない疲れが滲んで見える。まごうことなきオーク顔でも慣れれば表情は分かるんだな、と三咲は取り留めのないことを考えた。
そして悟に釣られるように、彼女も小さなあくびを漏らした――――
※ ※ ※
「……玉置君、何をしてるの?」
斜面を登り、三咲が悟のいる大岩の上までやって来た。大岩はおおよそ縦に長い長方形で、縦の長さは3m程だろうか。斜面に横から押し込まれるように突き刺さっているので斜面を登れば簡単に岩の上には登ることが出来た。悟はその岩の上、3×3m程度の広さの平らな岩のてっぺんで鼻歌混じりにがさがさと手を動かしていた。三咲が悟の手元を覗き込むと、彼は平べったい石を積み上げて、高さ20~30㎝ほどの石の塔を作っていた。
「……ひとつ詰んでは父のため?」
「いや、賽の河原じゃないんだから」
なんで高校生なのにそう言う時代がかったボケが出るのかな、と悟が呆れ混じりに苦笑する。すると三咲は通じてるんだから問題ないでしょ、と二人の間で何度か交わされた言葉を返した。もう一度何をしてるの?と彼女が聞くと、ちょっとした実験だよと悟は言った。
「実験?」
「そ。実験。これさ。積み石供養じゃなくて、一応日時計のつもりなんだ」
「日時計って、あの棒に刺した影で時間計るヤツだよね」
「そうそう」
三咲の頭の中にいつか写真で見た、花壇で作られた文字盤の真ん中に三角形のモニュメントが突き刺さった日時計のイメージが浮かび上がる。ただそれでどう言う実験をするのか彼女には皆目見当も付かない。三咲が頭に疑問符を浮かべると、悟はその石積み、日時計を指差しながら言った。
「この日時計でさ、1日の時間を計ろうと思うんだ」
悟の指差す先には、日時計から伸びる細い影があった。悟の言う『実験』はこうだった。腕時計で時間を計り、例えば午前7時ちょうどの影の位置を記録しておく。そして次の日、記録した位置に影が到達した時刻を確認するのだ。そうすると
「――――1日2日ならそこまで影の位置に変わりはないはずだから、それで異世界(仮)が1日何時間で回っているかがはっきりするはずだよ?
1日が普通に24時間なら明日同じ場所に影が来た時の時間はおおよそ一緒になる。でももし明日計った時、時間に前後の誤差があったらその分だけ1日の時間が違うことになるよね」
「なんでまた、そんなことを……」
三咲のつぶやきに、なんか微妙に違和感があるんだよねえ、と悟が言った。「違和感?」と三咲がオウム返しに聞くと、彼は自分の左腕に巻かれた腕時計を彼女に見せて「時間が少しおかしいんだよ」と返す。時計は短針は5をわずかに過ぎた辺り、長針は2を指している。現在時刻は5時10分だ。
「今日さ、朝起きて時間を確認したんだけど4時前には夜が明けだしたんだ。気温的には今って春の初めか秋っぽくて、まあドングリ落ちてるぐらいだから秋だと思うんだけど、とにかくそれぐらいでしょ? だとしたらちょっと日の出の時間が早すぎるなあって思って」
「つまり?」
「僕の予想だと、ここって1日の時間が24時間より少しだけ短いんじゃないかな。だから昨日はさほど違和感がなかったけど、2日過ぎて時間差が目に見える範囲になった、とか」
三咲は自分の携帯電話を開いて時間を確認した。携帯のディスプレイには『05:11am』とある。太陽はすでに昇っていて、日時計は大岩の上に黒い影を落としていた。日の出は早いと言えば早いのか?三咲は木の間から差す朝日に目を細めた。
とある家庭の事情で三咲は普段から結構早起きなので悟の言うことは何となく理解できた。確かに彼女の感覚で言えば秋で4時前に夜が明けるのは少々早い気もする……が。
「……それ、時計がおかしくなってるだけじゃないの?」
「さっきみー君の持ってる腕時計と較べたけどどっちも同じ時間を指してた。みー君の時計さ、N○SAの宇宙飛行士御用達の機械式だから、基本宇宙でも狂わないって事になってる」
「あー。あの高そうな腕時計」
「そうそう。オ○ガのスピードマ○ター(※註1)って言うんだけど」
「やっぱり高いんだ?」
「みー君のお爺さんのお下がりなんだけどね」
丸が5つは付くかなあ、と悟が指で輪っかを作って言った。つまりは100,000円以上と言うことだ。そう言えば新見君の家はお金持ちだって学校で聞いたことがあったなあと三咲は思い出す。
「まあ、それはともかく。時計は狂ってないって事?」
「僕の時計だけならその可能性を真っ先に考えたけどね。携帯も含めて全部の時計が同じ時間を指してるんだから、その可能性は低いと思うよ」
「なるほどね」
三咲は自分と話しながら大きな手でちまちまと石を積んでいるクラスメートを改めて見る。悟の言いたいことは分かった。けど、普通1日が24時間だということに疑問なんて持つだろうか。
「……よくもまあ、そんなこと思い付くよね」
「だって、こんな変な場所にいるんだよ?ちょっとしたことでも気になるよ」
「こんな変な場所でそのちょっとしたことに気付くほうがおかしいというか」
「いや、おかしいって言われても……」
宗教上の理由で進化論や地動説を信じない人はいても、1日が24時間であることに多くの人が疑問は抱かない。アーミッシュ(※註2)の人達だってさすがに時計は持っているのだ。数時間おきに昼夜が逆転してるとかならまだしも、体感的によほどの違和感がないのならそもそも疑問にすら思わないだろう。しかし悟はそれをこの非常事態のもとでもしっかりと感じ取り、その僅かな違和感から『1日が24時間ではない』という仮説を組み立て、さらに手持ちの道具でそれを証明できる方法をちゃんと考案している。そう言う意味でこの大柄なクラスメイトの思考の切れ味は結構鋭いと三咲は思う。口に出したように少しおかしいとも思うが。
「まあ、あくまで日本で暮らしてる僕の感覚だから、秋ぐらいの陽気で4時前に夜が明ける場所だって普通にあるんだろうけどね」
三咲の内心はともかく、だから本当に思いつきの実験だよ、と軽い口調で悟は言った。悟自身、自分の仮説に絶対の自信なんて持ってはいないのだ。ただいったん気になると、確かめてみないと気持ちが悪いというか、実際軽い気持ちで石を積み始めただけだったのだ。
「……でもさ。もし24時間じゃなかったらどうするの玉置君」
「? どうするって、どうするの?」
質問に対するひどい質問返しをされた。それに三咲は小さくため息を吐く。
「本当に思いつきだけでやってたんだ……」
「……でも、1日が24時間じゃなくっても、実害はない……よね?」
悟は目を泳がせながら脳内で1日が24時間じゃない場合の不具合をシミュレート。時計が狂うのは不便だが、それ以外に実害は思い至らない。そうだよね?と小首を傾げて三咲を窺う。すると三咲ははあ、と今度は大きなため息をついた。首を傾げる様子が3匹の子豚とか、その手の童話めいて見えて少し可愛いと思ったのは彼女の秘密だ。
「1日が24時間じゃなかったら、大問題でしょう?」
「え? 何か危ないことってある?」
「異世界(仮)から、綺麗さっぱり(仮)が消えるよね……?」
「あ、あれ? そう言うことに、なるの……かな?」
「1日の時間が違うとか、もう地球外確定でしょ」
「……そりゃ、そうなるね」
「そうなるよ」
「……」
「……」
悟がすごく困ったような表情で自分の作った石積みを見て、ぷひ、と鳴くと次に三咲の顔を見た。
「……これ、壊した方がいい?」
「それじゃ本当に賽の河原じゃない。
いいよ、私だって玉置君の仮説は気になるからちゃんと作ろうよ」
この人はいろいろなことに気が付くし頼りになるんだけど、変なところで抜けてるんだなあ、と三咲は思った。切れ味は鋭いけど刃の一部は塩化ビニールで出来ているというか。彼女は「頭はいいけどちょっとヘン」という、悟に対する自分の印象が間違っていないことを確認した。
「……」
「……」
「僕にも、ここが滋○県だって思っていた時期がありました……」
「だから、○賀県関係ないから!! それにまだ(仮)は取れてない!!」
なんだかんだと言いながら、結局三咲も手伝って二人は石の塔を積み上げていく。
そして。だいぶ朝日も昇ったころには大岩の上にどっかの山の山頂かと言わんばかりにそびえ立つ高さ50㎝以上の石積みが出来上がっていて、起きて来た朔に「二人でなんの儀式をしているの?」と不思議がられることになった。
※ ※ ※
「ご飯を食べたら、さっそく水場と食料を探しに行こう」
熾き火からチロチロと小さな火が舌を出している。昨日と同じように焚き火を囲みながら、そう言ったのは無自覚に「異世界なう」と全世界(3人)に発信するところだった悟である。了解、異議なーしとそれぞれ答えるのは三咲と朔。
ちなみに悟の実験については「現実に目を向けなければならない」ということで現在実施中で、午前6時時点での影のところに小石で傷を付け、さらにその上に小さな石積みの目印も作った。実験結果によってはここが地球ではないことが確定する訳だが、「これで時間にずれがあったら、『猿の○星(※註3)』的なオチは否定されるのかなあ?」という悟の言葉に「わたし戦国時代にタイムトリップがいいっていったのに」「ねえ魔法は? 魔法はないのー?」と二人は好き好きなことを言い、とても現実に目を向けている空気ではない。
「で、具体的にはどうする? 昨日も言ったけどわたしアウトドア的な知識はないから言われた通りに動くけど」
言いながら三咲は手に持った木の枝を焚き火にかざしてくるくる回す。枝の先には今日の朝ご飯であるあんパンが1個刺さっている。
「水場を探すなら、まずはこの斜面を下に降りてけばいいと思うよ?」
三咲と同じようにあんパンを火で炙りながら朔。握り拳大のあんパンは表面に焼き色がつき始めていて、周囲にはパンの焼ける甘く香ばしい匂いが漂っていた。
「水は高きから低きに流れる、ってね? 沢を探したかったら山を下りるのが基本だから」
「じゃあ、取りあえずここから下の方角を今日は調べるってことでいいかな? 斜面を下りながら食料や薪を探して、同時に水場も探す、と」
悟は朔の言葉に頷いて、今日の方針についてまとめた。昨日朔が言った『遭難時の心得』で言うところの「下に降りるな」は、遭難するような悪天候時に下手に下に降りると増水した沢に足下掬われるぞ、と言う意味も含んでいる。朔の言うように、水は低きを流れるのだ。
「わたしは異論はないよ?」
「僕もー。今日はベースキャンプから東に向かって調べるってことだよね」
「……東って、新見君方角が分かるの?」
「ふぇ? だってお日様あっちから出てるでしょ?」
朔は三咲の問いにあんパンの刺さった枝を太陽に向けて答えた。彼らのいる斜面は下生えの茂みまで朝日を受けて明るい。つまりそれはこの斜面が朝日を受ける方向、東側を向いていると言うことだ。東斜面を下れば、朝日の方向、つまり東に向かうことになる。
「そう言えば、みー君コンパス持ってなかった?」
「うん。持ってるよー?」
「なんで修学旅行にコンパス持ち込んでるのかな……」
京都でオリエンテーリングでもする気だったのかとか、こんな事じゃご都合主義を疑われるぞとか三咲が思ったとか思わないとか。
それはともかく、朔は制服のポケットから携帯電話を取り出して見せた。携帯にはストラップが付いていて、その先には3㎝径ほどの小さな方位磁石がプラプラと揺れている。
「ね? ちゃちなコンパスだけど、一応普通に使えるから」
「たしか、お爺さんの狩猟仲間の人に貰ったんだっけ?」
「うん。『人生に迷わないようにお守りだ』だって言ってね?」
「それ、御利益はなかったみたいだね……」
「今現在、迷ってるというか、五里霧中だからねー」
「それでも道具として使えるなら十分有難いさ」
朔がさっそく調べてみると、磁石は富士の樹海みたいにぐるぐる回り出すと言うことはなく、ビタッとひとつの方向を指し示した。異世界(仮)の朝日は、しっかりと東の空に輝いている。
「うん。方位磁石としては、ちゃんと使えるみたい」
「どっかの天才一家みたいに、お日様が西から昇ってなくてよかったわ」
「そうだね。まだ(仮)は外さなくてもいいみたいだ」
三咲に同意しながら、往年のアニメ主題歌をネタにした彼女のぼやきに「この子は本当に高校生か?」と内心いぶかしむ悟。通じてる時点でどっちもどっちなのだが自分の都合の悪いことには気づいていない。何はともあれ、悟の実験の結果を待たずに異世界(仮)から(仮)が取れる事態は回避されたようだった。
「コンパスがあれば、多少は山歩きも楽になるかなあ」
「森の中を歩いているうちに、ここに帰れなくなる、とかはなくなりそうだよね」
「えーと、わたしは正直右も左も分からないので二人に付いてくよ」
「僕だって山歩きはみー君に一任だけどね」
「ん。任されました」
三咲は体力にはそこそこ自信はあるもののアウトドアの経験は皆無、悟は多少の知識はあっても経験で言えば朔に付き合ってキャンプをする程度で本格的なトレッキングは未経験だ。アウトドアを飛び越えてサバイバルになりつつある現状、二人にとって朔は頼りになる命綱だった。
朔は3人の中では三咲を含めても一番華奢で、サバイバルのようないかにも「男性的な」役柄で頼りになるような雰囲気をまったく持ち合わせてはいなかった。幼馴染みの悟は最初から知っているのでその事に特別な感想はないが、焚き火の準備の時といい、人は見掛けによらないものだと三咲は改めて思ったものである。
そうしている内に、二人が炙っていたあんパンがいい具合に焼き上がった。
いただきまーすと三咲はがぶりと齧り付き、中から飛び出した灼熱の粒あんに「あひゅっ、あうふっ」と目を白黒させ、朔はリスがクルミを食べるようにカリカリモフモフと焦げ目の付いた端っこの方を小さな口で咀嚼する。そして悟も、くるくると回しながら火で炙っていた自分の串の焼き加減に満足して、それを火から下ろした。
「……たみゃきくん、ごはん、ほんとうにしょれでいいの……?」
悟から受け取ったペットボトル(『京限定! 宇治金時ミルクセーキ』)で口中の消火活動を終えた三咲が舌っ足らずにそう言った。涙目なのは熱いアンコで口の裏がベロベロになったからだが、奇妙に引きつった表情はそれだけが原因ではない。
「あんパン2つしか残ってないし、僕はこれで十分だけど?」
「しょうはいっへも、にゃんか罰ゲームみひゃい、だよ……?」
「あはは。まあ、駄目な人はダメだろうなあ」
悟は笑いながら串に刺さったそれに齧り付く。まず炭火で焼いた肉の匂いが口中に広がる。近いもので例えるなら小魚のみりん干しやエビの唐揚げの頭のところに似た、固めのサクサクとした歯ごたえ。物凄くおいしいと言うほどのものでもないが、香ばしい肉の風味には珍味というような味わいがあった。悟的には七味にマヨネーズあたりがあるともっといけるかも?などと考えながらもしゃもしゃと食べてゆく。
そして、悟がそれを歯で引き千切るたびに三咲が「ああッ、あひゃま食べた……っ!?」とか「はにぇもいだ……っ!!」と面白いほどにリアクションを返してくれるので、悟はその度に苦笑いを深めていった。
悟が食べているのは伏見稲荷名物、串に刺した雀の丸焼き、名前はそのまま雀焼きである。
見た目的に『串に刺さった小鳥の丸焼き』としか言いようのない、その無駄のなさ過ぎるフォルムは、パックに入った肉しか知らない世代には少々きついインパクトがあった。
「もぐ……。そういえば、昔お祖父ちゃんの友達が家に持ってきてくれたなー、それ」
「みー君は雀焼き食べたことあったんだよね?」
「だねー。パチンコ渡されて『よし、おやつを自分で取ってこい!!』とかも言われたっけ」
「みー君捕まえられるの?」
「まあおやつ云々はお祖父ちゃんの冗談だったし、別に雀に恨みがある訳でもないからその時は捕まえなかったけど、やろうと思えば出来ると思うよー?」
「ふうん。じゃあ一応鳥とかも食料候補になる訳か」
悟の言葉に「ひいい」と小さな悲鳴を上げる三咲。食料探しと言っても木の実を拾うとかはイメージできるが、小鳥を捕まえて食べるとかはまったくの想定外だった。日頃から飽食日本で肉を消費してきた身空で生き物を殺して食べるのが残酷とか言うつもりは毛頭ないが、いきなりハードルが高すぎないだろうか。小鳥丸囓りとかワイルドすぎる。
彼女を後目に、いつの間にかあんパン半分と雀1匹のトレードを成立させた悟と朔は、二人でばりばりと頭から雀を食べながら食糧確保について話し合っている。朔が女の子と見まがう愛くるしい笑顔で小鳥の頭をバリバリと咀嚼しながら「昆虫も結構いけるよねー」などと言い出すのを聞きながら、三咲は見掛けとは大きくかけ離れて野生児じみた食生活を提案しているクラスメートに戦慄した。
※ ※ ※
朝食が終わり、ついに3人は行動を開始する。
食事中の打ち合わせ通り、まずは斜面を下りなるべく真東に進もうと話し合った。
すると朔は大岩の上に積まれた石積み、例の日時計の真上で東西南北を計った。石積みを中心に、ライフルスコープの標準を描くように大岩の上に小石で線を刻む。そしてそれぞれの方角にN・S・E・Wと方位も書いていった。それらの作業を終えると、朔は小石を積み石のてっぺんに乗せて「これが基準点ね」と説明をはじめる。
「ここから真東に見える何か適当なものを目標にして歩いていくんだ。
目標に辿り着いたら後ろの基準点が見えるかどうか確認して、またコンパスで次の目標を決めて歩く。それを繰り返していけばおよそ同じ方角に進めるし、引き返す時にはその目標を逆に辿っていけばいいから迷わないんだよー」
なるほど、と悟と三咲が理解を込めて頷く。
二人が『E』の方を見ると様々な木の生えた緩斜面が続いていた。木の間隔は密でもなければ粗でもないという感じでそこそこ遠くまで見通せる。取りあえずあの岩を目標にしようか、と朔は斜面のところどころに突き刺さった岩のうち、やや遠くに離れたところにある饅頭のような形をした岩を指差した。
それぞれ自分の荷物を背負い込む。荷物は最初このベースキャンプに置いていこうかと言う話も出たが、留守中に野生動物にでも漁られたら洒落にならない言うことで全部持ち歩くことに決定したのだ。
そして、準備が完了し気を引き締めてさあ行こうか、と言う段になって。朔がなにやら奇妙な行動に出た。
「……えーと、みー君は何で日時計に向かって手を合わせているの?」
「んー。何か御利益があるかなー、って」
「いや、確かになんかの儀式の跡みたいだけどさ……」
確かに、大岩の上に忽然として築き上げられたその石積みは奇妙な存在感があった。さらに今に至ってはそのまわりを囲むように刻まれた方位記号は岩を擦って刻み込まれているためいびつに歪み、なにやら魔法陣めいた怪しげな雰囲気をも醸し出している。
「…………」
「いやいや! なんで玉置君まで手を合わせるの!?」
「えーと、鰯の頭も信心というか、藁にも縋る思いというか」
思いつきで作って一度は壊そうとしたくせに、御利益がないのは作った本人がいちばん良く知っているはずなのだが。
「飲み水と食べ物が見つかりますように」
「南無~」
「まあ、別に良いんだけどさ……」
念仏を唱えながら柏手を打って拝みはじめる二人。しかし作法が神仏習合してないかと内心で突っ込みながらも、二人に付き合って手を合わせるあたり三咲も結構人がよかった。そしてなんだかんだ言いながら彼女もいつの間にか「お風呂に入れますように」などと某猫型ロボットが活躍するアニメのヒロインじみた願い事を自分が作った石積みに向かって唱えている。
「……(拝んでいる)」
「…………(ひたすら拝んでいる)」
「…………(何やってんだろ。私)」
この地に原始宗教が誕生した瞬間である。
この世界で最も新しい信仰の対象にお祈りを済ませた一行は、森に足を踏み入れて朔の歩幅で567歩進み第1目標である饅頭のような形の岩に到着した。朔の歩幅は平地でおよそ70㎝程度だそうで、森の足場のよくない斜面を歩いている分を-10㎝ぐらい誤差として計算すると『ベースキャンプ』からの距離は約390~340mと言うことになる。それは自分の歩数と歩幅から、朔がその場で暗算をして求めた数字だった。おおー、と拍手を送る二人に、自分の移動距離の把握は重要だよー、と朔は事も無げに言ったものである。
朔は次の目標を決めるために目標にした岩の上に昇ってコンパスとにらめっこをしていた。その間に、シャープペンとノート片手に地図屋を買って出ていた悟が白紙のページせっせと何かを書き込んでいる。ノートの中央には◎が打たれ、そこには『ベースキャンプ』と書き添えられている。そしてそこから左に向かって矢印が伸び、その先には●と『饅頭岩:567n』の文字。
「567は新見君の歩数だって分かるけど、この『n』ってなんの略号なの?」
「新見のnだね。歩数以外に距離なんて測りようもないから、この際みー君の歩数を距離の単位にしようと思って」
1n約65㎝かな、と悟が異世界(仮)に新しい単位を制定した。
「新見君の歩数なのはなんで?」
「みー君が一番山歩きに慣れてて歩幅の乱れが少ないからだよ」
「ははあ」
「二人とも、次の目標が決まったよー」
朔の声に、オッケーと悟がノートを閉じる。三咲も道中に見つけた枯れ枝の杖を突いた。朔は携帯から外したストラップのコンパスを制服の胸ポケットにしまって、50㎝程の高さのある饅頭岩の上から地面に飛び降りる。
「次はあれ。あの地面から突き出てる尖った岩」
「あのタケノコみたいな形の岩だね」
「じゃあ、次の目標は名称『タケノコ岩』で決定ということで」
「僕は歩数数えたり目標見失わないようにするから、二人はまわりを見てドングリとか落ちてないか探してね?」
「地面に落ちてるドングリを拾えばいいの?」
「なんでも気が付いたら僕とかタマちゃんに聞いて貰えればいいよー」
「ん。了解」
食料を探しつつ、再び歩き出す3人。488nで『タケノコ岩』に到着し、その後『根っこ』、『三つ子岩』、『ヒョロ松』、『笹の原っぱ』と目標を通り過ぎながら東進を繰り返す。その間、朔は東に正確に向かうことに腐心し悟と三咲は朔の後ろで辺りを窺いながら森で採取できそうな食べ物について話をしていた。
「――――そう言えば、わたしドングリって食べたことないなあ」
食べられるなんて知らなかった、と三咲。すると悟は一応は食べられるんだよ、と含みのある答えを返す。
「ドングリの類は縄文時代人の主要なでんぷんの供給源だからね」
農耕文化が未発達だった縄文時代において、クルミやクリ、そしてドングリと言った堅果類は重要な食料に位置づけられていた。縄文時代の遺跡から、ドングリをペースト状にしたものに動物の脂や肉、血などを混ぜて焼き上げたいわゆる縄文クッキーが出土したと言う実例もある。狩猟と採集によって日々の糧を得ていた縄文人にとって、決まった時期に同じ木に大量に実を付ける堅果類は冬越しの貴重な食料源であったことは想像に難くない。
「でも、今はぜんぜん食べないよね」
「まあ、食べないのは食べないなりの理由があるというか」
「……あんまりおいしくない、とか?」
「まあ、半分正解かな?」
おいしくないの?と三咲が悲しそうな顔をする。犬耳までぺたんと下がるので悟は慌てて「いや、だから半分正解なんだって」と言った。
「おいしくないというか、手間を掛けないとアクが強くて食べられないんだよ」
ドングリは、種類によっては非常に多くのタンニンがその実に含まれている。タンニンと言えばお茶の渋みの成分、つまりは凄く苦いのだ。なので灰汁抜きという作業を行わないとおいしく頂けないのである。
灰汁抜きの方法は、比較的アクの少ない種類なら焼き栗の要領でから煎りをするだけで食べられるようになる。しかしアクが強いものだと川などの流水に浸けてさらしたり木の灰を溶いた水で何度も煮るという結構な労力のいる作業を必要とするのだ。例えばトチ餅という橡の実と餅米を合わせて作る伝統的な餅料理の場合、橡の実を水にさらしたり1日中煮込んだり灰汁に浸けたり干したりと、アクを抜くのにそれは凄まじい手間暇が掛かるらしい。
「アクが抜ければそれなりにおいしく食べられるらしいけどね。現に日本でだってコメの収穫量が少ない地方では大正時代ぐらいまで常用食として食べられてたって言うし。
でも今の時代灰汁抜きをしたりとか面倒なことをしなくても食べるものは他にあるから、だんだん食べられなくなったんだと思うよ?」
「じゃあ、私たちがドングリを見つけても、すぐには食べられないってこと?」
「椎の実とかハシバミとか、比較的アクの少ない種類は知ってるからそれが取れればいいんだけど」
榛は英語でヘイゼルと言う。その実はつまりヘーゼルナッツのことだ。
「でも、そもそもここって異世界(仮)だから、ドングリが僕の知ってるドングリかどうかも分かってないんだよねえ。昨日薪拾いの最中に見つけたヤツもいまいち種類が特定できなかったし。だから、目に付くものは取りあえず拾って味見かな?」
「……それ、毒とか大丈夫?」
「うーん。キノコに手を出すよりはまだしも安全なんじゃない?」
そりゃそうだ、と三咲は納得した。得体の知れないキノコとドングリなら、絶対ドングリの方が安全そうである。配管工のおっさんでもあるまいし、謎のブロックから生えてくるキノコをおもむろに拾い食いするようなたぐいの勇気は3人とも持ち合わせてはいない。
「……それにしても、玉置君物知りだね」
「まあ、これは趣味みたいなものだからなあ」
「タマちゃんの趣味は史跡歩きと食べ歩きだもんねー」
悟の博識に感心する三咲。そして悟がはにかんでいると、ふいに朔が会話に入ってきて以前に言った言葉を繰り返した。つまり、悟は歴史好きで食べるのが好き、二つ合わさって最強に見えるというか、彼は食べ物の歴史に非常に強いのである。伊達にポン酢の一升瓶を背負いながら京都の町を歩いてはいない。物凄い説得力だった。
「それに僕、バイトで博物館でやってる子ども向けの体験学習のアシスタントみたいな事しててね。その時に『古代の食事を再現!!』とか言ってドングリを煎って食べたりしたんだよ」
「なるほど。それで詳しいんだ」
「そういうこと。
……まあ、それはともかく。落ちてる木の実はとにかく拾うって事でよろしく。出来ればクリとかクルミとかが見つかるのが理想だね」
「おいしいのが見つかると良いんだけど」
「それも出来れば大量にね」
「水も早く見つけたいよね」
「……だねえ」
そんなことを言い合いながら、目を皿のようにして地面に落ちている木の実を探す二人。実際のところ、手持ちの飲料や食料は少なくもないが無限ではないのだ。簡単に食糧問題を解決できるなら遭難者などいはしない。明るく振る舞っている悟にしても、未来は楽観視できはしないのだった――――
料理タグが火を噴くと言ったな、アレは嘘だ!!
とどのつまりタグ詐称は絶賛継続中です。ドングリに対するうんちくを料理というのは、少々違いますものね。
※注釈
※註1:オ○ガのスピー○マスター
実際の団体とはまったく関係がありませんが、スイスの時計メーカーオ○ガ社の高級腕時計。NA○A公認の腕時計で「月で一番最初に時を刻んだ腕時計」として有名です。
かつて、某美少女ゲームで主人公が彼女から送られた時計として出てきた事があるのですが、今思うと高校生には多少過ぎた時計じゃないかと思います。値段だけでも20~30万以上しますし、機械式は定期的なメンテナンスも必要で維持費も馬鹿にはならないですしね。
ところで、この某美少女ゲームのタイトルが分かった人はレトロゲームマニアかおっさんのどちらかです。仲間仲間、握手しましょう。
※註2:アーミッシュ
何度も言いますが実在の団体とは関係なく、某アメリカにいるキリスト教の1派の人達の総称です。アメリカ発祥の消費・物質文明に真っ向からNOを叩き付け、戒律を守って未だに前近代的な生活を送っている人達です。例えば電気は電池とかバッテリー以外は使ってはならず、バッテリーも彼らの乗り物である馬車(!?)が一般道路を走るために道交法上ウィンカーが必要だから仕方なく付けているという徹底ぶり。テレビもない、ネットもない、某○幾三先生の大ヒットデビュー曲のような生活は物質文明にどっぷり浸かった作者のような人間には耐えられそうにありませんが、人の幸せは人それぞれ、私はいかなる宗教、個人の信念に対してどんな種類の誹謗中傷も行うものではありません。そんな人達とも等しく時間は共有しているのだという意図で、比喩として使わせていただきました。
※註3:猿の○星
少し前にリメイクもされていた名作古典SF映画です。内容は多く語りませんが、衝撃的なエンディングは映画史上に残る名シーンとして有名です。伏せ字でネタばらしをすると「未知の惑星は実は○○だった」ということなのですが。
この作品は続編である猿の○星2もありまして、こちらのエンディングもかなり衝撃的です。一度見てただけると、子ども時代にそれを見た作者の衝撃と、その一拍あとに訪れた大爆笑が分かって頂けると思います。