『ダークライト』:2
寝れなかったな。
慶一の胃がグルルと鳴った。
なんか、色々と考えることが多過ぎたし、一つも上手くまとまらなかった。
恐怖感は半端なく、昨日から睡眠機能が壊れかけ。
今日一緒に行く予定だったライブも、本当はキャンセルしたい。
身体の関節部分がいつもより軋んでる気がする。
α波が出てるとリラックスするらしいが、多分0に近いんじゃないか。
(しんどいなー……)
頭がぼぉっとしてる。
静かに揺れる空気は、夜になりそうでなっていない時間帯によって冷たくなっている。
慎吾はまだ来ていない。
よく分からないが、『単独』じゃなくて『対バン』だから、お目当てのlazy antの出番が曖昧らしい。そのことが、集合場所に遅れる理由になるってことを慶一は判断出来ない。
現在、コンビニ前。
大学からそんなに離れてなくて、ラーメン屋は目の前。
なんか慎吾は、
「ちょっと用意しなくちゃいけないから、門の近くで待ってて」
と言って、にこやかに自分の家に帰っていった。
原付きで大学に来てたし、歩いてもちょっとの距離だから早く来るだろう、って思ってたけど、もう三十分くらい待ってる。
遅いなぁ、と思いながらも、待っていること自体はそんなに嫌いでもない。
パックの紅茶と、冷えたメロンパンを食べながら、遠くを見たり、近くを見つめたりする。
煙草は吸えないから、お金はそんなに使ってない。
地味に暇を潰していると、……ん?ギターケースを担いだ慎吾が現れた。
「あーすまん、慶一。家の鍵がどこにあるのか探しててな。まさかテレビの後ろにあるとは思わなんだ」
「いや、それは良いけど……。何、そのギター?」
黒いパサパサはためくギターケースは、慎吾の肩でガッチリと固められている。まるで高性能なランドセルみたいに、動いても揺れとかは無さそうな感じだった。
「あぁ、今日はちょっとライブ後にスタジオに行く予定なんだよ。」
「ライブって、lazy antの?」
「そうそう。だから、終わったあとに、ちょっと時間掛かっけど良いか?」
良いか?、って言われても、わざわざギター持ってきてるんだから、ダメって言えないだろ。
……なんて言わない。もう慣れた。
「ありがとな。じゃあそろそろ行くか」
慎吾はニッ、と笑って、ガサガサと歩きだす。
歩きだす?
「え?歩きなのか?」
「あぁ。近いからバスで行くと勿体ないだろ?」
確かに近かった。
近いから良いってわけじゃないけど、こんな場所が近くにあるなんて思わなかった。
繁華街通りの裏の裏。
一人で通ったら、カツアゲされそうなぐらいのアングラ度。
有刺鉄線に、蛇口の握り部分が転がっている。
設定温度が二、三度ぐらい下がってる気がするのは、光が入らないせいなのか、単なる気のせいなのか。
明らかに危ない。
人が何故か居ない。カラスが似合いそうだったが、カラスも居なかった。
水漏れしてそうなプラスチックなパイプと、何かが焦げ付いた臭いも、変な緊張感を漂わせている。
慎吾はいつものニヤニヤの笑顔で、慶一はさっきから辺りを警戒していた。
さりげなく慎吾の後ろについていく。風が裾の先を抜けて、ヒュッと音がして、慶一の身体が震えた。
「こ、ここは大丈夫なのか?」
暗さと、汚さの作用で声が上ずってしまった。
「大丈夫って何が?」
「いや……、明らかに人とか死んでそうな雰囲気だぞ」
慶一がそう言うと、慎吾はハハッと笑う。
「そんなビビんなって。日本は不景気だけど、平和なんだから」
「……フォローになってない」
空気が悪すぎる。ヘルズキッチンの中心なんて行ったことないけど、良い予行練習が出来そう。
「ビビり過ぎだって。たしかにここらへんは治安悪そうだけど、見せ掛けだけだから。誰も無意味に絡んできたりしねぇよ」
「……」
今度はフォローになってたので、慶一は何も言えなかった。
確かにビビり過ぎだったのかもしれない。想像での凜の兄貴が、さっきから頭の中でちらついているからかもしれないが。
段々と暗闇へ。
明かりが薄くなり、空気も更に引き締まっていく。
この通りに入って十分。
さすがに目は闇に慣れてきた。
だから、曲がり角の先にあった明かりに眩んでしまったのかもしれない。普段なら気にも留めないぐらいの明るさなのに、暗闇の中心にあるそれは、不自然で、不気味だった。
それはドアから漏れる光だった。
デパートの非常口ドア。
学校の屋上ドア。
そんなイメージの白いパイプドアから、光の筋が地面に伸びていた。
その入口頭上三メートルに、『ホタル』って看板が飾ってある。
名前の由来は何となく分かる気がするが。
「ここか?」
「おぅ」
慎吾の足と持っていたギターケースが止まる。慎吾の身体から出ている雰囲気が少し変わった。
「ここは三年前くらいからあってな。一見さんはお断りで、友達の誘いとか、オーナーの人に気に入られないと来れないんだよ。だから取材とか、事務所のスカウト的な人は入れないから、ここでどう頑張っても、メジャーデビューなんて出来ねぇのよ」
慎吾はしみじみと言う。慶一がふと、慎吾のその横顔を見ると、何故か笑顔が消えていた。
なんか哀しそうな、興味がなさそうな感じ。
「だから、プロ並の実力があっても、CDとか出してない奴とかいるから、結構凄い奴がゴロゴロと居るんだってこと」
「へぇ……」
看板のペンキの欠け具合なんかが少し気になったが、ドアから漏れる眩しい光と、横のコンクリート壁にスプレーで書かれた数々のバンドの名前が、“穴場”って雰囲気を造っている。
その名前の中には、誰もが知っていそうなバンドの名前もあった。
「あぁ、なるほど。ここで力をつけて、オーディションを受けたりするんだな。登竜門的な場所なんだな、ここは」
慶一がそう言うと、慎吾は怠惰っぽい微苦笑を浮かべた。
その顔に慶一は違和感を感じたが、慎吾はドアを開けて、さっさと中に入っていく。
……まぁいいか。
慶一は後に続く。中を見てみると、チラシが落ちている床と、団地住宅の廊下のような造りの空間。その奥にはまたパイプドア。
しかし今度は、その前に中年の男が立っている。どうやらもぎりらしい。
慶一は久しぶりに人に会った、という錯覚を覚える。あの暗闇に慣れすぎたか、人見知りが激しくなったように心が揺れた。
慎吾はギターケースのポケットの中から、黄色いチケットを二枚取り出す。手づくりなのか、非常にシンプルだ。
それを男に渡すと、男の皺枯れた指がそれを確認して、折り目をちぎる。猫背で、ちょっと不健康な男は、テレビに出てくる、ホラー映画の墓守りみたいだ。
「おっさん、まだレイジー終わってないよね」
「……あぁ。多分、次だろうね」
返事も乏しく、慎吾は鼻を鳴らして、チケットの半分を受け取る。
パイプドアが振動している。
シャウトと残響音。
どこかのバンドがライブをしているらしい。
慎吾は面白くなさそうに、慶一はドキドキしながら、二人はドアを開けた。
そんなに人は多くなかった。
百人いるかいないかぐらいで、少なくとも、四人はステージにいる。
その境目に、バリケードとか何にもなかったのが気になったが、今はいらないってのが分かる。
爆音と静寂。
両極端の世界がそこにあった。
まぁ、何てことない。
バンドは物凄い音を出して跳び回ってるのに対し、観客はつまらなさそうにメールを打ったり、欠伸をしたりしている。
「……何これ?」
バンドに対する回りの視線が冷た過ぎる。あまりにも興味のない装いは、どこか滑稽でもあった。
「ま、こういうこと」
そう言って、慎吾は珍しく、肩をすくめる仕種をした。
「実力が全て、って言い方はおかしいけどな。中途半端に実力があっても、感覚麻痺して、大して盛り上がれなくなってんのよ」
それは……、バンドにとっては良いことかもしれないが、今の状況は演奏している奴らにとって可哀相過ぎるんじゃないか?
慶一が聞くと、また珍しく、慎吾が肩をすくめた。
「まぁ仕方ねぇよ。『銀牙』だっけな、今やってるやつ」
そう言って、今度は嘲るように鼻で笑った。
「175R気取りで、青春謳歌した感じの歌ばっか歌ってる。明日に向かって進めとか、未来があるから頑張れるとか、アイドルじゃねぇのにそんなんで感動すると思ってんのかね。尊敬する歌手はブルーハーツってか?格が違うってことに全然気付いてねぇよ、こいつら」
暴言と例えを津々浦々出してきて、吐き捨てるように言った慎吾は、後ろ髪をボリボリと掻いている。
慶一にはその『銀河』というバンドの悪さがわからなかった。むしろ、中々良いんじゃないかと、軽く思っていたが、慎吾の話を聞いたら、このバンドが凄くダサく感じたりもした。
感情が移り変わる。
そんぐらい、『銀河』への想いは“微妙”ってことだった。だからこいつらはこんなにも評価が低いんだろうか。
やがて演奏が終わり、『銀河』はいそいそと、舞台袖に帰っていく。拍手はあったが、疎らで、社交辞令さを『銀河』に分からせるように叩いてるみたい。
同情するよ。
慶一はあらためて、『銀河』には頑張ってほしいと思った。
「さぁ、次だ次。本番だ本番」
慎吾は嬉しそうに、ニヤッと笑う。ようやく慎吾らしい表情が戻ってきたようだ。さっきまで珍しく大人しかったのに。
観客も騒々しくなる。座っていた人は立ち上がり、メールを打っていた人は携帯の電源を消しはじめた。
期待。
その二文字が雨のように降っては、全身ずぶ濡れ状態で、みんなが目を輝かせている。
誰もが待っていた。
『lazy ant』を。
(よっぽどだな……)
そう思いながら、慶一も逸る気持ちを抑え切れなくなっていた。 すると急に、ライブハウスの右端にいた観客が歓声を上げる。それはウェーブするように、すぐに左端まで伝染した。
ステージに一人の女の子がやってきたのだ。