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序章 三 来客たち


「アサは、他の場所から来たのか?」

店を出て歩きながら、ラーディがそう尋ねてきた。

「わからない」

「え、何で?」

「記憶喪失で、わからない」

 何気なく言った一言が、ひどくラーディを驚かせたようで、あんぐりと口を開けた少年の姿はおかしかった。

「この辺危ないからな。本当のこと言うと、あんまりノコノコと人についていかない方が……」

「ありがとう」

 確かに、通りを離れると、街灯などまったくないので暗くて、人の通りもなくて、危ないような感じもする。多少不安だったが、入り組んだ小路を迷うことなく家の前まで戻ってくることが出来た。

「なんか、アサ、目が微妙に赤く光ってないか……?」

 家の前で、立ち止まると、ラーディは私から数歩後ずさって、そう言った。

「私?」

 こくりこくりと、頷かれる

「──気のせいだよ、気のせい」

「いや、あれ……」

 なんとか誤魔化して、とりあえず、家の中へと入る。出てきたときのままの状態で、部屋の中は掃除をしたばかりだから綺麗だった。

「ラーディは、座ってて。お客さんだから」

 微妙に、私と距離を取るような動きをされる。ラッカクは人形を嫌いだと言っていた。人形だとバレてしまったら、逃げ出されてしまいそうな気がした。

 だから、言わないでおくことにした。悪いことをしている後ろめたさがある。

「一人でここに住んでる?」

「違う。二人……かな……」

「俺、ここにいて平気?」

「大丈夫」

 ラーディは落ち着かない素振りでテーブルの横にある椅子に座り、そわそわとあたりを見渡す。お礼をしたかったのだが、逆に迷惑をかけているような気もしてきた。

 袋の中には、灰色の小さな紙が入っていて、そこに細かい文字で作り方が書いてある。まずは野菜を洗って、切る。包丁は先ほど綺麗に洗ったから大丈夫だ。

 水道の蛇口を捻り、水を出す。

「すげぇ、水が出るんだ」

 後ろから声をかけられて、それがすごいことなのかを、少し考える。普通のことのように思える。

「すごい?」

「うん、すごい。お前やっぱりお金持ちなんだな」

「そんなことないよ」

 土を洗い流して、じゃがいもの皮を剥く。初めてすることなのに、自分でも上手く出来ている気がする。

 切った野菜を炒め、しばらくして小麦粉を入れかき混ぜる。固形のミルクは、最初に水に溶かしておいてかける。コンソメを入れたところ、段々と良い香りが部屋に充満していくのを感じた。

「すげぇ良い匂いだ」

 すっかり待ちくたびれたのか、テーブルに顔をべったりとくっ付けたラーディがそう言った。

「時間、もうちょっとかかるかも」

「良いよ。美味そうな気がしてきた。おっちゃんも食ったことあるって言ってたし、昔は金持ちだったのかな。俺、生まれてからずっとここだから、他の場所知らないんだ」

 とろみが出てきたところで、塩と胡椒。作業はとてもスムーズに行っている。私、なんでこんなに上手なのだろう。やっぱり馬鹿じゃないと思う。上手で良かった。

「あ……今更だけど、ラーディの家の人に連絡しないで、大丈夫だったかな?」

「大丈夫。俺一人だから」

「お父さんとかお母さんは?」

「いないから平気」

「そう……」

 それは、平気なのだろうか。子供には親がいるものだと思っていた自分は、少しばかり考える。

 本当に平気なのだろうか。

 ぐつぐつと煮込まれたシチューは、香りがどんどん変化していく。良い感じかもしれない。

「一緒に住んでるの、ラッカクっていう人で、ちょっと、呼んできても平気?」

「その人って、親? 兄弟? 恋人? ……旦那?」

 何だろう。私の元の持ち主の友達……だから、

「友達の友達?」

「なんで自信なさそうなんだ。というかあのさ、本当に俺、一緒に食っても平気なのか?」

「大丈夫だよ、たぶん……」

 言いながら少し不安になる。

「なんか……本当に大丈夫なのか……? 俺、帰っても良いよ?」

 そう言って立ち上がるラーディ。

「え、待って! もし駄目って言われたら、私の部屋で食べれば良いし」

 なんとか少年を席に座り直させて、出来たシチューを皿に盛ってテーブルに並べる。ほくほくと湯気が立ち、良い香りのするそれを、ラーディは感嘆の声を挙げた。

「ちょっと、聞いてくる」

 地下への階段に向かおうとしたところ、ほとんど同じタイミングでラッカクが姿を表す。肩に大きな鞄を背負っていて、中に何が入っているかまではわからない。

「おい、この匂いなんだ。地下まで──」

 私越しにテーブルの上を見るラッカク。

「子供連れ込んで何してんだ」

「え、いや、お世話になったもので。そう、ご飯作ったんです。今出来たところで、それで、この子はラーディという名前で、お礼に一緒にご飯を食べようと」

「お前、食えないだろ」

「だから、私は食べれないですけど、ラッカクは食べれるから」

 大きなため息。また私は何かやらかしてしまったのだろうか。

「別に俺は飯を食いたいなんて言ってない。それに今から仕事だ。そうそう、鍵は俺が出て行ったら締めとけ。お前が出掛ける時にも、締めるようにしろ」

 そう言って、鍵を投げ渡される。

「……じゃあ、何か入れ物に入れるから、お仕事先で食べるとか? 冷めてしまうと美味しくないかな。これです」

 皿を手に取って、玄関から出ようとしているラッカクの後ろに近付く。

「だから、食わねーって」

 背中越しに何かすごいオーラが見える気がする。まずい、なぜかすごく怒ってる。これ以上何か言うのはやめておいたほうが良いとか考えているうちに、自分の手にあった皿が床へと落ちた。

 ラッカクが振り向いたときに、肩にかけていた鞄が当たったのだ。

「あ」

 先に声を出したのは、ラッカクだった。陶器の皿は、粉々に割れて、中に入っていたものが、掃除した床に散らばった。

「──とにかく、いらねーから」

 ラッカクはそそくさと、大きな鞄を片手に、家の外へと出て行く。言われた通りに、鍵をかけ、少年のほうを振り向いた。

「……冷めないうちにどうぞ」

 ものすごく気まずそうな顔のラーディが目に入った。非常に申し訳ないが、作った意味がなくなるのは悲しいので、食べるよう促す。

 一口食べて、少年は私を見る。

「美味いなこれ!」

「本当に!?」

「嘘言ってどうすんだよ」

 嘘という言葉が胸に突き刺さる。人間とか人形だとか、聞かれていないから嘘をついていることにはならないのかもしれない。けれども、何だか騙しているような後ろめたさがある。

 しかし、何にせよ、喜んでもらえているようで良かった。ものすごい勢いで皿は空になった。

「おかわりあるから食べて」

「さっきの人に残しておかなくて良いのか?」

「たぶん……食べてくれないから……」

「何で? あと、アサは食べないのか?」

 答えに詰まる。何と言えば良いだろう。

「私は、お腹減ってないから」

 そう言っても納得しない様子で、しかしラーディは二皿目のシチューに手を付け始める。美味しそうに食べてもらえて嬉しい。

 粉々になった破片と、床の汚れを掃除し終える。お腹一杯というように、椅子の上で満足げに座るラーディの姿は、買い物に行って良かったと思えるくらい幸せそうな感じがした。

「ごちそうさま」

 出掛けたラッカクのことが気がかりだった。どうしたら彼にお礼をすることができるだろう。

 そんなことを考えていると、今までまったく気にしていなかった右下の数字が点滅し始めた。

 バッテリーの残り容量、六パーセント。

 それって、かなりまずいような気がしてくる。おぼろげだが、アラームが鳴るのは五パーセントだったような気がする。

「ラーディ帰る?」

「ああ、何か予定か? 料理美味かった。ありがと」

 多少失礼かもしれないが、バレるわけにはいかない。

「ごめんなさい。ちょっと……またね」

「いや、別に」

 途端に、アラーム音がなる。数字は五。減るのが早い。色々思考を巡らしていると、省電力モードという文字が出てくる。


『出力、二十パーセントに設定』

 

 視界の右隅に、そんな感じのメッセージが表示されては消える。この前は表示されなかった気がする。私が気付いてなかっただけかもしれない。

 アラーム音は、本当に外に聞こえてないのだろうか。立ち上がった少年を見ると、この音に気付いているような感じはない。良かった。

「あ、お皿、片付けなくて良いから」

 足が動かなくなってくる。テーブルに手を付けて、なんとか体勢を維持する。なんて馬鹿なんだろう。もうちょっとこまめに確認しておけば良かった。

「え……うん。っていうか、大丈夫か? なんかふらついてる」

「大丈夫」

 できる限り力を込めて、少年にそう言う。ああそうだ、椅子に座れば良い。目の前の五十センチほどの椅子までの距離が長く感じる。少しでもバランスを崩せば、膝をついてしまいそうだ。

「気分悪いのか? 本当に大丈夫か?」

 ラーディが、心配して近付いてくる。早く帰ってくれたら何も気にせずに倒れることができる。あれ、倒れて、零パーセントになったら、どうなるのだろう。

「だ、いじょ……っ!」

 五十センチの壁は厚かった。たどり着けずに床に倒れる。痛くはないけど、帰ってもらうという目標の達成は、絶望的になったかもしれない。

 ラーディが私の傍に駆け寄ってくる。

「おい、大丈夫じゃないだろ」

 本当に心配そうに、私に聞いてくる。ラッカクとは違う。この少年も、私の正体を知ったら、嫌うのだろうか。それは怖いことに思えた。

「だいじょうぶ。帰っ──て──」

「とりあえず、こんなとこで寝たら風邪引くし、どうしたら良いのかわかんねーけど、アサの部屋、どっちだよ」

 諦めよう。いずれ、きっとバレることなのだろうし、隠してることは、悪いことに思えた。

「上の階だけど、ちょっと……歩けないからここで良い。帰って」

「上の階だな」

 腕まくりをしたラーディが、私を持ち上げようと、背中と膝の裏に腕を入れてくる。

「ふんっ」

 ものすごく力を入れてるのだろうけど、少し浮かんだあと、また床に降りた。

 考えてみれば、私の身体の中は、きっと金属やら何やらがつまっているのだから、重いに違いない。

 私を抱えることができたラッカクは、実はかなりの力持ちなのではないか。

「私重いから」

「いや……重いわけじゃないぞ。俺に力がないだけなんだ。ごめん、引き摺る。痛かったら言ってくれ」

 きっと掃除をしていなかったら、体中が埃だらけになっていただろう。階段まで引き摺られる。ちょっとおもしろい。

 けれども、ものすごい迷惑をかけている。省電力モードのせいか、充電の値は五パーセントから減っていない。

 あ、今四になった。減るのが早い。アラームは鳴り続けている。

「自分で登るから」

 階段に手をかけて、支えられながら一段ずつ這い上がる。他人が見たらものすごく滑稽な感じかもしれないと思いながら、手伝ってくれる申し訳なさに潰れそうになる。

 登りきるころには、値が三になっていた。間に合うか心配になってくる。これ、いきなり零になったりしないよね……。

 バッテリーが壊れているみたいなことを、ラッカクは言ってた気がする。

「右の……扉」

 自分の荷物があるのは左の部屋だったが、ケーブルがあるのはラッカクの部屋だったから、そっちに行かないといけない。けども、見られたら、人形だとバレてしまう。諦めたことなのに、やはり躊躇してしまう。

「こっち?」

 そう言って、先にラーディは扉を開いて……。

「あ、良いもん見つけた」

 ラーディはそのまま部屋に入り、しばらくすると、椅子を転がしながら部屋から出てきた。ラッカクの部屋の、机に備え付けられていた椅子。気付かなかったが、足の下には車輪が付いていて、コロコロと滑るようになっていた。

「これに座って移動しよう」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべるラーディ。確かに、すごく良いものだ。

 ラーディに手伝ってもらいながら、なんとか椅子に座る。椅子の背を押されて、あっという間に、ラッカクの部屋の中へと移動できた。

「とりあえず、ベッドに寝て。何か持病とかあるのか? 薬とかあるのか?」

「あ……」

 そんなことを呟くラーディに、言うべき言葉が喉から先へと出てこない。

「えと、どうすればいい?」

 ケーブルがソファーの上にある。そういえば、コネクタは首の下のほうだから、この服だとそのまま挿せそうにない。

 ベッドのほうに移動して、倒れそうになるのを必死に堪えながら、どうしようかと考える。諦めるということは、とても難しい。

「なんか、また目が微妙に光ってるけど、病気と関係するのか?」

 そう指摘されて、咄嗟に顔を俯ける。暗いと、光っているのが目立つのだろう。ここは薄暗い。

「いや、ごめん。話したくないなら、話さなくて良いけど。休めば治るのか?」

 二パーセントという文字が浮かんだ途端、視界が明滅する。


『視覚情報の処理を停止』


 そのメッセージを最後に、目の前が真っ暗になる。バッテリー容量の数値と、メッセージ以外には何も見えなくなる。

「……うん、休めば治る」

 言えない。やっぱり言えない。

 また、普通に話してみたいのだ。ラーディに隠していることは後ろめたいが、普通に話してくれたのだ。案内もしてくれたし、ご飯も食べてくれたし、心配もしてくれた。

 きっと、私のことを知ったら、嫌うかもしれない。


『バッテリー残量残り、一パーセント』

『充電を必要としています。メモリ空間に設置されている情報は消去されます』


 私に良く似た声で、真っ暗になった視界のメッセージが読まれる。

「アサ、何言ってんだ。大丈夫か?」

「え?」

 ラーディがどこにいるのかわからないので、声のするほうを向く。

「バッテリーが何だ?」

 聞こえてた? 今のは私が喋った言葉なのだろうか。

 消去される。すべて消える? 記憶がなくなる?

 一度なくなっているのだから、怖くはない。そんな気持ちにはならなかった。怖い。諦めたつもりが、全然諦めれそうにない。

「ケーブル……ソファーの上にある?」

「ああ、これか?」

 しばらくして、返事が返ってくるが、それがケーブルなのかを確認することがもうできない。

「たぶんそう。今、目が見えないから……」

「え……もうしゃべんなよ。ちょっと寝とけよ。俺、医者呼んでくる。お金かかるけど、アサは金持ちだから、治してもらったほうが良いよ」

「待って。ちょっと、服のボタン、三つか四つくらい、外して」

「え」

 ものすごく動揺したような声が聞こえた。

「ごめん、腕に力が入らなくて」

「暑いのか? 熱あるのか?」

「お願い」

 ひとつひとつ、上からボタンが外されている感覚が伝わってくる。目が見えないから、確実に確認する方法はわからない。

「は、外したよ。大丈夫だ。見てないからな」

「何を? 迷惑かけてごめん」

「別に迷惑とかじゃねーけど」

 諦めると決めた。だから嫌われても良いじゃないか。それに忘れてしまう方が、きっと悲しい。

「迷惑だよ。迷惑かけてごめん。それに私は嘘つきだから」

「何言ってんだよ。寝とこうぜ。熱なら、俺、タオル濡らしてくるからさ」

「わ、たしの背中、見て」

 言葉がスムーズに出てこない。

「あ、ああ……。見てどうするんだ?」

 ベッドに、ラーディの体重がかかってくる。

「シャツを、下に、首、後ろを……」

 ゆっくりと、着ていた服が下に降ろされる。

「見、えた?」

 一際、普段とは違う調子の声で、ラーディが声を張り上げる。

「これ何……」

「そ、こに、さっきのケーブル、挿してくれると──」

 そこから後のことは何もわからなくなった。



Intermedio


 扉を叩く音で目が覚めた。

 アサのことや、背中のケーブルのことや、さっきのラッカクという男のことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。

 下の階。玄関の扉だろうか。それを叩く音が聞こえた。来客にしては少し乱暴な感じがする。

 とりあえず、ラッカクというさっきの男が帰ってくるか、アサが起きるまではここにいようと思った。

 混乱してないわけじゃない。どこからどうみても、人間に見えるのに、きっとアサは人間じゃない。精巧に作られた、機械だった。

 嫌な記憶が蘇る。

 しかしそれよりも今は、外に誰がいるのかのほうが大事かもしれない。

 何やら、普通のお客さんとは思えないような、乱暴な扉の叩き方。

 部屋の窓際から外を見る。数人の男が、外に立っていた。立派なスーツを着た、大人たちだ。この街には似合わない。物騒な感じがする。

 ラッカクという男は出掛けたままだし、アサは動かない。

 元々ここに住んでいるわけじゃないから、出て良いものか迷う。居留守を使っても良いかもしれない。

 アサの隣へと戻って、もう一度その顔を見る。

 コレは何?

 階下から、ドンドンと、扉を叩く音が強くなる。揺すって起きるものなのだろうか。とりあえず、起こしたほうが良いに違いないので、体を揺すってみることにした。

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