序章 六 さよなら
六
リシアが時計をくれた。というのも私が、今は何時なのか、今日は何日なのかと、しつこく聞いてしまったからだ。
ラッカクから預かったお金で買ったものなのだから、気にしなくて良いと言ってくれたけど、申し訳ないことをしてしまった。
時計を買わなければ、その分他のものに使えたのではないかと思うと、心苦しい。
でも、私は時間を知って何をするつもりだったのだろう。
ベッドの脇には、ガレットが用意してくれた小さな机と椅子がある。まだ座ることはできそうになくて、だから机の上に時計を置いて、ソファーの上からそれを眺める。
手の平に乗せられるくらいの大きさのそれは、白っぽい薄茶色の文字盤上に、銀色の針が動いている。
針は見たこともない形をしていて、後で聞いたところによると、クローバーという植物をモチーフにデザインされたものらしい。でも、リシアも店主も、本物を見たことはないと言っていた。もしかしたら、空想上のものなのかもしれない。植物とは、野菜とかそういうものを指す。クローバーは美味しいのかな。
もうひとつ、机の上にはあの写真が置いてある。私と、知らない人の写真だ。いつか、思い出せるかもしれないという淡い期待を抱いている。でも、思い出さないほうが良いのかもしれないという気持ちもある。
一日が終わるのは、針が二週して、十二の数字を指したときだ。一日が終わるまで、あと四時間。
地下室の扉を誰かがノックした。
「アサ、入っても平気?」
ラーディの声だ。なぜかいつも、扉の向こうでそう言われる。駄目などと、言うわけがないのに。
「どうぞ、入ってください」
ラーディには自分の家があるらしいから、昼や夕方近くに、私のところに来る。動けるようになったら、私のほうから行ってみたい。
「あれ、おっちゃんもいたんだ。っていうか、なんか……また服が変わってる」
「いるぞ、野菜の世話をだな──」
「……着替えさせられました」
「リシアは、なんであんなにはしゃいでんだか……」
ガレットがそう呟く。
ここに来てから、三日。その間に、おそらく十回以上着替えている気がする。正確には、リシアが勝手に着替えを持ってくる。どんな服が好き?と聞かれるが、それは返事に困る。あまり、服のことなど詳しくなし、着替えるのがだんだんと嫌いになっているような気もする。
そのことには半分、ラーディも呆れているようで、酷いなーと呟いている。
ガレットは、黙々と地下室の半分を占める野菜を世話している。様々な環境の変化で、どのように状態が変化するのかを記録しなくてはならないらしく、ほぼ毎日、お店が終わるとここに来ている。
「暇じゃなかった? 何してたんだ?」
「時計を見てました。大丈夫です」
「いつもそれだな。でもこの部屋、おもしろそうなのないもんな」
そう言って、何かないかとラーディは部屋を歩く。
「おいおい、暇なら勉強しとけ。子供は勉強するもんだ」
「おっちゃんの子供じゃないから良いんだよ」
ガレットの表情が曇ったような気がした。
「おっちゃん、ところでこれ、何なんだ?」
「……野菜を育てているんだ。土と水と光。ああ、この茶色のやつが土って言うもんでな──野菜を含めた植物っていう生物が育つのに、必須のものだ。上手く育てることができれば、一面緑で一杯になるんだが、なかなかそうは行かない」
「ふ、増えるのか。なんか怖いな……」
何が怖いのか、ラーディはそう言って一歩ガレットから離れる。
「でも、それで美味しいご飯が作れますよ」
「その通りだ」
まだ納得していない様子で、ラーディは違う方向を向く。
「そうそう、別に勉強ということでなくても、興味があるのなら、手に取って自由に読んで良いぞ」
「いや、俺、字読めないから」
「なに!?」
一際大きな声を発して、ガレットが食い入るようにラーディを見つめた。
「な、何だよ?」
「おい、字読めないって言ったな」
「うん……」
「困るぞ、将来困るから、絶対覚えとけ」
「良いってば。別に死なないし」
「何甘いこと言ってる。お前は死ぬな、もうかなりの確率で絶対死ぬ」
ガレットの言葉は、半分冗談なのだろう。けれども、なぜかその言葉がグサリと突き刺さってくる。
「て、適当なこと言うなよ! アサも読めないし平気だろ?」
ラーディが私を指差してきてそう言った。
あれ、なんでそんなことになってるんですか。私が文字を読めなかったら、シチューを食べることができなかったかもしれないのですよ?
どう言ったものか悩む。が、きちんと言っておいたほうが良いだろう。
「ええと、私読めますよ?」
「え!?」
ラーディが固まってしまった。悪いことをしただろうか。でも誤解は解いておいたほうが良いと思ったのだ。
「ちょうど良いじゃないか、ラーディ、教えてもらえ」
そんなに私が文字を読めるのは不思議なのだろうか。少し心外な気もするが、あまりにもショックだったのか、しぶしぶガレットの声に従って、
「で、どうするんだ?」
と私に聞いてきた。
「教えたことないのですが……」
教えるってどうすれば良い?
「ああ、ちょうど良い本があるかもしれん。簡単な本をまずは一冊……何かあったはずなんだが……」
そう言ってガレットは、土を弄る手を止めて、本棚へと向かう。ガタガタと色々触る音が聞こえて、しばらくしてから、二冊の本と、ノートと筆記用具を手渡された。
二冊の本の題名は、『いろいろなのりもの』と『ピノッキオの冒険』。
「おっちゃん……やけに子供っぽいんだが……とくにこっちの──」
「子供だろ? 文句言うな」
「俺はもう十三だ!」
「ああ、そうだな。めちゃくちゃ子供だ」
話半分にラーディの抗議を聞き流して、ガレットは作業を再開する。一冊のほうをすごく嫌がったので、ピノッキオの冒険というタイトルの本を開いて、文字とその発音を、一つ一つ確認していく。これで覚えられるのだろうか。私は教えたことなどないから、わからない。
「これどう書くんだ?」
「ええと──省電力モードを解除しても良いなら、私が手本を書きますが……」
「じゃあお願い。解除」
比較的無事な左手を使って、紙に文字を書く。だが、早すぎたのかもう一度と言われる。
教えるのって難しい。
おじいさん──これは歳を取った男性。
キノッピオ──これは名前。
「ああ、これはさっき出てきた文字。『木』って何だ?」
「確か……植物」
「『植物』っておっちゃんが作ってる?」
「野菜とか、花とか」
「花?」
「花は……」
私たち二人の会話を聞いていたのか、三冊の本を手に、飽きれた顔でガレットが目の前に立っていた。
「お前ら、まぁ、見たことがないんだろうからしょうがないんだろうが……」
そう言って、別の本を手渡してくる。写真と文章が載っている分厚いものだ。
「これに植物が載ってる。ええとだな、これが木。巨大な幹が地面から生えて、緑色の葉をつける。こんな形をしていても生き物なんだぞ?」
そう、説明してくれた。思い出した。これは、見た記憶がある。どこで見たのかまでは思い出せない。
最初は嫌がっていたラーディだったが、段々と集中して勉強し始めた。
それは、彼がいつの間にか眠ってしまうまで続いた。人間は風邪を引く。風邪を引いては大変だと、そう思っていると、ガレットが毛布を持ってきてくれた。
そうして一日が終わった。
一日が終わるごとに紙の切れ端に書いていた棒の数は、五本。約束通りに訪れたラッカクは、今私の前で黙々と作業をしている。
細いペンチが砕けた腕の中へと入ってきて、少し引っ張られるような感覚の後、変形した弾丸が抜き取られる。今の今まで、それが入っているということに気付いてなかった。
いくつかの信号伝達用の配線が傷つけられているだけで、人間で言う筋肉の役割をする内部の制御フレームに問題はないようだ。
本来なら、配線などで信号を伝達するのはあまり良くないらしい。ちょっとした接触不良や断線が起きると、それだけで動かなくなってしまう。でも、高度な加工機材がなかったせいで、こうするしかなかったと、ラッカクは説明した。
崩れかけていたセラミックスの破片を取り出し、その傷口の周りを研磨する。そこに合わせて加工したセラミックスを、特殊な接着剤ではめこむようにして穴を塞いだ。新しい部分は少し色が違っていて若干他の部分より白い。
「動かしてみろ」
腕を回し、指の動きを確認する。
「問題ないようです」
小さな、円形の透明なケースに入った薄い何かをピンセットでつまみ上げる。濡れていて、ペラペラとゴムのようになっているそれを、先ほどの穴のあった部分に載せる。吸着するように、ピタリとくっついた。
「これは何ですか?」
「皮膚だよ皮膚。まぁ、放っておいても、成長促進剤さえ散布しておけば元にもどるが、大きな面積だと時間がかかるからな」
そう言って、上からスプレーをかける。
「これはお前、自分でやっとけ。別に忘れても良いけど、しないと皮膚が成長しない」
そう言って、今したばかりのスプレーの缶を机の上に置いた。ぐるぐると、包帯が巻かれる。
「定着するまで十二時間程かかるから、それまで外すなよ。あと、皮膚が完全にセラミックスを覆うまで、気になるようであれば巻いたままでも問題ない」
左腕を見直す。もう、弾丸の痕もないし、包帯で巻いてある部分と、いくつかの絆創膏を除けば元通りに見えた。絆創膏にも成長促進剤が添加されていて、銃弾で出来た小さな皮膚の破損部分は、これで自然に塞がると聞いた。
「よし、次は背中だ。こっちが一番厄介だな──」
既に四時間近く経過していた。早く直してもらいたいなと思っていた右脚は、また今度になりそうだ。背中は見えない。酷いことになっていそうだけど見えないから余計に不安になる。
「ラッカク、もしよかったらご飯一緒にどう?」
リシアが入ってきた。
「ああ、そういう気遣いは無用だ」
「そんなこと言ってないでこっち来なさいな。アサ、ちょっと借りてくね」
ラッカクが連れていかれるというより、引っ張られる姿は、少しおかしかった。
棒の数が十五本になった。
目の前で火花が散った。燃えるといけないからと、今はソファーから、コンクリートの床に座らされている。服に燃え移ったら大変だと思うので、脱いだほうが良いかと尋ねたら、リシアにバレたら怒られるから、とりあえず手でギリギリまで裾を上げておいてほしいと言われた。
ギリギリまでって、どこまでだろう。ラッカクのお腹の空き具合のことかもしれない。ギリギリまで我慢してると、お腹から音が鳴るのだ。
それを聞いたリシアは笑っていたが、ラッカクは顔を真っ赤にしていた。
右膝の折れて、熱で捻じ曲がった部分は直すのが大変そうだと、私でも一目みてわかるくらいにぐちゃぐちゃになっていた。
ドライバーで壊れた部品を取り外して、元々はそういう形だったのだろうと思われる、正常な部品に付け替えられる。いつか、ラッカクの家の地下で見たような──あの時は腕だったけど、それだけ落ちていると人間の脚と間違ってしまいそうなほどに精巧に作られた人形のパーツを、慎重な手つきで膝のジョイント部に接続する。
信号を送って、動くかどうかを確認。指先の一本一本まで問題──。
「ラッカク、なぜか、親指が動きません」
あれっ、と呟いて、再び配線の確認。配線の色は元々わけられていたらしいのだが、用意することができなくて全部同一色、青色にしてしまったために、間違ってしまったらしい。大変そうだと他人事のように思ってしまう。
「どうだ、問題ないだろ」
「大丈夫そうです。ありがとうございます」
立って、バランスを取る。
「ああ、でも、前の脚より、実は少し安物なんだ。良いものが手に入らなくてな。あんまり無茶するようなことなんてないだろうが、気をつけてくれ」
「はい」
膝の部分にも皮膚を張り付けて、包帯で固定する。歩けるようになった。
棒の数が三十本になった。
リシアに頼まれていたおつかいを終えて家に戻る。お店の品物は定期的に倉庫に来るようになっていて、小さな車輪のついた荷台でそれをお店まで運ぶのだ。
腕と脚に包帯を巻いていて、絆創膏だらけの私の姿を見た倉庫の人たちが、口々に大丈夫なのか?と聞いてきた。何も問題がないので大丈夫としか答えられないけれども、この姿は目立つようだ。倉庫は、ガレットとリシアのお店が四つも入りそうなほど大きくて、おそらく色々なものが入っているのだろう。ところ狭しと箱が並んで積んであった。
「おかえりなさい。悪かったわね。ラッカクが来てるわよ。地下で準備してるって言ってたから──」
「いいえ、箱はここに置いておきますね。わかりました」
暗い階段を降りて地下室に行くと、小さな機械が床に設置してあった。
「おかえり。お前も役に立っているようで安心した」
「戻りました。それは何ですか?」
「お前の体にシールド加工を施すんだが、それのチェック用機械だ。ちょっと確認するぞ」
床に設置された機械は回転するようで、突然電子音が断続的に聞こえた。これは──どこかで聞いたことがある。
機械が回転して、私のほうに向くと、その電子音が連続的な音に変化した。
「よし、機械は正常だ」
ソファーに寝かされて、上着のボタンを外される。
「おい、なんで下着──」
「あ、それ、リシアが買ってきてくれて……着けていたほうが良いと言われて」
「面倒だな。切るか」
「それは──待ってください。外しますから」
本当に面倒くさがりな人だと思うけど、毎回きちんとここに来るから、案外ちゃんとしてる人なのかもしれない。ああ、でも表に出さないだけで、心の中ではものすごく、面倒くさいなーとか思っていそう。
鋭利なナイフで、胸の中央が切り開かれる。
初めて気付いた。と言っても、見るのも初めてだから仕方ないのだが、セラミックスに埋め込まれるような形で、赤くて丸い、透明な何かが、そこにあった。
「ラッカク、これ何?」
「──ああ、これは、コアエネルギー処理の中核を担う部品だ」
それには聞き覚えがあった。処理とかはわからないけど。
「それって、治安維持局だっけ……あの人たちが探してた」
「だな。まぁ、あまり気にするな」
そう言って、ドリルのようなもので、その周りを十八回。ネジを外しているのだ。ゴトンという振動とともに、それが外れた。
「人間で言えば心臓みたいなもんだな」
「そ、それって、外して平気なの?」
「いや、ちゃんとつながってるから」
見れば、体の中から太いケーブルが伸びていて、その赤い球体に繋がっている。球体の大きさは直径三センチ程。何か、中で蠢いているような、光っているような、不思議な物体だ。
「さっきのセンサーでお前が反応するのは、これが原因というわけだ。よって、こいつに今からシールド加工を施す。これで、さっきのセンサーには反応しなくなる。ちなみに悪いことだから、あまり口外しないように」
そう言って、手にもったままのそれを私の身体に乗せると、真剣な目付きで作業が開始された。
太い透明な管の先に細い針を仕込んだ何かを、それに突き刺す。
「だ、大丈夫?」
「俺を誰だと思ってるんだ」
「へん……ラッカク」
「今何て言おうとした? あまり変なこと言ってると、手元が狂うかもな」
笑っているけど、目が笑っていない。私はなんで言い間違えそうになったのだろう。変態男と──。
良く見ると、透明な管の中には、無色の液体のようなものが入っている。
「それ何?」
「仕組みか? 核の中を満たす液体には信号を発する特殊な粒子が入っている。で、その信号を今から注入する液体の中にあるナノマシンが受信して相殺するようになっている。まぁ、ワイヤレスで信号を送信できなくなるという弊害があるが、今のお前には関係ないし、こうしておかないと、センサーに引っかかるからな」
まったく何を言ってるのかわかりません。
「引っかかったら?」
「未登録の人形がいるということで、捕まって処分される。ああ、でも、センサーの有効範囲は三百メートル。こんな辺境でわざわざ調査するようなやつはいないから、そんなことは起きないと思ってて良い」
「ラッカクの居場所はどうしてバレたの?」
「ああ──リズリの遺体を、まぁ、あるところに埋めてやりたくてな。その場所へ向かうためのチケットを申請したんだが、おそらくそこから足が付いたんだろう。まぁ、無事に埋葬できたから良いが」
ふと、机に飾った写真を思い出す。
「リズリって、あの写真の人? 机の上……」
見ていても何も思い出さないし、写真の中にいる私は、私とは別の存在のような気もするけど、どことなく、懐かしいのだ。この写真はどこで撮られたのだろう。二人の後ろには、青い空間が広がっている。
「待ってくれ、もう少しで終わるから。今目が離せない」
「あ、ごめんなさい」
時間が過ぎるのを待つ。針を抜いた核が再び、胸の中央に取り付けられる。液体を入れた容器に針で穴を開けたはずなのに、何かが零れるような気配はない。
「で、写真?」
下着を着けて、上着のボタンを留める。ソファーに座り直して、机の上を指差した。
「ああ、そうだ。お前の横にいるやつが、リズリだ」
「これはどこで撮ったの?」
「さぁ、そこまでは。だが、おそらく上層だな。こんな景色は、ここにはない」
「上層?」
「上のほうってことだ」
それは説明になっていないようで、でも面倒くさそうな顔をしているから、あまり聞かないほうが良いかもしれない。けど、次の瞬間また自分は別の質問をしてしまっていた。
「ラッカクは、今どこに住んでるの?」
「秘密。というか、俺と一緒にいてもロクなことにはならないからな。お前はここで、暮らしていた方が良い。以外と仲良くやってるんだろう?」
「たぶん、仲は良いと思う……」
最初は戸惑っていた店主も、今はちょっとずつ、何かあれば話しかけてくれるようになった。リシアは最初から優しくしてくれたし、私がここにいるおかげで、ラーディが良く来てくれるようになったと喜んでもいた。
「よし、これで全部終わりだ。以前直したところで、変なところはないか?」
試しに手を開いたり閉じたりしてみる。大丈夫そうだ。
「足の調子は?」
「問題ないです」
「良かった。自分の腕を褒めちぎりたい気分だ」
「そうですね。流石です」
私の返事に、おもしろくないと言った顔をして、道具を鞄に片付け始める。
「ねぇ、ラッカクはまた来る?」
「もう修理は終わったぞ? あとどこを直すんだ?」
「じゃあ、どこに住んでるか教えてくれる?」
「じゃあって何だそりゃ。何度も言ってるが秘密だ」
「もう、会えないの?」
「違うな。もう会わないんだ。完璧に直した」
なんだか、別に、良い思い出があるわけでも、ラッカクと一緒にいて楽しかったこともないけど──。お礼も結局、余計なお世話だったようで、そういえばシチューを食べてもらってないことを思い出した。あんなにラーディは美味しいと言って食べてくれたのだから、ラッカクもきっと美味しいって思わないかな。
ただの押し付けかもしれない。
どうしようかと考える。自分の身体で、どこか壊れているところがないかと、探してしまう。そうこうしているうちに、もう準備が出来てしまったようで、大きな鞄を肩にかけた彼は、じゃあなと言って扉へと向かう。
「……まだ、頭が治ってないです。馬鹿のままです」
「ラーディに言ってくれ。俺だと力不足だ」
「行くの?」
「ああ、行く」
「私のこと嫌い?」
少し、思案するように間が空く。
「お前を嫌いなわけじゃない。俺は人形が嫌いなんだ」
地下室の扉を開けて出て行くラッカクに続いて、私も後を追う。歩ける足があって、動かせる手がある。良かった。
裏口から出て行くラッカク。ガレットとリシアも来た。今日はまだ、ラーディは来ていない。
「ガレット。残りの金を渡しておく。好きに使ってくれ」
見たこともない厚さの紙の束を、差し出す。
「おいおい、こんなに受け取れない。最近は店も手伝ってもらっていて、助かっているんだ。客足も増えてな、看板娘ってやつさ。それにもう十分金はもらった」
「それは何よりだ。役に立つんだなお前も」
そう私に向かって言う。皮肉っぽい感じは相変わらずだ。
「……じゃあ、半分はアサに渡しとこう。使うときがあったら使え。食べ物じゃないから食うなよ」
「なっ──食べません!」
最後まで私を馬鹿にしたような言葉を吐く。
「ガレット、もう半分は、観念して受け取ってくれ。野菜を育てるのにも金がかかるだろう? これで設備を整えるのも良いし……ああ、これはたった今おもいついたんだが、ラーディを学校にやるのなんてどうだ? まぁ、使い道なんて色々あるんだ。持ってて困るものでもない。受け取ってくれると嬉しい」
しぶしぶと、お金を受け取る店主。
「ラッカク、あんた俺と歳は近いんだろう? 最後にひとつ確認したいことがある。『三○八ガードライン』に関係しているのか?」
「……関係しているとしたら?」
「このあたりで静かに暮らすことを薦める。水も空気も悪いし、飯は不味いし、最悪かもしれないが、良い毎日を過ごせる……と言いたいところだが、ああ、俺は逃げているのかとも思うよ」
「──ガレット、あんたはそれで良い。そのままで良い。俺もこのままで良いし、このままであることを選ぶ。ただそれだけのことだ。それに俺は人形技師だ。自分の巻いた種と言えなくもない。あまり……上手く言えないんだが」
言葉に詰まったように、黙るラッカク。
「建設者の怒りを受けないよう、気を付けろよ」
ガレットのその一言で、ラッカクの顔に笑みが浮かぶ。
「それは──できれば上層の奴らに言ってほしいな。困ってるんだ」
力なく笑って、私のほうを見下ろす。会話の内容はよくわからないし、入っていけない。
「じゃあ、行く。アサ、さよならだ」
ぽんと、頭の上に手を置かれた。踵を返し、裏口から伸びる小さな小さな小路を、歩いていく。
「ラッカク! 私がまた壊れたら、直してくれる?」
「しつこいな。人形は嫌いだって言ってるだろう?」
振り返った彼から、いつも通りの言葉が聞こえた。
「『私』が怪我したら、治してくれない……?」
「……自分でわざと──だったら対象外だぞ」
そう言い残して、ラッカクは足早に立ち去った。その姿が見えなくなっても、まだそこに彼がいるような気がして、しばらく私は彼が見えなくなったその場所を眺めていた。
私は目覚めてから、どれくらいラッカクと話しただろうか。私は、彼について何もしらない。そのことに、今更ながらに気付いた。
上を見上げる。
時計の針は昼頃を指していたはずなのに薄暗い。そう思ってから、薄暗いのが当たり前なことを思い出す。なぜ私はそんなことを考えたのだろう。
ガレットとリシアを見る。私の視線に気付いて、二人とも苦笑いを浮かべる。どうして?
もう一度小路の先を見つめる。もう何も見えない。
そうそう、と後ろから声がして、リシアが縫い物を手伝ってと言ってくる。そうだった。地下室で使っている壊れたソファーのカバーを直すと言っていた。家の中に入って、リシアの後についていきながら考えた。
私って、縫い物出来たっけ……。
序盤終了です。
あとがきを書いているからと言って最終回なわけではありません。
ここまでお読みくださった方、この後書きを読んでいる方、たまたまこの回の後書きだけを読んでいる奇特な方、ありがとうございます。
ある程度まとめて書いて投稿するという形にしていくので、次回更新は少し間が開いて二週間から一ヶ月程先になると思います。
まともに小説(的な何か)を書くのは初めて&投稿するのも初めてですが、アクセス数が気になったり、お気に入り登録されていることに気付いて、何かの間違いではないかと何度か見直した後、ひとしきり喜んで、
「これは、操作ミスで間違って登録してしまったとかじゃないよね。私が駄文などを投稿したばかり操作ミスを誘発してしまい──ああ、大変申し訳ない……」
と考える自分がいました。気にし過ぎかもしれないし、でもそれが真実かもしれない?
用語などは意図的に説明しないようにして、アサと共に、読む方の心にも少しずつ世界が開けていく感覚を感じていただけたら良いなと思っています。でも、ただわかりにくいだけであれば本当にごめんなさい。
何かご意見ご感想雑談などありましたら、お気軽にどうぞ。