『ダークライト』:4
文章力とか模索中なので、前より長く感じるかもしれませんが、気にせず見てくださいm(__)m
「あ、し、慎吾」
黒髪と、その先端がドア外から現れ、何故か申し訳なさそうな感じの掠れ声がかかる。少し青みがかった黒いギターケースと、白地にかっこいい『D』の文字が描かれてるTシャツを着た男が、ワックスで輝く地面に映ってきた。
「おー、遅かったな。光」
と、慎吾が手を上げると、光と呼ばれたその人も弱々しく手を上げ返す。その苦り切った表情は、ライブのステージでチューニングをしている時に見た記憶がある。
現れたのはlazy antのギター&ボーカル。
なんか微妙に取っ付きにくそうな雰囲気が出てる。やっぱり“挙動不振過ぎる”ってのがあるんだろうな。酷く窶れて不健康な感じもあるし黒目が泳いでいて、その目の下には立派な隈が出来ている。化粧しすぎて目の回りが黒ずんだ馬鹿な女子高生みたい。ピエロよりパンダなイメージが強いラブリーな感じ。
あぁ、うん。顔立ちは悪くない。陰だらけのオーラは女性にも受けが良さそうな感じがしないでもないし、子犬みたいに鼻をスンスン鳴らしている姿は、愛玩動物そのもので、母性本能を存分に擽らせることが出来るんじゃないか。
勝ち負けないし、『音楽』というステータスがあるこの人の方が、慶一より何倍もの存在価値があるという事実。だから、慶一はこの情けなさそうな男に対して、畏怖と敬意を感じずにはいられなかった。
慶一は備え付けのアンプの上に座っていたが、芸能人に会ったときのような焦躁に近い早さで立ち上がる。急に来たから、ってのも大きかったのだが、端から見たらただのファンのリアクションだ。
「あ、お、遅れてごめん。ち、ちょっと、お、送ってて」
と、吃りながら必死に言葉を繋いでいく。慎吾は聞こえにくいはずなのだが慣れているのか気にしてないようで、鼻をふんっと鳴らし、
「送る?」
と、ちゃんと聞き取れている。
「と、灯子が、き、今日は早く、か、帰らないと、ダメ、だ、だって」
灯子……はベースの人だったかな。その人が今日来れないらしい。微妙に聞きとりにくくてはっきりしなかったが。
ていうかビビり過ぎ。本当にこの男が、あの時歌っていたボーカルなんだろうか。
でもセンターで歌っていたから、メンバーの中で一番はっきり見えていたし、右手には血の滲んだ包帯も巻いている。照明が暗い『ホタル』の腹の中でも、顔が全く見えないってことはない。
この人なんだ、って核心もあるにはあるし、……まぁこの人なんだろう。ただの怖がり?人見知り?
ていうかスタジオには自分以外に二人いることをとっくに気付いているはず。だって慶一のことをちらちらと見たり見なかったりしている。
「……あ、あれ?え、えーっと」
でも、話しかけないと前には進めないってこと。ボーカルは慎吾と慶一を見比べ見比べする。
「あぁ。まだ慶一も名前は知らなかったな」
慎吾はそう言って、視線をボーカルへ。そこでまたビクッと引き攣り、目がクロール。
自己紹介していいのか?
慶一はあまりのビビりっぷりに戸惑ったが、少し咳込み、
「どうも、慎吾の友人の紀藤慶一といいます」
よろしく、と手をのばす。
身体がビクッて素早く反応。黒髪が揺れる。余計な敏捷性が無駄にありそう。握手のつもりだった慶一の右手は、淋しい状態で握り返されず、思いっきりスカされる。
「あ、あ、か、柿崎、ひ、光です」
柿崎光……かな?
吃り過ぎて聞き取りにくい。
柿崎光は慶一が差し出した手をちょん、と触ってすぐ引っ込めた。よろしく、は言っていない。
俺は猛獣か、とダサいツッコミを心の中でして、行き場を失った右手で頭を掻く。打ち解けるまでに結構時間がかかりそうだ。
「他の奴は?」
慶一と光の挨拶を見ながら、微苦笑していた慎吾がおもむろに言った。
「あ、み、美雪は、ぎ、『銀河』のベースの人に、さ、誘われてた」
「『銀河』ってお前らの前にやってた奴らか?」
慎吾が聞くと、光は小さく遠回りをするようなカーブっぽい頷きをする。
「何、考えてんだよ……。で、そのまま付いてったのか?」
「い、いや。そ、それは、わ、分かんないけど」
と、光は隈付きの目元をフローリング床に落とす。震えているのが喉だけじゃなくなっている。
ビビり過ぎだよ、絶対。
「……波崎も相変わらずだな。優は?」
「ゆ、優は、じ、自販機で、ジュ、ジュース買うって。だ、だからもう少しで来……」
ドアがギィィと開いた。
雪のような白い手と一緒、現れたのは眼帯を付けたドラムスの女の子だった。子供?と慶一は最初思ったが、光や慎吾の待ち人来たる的な態度変化にこの女の子がメンバーの一人だってことに気付く。
あの時はステージまで遠くてよく見えなかったが、距離が近い現在であらためて見ると、背がかなり低いことに気付く。童顔で華奢。中学生にも見える。とても、ドラムを乱打乱打していた女の子とは思えない。
髪が結構長い。背中の半分まで伸びていそう。確かライブ中はポニーテールだったような気がするが、今は解いている。柿崎光が黒髪に対して、茶髪と金髪が混ざったような、よく分からない髪の色をしている。
眼帯の柄はさくらんぼ。かわいらしいプリントだが、その横にある瞳が異常に暗い。黒目の濃度が半端じゃないって感じの、大きくて深い目がさくらんぼを馬鹿にしてるようにも見える。
「あ、どうも……」
こんにちは、と慶一は咄嗟に挨拶をしたが、女の子は完全シカト。眼中に無い、って態度すら無い。
なんか無表情っていう表情が前面に出過ぎ。
氷の仮面?鉄の女?
名もなき威圧感が女の子の回りに漂っている。
「水城、波崎の奴は?」
答えをあまり期待してないようなトーンで慎吾は聞いた。
あぁ、この女の子はどうやら水城って名前らしい。さっき慎吾と柿崎光が『優』って呼んでいたから、この女の子の名前は『水城優』なんだろうか。
水城優は話し掛けられても、聞こえない振りの最上級とも違う、本気でどうでもいいって思っているように慎吾を見る。
「知らない」
と、一言で済ませようとする。
慎吾は動揺もせず、髪を掻きながらちょっとだけの歯ぎしりをする。慣れているんだろうな、普通はもっと苛々するもんだ。
「知らない、じゃ済まねぇよ。今日は灯子もいねぇんだろ?それプラス美雪が来なかったら練習に無んねぇじゃん」
慎吾はもっともな意見をぶつけるが、優は興味なさそうに冷ややかに慎吾を一瞥するだけ。息をしてるのかどうかも分からないほど、口と鼻の“動かなさ”は極限に値する。
何かに嫌がってる感じがする。
多分、『怠惰』って言葉を人間性で現そうとしてるんだろう。究極の面倒くさがりは、今日の練習も波崎美雪にも興味を持ってないんだろうか。
慎吾は、珍しく苦々しい表情になり、珍しく舌打ちなんてことをする。
なんか、今日の慎吾はいつもと違うな。分かる気はするけど。
「なら、どうすんだよ。折角、慶一も来てくれたのに、ここで解散はないだろ?」
と慶一を親指で指しながら言った。
そこで初めて、隠れていない冷たい左目に慶一の顔が映った。
誰?、って言ってるのか、優は慶一をじっと見ていた。
「あ、あぁ。えっと……、紀藤慶一っていいます。慎吾の大学の友人で」
なんか握手も出来そうに無いんで手は出さない。ある意味、柿崎光より話し掛けにくい。
なんかもう喋りたくもなさ気な優は、左目を瞬きしてこめかみを中指で擦る。
変な仕種。似合ってるけど。
「で、どうすんだよ」
慎吾は諦め半分、辟易しながら言う。気分も少し悪くなってるみたい。
優は無表情のまま慎吾の方を向く。目が少し細くなって、怠そうな声で、
「大丈夫と思う」
根拠の無い憶測が慎吾を俯かせる。優は話も済んだっていうスタンスで、座高ぴったりのアンプに腰掛ける。
なんだかな。
慶一もこの不可思議な空気にどうしていいか分からず、天井を見つめて、床を見つめたりする。どっちにしろ、波崎美雪を待たなきゃ練習は始められないらしい。慶一は少し伸びをして、さっき飲み干した空のペットボトルをごみ箱に捨てようとした。
三度目。
ドアがギィィと開いた。
「ごめーん!遅れちゃった!ちょっと変な奴に絡まれてて……」
場の空気とかなり温度差がある声が、ドアの内外に突き刺さってくる。防音壁ってこういう時に役に立つのかな、って塩梅が慶一の頭に現れるが、このスタジオに現れた女の人の方に優先順位が行ってしまった。
美人だ。美人過ぎる。
ハーフってのはこういうことなんだろうか。彫りが深くて鼻が高い。もちろん二重でモデル並にスタイルも良い。ライブで見た時と比べて、距離が近いからどうしても細かいパーツが鮮明に見え、がっかりするパターンが多いのだが、逆に改めてその美貌に気付かされるってもの。彼女が持っているギターケースがぼやけるくらい。欠落がない完璧な顔立ちをしていた。
「あれ?あなた誰?」
女の人は慶一にすぐ気付いて近くまで寄ってくる。ここらへんは柿崎光と水城優とは違ってて、思いっきり虚を突いてくる。慶一は自分の心臓が早くなっていくことに気付いてないほど、意識、身体が硬直してしまってた。俺には凜がいるから、って暗示をすぐにかけないといけない。
「ファンの人?それとも『銀河』の誰か?どっちにしても今から練習だから、相手出来ないんだけど……」
「そいつは俺の友達だ」
と、横から慎吾が説明してくれる。女の人はへぇー、と言いながら慶一の身体をじろじろ見回す。
「ってことは大学生?慎吾と同じ大学?」
「えっ!あ、あぁ、はい。紀藤慶一っていいます」
照れと、いたたまれなさで、声がぎこちなくなる。かなり情けなかったが、気にしてなさそうに、ニコッと笑われ、
「私、波崎美雪です。海の波に山崎とかの崎で美しい雪。ギター担当で曲とか作ったりしてます」
よろしく!と握手を求めてきた。
まさかの逆パターン。慶一は柿崎光みたいに、ビビりながら恐る恐る手を合わせる。女の子っぽい柔らかい手が合わさって、心臓が更に跳ね上がる。純情過ぎ?って自嘲感が慶一の脳裏に浮かぶが、
(痛っ……!)
慶一の手の関節がポキッと音を起て、一瞬顔をしかめる。
波崎美雪の握力が意外に強く、ギュゥッという音がしそうなほど握りしめられていた。
ギタリストって握力強いのか?
慶一は引き攣った笑顔、美雪はニコッと満面の笑顔でそれぞれ手を離す。
「で、何してたんだ?絡まれたって」
「あー、なんか変な奴に絡まれたのよ。『銀河』ってののギター担当の奴に」
美雪は何故か笑顔で、手で団扇を作って顔をハタハタと仰ぐ。走ってきたのか、よく見る(変な意味じゃなく)と汗が少し滲んでいる。
今更に気付いたが、首元に銀のネックレスを付けていて、汗を吸収してる
あれ?ていうか柿崎光は『銀河』の“ベース”に誘われたって言ってなかったっけ?
慶一が光の方を見ると、何故かさっきよりぶるぶる震えている。美雪が来てからか、その顔は少しテンション落ち気味。
「あ、慎吾!そういえばさ、新しいドラムの件、決まった?」
タン、タッと美雪のブーツの足音がスタジオ内に響く。
「んーあぁ。もう少しで決まりそうだ」
「へぇ……どんな人?」
美雪は慎吾の顔を笑顔で見ているが、美雪の顔を慎吾は苦々しく見ている。嫌ってるって感じじゃないけどあんまり話したくなさそう。柿崎光や水城優に比べたら波崎美雪はマシなんじゃないか?誰とでも仲良く出来る慎吾にしては珍しい。
「半田菜緒っていう女の人なんだけどな。『パドリング』っていうバンドのドラムやってたんだが、もう解散したからサポートで来てくれるらしい」
「ふーん……、上手いの?」
「さぁ?でも『パドリング』って名前は前から聞いたことあったから、それなり上手いと思う」
曖昧な紹介の仕方だったが、美雪は言い出しっぺなのに興味なさげな相槌を打って、光と優のちょうど間に担いでいたギターケースを置いた。地面がドンッて音を起てて、それと同時に光の身体が強張り、優の左目がそれを映す。
慎吾は溜息をついて、自分のギターケースからギターを出し始める。優も面倒くさそうに立ち上がり、面倒くさそうに部屋の奥にあったドラムセットに座る。スティックは椅子の裏側の下に設置されていたようだ。
「光」
何故か慶一の身体が反応した。その声が慶一や慎吾に宛てられたものよりも遥かに冷たかったからだ。
呼んだのは美雪。さっきまでとは別人の声。
声をかけられた光はビクビクしている。喋ることすら出来ないようだった。
美雪は笑ってる。
あぁ違う。さっきまで見せてくれたのは“爽やかな笑顔”だったが、今度は“心からの笑顔”だ。
慶一は立ち位置的に横顔しか見れなかったが、彼女の頬の引き攣り方は半端じゃなくなっている。
美雪は光の前まで来て、ニコリと笑って無機質に、
「ちょっとトイレまで付いてきて?場所が分かんないから」
美雪はまたニコリと笑う。
光はぶるぶる震えている。貧乏揺すりが止まらない。
光はギターケースをその場に置いて、トンッという音が響く。
そのままドアを開け、美雪はその後に続いてドアを閉める。ギィィって音が慶一の耳で長く続いた。
「気にするな」
慎吾は苦々しい声で言う。
「いや、どう考えてもおかしくないか?」
声が上ずってる。何をそんなに焦ってるのか慶一自身も分からない。美雪はまだマシだって信じたい気持ちがあるから?
慎吾は白々しく、
「何が?」
「いや、だって……」
唾がゴクッてなる。
「だって“トイレはスタジオの入口の真横にある”んだぞ?」
それをわざわざ聞くのはおかしい。理由は大人だからってことで何となく分かってるんだけど、急だったから頭がパニクってる。
あの二人、“そういう関係”だったのか。
「あぁ、もういいんだ」
慎吾は溜息に諦めを混ぜて吐いた。もう、どうでもいいって感じで。
だからそんな顔は似合わない。
慎吾の指が鼻先を擦り、優をちらっと見てまた溜息混じりに呟く。
「あんまり気にするな」