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『ダークライト』:6


 結局、あれから凛と電話もメールもしないまま、慶一は大学を出てとぼとぼと歩いていた。

 周りには同じように猫背で歩いている男や、伏し目がちな背の低い女がてくてくと歩いている。まるでゾンビのようにゆっくり、確実に。自分の足元から緑色の液体が零れているような感覚で、足を使うというより、足を引きずって線を引きながら歩いているような。陸からの重力ではなく、空からの圧迫感を感じる。空気が重い。

 流れに混ざり合って歩いていた。彼らにも何かしらの悩みがあるんだろうか。

 慶一はそんな風に思いながら歩いていると、右ポケット最奥にある携帯が鳴った。

 身体がピクッと反応する。急いでサブ画面に書かれてある名前を見るが、そこに書かれてる『柏木慎吾』の文字に落胆して目を落とす。

 慶一は電話に出て、

「……はい」

『おー慶一。ちょっと話があるんだけど』

 明瞭で活発な慎吾の声が、ゾンビの腐った身体に染み込んでいく。正直、今はあんまり人と話したくないので、返答するのも億劫なんだけど。

「なに、どうしたの」

『いや、今日これから用事でもあるか?』

「別になにもないけど」

 慶一がそう言うと、慎吾はそうか!と言って嬉しそう。機嫌が良いみたい、こっちの空気を読んでほしい。

『じゃあちょっと話があるんだけどさ。nana studioって覚えてるか?』

「まぁ……うん」

 遠回しにわかりきったことを聞く。昨日の話だろうが。

『そこに今日の夜八時、ちょっとお前に来てほしいんだ』

「なんでだよ」

 慶一が聞くと、声が申し訳なさそうな低さを持っていて、慎吾が電話越しで面倒に頭を掻いたりしてそうな偶像が浮かぶ。

『波崎美雪って覚えてるか』

 ……だから忘れようがない。心境が心境だけに、慶一はじわじわと苛立ってくる。

「なんだよ」『波崎の彼氏がかなりぶちギレてるらしくて、俺が宥めなきゃいかんくなって』

「は? なんで?」

 苛立ちがサーッと冷めていく。驚いて、声が大きくなって、慶一は周りにいた人達からうざそうに見られる。

 柿崎光がぶちギレたのか?

 あの柿崎が?

 アンバランスだし、二重人格ほど無理があるんじゃないか。

「本当かよ、それ」

『あぁ。なんか昨日に男と歩いているところを見られたらしい。あのあとメールが引っ切りなしに送られたっぽくて』

 さて、どういうことだろうか。つじつまが合ってないし、意味が分からない。

 昨日に男と歩いていた?

 それは『銀河』のベースのことだろうか。それなら光は知っているだろう、というか慶一はそのことを光から聞いた。しかもメールせず直接言えばいい……なんて頭の中で推理してるのも怠くて、慶一は眉間に深く皺を寄せる。

「どういうことだ。彼氏って柿崎光じゃないのか?」

『え? あぁ……それは勘違いだ』

 慎吾は苦み混じって声を涸らした。

『光と波崎は……まぁそこはいいんだよ。問題は本カレの方。ちょっとややこしいんだよ、そこんとこ』

 無駄に曖昧で、秘密主義的な感じがする。何だかまたもや苛立ってきたらしい、心の奥で目玉焼きが作れそうな“澱み熱”が沸き上がってきた。慶一は足裏に疲れを感じてきた。さっきからずっと大学前アスファルトに立ちっぱなしだ。

「で、俺にどうしろって?」

『お前は来るだけでいい。喧嘩とか起きたときのストッパー的なのをお願い出来るか?』

「お前一人でいいだろ」

『あんまり力強くないんだよ、俺。いや、慶一が喧嘩強そうとか言ってないけどな、あっちは一人だから。二対一の方がなにかと安心だろ?』

 上手く利用されてる感じがしないでもないが、慶一の身体に倦怠感と、もうどうでもいいって諦めがある。凛のせいじゃないけど自分のせいだ、って思いたくない弱さがある時に、頼み事なんてされたからだ。

 少しだけ黙り込んでしまい、心配したのか、慎吾が訝しく声を落とした。

『どうしたよ?』

「あ、いや……」

 慶一は頭の中で波崎美雪の顔を思い出していた。彼女の美化されたイメージが頭の中に浮かぶんで自分に嫌気がさす。

「……なんでもないよ。……わかった、行くよ」

『え、いいのか?』

 意外そうに、でもその答えが来ることを予感していたかのように。前者でも後者でも受け取れそうな中途半端に驚いてるような声を出した。

「うん、いいよ。どうせヒマだし。すぐ終わるだろ」

『いや、それはわかんない』

「とりあえず行くよ。何時集合?」

 とりあえず早めに七時半とかどうだ? と慎吾は三十分も早い時刻を定時した。慶一はそれで言い、と適当に返事する。電話を切るときに、はーい、はいはいと間延びしたり単調だったりする相手への確認の相槌をお互いにやりあって、いつ電話を切ったら一瞬わかんなくなっていると、慎吾が電話をブツッと切った。こういう時にも優柔不断さが出て嫌になる。

 いつの間にか仲間のゾンビはいなくなっている。いや、仲間じゃなくて仲間意識だが。

 慶一は濁って凝り固まった雑念を振り払うように、雨の後の犬みたいに頭をぶんぶん振る。身体が少し痛む。目が眩む。

 とりあえず帰って支度をしないとな。



 待ち合わせ場所に早く来てしまうのは気が小さいことだ、と芸能人の誰かがテレビで話していた。

実際、その通り。

慶一は早めの七時十五分ぐらいには、スタジオ前でさっきコンビニで買ったパックの紅茶を飲んで、慎吾をじっと待っていた。一リットルの牛乳パックの開け方はもちろん知っている。慶一は紅茶パックをそんな風に開けて、コップがわりに口の中へとラッパ飲み。微妙に冷たくて、身体が冷えて行くのを感じた。

 nana studioの入口は道路に面していて、歩道もなく、海上都市みたいな剥きだし感があった。一段だけの段差が海を嫌って拒絶するように、入口と道路の中間で出っ張っている。そこに腰掛けていれば安全だが、段差は思ったより低くて、地面で胡座をかいてるのと大差ない。

 さぁ、どうしようか。

 時間が刻々と迫ってくる。それは慎吾が来る、ってことじゃなくて、凛の兄貴と会うことに対して。凛とは連絡をとってない。あれから三時間、たった三時間。その間に凛とは一度も連絡をとっていない。

 もう凛とは別れてしまった、ってことになっているんだろうか。そんな不安と、凛の兄貴と会わないで済むかもっていうどす黒い期待感が胸を押し潰していった。

 だから、話がしたかった。メールでもいい。

 恐怖があって、そいつは諦めようとする考えを認めてくれない。脳の中にいるのは、自己保身と凛との“これから”。それらが曖昧に混ざり合う中で、何かしなくちゃって気持ちにさせてくれる何かがほしかった。大学を出る前、慎吾から電話を前。たった三時間の中で。

 慶一はうずくまって、自分が履いてるジーンズのがさがさに頬を擦り寄せた。まるでいじめられっ子みたい。体操座りがさらにコンパクトに。

 足音が聞こえた。もちろん足音だけじゃない。それだけじゃ顔を上げない。

「おい、慶一」

 呼びかけるような声が耳元で響く。慣れ親しんだはずなのに、身体がビクッて引き攣る。考えごとをしていたから、思ってたよりも声が近かったから。

 ああ、まるで柿崎光だ。

 慎吾は慶一の顔を見て、ニカッと笑う。いつもの笑顔だ。安心はしない。

「お前、いつも早いよな、待ち合わせ。何分前から来てたんだ?」

 慎吾にそう言われて、慶一はポケットから携帯を取り出して、ディスプレイに表示してあったデジタル時計を見る。七時二十五分。珍しく慎吾は遅刻しなかったようだ。

「十分前ぐらい」

「凄いな、心配性か?」

 質問に答えて、軽くからかわれる。慎吾は馬鹿みたいに笑顔で、慶一は疲れきった表情をする。相槌を打つのさえも疲れていた。

「うし、そろそろいこか」

 慶一は笑顔のまま、通りの奥にある建物の羅列に身体を向ける。そっちにはファミレスに、コンビニに、本屋が並んでいて、比較的人がいそうな場所。

「今からどこに行くんだ?」

「ファミレス。そこにもう波崎はいるから」

 慎吾は慶一が立ち上がる確認もせず、それでも慶一に合わせてゆっくり歩いていく。

 このまま立ち上がらなかったら面白いのにな。

 でも、慶一はそんなことをせず、慎吾の後をついていった。

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