第一章 一 平穏な日々とその終わり
二週間から一ヶ月の更新間隔と書いていましたが、やっぱり書いたものからガンガンあげていく感じにしようかなと思います。ということで第一章に入ります。ちなみに全五章です。
平穏を描くのって難しい(かと言ってドタバタを描くのが得意というわけでもありません……)。
一
ラッカクと最後に会ってから、三カ月が過ぎようとしていた。
楽しい時間は過ぎるのが早い。あっという間に文字を覚えてしまったラーディは、その最後の日に、
「大体完璧に覚えた! これでもうアサには負けねー」
と、よく意味のわからないことを言って、私から逃げるように出て行った。やっぱり──勉強は嫌だったのだろう。解放感に満ちた顔が忘れられない。
「いらっしゃいませ」
扉から入ってきたお客さんに声をかける。
ラッカクは何気なく言ったことだろうが、『ラーディを学校に』というアイデアを実行に移した結果、数日、私が店番をすることになった。
入学の手続きのために、ガレットとリシアとラーディの三人は学校に向かっているのだ。
二人は、ラーディを本当に自分たちの子供のように扱っていた。三十半ばくらいに見えるので、彼くらいの子供がいてもおかしくないと思う。
ラーディ自身も、そんな二人の思いを大切にしているのだろうけど、どこか拒絶する感じもあって、その気持ちを今の私が理解することはできそうにない。子供なのだから、甘えても良いと思うのに、なぜだか妙に遠慮するのだ。そういえば、私がお礼をしたいと最初に言ったときも、頑なに拒絶された。何か他の理由があるのだろうか。
「あら、今日は一人?」
かなりお年を召した、常連の婦人が、カウンターに私だけしかいないのを見てそう言う。
「はい。でも、大体仕事は覚えましたから、安心してください」
そう言うとにこりと微笑まれて、婦人は棚から商品を吟味し始める。なぜか計算は得意なので、お釣りを間違えたり、品物の価格を間違えたりと言ったことはない。
学校は、三つ程離れた街にある。『三つ程』が、どれくらい遠いのかは良く知らない。あまりにも遠いから、ラーディはその学校の寮で生活することになっている。ここより人が多い街らしくて、でもその分、物価も高いらしい。
ラーディは最初嫌がっていたが、最後は渋々二人の提案を聞き入れた。なんでもそのきっかけが、
「ちゃんと勉強して知識身につけたら、アサがもし怪我したとしても治せるでしょ? そうでないと、万が一、アサが大怪我しちゃったら、もう二度と会えなくなっちゃうのよ」というリシアさんの一言だったらしいから、私にも責任があるかもしれない。
あれだけ嫌がっていたのを納得させるリシアさんの言葉はすごい。
この街に住む人々は、お金がなくて、あまり裕福ではない人たちが多い。学校に行けるような子供はほとんどいないし、子供もあまりいない。そう、ガレットが言ってた。あまり良くないことに思える。
金銭面で余裕ができ、ガレットは優しい人だから、店の品物を少し割引して、この街の人に少しでも良い食事を届けられたらと、以前より野菜を育てることに没頭している。リシアからは野菜馬鹿と言われていた。少し可哀想。
なかなか上手く行かないと、時々ぽつりと出る呟きを聞く。十分な光がなくて、あの照明程度では駄目らしい。土にも栄養が必要で、水も綺麗なものが必要で、色々なものが足りなかった。
興味もあって、少し勉強した。植物は、光合成をして、成長するエネルギーを得るらしい。電気しか必要としない私と違って、とても複雑だ。
「じゃあ、これお願いね」
婦人が、カウンターに商品を持ってきた。
「全部で二十点なんですけど、今日はガレットから割引の日って言われているので、十五点です」
「ちょっと、閉店セールとかだったら困るんだけど」
冗談めかして、婦人が言う。
「その予定はありません。安心してください。ああ、そうでした」
お代を受け取ってから、そういえば、まだ残っていたと、カウンターの下に置いてあるあるものを手に取る。
「これどうぞ。サービスです」
小さな小びんに生けられた一輪の花。白くて、小さくて、下を俯いているような。私はこの花の名前を知らないが、綺麗だと思う。
婦人が驚いた様子でそれを眺める。この反応にも慣れた。というのも、ほとんどのお客さんが驚いたり、物珍しそうに、しばらく無言になってしまうからだ。
「懐かしい。こんなのどうしたの?」
「ガレットが育てていて、懐かしいですか?」
「まだ幼かったころ、そうね、もう六十年近く前だけど、母が庭で花を育ててたのよ。朝の日の光に、鮮やかな緑と色とりどりの花がね。それはもう綺麗で」
まるでその光景が見えるとでも言うように、婦人はどこかを見つめながらそう言った。
「日の光?」
「ここじゃ、見れないわね。ごめんなさい、何でもないわ。本当に頂いて良いの?」
「ええ、どうぞ」
小さな子供のように、本当に嬉しそうにその小びんを受け取ってから、婦人はありがとうと言い残して店を去る。
花は綺麗。でも、あんなに嬉しそうになるのは、少し不思議な感じもする。
時計の針が、十八時を指し示す。店の入り口にある看板を店内へと戻し、鍵をかける。照明の電気を消して、裏口の戸締りもしっかりとしないといけない。
丸一日なんとか保つくらいのバッテリーは、残り十パーセント以下だったので、足早に地下室へと向かう。部屋の片隅には、野菜の畑に加えて、花も植えられている。小さな芽が出てきていて、少し可愛い。
毎日ちょっとずつ顔を出すそれを見るのは楽しかった。水やりは絶対忘れないでほしいとガレットに言われたので、しっかりしないといけない。
水をやってから、
「元気ですか?」
と話しかける。返事はない。返事はないのだが、話しかけたほうが良いらしいと本に書いてあった。一度ラーディに見つかって、本気で頭を心配された。ラーディにまでラッカクのように「馬鹿だろ」って思われていたら……と考えると悲しい。
ベッドの上に座る。背中のコネクタにケーブルを接続した。毎回服を着替えるのは大変だろうからと、上着を一枚用意してもらった。お店ではそれを着て背中を隠している。数センチの穴だから、元々目立たないと言えば目立たないかもしれないが、念には念を入れて、できるだけ危険は回避する。
本棚の前まで歩く。ピノッキオの冒険を何度も読んでしまう自分。ラッカクが言った言葉が、ずっと頭に残っている。
──ピノッキオにでもなるつもりか?──
おじいさんはいないし、私は木でできていない。それに良い子でもないので、きっと無理だろう。無理かな……。
六時。
朝だ。開店の準備と言っても、やることは少ない。店の奥から、棚に商品を少しだけ補充する。
店内の照明を付けるのは、絶対忘れないようにしないといけない。でないと、私の目の光に気付いてしまうお客さんがいるかもしれないからだ。完全に真っ暗でないと、気付かれないかもしれないが、念には念を入れて。
それから看板を出す。金属の板に、店の名前が書かれている、とてもシンプルなものだ。
大通りはどこまでも続いていて、しんと静まり返っている。まだ人通りはない。
バタンという扉の音がして振り返ると、三件離れた左のほうの店先に、看板を出そうとしている人の姿が見えた。お隣と、そのお隣は、誰も住んでいない。
雑貨屋をしているみたいで、私の時計も、リシアがそのお店で買ったものらしい。私はまだ一度も入ったことがない。
「おはよう」
私の視線に気付かれて、挨拶してくる。
「おはようございます」
「あなたがアサ? 私はシーズ。リシアから話だけは聞いてたけど、なかなか姿が見えなかったから、今目の前にいてびっくり。よろしくね」
「はい、こちらこそ」
「そうそう、今一人なんでしょ? もし暇だったら、後で遊びに来なさいよ」
そう言って、店内へと戻っていく。
足や腕や、皮膚を元に戻す間はほとんど外に出ていなかった。一人で少し寂しかったので、嬉しいかもしれない。外は薄暗いから、目をなるべく合わさないようにした。変に思われてなければ良いけど。
リシアはどんな話をしたのだろう。少し気になる。
店内に戻ると、早速お客さんが来た。最近、人が多くなってきたというのは本当みたいで、お客さんと話す機会が増えるのは嬉しい。
「いらっしゃいませ」
初めての人だ。どういう食べ物が好きなのだろう。
店を締め終わると、鍵を手に外へと出た。戸締りはきちんとしておかないといけない。バッテリーの残量も確認する。まだ、あと一時間か二時間くらいなら大丈夫だろう。
大通りを歩くのは、本当に久しぶりで、なかなか店の外に出ることもない。数十歩歩くと、雑貨屋の前に到着した。
ぼんやりとした光が、店の外にまで出ている。中を覗くと、所狭しと、いろいろな品物が並んでいる。
「あら、もう店は閉めたの?」
「六時には閉めなさいって言われてて──」
「そう、じゃあ入って。お茶か何か飲む?」
それは……出されても飲めない。けれども、断るのは失礼にあたりそうな気もする。しかし断るしかないので、
「ごめんなさい、お茶苦手で……」
と、自分でも苦しいと思う言い訳をすることにした。
大丈夫かなと、シーズのほうを見ると、あらそう、と、少々驚いた感じで、でも特に何を言われることもなく、店の奥へと歩いていく。
良かった。大丈夫そうだ。
見たことのないものばかりが並んでいる。あ、見たことあるものを発見。円系の文字盤に、針が時を刻んでいる。大きさも形も色々で、その中に、私の持っているものと色違いの、グリーンの文字盤を持つ時計を発見する。
「ああ、それ、使ってくれてる? リシアが時計、可愛いのが欲しいって言ってきたから、最初何だろうって思ったのよ。まさかあなたみたいな子がいるなんて知らなくて」
カップを片手に、シーズが私の後ろに近付いてくる。
「クローバー、ですよね?」
「そうそう。クローバーは、四つ葉の付いているものを見つけると、幸せになるって言う言い伝えがあるの」
「シーズは、見つけたことある?」
「クローバーを見たことがないから、四つ葉を見つけたこともないけど……どこにあるんでしょうね」
「ガレットも、リシアもそう言ってた」
これは何だろう。小さな、丸い筒が、台座に取り付けられている。取っ手のようなものがあって、これは──。
「触って良いわよ。それ知らない? カレイドスコープ。こうするの」
シーズが取っ手をつまんで、ゆっくりと回し始める。
「ここから、覗いてみて」
言われるままに、示されたところを見る。
「わぁ、綺麗。すごい……」
色とりどりの花が、輝く。
キラキラとした世界が、ぐるぐると動く。
花が閉じては、また咲く。その度に、花は色や形を変えて、新しい世界が広がっていく。
「花がたくさん咲いているみたい」
「想像以上に喜んでもらえたみたいで何よりだわ」
「え?」
「ううん、こんなのに興味を持つ人なんて、久しぶりに見たから。このあたりで雑貨屋なんかしてても、売れないのはわかってるんだけどね」
そう言って、手を止めたシーズは、外を見つめた。本当はラーディが行ったような、少し大きな街で商売をしたいらしいのだが、そこに住んだり、店を構えるにはお金が足りないのだそうだ。彼女の茶色い髪が、照明に照らし出されて揺れた。
「みんな知らないだけかも。だって、こんなに綺麗なのに」
こんなに綺麗で、キラキラとしていて、ご家庭に一台欲しいとは思わないのだろうか。
「もうちょっと安くできれば良いんだけど、高いのよ」
「……おいくらですか?」
「五百点」
一日の食費が大体二点くらいだから、それを考えると、とても高いことがわかる。二百五十日分の食費が消えるのは、大変かもしれない。
「綺麗なものは高いんですね……」
急に壊わしてしまうのが怖くなって、取っ手から手を離す。キラキラとして動いていた世界が止まった。
少し奥にある棚の片隅に、人を模った何かが置いてある。顔は球体で、三角の帽子をかぶっていて、目は小さな丸い黒。鼻は棒のように長く、顔と胴と、手と足が、それぞれロープのような細い紐で結ばれていた。
良く見ると、細長い糸が手や足先から伸びている。私の視線に気付いたシーズは、何も言わずにそれを棚から降ろしてくれた。細い糸の先には、十字に組まれた棒が二つある。
「これも、知らない?」
「……初めて見る」
「何も知らないのね。見てて」
そう言ってシーズは、二つの十字に組まれた棒をつかむ。人形は宙にぶらりと下がった。途端に、それが突然動き出して、私に首を振って挨拶する。
『こんにちは、お嬢さん』
シーズは、少し声の調子を変えてそう言った。首をかしげて、手を振ってくる。
「可愛い」
「でも、結構動かすの難しいのよ」
そう言って、目の前の人形は困ったような仕草をする。長い鼻は、まるでピノッキオみたいだ。
「この子はピノッキオかな」
「名前ねぇ、なかったわ。じゃあ、この子はピノッキオ」
『お嬢さん、僕の名前はピノッキオさ』
再び、声がちょっとだけ変わる。
「私はアサだよ」
『良い子になるために、困っている人を助けるんだ』
「良い子じゃないの?」
『悪いことばかりしていたから、こんなに鼻が伸びてしまったんだ。それに、良い子になれば、いつか人間にしてもらえる』
「……本当に?」
本当に、してもらえるの?
『本当さ』
そう言って、ピノッキオはくるりと一回りして、カウンターの上にちょこんと座った。
「やってみる?」
「良いの?」
十字の棒を二つ手渡されて、手を添えながら動かし方を教えてもらう。
「ほら、こうすると、歩いてる感じになるし──」
思ったように動かすのは大変だけど、なんとなく動かしたときの思いがけない動きが可愛い。と、あまり長居をしていたら迷惑になるかもしれないし、バッテリーの残量も心許ない。
「あ、そろそろ帰らないと」
「はーい。まぁ、潰れかけの店だけど、物は色々あるから、また遊びにきてよ」
「ありがとう! すごく嬉しい」
笑顔で手を振ると、シーズも手を振ってくれた。
地下室へと戻って、休む準備をする。明日ガレットとリシアは帰ってくる予定だ。ラーディは、勉強が嫌いみたいだから、学校に慣れることができるかなと心配になる。二日顔を見ていないだけで、とても不安になる私はおかしいかもしれない。
目を閉じた。
ガレットとリシアがくたびれた表情で帰ってきたので、すぐに休んでくださいとお願いした。三つ程離れている街というのは、とても遠いのかな。椅子に座って寛いでいる二人にお茶を出すと、ありがとうと言われた。
ラーディのことを聞きたかったが、それも今はやめて──。
「心配そうな顔ね。ラーディだったら大丈夫よ」
疲れているだろうに、リシアが私を見て笑いながらそう言った。
「あ──そうですか? ちゃんとご飯食べれそう?」
「そうそう、学校には色々と店も併設されててなあ。こっちと違って、小規模だけども食料生産施設もあるみたいだから、とても住みやすそうな街だったよ。寮に入るから、友達もできそうだったしな」
「それは良かったです」
どんなところか想像がつかない。ここよりも大きな通りに、たくさんお店があるのだろうか。寮だと友達が出来やすい。どうして出来やすいのかな。友達の素があるのかもしれない。
「デメリットは、ものすごく物価が高いこと……。まぁ、こういう風に出来たのは、ラッカクとアサのお金のおかげだ。ありがとう」
「いいえ、お金はラッカクのだし……私はご迷惑ばかり……」
「そんなことないぞ。店とかの手伝いは本当に助かってる。それにリシアなんか玩具にしてるし……」
「あなた、何言ってるの?」
「……何でもない。さて、疲れたんで、俺はちょっと休むよ」
そう言ってガレットはそそくさと逃げるように寝室へと向かった。
「もう。私、玩具にしてないわよね?」
「──はい。してないと思います」
笑顔が怖い。
話を聞けたものの、不安は収まらない。今頃、ラーディは何をしているかな。
不安な気持ちが消えない。ラーディは元気かなと考えてばかりで、自分でも変だと思う。
手紙を書いてみたらというリシアの提案で、便箋を買うために雑貨屋に向かう。手紙は、通りの外れにある小さな建物、郵便屋に持っていくと、指定した場所にいる人にまで届けてくれるらしい。少しお金がかかるけど、ラッカクから預かっているお金を使わせてもらうことにした──あとで返せと言われたらどうしようと、少々不安に思いつつ。
でも、また会えるのだろうか。
「あら、いらっしゃい。お店は?」
「こんにちは。毎日手伝ってるわけじゃなくて、好きなことしてて良いと言われたので──あの、便箋ってあります? リシアが、ここならたぶんあるって言ってて……」
「あるけど……なになに、誰に出すの? 好きな子? 遠距離?」
「いえ、ラーディに」
なんだそうかーという残念そうな声。どういうことを期待してたんだろう。好きな子?
「って、あれ、ラーディのこと好きとか? 年下がタイプ? というか手出したら犯罪じゃないの? アサって何歳?」
一度に言われると混乱する。ええと──外見は、十代後半……くらいだけど、記憶がないから何年動いているのかはわからない。かと言って、三カ月ちょっとと言うのは無理があるので──。
「十八歳で……」
私が言い淀んでいると、冗談よ冗談と、笑いながら言われる。良くわからなかったから助かった。
「どういうのが良いかしらねー」
カウンターの脇にある小さな引き出しの中から出てきたいくつもの便箋が、目の前に並べられていく。
「いろんな種類……」
「うん、いろいろあるから、どれか好きなの選んで」
「花の柄、綺麗かも」
薄い桃色の、五枚の花びら。植物図鑑を見たら、名前がわかるかもしれない。
「じゃあ、これにする?」
「うーん……ちょっと待ってください」
かなり悩んだ末に、最初の桃色の花に決める。
「やっぱりこれで」
「はい。まいどー」
あれだけ迷って最初のに落ち着くのは多少恥ずかしい。案の定、シーズを見ると笑いを堪えているような感じもする。
「あ、ピノッキオは元気?」
ピノッキオが登場。
『うーん、アサがなかなか来てくれなかったから元気なくなっちゃったよ……』
元気なさそうな動きで、カウンターにぺたりと転がる。
「ご、ごめん……」
『アサ~僕を外に連れていっておくれ? そうしたら、元気が出るかも』
「外……は、薄暗いよ?」
『大丈夫さ。店先の照明を付ければ明るくなるから、そこで僕を操ってほしいんだ!』
「え!?」
ピタリと動きが止まって、シーズさんが顔を近づけてくる。
「アサちゃんが売り子やってくれたら売り上げが上がると思うの。店先でやってくれない? 便箋のお代要らないから」
拝むようにそう言われる。
「え、売り上げ……は上がるのでしょうか。そんな簡単に」
「やってみないとわからないけど、リシアに話したら、アサちゃんが良いって言うなら借りても良いって言われたから」
ちゃん……なんでちゃん付けなのかなと疑問に思う間に、店先の照明が付けられて明るくなる。
「わかりました……やってみます……」
動かし方を一通り教えてもらう。店先で遊んでるだけで良いらしい。本当にこれでお客さん来るかな、などと、道に向かってピノッキオに手を振らせていたら、いつの間にか小さな女の子が私の前に来て、じーっと見てる。
『こんにちは、僕はピノッキオ』
握手するかのように手を出すと、女の子も手を出してきた。
「これなーに?」
「ええと──人形?」
「もっと動かして!」
なんだかすごく必死にそう言われたので、色々動かしていると、なぜか子供ばかりが周りに集まって、店先が賑やかになった。ああそうだ。ピノッキオだし、ピノッキオの冒険を話して聞かせるのも良いかもしれない。おじいさんや他の登場人物の人形はないけど、そこはなんとか上手く説明して──。
話をしながら、人形を動かす。子供たちは、この小さな劇場を食い入るように見つめていて、私の声だけが通りに響いた。
「あれ、ここ、店なの?」
三人の青年が、店の前を通る。きっと何の騒ぎだろうと思ったに違いない。
「あ、雑貨屋です。色々あるので、見ていくだけでも楽しいですよ」
笑顔を心がけて、お客さんどうか来ますようにと祈る。
「可愛い」
「うん、可愛い」
「だな、可愛い。覗いてみるか」
同じ単語を三人は言ってから、店内に入っていく。良かった。お客さんが来ました。手を止めていたら子供が早く早くと言うので、再び劇場を再開する。
「──それでピノッキオは死んでしまいました」
えーという声が目の前の子供から発せられる。
「あ、続き、続きがあります! 大丈夫!」
確かに初めて読んだときは、私もとても驚いた。安心したのか子供たちは、再び静かになって次の展開を待つ。
こうしていると、子供の親がお店に入ってくれたりする。商品が売れてたら良いなと思いながら、私は話を続けた。話が終わって店内に戻ると、
「アサ様最高!」
上機嫌のシーズを見ただけで、どういう結果になったのかがわかった。というか様付け!?
疲れたでしょうと、飲み物を出されそうになったのを全力で拒否したら、便箋をたくさんもらった。たくさん手紙を書いてもこれなら大丈夫そう。
「ありがとう。すごく助かります」
「いいえ。こっちこそ。ところで、話が店内まで聞こえてきたけど、人形劇上手ね」
「この間、読んだばかりだったので……かな」
こういうことをするのは、好きかもしれない。楽しんでやれたから、またしたいなと思う。
帰ったら、なぜかガレットとリシアにも人形劇のことが知られていた。とても目立っていたらしい……。
独創的な文字で、『アサへ』と書かれた便箋を開く。返事が来たのだ。とても嬉しい。
どんな生活なのかなと思いながら読み進める。が、「アサは友達だと思ってたのに、なんでリシアみたいなことばっかり聞いてくるんだ。ちゃんとやってるから心配すんなよ」と書いてあって気持ちが落ち込んでしまった。
心配するなと言われても、心配になる。困った……。
それでも、学校で友達が出来たこと、ご飯が美味しいこと、人や店が多いこと、勉強はやっぱり嫌いだとか、でもとりあえず頑張ってるとか、そういうことがわかったので少しは安心出来たかもしれない。文字を教えて本当に良かったと、手紙を机の引き出しに仕舞う。
今度はどれに書いて出そう。もらった便箋を眺めた。
二年間。その街での生活は、日々小さなたくさんの記録が積み重ねられていく毎日で、一言で言うならば、平穏な日々だった。人形であることを知られないようにと、少しだけ緊張する毎日でもあったが、ガレットとリシアに相談したところ、「それほど気にしなくても良いとは思うが、気になるのならば、秘密にしておくよ」と言われた。
だから、私は誰にも、まだ喋っていない。
ただ、私は人が変化するものだということをあまり深く考えていなかった。ガレットとリシアが言うには、人は成長し、老いるものらしい。少しずつ変化していくのだ。
私にはそれがない。
このまま隠しつづけたとしても、絶対にいつかは知られてしまう。シーズと仲が良いなら、予め話しておいたほうが良いかもしれないと。ずっと、隠されたままよりは、自分から話してくれたほうが、きっと受け入れやすいだろうからと、私は二人に忠告された。
今夜、話すことにした。
便箋を買うという名目で、六時に店番を交代してもらった私は、遊びにいくことにする。
いつもより緊張する。
ラッカクは、人形を嫌いと言っていた。ガレットは、人形を物騒だと言っていた。あまり、良い印象をもたれていないことは、もうわかっている。
なぜ、私を受け入れたのか。お金をもらえたこともあるかもしれないし、店の手伝いを出来るからという理由もあるだろうけど、その二つだけではない何かを私は感じる。
ガレットは、ラーディが時々送ってくる学校の成績を嬉しそうに私に見せてくることもあったし、リシアは、頼んでもいないのに新しい服や小物をプレゼントしてくれて──まぁ、そのあと玩具にされるのだが、悪気があってのことではないことはわかっている。
自然と歩みが遅くなっていたが、雑貨屋の店の、扉の前に着いてしまう。
「便箋、買いに来ました」
「いらっしゃい」
布で拭きながら、商品をメンテナンスをしているシーズ。
「手紙、良く書くのね。ラーディってちゃんと返事書いてくる?」
「えと、あったりなかったり……」
やっぱり思った通りだと笑いながら、便箋を選ばせてくれる。言わなければ。
「あの、シーズ、ひとつ言っておくことが」
「何?」
キノッピオは、もうない。私が動かしていたときに、それを気に入った人が買って行ってくれた。シーズは少し寂しそうだったけど、ずっとここにいるよりは、人形も幸せでしょと、そんな風に言っていた。
人形が好きなのかな。
私も嫌われないかもしれない。
自分でも無茶苦茶なこじつけだと思いながら、そうでも考えないと、次の言葉が出てきそうにない。
「人形って好き?」
「え? うーん、ピノッキオがいなくなっちゃったのは寂しいかな?」
半分冗談みたいな感じでシーズはそう言った。
「えと、じゃあ、機械人形は……?」
シーズの商品を弄っていた手が止まる。
「──操り人形と比べるようなものじゃないと思うけど……そうね──私は、あまり好きじゃないかも。こういう話はあまりしたくないけど、私の両親、機械人形に殺されたんだ。ガレットとリシアの子供も、機械人形に殺されたし……」
身体が凍りつく。今何て……?
「便利な道具が、いつの間にか兵器になって、人を殺す道具になった。そんなもの、全部なくなってしまえば良いのに。そういえば、アサの両親は生きているの?」
「──ううん。いない」
「そっか……。ピノッキオみたいなものだったら良いのにね。あいつらの、赤く光る目が忘れられない。何の感情もなくて、ただ、人を殺していく……」
肩を抱くようにして、シーズは焦点の定まらない瞳で、そう語る。寒いのか、震えている。
違う。怖いのだ。
聞いて、思い出す。ラッカクの家で、たくさんの人を殺した。何も考えずに殺した。後悔も悲しみもなかった。私に罪悪感はあるのか? ラッカクを助けられたという充足感を覚えている。それ以外の感情は、あっただろうか。
「──ねぇ、アサ? 怖い夢でも見たの?」
「そういうわけでは」
夢。それを見たことはない。
シーズの話を聞いてから、頭が上手く回らない。
「あれ……電気が」
そう言ったシーズの声とほぼ同時に、視界がモノクロに切り替わる。外の街灯のわずかな光で、辛うじて彼女の姿を確認出来た。シーズの目は私を見ていて、その表情は強張っている。
「アサ、あなた……」
遅いと思いながらも、目を伏せる。何も音のしない時間が、とても長く感じられた。どうして良いかわからない。何も言わずに、私は一目散に店の扉を開けた。なんでこんな失敗をしてしまったのだろう。私はやっぱり馬鹿だ。
嘘をついていたようなものだから、きっと鼻が伸びて、人間にはなれない。
自分の家の扉を空けようとしたところで、中から丁度ガレットが出てくるところだった。何か急いでいる。
「ちょっと待って!」
右のほうから声がし、振り向くとシーズが雑貨屋から出てこちらへ走ってきている。ガレットが口を開いた。
「今呼びに行こうと思ってたんだが、必要なものだけを手にして逃げる準備をしてくれ。五分以内に」
シーズが近付いてくる。ガレットが見たこともないほど緊迫した表情でそう言った。
何かが起きようとしているのだけはわかった。