第一章 三 得体の知れない人形
三
鞄の中を見る。時計を見たら八の文字を指していた。一周目なのか二周目なのかはわからない。リシアが買ってくれた色々な服がギッシリと詰まっている。充電も出来たので、血のついた服を脱いで着替えることにした。
扉が開く音とともに、
「おいおい何だ、ストリッパーか?」
扉の前に一人の男がいた。
「何?」
ガシリと腕を掴まれ、部屋の外へ。今まで見た人の中で一番体が大きい。見上げないと、顔が見えない。短い髪がツンツンと上を向いている。腕を掴んでいる彼の右腕が、人間のものではないことに気付く。金属で出来た機械の腕。
肘の関節や手、指の動きに合わせて、その腕を構成するシリンダーが機敏に、精密に動く。いや、シリンダーが、動きを精密に制御しているのだろう。カレイドスコープの回転する構造を思い出した。ギア同士が絡み合う複雑な構造が似ている。
残して来たシーズが気になる。大声で起きただろうか。それともぐっすり寝ているだろうか。
「とにかくあれだ。あのインテリ野郎に見せねーと。ああ糞! 仕事を増やしやがって!」
廊下を歩きながら、その声が響き渡る。ひどく怒っている──ように見えるが、よくわからない。怒ってないような気もする。
「でもよ──」
私の頭から足先まで、視線を這わせて、
「おめぇもうちょい、服はちゃんと着ろよ。俺は紳士だから構わねぇけどよ、欲情した変態どもがうようよしてんだからな」
紳士、欲情、変態──ラッカク?
「変態男……?」
「そうそう、あーんなことやこーんなことをだな!」
ラッカクがうようよ……それは少し怖い気がする。あんなことやこんなことって何だっけ……。そう確か、私は起きたばかりで、目の前にラッカクがいて、ロボットの話をしていたのだ。何か有名な物語。読んだことはない。記憶ではなく、記録に残っている何か──猫、猫型。
断片的に残る記録を拾い上げる。
「瞬時にどこかに移動できる扉なんて持ってないですよ」
「ああ? おめぇ、頭イカれてんじゃねーか? ったくついてねー。女もいねーし、酒も制限されるし」
最後のほうは私に向かってではなく、小声で、誰に対してか文句を言っていた。これほどまでに会った人に言われ続けるのなら、もう諦めたほうが良いのかもしれない。私はイカれてる
細い廊下の先にある階段を上がると、同じような廊下がまた続いていた。突き当たりの扉の前で、立ち止まる。
「アーガス所長! ブラッジです! 緊急事態なので入ります!」
そう威勢良く大声で言いながら、扉の中に入る。
「おい、大声を出すな。それと、ノックしろ」
「ありゃ、糞っ! やり直します!」
「もう良い! そのまま入ってこい! あと汚い言葉遣いはやめろ」
「はっ」
すっきりとした部屋。長い机と、大きな椅子。そこに、眼鏡をかけた男が座っている。手を引かれながら、その男の前に並んで立つ。
私と、横に並んで立つ男──ブラッジを、二、三度交互に眺めてから、肘を机に乗せて長いため息を吐く。
「おい、緊急事態と言ったな?」
「はっ、あのですね──」
「まさか、出動する前に始末書を書かせるハメになるとは思わなかった」
ゴソゴソと、机の引き出しから紙を一枚取り出して、机の上に置く。横を見上げると、ブラッジは固まっている。
「あの、アーガス所長! 質問してもよろしいですか?」
「何だ?」
「どうして始末書?」
再びため息。
「とりあえず、どういうことになったのか説明してもらおうか」
「はっ。私が、三時間の休息任務を与えられ、寝心地の悪い忌々しいベッドに向かおうとしていたところ、部屋でこのうら若き乙女がストリップをしておりまして、多少心が動いたものの、冷静で紳士的な私は、他の野獣どもに見つかっては大変だと──」
アーガスは聞いたことを後悔するように、ブラッジの言葉を遮り、
「四十七地区の住民一名を保護中ということはさっき伝えたな?」
「はっ」
「住民が所持している機械人形も保護中ということは伝えたな? 仮眠室を一部屋、一○二号宿室を使わせていることも伝えたな?」
「その通りであります。しっかりと覚えてます──あれ、一○二号宿室を使えという指示では?」
「お前──いちいち紙に書いてやらんとわからんのか!? 一○二は使うなと言っただろうが!」
「はっ。紙に書いてください!」
その言葉に、アーガスの顔がみるみる赤くなっていく。怒っている。確実にこれは怒っているとわかる。
「ちなみに、ブラッジ、お前の横にいるのはうら若き乙女でも何でもない。もう少しきちんと観察することを覚えろ」
なんのことだと、ブラッジは私のほうを見てくる。大きい顔がじっと近付いてきて、そして数歩下がって、凝視──。
「うら若き乙女です! おそらく胸のサイズは──」
「ブラッジ、お前に期待する俺が悪かった。ちなみに忠告しておくと、『うら若き乙女』の前でそういう言葉を発するのは謹んだほうが良いぞ。それに君も、上着のボタンをきちんとかけたほうが良い。その──なんだ、下着が見えてる」
初めて私と目を合わせたアーガスは、そう言ってから再びブラッジを見る。言われたとおりにボタンに手をかける。着替える途中で連れてこられて、腕を捕まれていたから、気になったもののそのままだった。
「人形?」
ブラッジは私をもう一度見て、首をかしげた。
「お前は、その手を見ても何も思わんのか?」
アーガスが指をこちらに向けてくる。手の甲、ユニットを弾いた際の摩擦と、いくつかの弾き損ねたものによって傷つけられた切り傷。血は一滴も出ておらず、白いセラミックスが見えている。
「な──敵か!?」
そう言ってブラッジは私を睨む。まさか今気づいたのかと、私も驚く。でも、敵じゃないと思う……と、思ったら、左腕を掴まれた。解こうにも解けない。とても強い力。あっという間に壁に叩き付けられて、ミシミシと嫌な音が聞こえた。ブラッジの機械の腕からは、唸るようなモーターの回転音。これは砕けそうだと、他人事のように思った。
「おい待て!」
「え!?」
途端に、腕が自由になる。良かった。まだ砕けてない。
「話したよな? 機械人形も保護していると! ここに着任したときに伝えたし、さっきも伝えたよな!?」
ブラッジの巨大な腕が目の前で止まり、くるりとアーガスのほうへ向く。
「なるほど、このうら若き乙女と見せかけた忌々しい人形が保護対象というわけですか?」
「忌々しいかどうかは置いておいて、わかってくれて……助かる。そうだ。始末書を書くか、その人形をメンテナーのところに連れて行くか、どっちかを選べ」
アーガスがとても疲れた様子でそう言った。
「メンテナーって、あの小汚い野郎どもの部屋? うーん……」
機械の腕じゃない、左手をあごに当てて、悩んでいる。
「連れていくだけですか?」
「そうだ。子供でも出来る簡単な任務だ。そうだろう?」
「では、連れていきます。でもなんで?」
「保護対象にはしたが、どうにも素性のわからん人形だからな。検査して確認することがある。まぁ、細かいことは考えなくて良い。メンテナーにはきちんと説明しているから、連れていくだけで構わない。ちなみに、お前の休息時間が増えるようなことはないから、それが済んだら、さっさと休んで次の任務に備えろ。望んでも望まなくても、次はお前をガラクタ共の中に放り込んでやる」
「はっ! 望むところです!」
そう言って、再び腕を掴まれる。けど、今度はそんなに強くない。引きずられるようにして退室。アーガスがとても疲れた表情になっているのが最後まで気になった。彼をこのままにしておいて良いのだろうか。
エレベーターの表示が正しければ、地下四階。小さなエレベーターは、私とブラッジが二人で乗っただけで、とても窮屈だ。人間は、人によって顔も体格も違うということを実感する。襲ってきた人形が画一的な姿をしていたためか、それを強く感じた。
「あぁー、面倒だ。俺は早く寝たい!」
「ごめんなさい」
「──お前、なんでそんなビクビクしてんだ? なんか悪いこと考えてんのか?」
じっと見られる。決してそんなことはないと思うし……ビクビクしてるつもりもない。
「まぁ、あれか、それを調べるための検査なのか? まぁ良いか。ほら、ここが小汚い変態野郎共がたむろしてる研究室だ」
大きな扉。大きな腕がいとも簡単にその扉を開く。ラッカクがうようよ?
「ブラッジ、そういう誤解される言い方はやめてもらえないか? もう壊しても直さんぞ」
「何!? 直せよ仕事だろう!」
「やだね」
話が筒抜けだったのか、何かの画面の前でパネルを操作している男が、ブラッジにそう言った。大きな扉に似つかわしい、大きな部屋。計八人の人間が、何かの作業をしている。机と椅子と、大きな機械。散乱する何に使うかわからない部品。大きなものから小さなものまで。
ブラッジの腕に似たものが、宙に固定されている。同じ方向を見ていたブラッジが声をあげた。
「お、こいつが新型なのか?」
「そうだが、新しいのに変えたいからって壊してくるなよ。俺たちの運用費は第五十三地区の税金で賄われていることを忘れるな」
「んなのはわかってる! だが、やつらを壊さなきゃどうにもならねーだろ! これはまだつかえねーのか!?」
「まだテスト中だ」
男がパネルを操作すると、その腕が動いた。
部屋の奥には、たくさんの人形が並んでいる。動いてはいない。機能停止している。
「早くしろよ。そしたら俺が、人形をぶっつぶしまくってやるからよ」
「善処する。ところで、その人形が、保護対象中のものだな? グラ、検査準備は?」
奥から声が返ってきた。
「ああ、できてる。ええと──」
ひょっこりと顔だけが、奥の人形の間から飛び出す。白髪の混じった男性。けれど、老人といった風ではない。
「こっちに来てくれ」
私? そう思って、ブラッジや目の前の男を見る。どうやら私らしい。一歩踏み出すと、「じゃあ、連れてきたからな。問題ないよな! 始末書は絶対書きたくないんだ! 金が減るし、金が減ると酒も飲めねーし……」と色々と喋りながら、扉を閉める音。ブラッジの声は扉を越えてこちらに届いてきたが、やがて聞こえなくなった。微かにエレベーターの動作音が続く。
目前、計十三体の人形が部屋の奥の少し開けた場所に立っている。正確には、床から垂直に伸びた、何らかの樹脂を素材としている白いプレートに固定されている。自分と同じ存在が、その目に光を宿さず、まるで人形のように立っている光景に、目を奪われる。どこか異様な光景。と、そこまで考えて、自分の考えもおかしいと感じた。何が私に、『人形のように』と思わせたのだろう。
「ええと、ここにとりあえず寝てくれないか?」
白髪の混じったグラという男が、薄汚れた白衣を揺らしながら、開けた場所の隅にある白いプレートを指した。人形が固定されている他のものと違い、地面から水平に設置されている。可動式のベッドのように見えた。二本の細い足がプレートの両側にあり、それを水平に保っていた。
「……どうかしたか?」
「この、ベッド……? 壊れない? 私重い」
「さっきの大男、ブラッジが乗っても壊れないから、安心してくれて良いよ」
ブラッジと私と、どちらが重いだろう? 測ったことがないからわからないけど……。促されるままに、そのプレートに横になる。天井には眩いほどの照明が備え付けられ、部屋を照らしている。白い壁と、白い天井、白いプレート。グラの着ている服も白い。白ばかり。大丈夫そうだ。
「ああ、背中にあるタイプか」
私を眺めて、グラがそう言った。それが何のことなのか、考える。
「電源ですか? 脱ぎます?」
「いや、何だ……いつも脱いでたのかい?」
「背中に穴を開けてた服があったんですけど、それは血だらけになったので」
「……とりあえず、適合するコネクタを探そう。無線供給するから電源ケーブルをどうするかなどの心配はしなくて良い。で、型番は?」
「型番?」
うんざりしたような顔。この人の仕事を増やしてしまったようだ。
「じゃあ、ちょっと背中を見せて」
上着の裾を上げて、グラに背中を向ける。細い二本の足で支えられたプレートは、私が動いたのにまったく傾かず、揺れることさえなかった。
「プラグは──家庭用のタイプか、それもそうだな……」
そうつぶやいて、グラは部屋の壁際にある箱の中を引っ掻き回す。しばらくして見つかったのか、小さな金属の塊を手に戻ってくる。背中に腕が入ってきて、カチリと、取り付けられた。
『エラーです。電圧が正常ではない可能性があるため供給を遮断します』
「あれ、規格に合致してないのか?」
そう言ったグラが私の目の前に来て、背中に取り付けた機械を外した。グラの腕が右の頬に近付いて来て、髪に触れる。掻き上げるようにしてから、何かの細いケーブルが近付く。
「何を?」
「とりあえず、電源供給は後回しにして情報を解析させてもらう。君が上層から送りこまれた戦闘型の人形ではないという判断をするのに十分な証拠を、所長が求めているんでな。横になってくれ」
前にもこういうことをしたかもしれない。という気がしただけで、記憶にはない。右耳に、細いケーブルが接続されている。気になって手で触ろうとしたら、「外すな」と注意されたので、仕方なく横になってじっとする。
視線をグラのほうに向けると、私の耳から伸びた細いケーブルがつながっている小さな画面を見て、険しい顔をしていた。一定の間隔で、操作とともに電子音が聞こえる。良く見れば、その画面からはいくつかのケーブルが出ており、プレート脇の小さな機械に取り付けられている。
しばらくして、グラが画面から目を離し、私のほうに近付いてきた。と思ったら、違った。先ほどの入り口にいた、機械の腕をテストしていた男が、プレートを挟んだ逆側にいつの間にか立っていた。
「調子は?」
「マキタ……直接的な危険性がないことだけは約束出来るが」
マキタと呼ばれた男が、私を見下ろす。そうして、もう一度グラを見た。
「どうかしたのか? 拘束していないってことは、敵である痕跡を発見できなかった、と見て良いんだな?」
「ああ、痕跡はなかった。今わかっている情報だと、機体は家庭用の家政婦型人形二八○○シリーズ、二八六三番型をベースに『外見』はデザインされているが、スキャナーの情報を信用するなら、素材がまったく別物だ。通常安価な樹脂が使われる外骨格には繊維強化セラミックスをベースとした複合素材が使用されているし」
「他には?」
「内部のフレームにも、非接触型のアクチュエーターが使用されている。あと、何らかの原因によって現在、この人形は外部に信号を発していない。コアを分析しないと詳しくはわからないが……」
早口でまくしたてるグラは、とても興奮しているように見える。対するマキタは、とても冷静だ。
「少し落ち着け。ただの家庭用の、家政婦型の人形にしては、おかしい部分が多々あった。それを所長に報告すれば良いだけの話だ」
背を向けて離れようとするマキタの側に、グラが慌てて駆け寄る。
「待て、これは良い解析対象だ。我々が、敵の人形の残骸から得られる技術には限界がある。稼働していて、おそらく多大な費用をかけて作られたこの人形を、おかしいということだけで廃棄するのは、もったいない。これは確実に、兵器に転用可能なように設計されている上に、敵の人形とは桁外れの性能を保持している可能性がある」
「処分は所長が決めることだから、そういうことは所長に言え。それに動いているものは危険だ。同じ研究者だから、気持ちはわからんでもないが……ここにいる全員の命、いや、第五十三地区のすべての人間の命と計りにかけてまで、その人形に価値があると思っているのか? そういえば、危険性がないと言っていたな。その証拠は?」
「あ、ああ……そうなんだ。この持ち主、何を思ったか──生物に危害を加えないようこの人形に命令している」
幾分、先ほどよりは落ち着いたように見えるグラ。
「それは──確かか?」
「記録チップにあるバイナリコードを解析した結果、行動処理部にその記述が見られた。ちなみにプライオリティは最高レベルで、書き換え不可の領域」
「つまりは俺が今からこいつをぶん殴って、コアを破壊しようとしても無抵抗のまま──ということか」
ギロリと、マキタの目がこちらを捉える。
「まぁ、そんなことしたら、君の拳のほうが心配だが……。自己を守るだけの行動以外は取れないように命令されている。反撃はない」
「例えばの話だ。しかし、面倒なものを拾ったもんだ。こいつの持ち主は保護しているというが、そいつからも話を聞くべきだろうな。まぁ、どちらにしろ、俺たちが気にすることじゃない。きちんと報告、頼むぞ」
「ああ、わかってるよ」
それにしても、とつぶやきながら、マキタが私を見た。
「人形は専門じゃないし、グラが弄っている敵の人形ぐらいしか見たことなかったが、家庭用っていうのか? かなり人間に近いんだな。こんなに細い腕なのに、パワーはあるのか?」
「測ってみないことには……。ただ、非接触型だから、大きさはほとんど関係ないよ。この技術が転用できれば、ブラッジの腕も大分コンパクトに……」
「そうか、まぁでも、あいつにはあのサイズがお似合いだ」
冗談混じりに、マキタはそう言って離れて行った。
「さてと、続きをやるか……廃棄にならなきゃ良いけどな……」
画面を見ながら、グラは作業を再開する。
「……元気ない?」
驚いた様子でこっちを見てくる。
「どこをどう見て、そう思ったんだ?」
「元気なさそうだから……?」
「おいおい、じゃあ、俺が笑ってたら元気がありそうだとか、思うのかい?」
「わからない。時と場合による」
「面白いな」
何が面白いのかはわからない。黙々と作業するグラの姿を見ながら、のんびりと時間が過ぎるのを待つ。頭の中も見られているのだろうか。最優先の命令は、書き換え不可能な記録チップに保存されている、なんてこと私は知らなかった。
「あそこに立っているのは、敵の人形?」
「元はそうだが……」
「危なくないの?」
「チップは交換、初期化してる。何も問題はない。いや、実戦にまったく使えるような代物じゃないっていうところでは、大問題なんだが」
「そうなんだ……」
「おい、なんだか普通に話してくるからダメ元で聞くが、なんで信号が出ていない。コア自体の動作は確認しているのに」
「出ないようにナノマシンを使った処置を行ったので」
「──なんでそうあっさり答えるんだ? というかそれは議会法違反だ。まぁ、この下層じゃそんなこと関係ないが……ちょっと待て、俺がこうやってバイナリやら人形のデータベースと照らし合わせながら解析をするよりもっと楽に出来たんじゃないか?」
声が大きい。驚いて、怒っている感じもする。きっと私は何か普通じゃない。けども、普通の人形はどういった反応をするのだろう。
「……答えられることなら答えます、けど?」
「じゃあ聞く。なんでそういう処置を行った?」
「治安維持局に見つからないようにするために……だったかな。でも、ユニットも使えなくなりました」
「ユニット!? やはり戦闘型なのか?」
「戦闘型──なのかはわかりません。あの、一度、記憶及び記録が削除されているため、私の喋る情報には正確ではないものもあるかもしれませんが……」
「削除されているって……不可解だな。特注品の人形とでも書いたほうが一番楽で的を得た報告書になりそうだ」
頭を抱えて、グラはもう一度画面を見つめた。
「大変ですか……? 私ここから出て行った方が良い?」
「いや、出て行くのは余計にまずい」
動いていない人形たちを眺める。どういう感じなのだろう。
「人形、動かないの?」
「停止させてるからな」
あまり作業を邪魔しては悪い。話し掛けないようにしなくては──と思いつつも、暇で暇で仕方がない。
カツカツと、固い足音と、それに重なる静かな足音。見ると、シーズがいた。アーガスと呼ばれていた人もいる。
「アサ! 良かった、どこにいったのかと……」
と、側まで来て、私を抱き起こす。あれ──。
「ちょっとまってくれ! ケーブル!」
耳からガチリと外れたケーブルを見て、グラが叫ぶ。別に危険なことは……そういえば何も言わずに出てきたままだったことを思い出す。言わなかったのではなく言えなかったというか、起こすのも悪いと思っていたし、あっという間だったから……。
「ええと、連れてこられて、検査中──」
「もうなんなんだよ……というか、所長、どうしてここに?」
外れたケーブルを片手に、グラがもう一度私の耳にそれを近付けようとして、アーガスのほうを向いた。
「グラ、こちらの女性が、現在保護している、四十七地区の生存者だ。起きたとたん人形がいないと騒いだので、ここに連れてきた。解析のほうはどうなってる?」
「ええ、とりあえず、今はまだ解析中で、わかったところからまとめている状態ですが」
画面を見ながら話す二人。シーズは寂しかったと言って私の頭を撫でてくる。寂しいの?
「シーズ、落ち着いて。何かいつもと違う……」
頬をぷにぷにしてくるシーズに向かってそう言った。なんだか、リシアに似た行動。はっとしたように手を止めて、私を真正面から見つめてくる。
「ごめん……。何だか、一人になるのが怖くて」
「怖い? 五十三地区に行けば、ラーディもいるから一人じゃない? 怖くなくなる?」
「ええ、そうね」
咳払い。アーガスがこちらを見ている。
「シーズ、君がこの人形の持ち主ということで、間違いはないか?」
「え? ええと……」
シーズが言いよどむ。どうしてだろう。
「私の持ち主は、ラーディです」
「ん? ラーディっていうのは? 生きているのか?」
「はい、今は、五十三地区の学校に行っていて、二年くらい会ってないけど……」
「学校……子供か。なんでそんな子供が持ち主なんだ……」
最後の方は独り言のように小さな声で、アーガスはそう言ってから再びグラの横へと向かう。しばらく話し合う二人。私とシーズはそれを静かに見守る。訂正、シーズはやっぱり先ほどからおかしい。なにかとペタペタ触ってくる。
お返しに私もシーズの頬をぷにぷにとしてみた。結果は、十倍返しでシーズから攻撃されることになった。
「──ちょっと良いかな」
再びアーガスの声がした。振り向くと、飽きれた顔が見えた。グラは苦笑い。
「まず、シーズ、君は第五十三地区の避難民区域に住居登録申請をしておいた。ただし、第五十三地区に家族や親戚、頼る宛があるのであれば、いつでも登録を変更して構わない。気をつけることは、他の地区と比べて我々の地区は、ほぼ上層と同じ住民管理制度を採用している点だ。主に防犯や状況把握、税金の徴収等に使う住民情報に虚偽の申告があった場合には罪に問われる。何か質問があれば、同行する警備隊員に聞いてくれ」
「わかりました」
何かが切り替わったように、シーズの真面目な横顔。
「次に、ええと、そっちの人形。……アサだったか?」
「……うん」
「我々は第五十三地区住民の命と財産を守る義務がある。今すぐにでも解析と実験をしたいとこいつは言っているが──」
そう言ってアーガスがグラを見た。
「しかるべき手続きと許可を、第五十三地区に住むラーディという人物から得る必要がある。万が一君に何か問題があったときに備え、対人形用の兵を一人付ける……がそれだと不安だな。グラ、ここの人形は全部起動可能か?」
「それは、可能ですが……ユニットも使えない、人を傷つけないよう命令されている人形に危険性があるとは……」
「万が一のことを考えろ。まだ実戦に耐えられるような代物じゃないことは俺もわかっているが、最悪身代わりくらいにはなってくれるかもしれない。三体起動させて同行させろ」
「わかりました」
「ああ、それとグラ、お前も一緒に行ってくれないか? 本部の設備を使ってこの人形の解析にあたれ。必ずモノにして、兵器として運用可能な人形を開発するんだ」
「それは良いですが、許可がとれなかったら?」
「この人形は、お前が声を荒げるほどの技術で構成されているんだろう? 何としてでも許可は取る。交渉は……ルイドに任せよう」
「はぁ……」
元気のなさそうな返事をするグラ。シーズを見ると、少し表情が強張っている。
「出発は……三十分後だ。グラ、この二人を地下一階のロビーにまで案内しろ。護送車を出す。この件は今後ルイドから指示を出すようにしておくから、彼の指示に従ってくれ。以上だ」
アーガスの姿が見えなくなり、計三体の人形のプレート脇のスイッチを押していくグラ。
「人形、起きるの? 私、人形見るの初めて」
言ってから、それがとても滑稽な言葉であることに気付いた。けれども誰も何も言ってこない。手が動き、足が動き、目が開いた。ゆっくりと一歩前に進み出る。三体とも、画一的な真っ白な服に包まれている。外見は、二十歳くらいの青年に見える。金髪の短い髪。その色が、リシアを思い出させる。
「ビーワン、ビーツー、ビースリー、この人形の監視が任務だ」
私を指さしてグラがそう言うと、三体の人形が一斉にこちらを見た。少し怖い。私もあんな感じなのだろうか。怖い。次々と、任務を受領しましたという声が発声される。
プレートの端まで、座ったまま少しずつ移動する。と、三体の顔が正確に、少しずつ顔の角度を変化させながら私を追う。
プレートから降りて立つ。まだ見てる。
なんだか落ち着かないので、シーズの後ろに隠れた。目だけをこっそり出して人形たちのほうを見る。まだ見てる。
途端に、グラが、ものすごい勢いで吹き出す姿が見えた。笑ってる。 シーズを見ると、先ほどの強張った表情はなくなっていたが……どこか心配そうな目で、私を見ていた。