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4.

※注意


 本作品は一部地域、特に○賀県に含むところは一切ありません。本作に出てくる滋○県は平行世界上の架空の存在とお考え頂ければ幸いです。○賀県にお住まいの方、滋○県に強い愛着を持たれる方は不快に思われるかも知れませんのでご注意ください。繰り返しますが、一切含むところはありません。かつて、列車旅行中に電車を1本乗り過ごしたせいで琵琶湖湖畔に4時間以上足止めされたことは、一切関係がありません。


 なお、お酒は二十歳になってからです。

「それにしても。異世界とか、あるんだなあ」

「やっぱり異世界なの、かなあ……?」

「小説とかでよくある異世界と同じような世界かどうかは分からないけど。

 少なくとも頭の二つある犬とかドラゴンがいるどこか(・・・)なのは間違いないでしょ。じゃあ僕たちの知ってる常識とは「異」なる「世界」って認識で合ってるんじゃない?」

「実際、あのドラゴン見せられると「そんな馬鹿な」、の後の言葉が見つからないよね……」

「確かにねー。あんなドラゴンみたいのが日本にいたら、そっちの方が大騒ぎだよー」

「恐怖! 琵琶湖のドラゴンは実在していた!! みたいな」

「琵琶湖のUMAってあれでしょ? ほら、ビワコオオナマズとか…」

「じゃあビワコオオトビトカゲ、と言うことで」

「なんかいっぺんに威厳もへったくれも無くなったよ?」

「○人間コンテストに乱入するビワコオオトビトカゲの恐怖!!」

「滑空部門はいただきだねー」

「出場するんだ!」

「レギュレーション違反で失格じゃないかなあ」

「…………」

「…………」

「…………はぁ」

「もうそろそろさ。真面目な話しようか……?」

「だね。膝を抱えて黄昏れてても事態は好転しないし」

「はーい」





 ※  ※  ※





 ――――あの後。


 丘の上で見渡す限りの地平線と昇る太陽、そしてあの謎の飛翔体(ドラゴン)を見た3人は、疲れきった身体を引きずるように移動して、休むのに良さそうに見えた今いる場所に辿り着いた。辿り着いて腰を下ろすと、彼らの意識は駆け足で安息の地へ旅立っていく。無防備な眠りを貪り、そして意識が帰還を果たすと太陽は自分達の真上に輝いていた。当然のように目が覚めたらベッドの中だった、と言うオチは付かなかった。ですよねー、と言う諦めを含んだため息が三者三様に零れて消えた。



 今彼らがいるのは例のドラゴンを見た丘の上を少し下った斜面の中ほどの場所だった。そこは大きな岩の根本で、斜面に迫り出すように地面に突き立った岩の陰が十畳間ぐらいの範囲で平らになっている。僅かな平地には大きな木も生えておらず、まるで誰かが斜面に岩を横から押し込んで平らな地面を作ったような地形だ。


 その大岩の陰に、3人は並んで座っている。体操座りで膝を抱き、白昼の木漏れ日が満ちる森をボンヤリと眺めていた。日差しは柔らかで、陽気は肌寒くはあるものの凍えると言うほどのこともない。この森は11月の京都よりは暖かいようで、3人は着込んだ上着を脱いで制服姿になっていた。ぎよー、ぎよーと、聞いたことのない鳥の声が森に響くと、3人は一様に空に目を向けた。森を渡る風は、瑞々しい緑の匂いを含んで穏やかに流れていた。あのドラゴンは、もう現れなかった。




「――――でさ。実際、ここって一体どこだと思う?」


 抱えた膝に顔を埋めながら三咲が口を開いた。ニットキャップは脱いでいて、栗色の長い髪を後ろでポニーテールにして束ねている。同じ色の毛に覆われた犬の耳がぴくりと動き、隣の二人を横目に窺っている。太い眉と黒目がちな瞳。クラスの女子の間で「怒らせると怖そう」と評される、ある種の強さをもった三咲の(かんばせ)は、今は茫洋として力がなかった。



「どこ、って言われてもなあ……」


 悟は顎を手で撫でながら唸った。袖が(まく)られて剥き出しになった前腕部はロースハムを束ねたように太い。彼の体のボリュームは実のところ、以前に比べ一回りほど大きくなっていた。彼らには数字を知るよしもないが、今の悟は身長198㎝体重は大台越えの120㎏の雲突く巨漢だった。もともと太ましい体型ではあったのだが今の悟は肥満どころではない。筋肉の上に脂肪の鎧を纏う、さながら脂の乗り切ったプロレスラーのような体型である。道を歩けばヤ○ザも避けて通りそうな、存在するだけで剣呑な威圧感を放つ重厚な体つきだ。

 それでいて、何故か服が破けたりきつかったりと言うことがないのが不思議で、まるで服が体に合わせて大きくなったようだった。リアルに「怒りに震える北○神拳伝承者の(上半身ビリビリ)服の無駄使い」状態に陥らずに済んでいるのは僥倖といえたが、冷静に考えるとこれはこれで不気味な現象である。まあ、ステレオタイプなオークのように腰蓑を巻かなくて済んだのだから文句を言う筋合いでもない、と悟は気にしないことにしている。



「京都市街じゃ、間違いなくないだろうなあ」


 そんな悟は、質問を口の中で転がすようにして言った。ピンク色の肌に覆われた頭蓋の中で彼の思考が回転数を上げる。細くなった目をいっそう細め、大きな鼻をピクピクとひくつかせている。


「近畿圏に地平線の見える大森林があるなんて聞いたことないし、そもそも日本じゃまずお目にかかれないでしょ。可能性があるのは北海道ぐらいだろうけど、でも京都があれだけ寒かったんだから北海道がこの陽気って言うのもまず考えられないし」


「そもそも、さっきも言ったけどどこならあのドラゴンがいるの? って言う話だよねー」


 朔がそう言って会話に混ざった。髪の間から長い耳がのぞき、新緑の瞳が虚空を眺めている。それでも3人の中では、外見に変化が少なかったのが朔だった。

 3人は目が覚めると、まずは自分達の身体を確認したのだが、朔は耳と瞳の色以外はそれほど大きな変化は無かった。睫毛がびっくりするほど長くなっているとか、肌が白くてしっとりツルツルだとか、髪のキューティクルが女子の恨みを買うレベルでサラッサラだとか、つまり三咲が「美容整形か!!」と吐き捨てる程度の変化しかなかった。

 もとから華奢で中性的だった彼の容姿は、いまや普通に女子と間違えるレベルの繊細さを持っている。その朔が「大丈夫?他におかしなところ無い?」ともろ肌(・・・)を脱ぎ、不安げな上目使いで悟を見る様は、おい、男同士…?と三咲の脳内突っ込みを疑問形にする威力を秘めていた。



「玉置君。あれ、見間違いじゃなかったよね?」

 三咲の問いに、悟は自分の顔を指さしてみせた。


「集団幻覚とかでないかぎり見間違いじゃないと思うよ。今の僕の顔が見間違えじゃないのと同じぐらいには」

「……ですよねー」


 彼らは三者三様に自分の見たものを思い返す。朝焼けの空に舞う巨大で流麗なシルエット。それは飛行機のような機械とは根本的に異なる生命の躍動にうねっていた。翼を撃つ音は今も耳に新しく、あんな音をたてて飛ぶ生物を彼らは知らない。自分が見たものの正体は知らないが、自分が見たものが何であるかを見誤ったとは思えなかった。



「つまりさ。どう言うことになるのかなー?」

「現在地不明。日本であるかどうかも怪しい。あんな巨大生物が棲んでいる程度に胡散臭い」

「さっきの話と結論一緒じゃない!」

「やっぱり、異世界に飛ばされちゃった?」

「そんなの、物語だけでお腹いっぱいだよ……」


 朔の言った『異世界』の一言に顔を顰める三咲。自分が物語の主人公のような目に遭っている、と考えるのは荒唐無稽だし相当に気恥ずかしい。しかしそうとでも考えなければやってられないぐらい非常識な状況に放り込まれたという自覚が彼女にはあった。それは同時に悟や朔の心境でもあったが、確たる証拠もなくそう断定するのも自分の正気が疑われるので、悟などは『異世界(仮)(いせかいカッコかり)』とでもしとく? とことさら軽い口調で言う。



「(仮)を付ければいいってものでもないと思うけど……」

「じゃあ、さっきのあれもドラゴン(仮)にするか」

「ええ?ビワコオオトビトカゲじゃないのー?」

「それを正式名称にするんだ!?」

「だったらここは『異世界(仮)』改め『滋○県(仮)』ということで」

「○賀県がとんだとばっちりだよ!!」


 しばらく語尾に(仮)を付けて遊ぶのに盛り上がり、3人の話はまた脱線していった。結局、話し合ったところで納得のいく答えが見つけられるはずがないことは、当の本人たちが一番知っているのだった。





「――――結局さ。この場所も不条理なら、こんな場所に迷い込んでるのも不条理だし、私たちの姿が変わってるのも不条理以外の何物でもないのよね……」


 そろそろ脱線にも疲れた三咲がそう言って纏めに掛かる。自分達がいる場所がおかしいことは十分飲み込めている。そして何で自分達がここにいて、しかも姿まで変わっているのか。なにひとつ答えらしい物は転がってはいない。


「正直、僕としてはこの姿が一番不可解だ。神隠しでも異世界へのトリップでもいいけど何でこの姿に変化したの?

 そもそも僕がオークでみー君がエルフ、黒田さんがケモノ耳っぽい姿である必然があるのかな。全員がオークでもエルフでもないのはどう言うことなの?」


 悟の問いに二人はうーん、と唸った。そしてどこか愕然としたように三咲が呟く。

「……うわあ。『ファンタジーだから』以外に理由が説明できない」

「黒田さん。それじゃ、考えるだけ無駄って言うのと一緒だよ……」


 三咲の言葉に朔も続き、それを聞いた悟はふんがぁ、ともの悲しげに鼻を鳴らす。ファンタジーだからで豚にされては堪らなかった。では何故かと言われれば分かるはずもない。本当に、考えるだけ無駄なのだろうか。



「……どうして、こうなったんだろうね?」


 朔は座ったまま伸びをして、俯いて考え込んでしまった悟の頭を優しく撫でた。自分はともかく、一番激しい変化に見舞われた悟の気持ちは如何(いか)ばかりのものか。しかし、一番変化の少なかった朔には安易な慰めの言葉も掛けることが出来ない。

 朔の手がいっそう労りを込めて頭を撫でる。すると、悟が頭を上げて「どうしてだろうなあ」と朔に向かって苦笑した。「なんでだろね?」と朔も淡く笑う。

 そして何故だか三咲は自分が砂糖でも吐くのじゃないかと思った。なんでだろね。幼馴染みが慰め合ってるだけなのにこの空気。



「今の段階じゃ、考えたって無駄って事なのかもなあ」


 下手な考え休むに似たりだ。と悟は気を落ち着かせるようにため息を吐いた。自分の身体の変化が意味のないものとは思いたくはないが、今ちゃんとした答えが出るものでもないのだろう。変に塞ぎ込んで朔や三咲に心配を掛ける訳にもいかないし、と悟は頭を撫でる手の感触に目を細めながら思う。



「あのさ。思うんだけど、今考えて分からないことは保留にしない?」

 悟の頭にやった手をそのままに朔が言う。

「この後分かることもあるかもだし、今悩むよりもこれからどうするかを考えた方がいいと思うんだ」


「……そうだね。結局真面目に考えてみても異世界(仮)に飛ばされた、なんて結論なんだし、今はもうこれ以上は意味ないか」


 三咲が腕を伸ばして首を回す。相当凝っていたのかぽきぽきと骨が鳴った。表情がさっきより多少さっぱりしたように見える。考えるのを先回しにして荷物を放り投げただけのことかも知れなかったが、肩の荷が下りて足取りが軽くなったことは確かだった。



「あ。飛ばされたって言えば二人は鳥居の下で意識を失った瞬間の事って覚えてる?」


 弛緩した空気が漂いはじめる中、はた(・・)と思い出したように悟が言った。



「? どういうこと?」

「意識を失う直前、まわりの景色がこう、ぐにゃあ~、って排水溝に吸い込まれる水みたいにねじ曲がって見えて、意識も一緒に吸い込まれるような、そんな感じがしたんだよ。みんなは感じなかった?」


 悟はそう言って、ぐにゃあ~、と擬音付きで手を回しながら説明した。そして、朔はきょとんと、三咲はぽけぇーという擬音の出そうな表情でそれを聞いている。


「――――って、感じだったんだけど……」

「知らなかった……。そんなことがあったんだ」

「私も風に目を瞑って、次の瞬間には森の中だったから……」

「自分でもあれが本当に起こったことなのか、僕が意識を失った瞬間に幻覚を見たのかはっきりとはしないんだけどね」


 普段なら荒唐無稽もいいところの与太話だった。しかし、二人の口からはやはり「そんな馬鹿な」の言葉はでてこなかった。奇妙な納得がそこにはあった。


「……でも玉置君、そんなの見たから『異世界』なんて言葉があっさり出てきたわけだ」

「かもね」

「それが確かなら、ますます異世界トリップに信憑性が増すなあ」

「かもねえ」

「…………」

「…………ぷっ」

「……あはっ」

「……くふふふ」



 しばらく3人は無言になった。そして、無言に堪えきれなくなったようにまず悟が笑った。つられるように朔も笑い、やがて三咲もくつくつと喉を鳴らす。

 本当のことは分からない。でもここまで非常識が揃えば大当たりで確変に突入してもいい気分になる。大当たりで笑いが止まらないという奴だ。自分が異世界に来たんだと考えると笑えて笑えて、笑いすぎて涙が出る。



「千本鳥居は、異世界への入り口だったんだよー」

「「な、なんだってー」」



 某M○Rのようなことを棒読みで言い合いながら、3人は仲良く並んで笑いあった。「ぎよー」という奇妙な鳴き声がコールアンドレスポンスのタイミングで笑い声に答えた。それに3人はいっそう笑った。

 笑い声は木々の間を抜け、そして葉擦れの中に消えていった。



 異世界(仮)の太陽が、ゆっくりと傾いていった。





 ※  ※  ※





 太陽は傾き、森に落ちる影が長くなっていく。悟が腕時計を確認すると短針は文字盤の4を過ぎたあたりを指していた。午後4時と言うことだ。つまり、時計が指す時間と自分が体感している時間の感覚にさほど狂いがないと言うことだった。いずれ太陽は夜明けに見たあの地平線に沈むだろう。再びの夜もまた近かった。



「タマちゃーん。(たきぎ)はそれぐらいでいいんじゃないかなー?」

「うん。了ー解(りょーかーい)!」


 よいしょ、と。悟は筋肉と脂肪に厚く覆われた肩に3m以上はある大きな枯れ枝を数本まとめて抱え上げた。顔を上げると、両手に粗朶(そだ)を抱えた朔と三咲が立っている。その向こうに視線をやると、日差しは僅かにオレンジの色彩を帯び始めていた。


「さて。明るいうちに火の準備をしちゃわなきゃな」


 呟いて、悟は二人の方に向かいフカフカとした腐葉土の斜面を登りはじめた――――





 いくら話し合っても現状の不条理さに説明が付かないことを確認しあった昼下がり。


 そんなことより行動しよう、と重い腰を上げた一同はまずはじめに火の準備をすることにした。この異世界(仮)に夜があることは昨日確認済みだった。暗くなる前に準備を終える必要があった。


 3人で大岩の周辺をまわり、朔と三咲は細かな枝を、悟は大きな太いものを選んで集めては岩陰に運んでいく。そして山盛り一杯の粗朶と10㎝径ほどの太い枯れ枝を十数本集めると薪拾いは終わった。悟は大きな石を使っててこ(・・)の要領で太い枝を適当な長さに折り、時には自分の手だけでへし折っていく。七夕飾りの笹ほどもある大きな枯れ枝を、悟は道具も使わずにベキバキと薪に変えていった。それを見て三咲は目を丸くし朔は「わー、力持ちだあ」と手を叩いて感心した。

 彼の変化は外見のみに留まらず、と言うか見た目どおりの力を身につけているようだった。これが俗に言う転生チートか、と悟は薪に姿を変えた枯れ枝の山を見ながら思ったのだった。



 悟が薪を作っている間に、朔が焚き火の準備をする。細かな枝を集めて小山を作り、悟の作った大きな枝をその小山を中心にして放射状に広げて乗せていく。華奢な外見に似合わない手際の良さで、朔はひとりで綺麗な薪の山を組み上げてしまった。



「……なんか新見君、すごく手慣れてない?」


 手を出すいとま(・・・)もなかった三咲が感心したように言う。


「うんー。昔からよくキャンプとかしてるからねー」

「へえ」

「僕のお爺さんがアウトドアとか、そう言うのが好きでね? よく山とかに連れて行って貰うんだよー」


 そう答える朔に、人は見掛けによらないなと三咲は口に出さずに思う。でも、こんな時に男子が頼りになるのは大いに心強い。当の朔は、三咲ですらこちらが守ってあげなければと思うような可憐な外見をしているのだが。



「おお。ごくろうさん」

 身体中に付いた木の屑を払いながら悟が二人のところにやってきた。そっちもお疲れさま、と三咲が労いの言葉を投げる。


「どうにか、日暮れ前に間に合ったねー」

「だなあ」

 悟と朔が、安堵の表情でお互いの拳を打ち付けあった。



 朔の言葉通り、あらかたの準備が終わったころには周囲が黄昏に染まりきっていた。広場の中央に作られた焚き火のまわりに3人が車座になって座る。やがて空の色が茜色から赤紫となり、青紫に変わっていく。


 悟は脱いで岩陰に畳んでおいたダウンジャケットから、蒸し寿司を食べた記念に店で貰ってきたマッチを取り出した。彼は大きな手で器用に箱から1本のマッチ棒をつまみ上げて火を付けた。あらかじめ朔が手で揉んで柔らかくしておいたティッシュにマッチから火が移る。朔が慎重に火のついたそれを細かな枝の中に差し入れた。枝の隙間にちらちらと小さな火が踊る。真剣な表情で朔がその様子を覗き込み、乾いた枯れ葉や細かな枝などを少しずつ隙間にくべていく。

 ややあって、枝の間から徐々に白い煙が立ち上がってきた。煙はみるみるうちに濃くなっていく。たちまち枝の小山から火の手が上がり、上に乗せた太い枝の表面を舐めた。枯れ枝はよく乾いていたようで、ぱちぱち、と木の爆ぜる音を響かせてじきにそこにも火が移った。夜に沈んでいく森に、そこだけ暖色の光が揺らぐ。3人の前で、立派な焚き火が出来上がった。



「……はあ、あったかいねー」

「焚き火って、見てるとなんか落ち着く」

「昔、こうやって暮らしていたころの人類の記憶なのかもなあ」

「ふう…………」

「…………」



 焚き火を囲んで、3人はその火のダンスをしばし無言で眺めた。





 ※  ※  ※





「これからどうするか、なんだけど……」


 枝を二つに折って焚き火にくべながら、悟が口を開いた。



「まずはさ、優先順位を決めようと思うんだ」

 と切り出して、彼は指を4本出してみせる。


「優先順位?」

「ふうん。どうするの?」

 悟は二人が自分に注目するのを確認して、言った。


「最優先するのは、僕たちの生命を護ること。まあ、これは言うまでもないことだと思うんだけど」

 そりゃあそうだ、と三咲も朔も揃って頷く。悟は太い指を一本折り畳んだ。



「で二つ目。これも当然なんだけど、もとの生活に戻るための努力をすること。つまりもとの姿に戻ること、もといた場所に帰ること。この二つなんだけど……」


 そう言って、指を二つ折ると悟は続く言葉を濁らせた。細い目は、何故か朔の方を見ている。



「んー? タマちゃん、どうしたの?」


 それに朔が小首を傾げる。すると悟は朔を窺って、そして少し間を空けてから言葉を続ける。


「帰るのと、もとの姿に戻ることの優先順位なんだけどね?もとに戻ることを、帰ることに優先させたいんだ……」


「? ……いいけど?」


 なんで悟が言いにくそうにするのが分からないまま、朔は簡単に了承した。そして、頷いてみせる朔を見て、悟はぽりぽりと頭を掻く。その様子にいっそう疑問符を浮かべて首を捻る朔。焚き火の光に複雑な陰影を浮かべる彼の耳が微かに揺れた。

 そして、悟の心の機微はともかくとして、今度は三咲が自分の疑問について悟にぶつけてきた。



「玉置君。どうして帰る方のが優先順位低いの?」

「僕さ、この格好で帰ったらよくて病院送りで最悪実験動物だと思うよ?」

「あ……」


 悟の言葉に、三咲が両手で耳を押さえながら顔を引きつらせる。それについては三咲もまったく他人事ではなかったのだ。頭の耳は付け耳どころではないし、本来耳があった場所には穴すら開いていない。

 自分の身体を検分したとき「ケモノ耳が生えてる場合、人の耳のある場所はどうなってるのかに一つの答えが出たよね」などと冗談交じりに言ったものだが、つまりオークほどではないにしろ彼女にしたって通常の人体構造からかけ離れた存在になってしまっているのだ。



「……ここから脱出するのを目指すのは当然だけど、このままの姿で帰るのは遠慮したい。だから、優先順位としては身体を元に戻す、もといたところに帰るの順番しか有り得ない」

「……帰れれば姿も戻ってる、とかないのかな」

「そりゃその可能性はあるけど、そうと確証が得られない限り無闇なことはしたくない。最悪、帰る方法が分かっても、姿を戻す方法が分からない限りはスルーしたいなあ」

「確かに、この格好で帰ったら人生詰むよね……」

「いくら帰れたって、残りの人生をUMAとして生きるのは難易度高すぎる」


 早く人間になりたーい、と下水道で叫ぶ自分の姿が悟の目に浮かぶ。コートの襟をそばだてて薄汚れた路地裏を歩くのは三咲だ。暗い未来予想図に二人が同時に息を吐いた。



「了解したよ。玉置君の言う通りだ」

「ありがとう」


 二人は大きく頷きあった。

 そして、悟はまた朔の方に身体を向ける。


「でさ。みー君の場合、僕らとは多少事情が違ってくるんだけど……」

「ふぇ? どういうこと?」


 振られた朔はきょとんと小首を傾げた。三咲もそうだが、新しい耳は感情に反応してよく動く。悟は朔の耳をじぃ、っと見た。ヒトのそれとは明らかに違う、先端が鏃のように尖った長い耳だ。しかし、逆に言うならば人間との大きな違いは、その程度でしかない。


「みー君は、さっき黒田さんも言ってたけどせいぜい身体の変化って「美容整形」レベルでしょう? だから、その姿のまま帰っても、向こうで普通にもとに戻ることが可能なんだよ。それこそ美容整形で、耳の形を変えるとかね」


 だから、もし帰る方法を見つけたらみー君だけは普通に帰ることが出来るんだよ、と悟は続けた。


 悟が朔に言葉を濁した理由はこれだった。悟にしてみれば、自分の都合で幼馴染みの帰還を妨げるようなものなのだ。豚の着ぐるみ脱ぐまでちょっと化け物の跋扈する森の中で待っててね、などと気軽にお願いできるものではない。そして……



「ああ、そういうことかー」


 朔はいっそ晴れ晴れした表情で手を叩いた。そこには、毛先ほどの悪感情も浮かんでいなかった。



「――――僕、タマちゃんと一緒じゃなきゃ絶対帰らないからね?

 僕だけ帰る方法があっても、タマちゃんが帰らないなら僕はここにいるし、タマちゃんがその姿のままだったら、僕ももとに戻らなくてもいいよ?」


 白皙の頬を、焚き火の炎で朱に染めながら、朔はふんわりと微笑んだ。

 だから言いたくなかったんだと、悟も牙を見せて苦く笑った。朔だけでも先に帰れると言えば絶対この幼馴染みはこう言うと、彼には分かり切っていたのだ。

 悟が大きな手で朔の頭をぐりぐりと撫でた。朔は耳を垂らし、「えへへー」と目を細めてはにかんだ。二人の間に焚き火のせいばかりではない、暖かな空気が流れた。

 そして、その空気に部外者然として当てられながら、麗しい友情でいいんだよな?と三咲は苦い唾を飲み込んだ。



「……ま、まあ、今から先のことをあれこれ考えてもしようがないでしょ?」


 何で唯一の女である自分が男子二人に対して、付き合い始めた友人とその彼氏の3人で会うときのような居たたまれなさを味合わなければいけないのか。これも自分に降りかかる非常事態の一環か。三咲は気を取り直して一生懸命に軌道修正を計る。



「でさ、話を戻すけどもうひとつは何なの?」

「? もう一つ?」

「指、4本立ててたじゃない。自分自身を護る、もとの姿に戻る、もとの場所に帰る。じゃあ、後もうひとつは?」

「…………」


 悟が自分の人差し指を見た。見つめた。……言葉がなかった。


「……なんだったっけ?」

「いや、知らないよ……」


 どうやら4本指を出したけど3つしか話すことがなかったらしい。人差し指を睨んでぷひ?と首を傾げる悟。やがてタマちゃんタマちゃん、と朔が人差し指を突き出し、二人は何故かE.○ごっこを始めた。三咲は無言で、焚き火の中に薪を放り込んだ。





 ※  ※  ※





 とにかく、悟の提案によって今後の行動方針が明らかになった。



ひとつ、自分達の生命を護ること。


 これは今朝見たドラゴン(仮)や双頭犬のような直接的な危険から身を守ることはもとより、日々の食料や飲料水、薪の確保等も含まれる。



ふたつ、もとの姿に戻ること。

 謎の変化を遂げた身体の謎を調べ、もとに戻るための方策を見つけだす。



そしてみっつ。

 言わずと知れた、この異世界(仮)からの脱出、もとの生活に戻ることである。





「じゃあ、今後の基本方針が固まったところで、具体的にどう言う行動を起こすか考えようか」


 いつの間にか、また司会進行をやっている悟である。ちなみに今度は立てた指は1本だ。



「僕が思うに、基本的にはここで生き残るために必要なことをしていって、その余暇で情報収集をしていく形がいいと思うんだ」

「生き残るために必要なことって言うと、まずは食べ物とかかな……?」

「そうだね。あと必要なのは飲み水、それに継続的に薪も集めないと」

「じゃあタマちゃん、明日やるのは食料と水の調達って事でいい?」

「まず急を要するのはその二つだろうね」


 食べ物か……、と三咲が呟く。確かに食べ物と飲み水は基本中の基本だ。それを集めることに異論はない。しかし、彼女はさほどアウトドアの経験もないし、野草や山草の知識もほとんどなかった。食料を集める、と簡単に言うがいったいどうすればいいのだろう。すると、朔がその様子を察してか


「僕、山で取れる食べ物のこと少しなら分かるし大丈夫だよー」


 と笑顔でそう請け負った。


「さっき薪を拾ったときにざっと見たけど、食べられそうな木の実とかは普通に落ちてたからね。もしあのビワコオオトビトカゲみたいに訳の分からない植物が生えてたら危なかったけど、多分植物はそこまで常識から外れていないと思うよ?」

「ああ。僕もドングリらしき実が落ちてるのを見つけたよ。取りあえず僕とみー君は明日それを拾おうか。黒田さんは引き続き薪を拾ったり、あと手分けして飲み水を探したりお願いしたいな」

「うん。私が出来ることなら何でもするよ?」


 三咲は、二人の言葉に勢いよく頷いた。この状況で足手まといの無駄飯ぐらいにはなりたくはない。手際よく焚き火を作った朔や、ジュースなど、惜しみなく自分の持ち物を提供してくれる悟に対し、自分も今自分が出来ることをしなければ、と三咲は思う。



「あ、そうだ!」


 そして、何か自分に出来ること、と考えていた三咲が、急に立ち上がって岩陰から自分の荷物、ブルーのデイバッグを持ってきた。


「私、そう言えばお土産にこれ買ってたんだったよ」


 デイバッグから三咲が取り出したのは、レトロな雰囲気を醸し出す包装紙に包まれた飴だった。曰く、幽霊が子どもを育てるために6文銭の渡し賃で買い求めたという話で有名な京銘菓、幽霊飴である。自由行動中、行くところの近くに店があるからとガイドブック片手に立ち寄って3人で買い求めたのだ。



「私、玉置君に食べ物貰いっぱなしだったから、自分の持ってる食べ物をみんなに提供するよ」


 三咲はデイバックからさらに食べかけのポッ○ーと板チョコ1枚、半分ほどになったウーロン茶のペットボトルを取り出し、地面に置く。


「……いいの?」

「これしかなくて申し訳ないけど、みんなで分けよう?」

「それじゃ、僕も出すよー」


 今度は朔がブラックのウェストバッグをがさがさと漁りだす。

「こんなくらいしかないけど、みんなにあげるね」


 朔も三咲の置いた食料のところに、彼も買っていた幽霊飴、昨日悟とホテルを抜け出して買い求めたバナナ味の金平糖一袋、そして未開封のカ○リーメイト(フルーツ味・2本入)1箱と未開封のレモンティーのペットボトル(250ml)1本を加えた。飴の類が多いものの、遠足のおやつのようなお菓子の小山が出来上がった。


 そして、いつの間にかその小山のとなりに、悟が例の大きなバックパックを持ってやって来た。



「この際だから、持ってる食べ物を一度ひとまとめにしてみようか」


 言って、バックパックの中身をぶちまけた。



 どじゃらあ――――――――っっ



「――――――――え?」


 それを見て、三咲が目を見開いて固まった。



「幸か不幸か、旅行中に結構食べ物を買い込んでたんだよね。これだけあればまあ、1日2日は食い繋げるかな?」


「――――はっ!


 いやいや!! この量1日2日どころじゃないよ!?」


「……タマちゃんの趣味って、史跡歩きと食べ歩きだもんねー」

「俺の数ヶ月分のバイト代が火を噴くぜ、って言う感じ?」

「…………」



 お菓子の小山のとなりに今出来上がったのは、まさに食料のエベレストとも言うべき大山だった。


 主なもので缶入りの冷やし飴3本(※註1)にペットボトルのドリンク類(ミネラルウォーター4本、お茶3本、ジュース類4本等合計5リットル相当)と、パック入りの千枚漬け、福神漬けの缶詰、高野豆腐、真空パック入りの胡麻豆腐、同じく真空パック入りニシンそばセット、丹波クリカレー、宇治抹茶カレー、若狭鯛カレーのイカモノレトルトカレー3種、酒種あんパン1袋(5個入りのうち3個を昼に食べている)、生八つ橋、悟も持ってた計3袋目の幽霊飴、マンゴー味と梨味の金平糖1袋ずつ、地域限定の各種ポテトチップス等スナック類5袋、『天○一品(※註2)』監修のどろり濃厚豚骨カップラーメン1つ、高級粉山椒ひと瓶、高級粉末和辛子一袋、ポン酢1瓶(一升瓶)、宇治玉露及びほうじ茶各100g、鹿せんべい、食べかけの雀焼き1串(※註3)、とどめの聖護院大根(※註4)まるまる1株等々、もし本来の予定通り修学旅行最終日に参加できていたなら各種駅弁等さらに内容を充実させていたであろう、それは数ヶ月のバイト代をつぎ込んだ『玉置悟プレゼンツ京都土産セレクション』の恐るべき全貌なのだった。



「お土産物屋に入るたびに、何かしら買ってたのは知ってたけど……」


 本当に比喩ではなく山積みになった食料を見て呆然と三咲は呟く。自由行動中、悟のバックパックを見て大きな荷物だな、とはずっと思っていたのだ。でも、よもや中身が全部食べ物だとは思わなかった。そんなの思う訳がない。



「あー。いつの間にか、僕の知らないのがいっぱい増えてるー」


 一方朔は山を検分しながらそんなことを言う。でも目の前で起こった食料の造山活動自体には特別疑問を抱いた様子はない。


「昨日の夜、またホテル抜け出して買い出しに行ったからね」

「ええー!?あの後またひとりで抜け出したの!? ズルい! 一緒に行きたかった!」

「いや、みー君ぐっすり熟睡してたから」

「そう言うときは起こしてよー!?」

「24時間営業のスーパーに行って来ただけだよ。京都っぽい調味料とか、地元にはない食材とかチェックしただけだって」

「でも一緒に行きたかったのにー……」

「――――わざわざ脱走までして、玉置君は一体なにをしているの……?」


 修学旅行生が京都の夜に飛び出して、本当、一体なにをしていたのか。実はこんなブツも買ったからみー君連れて行くの(はばか)られたんだよねえ、と悟は懐から琥珀色の液体の入ったスキットルサイズのガラス瓶を取り出して見せて、「実は京都って、日本のウィスキー発祥の地なんだ」と内緒話をするように小声で言ったから、多少は学生らしい悪ふざけもしたらしい。お酒は二十歳になってから。「山○」ブランドのウィスキーである。


「ゴメンゴメン。ちゃんとコレ(ウィスキー)の味見させてあげるから許してよ」

「むー。じゃあ、許してあげるけど」


 酒に転んであっさり悟を許す朔。これも人は見掛けによらない一例か、結構いける口な朔だった。もちろん、お酒は二十歳になってからだが。



「それに、たくさん買い込んだおかげで多少は食料に余裕が出来たでしょ?」

「まあ、それもそうだねー」

「多少どころじゃないと思うよ……」


 山で遭難した人が、バーベキューをするために持ってきていた焼き肉のタレ1瓶で数日間飢えを凌いだという新聞記事を三咲は昔読んだことがあったが、これだけあればどれだけ保つと言うのだろうか。バックパックから一升瓶のポン酢が転がり出たときには、自分と眼前の大男の正気を疑った三咲である。


 とにもかくにも、当面の食糧問題は悟の趣味のおかげで唐突に幸先がよくなったようだった。



「じゃあ、ここにある食べ物は三等分にしてみんなで食べることにしよう?」


 そして山積みになった食料について、あっさりとその所有権を放棄して自分から3人の共有財産にしようと提案してくる悟。


「……本当にいいの?」

「うん。困ったときはお互い様だしね」

「タマちゃん、ありがとうね?」

「うむ。苦しゅうないぞよ?」

「ホント、お世話になります……」

「いいよいいよ。ぶっちゃけこんな状態で食料独占とか、人間関係的に暗い未来しか浮かばないし」


 「遠慮とかなしで、きっちり3人で分けてくれたほうが僕としても気が楽だよ」と手を左右に振って笑う悟に、もちろん誰も反対できるものはいない。

 しかし三咲にすればエビでタイを釣ったような気分で申し訳ない気分になる。朔の場合は幼馴染みの性格は熟知していたのでいずれこうなるという言う確信はあった。明日から食べ物探しを頑張ってタマちゃんの役に立とうと思いを新たにするばかりだ。

 そして、さっそく食べ物の山を綺麗に三等分しようと引っかき回し始めた悟に、三咲が堪らず声を掛けたのは、彼女のそんな心理状態に()った。


「――――あのさ。私は食べるときにみんなと同じ量分けて貰えればそれでいいよ……?」

「僕もそれでいいかなー。普段はタマちゃんのバックパックに入れて置いて、その都度分ければいいんじゃない?」

「ええ? そうなの?」

「うん。それでいい」

「その方が、食べ物の量の管理もしやすいでしょ? タマちゃんにその辺も見て貰えれば安心だし」

「じゃあ、僕がいったん食べ物は預かるけど、何かあったら言ってね?」



 みんなの食料を一手に管理する、初代食料番玉置悟の爆誕である。


 冷静に考えればこの3人だけの集団の中で悟が絶大な権力を握った瞬間であるのだが、当人はそれにはまったく気付いた様子はない。


「じゃあ、さっそく当面のおやつを配るよ!」

 とビニール袋に二人が供出した以上のお菓子を詰めて配り、悟は嬉々として自分の権力基盤を切り崩していった。





「ねえ? 食べ物探しとかは分かったけど、他はどうするの? 帰る方法を探すとか、漠然としすぎてて何をしたらいいのかわからないよー?」


 さっそく今日の晩ご飯を配るよ、と悟が食料の山から平べったい箱を取り出していると、朔が話の続きを促してきた。悟は平べったい箱、つまりは生八つ橋の箱の包装紙を破りながらそうだねー、と前置きして言う。



「さっきも言ったけど、まずはここのまわりから、食べ物とか水とかを探すのが最初だと思うんだ。情報集めは、今はそのついでかな」


「……ええと。つまり、食べ物探しと一緒にこの森について調べていくって事?」

 その通り、と朔が頷いた。

 

「まずはここを拠点にして、少しずつ調査範囲を広げていく。調査の第一目標は、人を見つけることかな」

「第1村人の発見?」

「そうそう」



 こめかみに拳を当てて、三咲は悟の言葉を反芻した。悟のプランは基本的には安全第一だ。ここを拠点として食料飲み水を確保する。それと同時に周囲の状況を調べ、まずは人を捜そうという訳だ。闇雲に森の中を彷徨い歩いたところで何かが見つかる保証もない。だとすれば生活基盤を確保して着実に状況を把握するのは悪くない策のように思える。



「もしここに食料がなかったら、無駄に足踏みすることになるけど……」

「1日2日このまわりを調べて水が見つからなかったら移動した方がいいだろうね。それに、移動するにしても何か目標を見つけないと。それを見つけるためにも取りあえず周辺の調査は必要だよ」


 特に反対するべき問題は見つからなかったが、三咲は議論のための反対意見を述べた。そしてそれに対しての悟の答えも明確だ。とにかく、支障がない限りは現在地を中心に動くと言うこと。言ってしまえばそれだけのことだが、この状況でそれ以上の行動指針など立てようもない。なんと言っても右も左も分からないのだ。

 三咲はコツコツとこめかみを叩く。何か足りないところはあるかな、と悟が目で窺っている。すると朔が、ねえ? と手を挙げてきた。



「ん? みー君、何か意見ある?」

「えっとね? 意見とかじゃないんだけど」

「何でもいいよ? 言ってみな?」

「うん。あのね? 僕たち、遭難してるよね……?」

「……まあ、広い意味では遭難中だよなあ」

「いろいろ、突っ込みどころはあるけどね……」


 驚異の大自然とか、未知の生命体とか、歪む時空の恐怖とか。頭を抱えたくなることは多いが森の中で自分の現在地を見失うのは遭難という。朔の言葉を二人は肯定した。



「でさ? 普通の遭難なら、救助が来ると思うんだけど。

 …………救助、来ると思う?」



「「……あ」」

 悟と三咲が顔を見合わせた。



「……うわあ。それは、考えてなかった……」

「普通、まず第一に考えるよね」

「でもここ、異世界(仮)だよ……?」

「一応、(仮)付けてるじゃない。有り得ないって斬って捨てるのもどうかと思うよ?」

「みー君的にはどう思うの? 救助、来ると思う?」

「何の根拠もないんだけどさ。僕、救助の人が来るイメージが湧かないんだよねー」


 自分から話しを振っておいてなんだけど、と苦笑いして朔。ただ、冗談で異世界などと言ってはいるが今のところは(仮)なので、可能性として言ってみようと思ったのだそうだ。



「例えば、レスキュー隊の人がここにレスキューヘリで降りてくるのを想像するとね?」

「すると?」

「ビワコオオトビトカゲがやって来てレスキューヘリが撃墜されちゃうんだ」

「されちゃうんだ!?」


 悲しい出来事である。

 しかし、言われてみれば二人のもその絵面がありありと想像でき、いちいち自分達の置かれている状況のおかしさが身に染みる。救助は来ない。今まで一度も考えていなかったのに、その事は3人に自分でも不思議なほど奇妙な重さを持って胸に響いた。



「……そもそも、僕たち修学旅行中に遭難したんだよなあ」

「あー、今頃、向こう(・・・)じゃ大騒ぎなんだろうね……」

「なんだっけ? 学校史に燦然と輝く不祥事の金字塔?」

「僕たちのせいで来年の修学旅行が中止になって、後輩たちに未来永劫恨まれるんだろうなあ……」

「わあ! それヤダよー!?」

「私は悪くない!! 私悪くないよ!!」


 そして。

 大したきっかけもなく、ふいに3人の口から、当然出なければならなかった言葉が零れ出た。




「……今頃、ウチの家族とか京都入りしてるのかな」

「……お祖父ちゃんたち、心配してるだろうなー……」

「ウチの保護者は、そのうちひょっこり出てくるだろう、なんて言って結構平然としてそうだけどね……」

「…………」

「…………私たち、戻れるのかなぁ……?」

「タマちゃーん……っ」



 どうやって戻ればいいのか欠片ほどの手がかりもなく、寄る辺もなく、自分自身すら変わり果て。


 そんな状況が、当たり前の思考を奪っていたのかも知れない。あるいは、異世界だビワコオオトビトカゲだと、まわりの異常さにかこつけて、考えないようにしていたのか。

 冗談交じりに異世界だ異世界だと言うたびに、自分達の故郷のことを頭の隅っこの方に遠ざけた。異世界だとしか言いようがない異常を認識するたびに、故郷は遠くに行ってしまうのだ。


 その距離を測ろうと思えば、叫び出したくなる。



「――――朔先生!! 遭難したときの心得は?」


 悟が突然立ち上がった。

 ピンク色の顔を炎の色に染め、びしっ、と音が出るほどの勢いで朔を指さす。



「ふぇっ!? ……え、えっとね、遭難したときの心得は、落ち着け、闇雲に下に降りるな、体力を温存しろ、……だよっ!」


 突然指名された朔がびくん、と背筋を伸ばす。そして、不器用に口角を上げる悟を見た。朔ははっ(・・)っと息を飲み、次は強張った顔に笑顔を作って遭難者の心得を唱える。最後は、叫ぶように。


「よし! じゃあご飯を食べよう!! 救助が来ても来なくても、やることは一緒だ!!」

「うん……っ。そうだよね、腹が減っては戦は出来ぬ、だね!!」


 三咲もそう言って立ち上がった。握り拳を作り、頭の上の耳を高く上げながら。


「ようし、八つ橋配るぜぇ~、どんどん配るぜぇ~!」


 八つ橋の箱が手渡しで回されて、みんなの手に八つ橋が行き渡る。ヒャッハァー、新鮮な八つ橋だぁー、と焚き火のまわりが異様なテンションに包まれる。


 ――――故郷の遠さに叫び出したくないのなら、あとはもう、笑うしかないのだ。



「明日から、頑張って生き抜くよー!!」

「「おお――――っ!!!」」


 わざとらしい号令に、わざとらしく鬨の声を作る。乾杯するように生八つ橋を打ち付けた。八つ橋の求肥(ぎゅうひ)が押しつけられてぐにゃあ、と歪んだ。




「もぐもぐ……」

「……もぐ」

「……」

「…………」

「………………」

「これ、何味?」

「……期間限定、コーンポタージュ味……」

「コーンか……」

「……ポタージュ、なんだね」

「…………」

「微妙だね……味」

「うん……微妙」

「…………」

「……スイマセン」

「あ、イヤ!ほら、食べられないほどヒドくはないよ……!?」

「うん。とにかく……微妙?」

「ホント、普通のヤツ買わなくてスイマセン……」

「…………あー」





 コーンポタージュ味かあー、と焚き火のまわりが微妙なテンションに包まれた。



 焚き火の向こうには昨晩と同じ闇が広がっていた。その闇の先は一体どうなっているのか、今の悟たちには知るよしもない。それを知るためにことさら陽気さを繕って、明日から動き始めると決めた彼らだった。



 異世界(仮)の2日目の夜は、少なくとも昨日よりは穏やかに過ぎていく――――






 

 ようやく異世界(仮)での生活が始まります。

 今まで空気感満載だった「料理」タグが次話こそ火を噴くはずです。たぶん、おそらく、星辰が正しい位置についたらきっと。



※次話以降、作者の都合により多少投稿間隔が開くかも知れません。投稿は続けるつもりなのですのでご愛顧頂ければ幸いです。





*7/1修正:本文中に(※註)を入れたにもかかわらず注釈文を入れ忘れるという大うっかりを発見したので修正いたします。



※註1:冷やし飴

 水飴を水で薄めたものに生姜をくわえて冷やした飲み物。関西圏の飲み物で、京都あたりだと寺社のお茶屋さんとかで頂けます。作者は250ml缶を買って飲んだことがあるだけですが。


※註2:『天○一品』

 本作品はフィクションですので実在するラーメン屋さんとは一切関係ございませんが、天○一品は京都発祥のラーメンチェーンです。実は作者が好きなラーメンチェーンのひとつなのでご登場願いました。あのレンゲで掬うとレンゲの形にスープが抉れそうな、どろりとした豚骨具合がたまりません。

 ちなみに天○プロデュースのカップラーメンは作者の創作ですので、実在するかは定かではありません。


※註3:雀焼き

 雀焼きは伏見稲荷の名物のひとつで、その名前通り開きにした(!?)雀を串に刺して丸焼きにしたものです。グロ注意。頭の辺りがカリカリサクサクして案外ウマーなのですが。

 雀は稲をつついちゃいますから、稲作の守護神である稲荷神社で串に刺して食べるとか何とか、そんな感じの謂われがあります。あと、同様に開いた川魚などを串に刺してタレで付け焼きにする料理一般を雀焼きと呼ぶことがあります。おそらくこの雀の開きがルーツなんでしょうね。


※註4:聖護院大根はハンドボール大の馬鹿でかいカブというか、そう言う根菜の一種で、知名度的には最も有名な京野菜のひとつではないでしょうか。千枚漬けの原料としても有名ですし。最近は地方のスーパーでも見掛けることがありますね。流通は偉大です。

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