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序章 二 黒と灰色の街


 今まで何をしていたのだろう。気付けば、また薄暗い部屋の中にいた。

「な、何ですか?」

 ソファーの肘掛け越しに、男の顔が見えた。寝ていたはずなのに、いつ起きたのだろう。

「何でもない」

 言うと同時に立ち上がり、男は部屋の外へと出て行く。視線を落とすと、左腕には包帯が巻かれていた。自分で巻いた記憶はない。

 バッテリーの残量が、残り四十八パーセントと出ている。

 夢なんかではなかった。血の出ない体。私は人間ではない。

 捲られたままの袖を戻し、左腕の包帯を隠す。ボタンは取れてどこかに落ちてしまったらしく、留めることがでいない。

 立ち上がろうとして、背中にケーブルがあることを思い出す。簡単に外れるようだけど、引っ張って外すのはあまり良くない気がして、手でその場所を探る。

 冷たい金属の塊から、長いケーブルが伸びていた。何か、外す機構がないかと触っていると、カチャリという音とともに、簡単に外れた。引き抜くときの感覚がないのが逆に怖い。

 手にとって、そのケーブルの先端を見つめる。四センチほどの、三本の細い金属の棒が先端から突き出ており、ボタンのようなものを押すと、鉤爪のようなものが動く。それをソファーに置いて、自分の足を見た。

 身体に力が入らなかったのが嘘のように、しっかりと立つことが出来ている。恐る恐る数歩あるいてみる。

 何も問題はなさそうだ。

 確かに人間ではないが、そうなんだ、という感想以外のものは何も浮かんでこない。二本の足があって、二本の手があって、こうして歩けるのだから、何も問題はないと思う。

 でもそれは、強がりかもしれない。

 考えれば考えるほど、悲しくなってしまいそうで、先ほど男が出て行った扉を見る。勝手に出歩くことに一瞬だけ躊躇するが、勝手にして良いと言われた気もする。言われてなかった気もする。

 記憶が曖昧だけど、別にあの男の言うことを聞かないといけないわけでもないだろうし、気にしないことにしよう。

 扉は金属で出来ていた。重そうだなと思って取っ手に手をかけるが、意外と軽い。軋む音は耳障りで、この音では私が外に出ることも気付かれるだろう。

 細く、短い廊下に出る。向かいには同じような扉、右側の通路の先にも扉があり、左側の通路の先に階段がある。

 階段を降りると、四人掛けくらいのテーブルで、一人の男が円筒形の何かを口に近づけていた。ベッド脇のサイドテーブルに置いてあったものに、それは良く似ている。

 先ほどの部屋と違い、ここには明るい照明が取り付けられている。こちらに気付いているのかいないのか、男はそのまま付けていた何かを離し、そして別の小さな塊を手に取り口に放り込んだ。

「何してるの?」

「朝ご飯」

 その言葉は、知っている気がする。気がしただけで、それが何を意味するのかは思い出せない。ご飯より大事という言葉を思い出す。ご飯は大事なのか。

「朝ご飯?」

「本当に、知識に偏りが出すぎているな……」

 男はうんざりというようにそう言って、言葉の説明をしてくれる様子もなく、ただ小さな塊を口の中に放り込んでは、口を動かしている。なんだかものすごく馬鹿にされた気がする。

「これはテーブル、これは階段、これは椅子、これは──」

「わかったわかった。色々と知っていて賢いなお前は」

 なんだかもっと馬鹿にされた気がする。

「こいつは変態男」

「──おい、何と言った今」

 男を指差してそう言ったら怒られた。事実なのに。

「ラッカクだ。俺はラッカク」

「名前は知ってる。聞きました」

「わかってるなら、そう呼べ」

「いや──」

 拒否しようとしたのに、なぜか出来ない。出てきた言葉は別のものになった。

「わかりました。ラッカク」

「……ああ、そうか。しかし、外でもそんな風に呼ばれたらかなわんからな……」

 ラッカクはそう意味のわからないことを言って、再び小さな塊を口に放り込んだ。

「それ、私もしたいです」

「いや、できねーし」

 つまらない。辺りを見渡す。埃を被った台所が目に入る。良かった、台所というのは料理をする場所。ちゃんと覚えてる──あれ、料理って何だろう。

 料理──。

「おい、暇なら、自分の荷物でも片付けたらどうだ?」

「荷物?」

 それよりも私には聞きたいことがある。

「私は誰なんですか? なぜここに?」

 神妙な面持ちになったラッカクは、少し間を置いて口を開いた。

「今は話せん。これは俺の言葉じゃないんだが、毎日を楽しく過ごせ」

 楽しく過ごせ、か。前も、エンジョイしろとか言ってた。

「気になるから、話してください」

 長い沈黙。

「お前は、俺の親友が所持していた機械人形だ。だが、そいつはもうこの世にはいない。亡くなる前に、お前を連れてここに来た」

「その人は──どうして死んだの?」

「黙って聞け。亡くなる前の遺言で、お前の記憶を全て消去した。正確には日常生活に差し支えない程度の知識を残して削除した。上手くいかなかったようだが……。もし記憶がなくて嫌な思いをしているなら、元の持ち主を恨むんだな」

「その人の名前は?」

「リズリと言う」

 その名前に、心当たりはない。

「思い出せない……まったく何も……どうして死んだの?」

「消したんだから当たり前だ。あと、まぁ……寿命のようなものだ」

「そう……。でもなぜ、その人は私の記憶を」

「たぶん……ひとつはっきりと言えるのは、リズリは優し過ぎた。お前を処分するほどの決意も出せず、かと言って、苦しんでいるお前を無視することもできず──」

 私は苦しんでいた? 

 それは今の、よくわからない不安とは違うものなのだろうか。

「記憶を消すっていうのは、リズリが考え出した、どうしようもない、中途半端な結論だった。少なくとも俺はそう思う。しかし、遺言だからな。聞かないわけにもいかなかった」

 なぜ、とか、どうして、とか、そういう言葉が頭の中に浮かぶ。実際に声になるまでにはならず、その疑問を心に押し込める。ラッカクは聞いても話してはくれないだろうし、その亡くなったリズリという人がどのようなことを思っていたのかは、本人に聞かないかぎりわからないことなのだろう。

「──それに、今のお前を見る限り、記憶を消して正解だったと思う。これは適当に言ってるんじゃない」

 私の考えていることを察したのか、ラッカクはそう言った。

 私は苦しんでいた。今は苦しんでいない。

 でも、記憶のないことに、少しの不安と寂しさを感じる。今より辛いことってあるのかな。

「私は何をすれば? 今の持ち主はあなた?」

「俺になってる。が、別に行きたいところにいけば良いし、どう行動してもらっても構わない。俺は持ち主として、お前に命令はしない。別にお前が悪いわけじゃないが、人形は嫌いなんだ。だから俺はあまり干渉したくないし、されたくないということを覚えておいてくれ」

 嫌い、という言葉が、胸に突き刺さる。

 それに加えて、どう自由に行動すれば良いのかを、私は決めることができそうにない。楽しく過ごすとは、具体的に何をすれば良いのかがわからない。

「こう言うと困るのは人形の性だな。お前がいた部屋の向かいの扉を開けてみろ。リズリとお前の荷物がまとめて置いてある。それを見てもお前は何も思い出さないだろうが、とりあえず普段着る服なんかを見繕っておけ。

 そう言って、ラッカクは口に何か液体のようなものを流し込んだ。ああ、これは、カップだ。飲み物を飲むための食器。中に入っている液体は黒いから、コーヒーだろうか。

「思い出しました。それ、コーヒーですね」

 途端に、ラッカクが驚いたようにこっちを見る。なぜそんなに驚くのか。

 馬鹿だと思われても仕方ないけど、記憶を消したのはこの人なのに……。

 階段を登って、言われた部屋へと入る。空気が滞っていて、薄暗い。部屋の電気を探そうと目を凝らすと、突然視界がモノクロに変化した。

 何だろうこれはと、戸惑いつつも見渡す。色はわからなくなるが、暗い場所ではモノクロのほうがはっきりと見えることに気付く。何かの機能なのだろう。

 照明のスイッチは簡単に見つかった。ドアの脇に付いているそれを切り替えると、薄暗い部屋をオレンジ色の灯りが照らす。視界が元に戻った。

 落ち着いた雰囲気の室内。長いソファーと、ベッド、クローゼットと、そして部屋の中央には三つの大きな鞄が置いてあった。

 この部屋は、誰が使っていたのだろう。

 リズリという人が使っていたのだろうか。記憶をなくす前の私もここにいたのだろうか。

 鞄のうちのひとつを手に取り、床に置く。膝を付いてその前に座り、金属の留め具を外して開くと、ギッシリと詰まった服が目に映った。ひとつひとつを手に取り、床に置こうとして、手が止まった。

 あまりにも多くの埃が床に溜まっている。そっと鞄の中に服を戻し、埃が入らないように鞄を閉める。見れば、自分のスカートにも埃がまとわりついている。

 好きなことをして良いと言われたから、まずはこの部屋の掃除をしよう。ああ、ラッカクの部屋もすごいので、掃除したほうが良いかもしれない。埃はきっと身体に悪い。

 幸いなことに、クローゼットの脇に箒があったので、それを使わせてもらうことにした。

 一端始めると、私はどうやらとことんやってしまわないと気が済まないことがわかった。鞄の置いてある部屋が終わり、ラッカクの部屋を掃除して、廊下と下の階の掃き掃除まで終えると、今度は見つけた布切れを水に含ませ、拭き掃除を始めた。

 なぜかラッカクは見当たらない。

 何を言われることもなく、掃除に没頭して時間を忘れた。綺麗な方がラッカクも良いと思うに違いない。

 台所には、使ったままの汚れたカップや皿が溜まっていたので、それも綺麗に洗って食器棚へと仕舞う。いつから掃除していないのかわからないぐらい汚れていたが、照明の光を反射して流し台が光るくらいに綺麗にしたところで、ようやく掃除の手を止めた。

 時計がないので、どれくらいの時間が経ったのかはわからない。 台所のすぐ脇にある窓から外を見ると、灰色のコンクリートで出来た建物が、薄暗い中に並んでいるのが見えた。初めてここが一階なのだと気付く。視線を辺りに移すと、下へと続く階段がある。地下室でもあるのだろうか。

 ラッカクの姿が見当たらないから、この下か、外にでも出ているのだろう。

 冷蔵庫を空けると、液体の入った瓶が並んでいた。飲み物、これはお酒というものだ。

 朝ご飯──ご飯──食べる物、人間が食べる物。

 ラッカクが言っていた言葉を思い出す。朝ご飯、食べ物。冷蔵庫には食べ物が入っているべきなのに、何も入っていないのはおかしい。こんな当たり前のことを忘れていたなんて、私はどうかしている。

 地下への階段を降りる。暗い。部屋の照明も暗いから、ラッカクは、あまり明るいのは好きではないのかもしれない。

 階段を降りて扉を開けると、広い空間が広がっていた。薄暗い中、奥のほうに光が見え、そこにラッカクの後ろ姿を見つけた。机に向かって、何やら手を動かしている。

 色々な金属の機械が並んでいるが、それが何をするためのものなのかはわからない。壊してはいけないと、足元や周りに気をつけながら、ラッカクのほうへと向かう。

「ひっ」

 目の前に人の腕が落ちていて足を止める。情けない声に気付いたラッカクがこっちを見た。

「おい、何してる。壊すなよ」

「腕が落ちてる……」

「腕って、そりゃ、人形の腕だ。ただの部品だよ部品」

 良く見れば、確かに、骨や肉などは見えない。手に取って確かめる。自分の腕も同じようなもので出来ているということが不思議に思えた。

「何か用か?」

「何してるんですか?」

「お前の充電プラグ、ガタが来てるからな。交換用のパーツを準備してる」

 金属のパーツが机の上に散らばっていた。

「まぁ、ここじゃ高度な加工はできないから、適合しそうなパーツを転用して組み合わせるしかないけど」

「そうなんですか」

「って、こんなこと言ってもわからんだろうな。で、何か用なのか?」

「あの、ご飯の意味を思いだしたんです」

 ラッカクは振り向いて、目を丸くして私を見つめる。何かを言いかけて、でも何も言わずに机に視線を戻し、抑揚のない声で、

「そりゃ、おめでとう」

 と、まるで私を小馬鹿にするように言った。もう気にしないことにする。

「冷蔵庫を見たら何もないから、どうしてるのかなと」

「……大抵保存食か、外に食いに行ってるな。というか俺は家政婦を頼んだ覚えはないぞ。間違っても掃除なんかするなよ。何か他のことでもしていろ」

「え、もうやっちゃったんですけど……」

 ぴたりと、ラッカクの腕が止まって、こちらへ向き直る。少し怒っているようだ。

「でも、好きなことして良いって……」

「──そうだな。うん、そう言った。とりあえず、ご飯とかお前は食わないだろう? 他のことをしてろ」

 そう言って、ラッカクは再び作業を再開する。

 鞄の部屋に戻って、服を取り出す。これは全部私の服なのかな。と、何着もある服を手に取っては、デザインを見ていく。

 あまり服の良し悪しはわからないが、今着ている背中にケーブル用の穴が空いている服よりは良いだろう。この服は充電のときに着ることにして、どれか選んでみることにした。

 鞄の中には、写真が数枚入っていた。まだ十代後半くらいの歳と、三十くらいに見える二人の女性が写っていた。この二人が誰なのかを私は知らない。

 白いレースの入った七分袖のブラウスと、動きやすそうなプリーツ加工のスカートを手に取って着替える。着方が合っているのか不安だと思っていたところ、クローゼットの扉の内側に鏡があることに気付いた。

 姿見の前に立って確認。大丈夫そう。でも、少し髪がボサボサになっている気がするし、目が、赤くほんのりと光っている。これは──思い出した。人形だから仕方ない。目が光るのは人形の特徴だ。

「あれ……この顔って……」

 とっさに、さっき見つけた写真をもう一度見る。十代後半くらいに見える写真に写る女性は、私と同じ顔をしていた。

「私、なのかな……この隣の人、誰だろう……」

 他に、何か手がかりはないかと、もう二つの鞄も開けて中を調べる。靴や、本、お金、何かの書類みたいなものや、雑貨が色々とあったが、写真や日記のようなものは他に何ひとつ見つからなかった。

 お金──お金は、物を買うときに使う。

「ご飯、買えるかな」

 ラッカクは苦手で、嫌な感じがするけど、私の古くなった部品を直そうとしてくれてた。

 それは、たぶん親切とか、善意とかではないけれど、そうしてくれているのは事実だから、少しくらい感謝しても良いかもしれない。

 包帯の巻かれた腕を見る。

 鞄の中に散らばっていたお金を手に取る。確か、お金にはいくつかの種類があったはずだ。書いてある数字が大きいほうが、色々買える。

 思い出そうとするのだが、はっきりとした情報が出てこない。買えなかったら諦めよう。

 くしゃくしゃになっていた紙のお金を伸ばして折りたたみ、小さな黒いバッグが見つかったので、それに仕舞う。

 外には建物がいっぱいありそうだったから、きっとお店のようなものも見つかると思う。なかったら、それはもうしょうがないけど……。

 台所から続く家の玄関を出ると、道幅三メートルくらいの小さな路地に出た。入り組んで建っているいる建物は、どれも灰色のコンクリートで、ラッカクの家も外から見ると、それらと同じ外観をしていた。

 薄暗い。

 人の姿が見えない。

 私は人間に見えるだろうかと、急に不安になる。理由は自分でもわからない。

 お店のある方向がわからないので、探検気分で気ままに歩くことにする。並ぶ建物は全部住居なのか、看板みたいなものや、何かを売っているような気配はなく、しばらく歩いても人の姿を見ることはなかった。

 しばらく歩くと、突然開けるような大通りに出た。ぽつんぽつんと、一定の間隔で街灯が建てられていて明るい。

 ようやく初めて人の姿を見ることができた。灰色の建物に変化はないが、看板のようなものが備え付けられている建物もある。

 通りの端を歩く。どちらへ向かうと良いのか。とりあえずは左のほうに向かって歩く。

 喫茶店は、お茶を飲むところ。

 居酒屋。ここは──何をするところだったか思い出せない。

 服屋。室内にたくさんの服が並べてある。けれど、いっぱいあったから買う必要はないだろう。ああ、でも、ラッカクの着ていた服は汚れていたから、新しい服を買った方が良いような気もしてくる。

 ご飯屋が見つからない。

「何探してんだ?」

 後ろから声がしたので振り返ると、まだ幼い少年が立っていた。

「私?」

「そう、あんた」

「ご飯屋を探してる」

 怪訝な表情をされる。何か変なことでも言っただろうか。少年はすぐに表情を戻して、口を開く。

「ご飯屋って、食料を探してんのか?」

「『食料』って食べ物……?」

 更に訝しげな表情で見てくる。一言何かを紡ぐ度にそんな顔をされては、二の句がつげなくなる。

「何言ってんだ? 食料ってのは食べ物だろ。ご飯だよご飯。お前、何か変な奴だな」

「え……どこが変でしょうか?」

「全体的に馬鹿な感じがする」

「なっ──」

 初対面の人にいきなりそんなことを言われるのは──良くあることかもしれない。ラッカクも同じようなことを言ってた。

「ここ初めてだから良く分からないだけです」

「いや、初めてとか全然関係ない部分だぞ」

 もっともな突っ込みを受ける。食料は食べ物と同じ意味。覚えた。

 こんな少年と話している場合ではない。それらしい看板を見つけないと。

「ええ馬鹿です。馬鹿で良いです。それではこれで」

 いついかなるときも感情的になってはいけない。冷静に対応すれば何も問題は起きない。でも、馬鹿じゃない……と思いたい……。

「おい待てよ。俺が教えてやるよ。店の場所」

「……本当?」

「嘘言ってどうすんだ。こっちだよこっち」

 私はとりあえず、少年の後についていくことにした。

「で、お前ちゃんと金あんの?」

 何歳くらいだろう。十三から十四歳くらいだろうか。少年を見ながらそんなことを考えていると、振り向きざまにそう言われた。

「あるよ。ちゃんと持ってきた。でも、いくらするのかわかんない……これで買える?」

 バッグの中から、折りたたんだ紙のお金を出す。

「百点紙幣が十二枚……お前なんでこんなに持ってんだ。大丈夫だよ。これ一枚、案内料としてもらっとくぜ」

 そう言って少年は、お金を一枚抜き去ると、私の顔を見た。

「あ……どうぞ」

「──冗談だよ。っていうか、物騒だからあんまりお金とか見せるなよ」

 そう言って、少年は抜き去ったお金を戻して、私に手渡す。

「いや、案内してくれるから、お礼に」

「いらねーよ。そんな大金もらっても、怖くて歩けねぇ」

 そんなに大金なのか。でも安心した。これで買いたいものもきっと買えるだろう。

 しばらく歩くと、商店とだけ書かれた看板が目に入る。少年はその前で立ち止まり、中へと入った。

「おっちゃん客」

「おう、ラーディか」

 そう言った、おそらく店主らしい、ラッカクとあまり変わらないように思う歳の男は、視線を少年から私のほうへと向ける。

「いらっしゃい。うちは初めてかな? 本当に最近人が増えはじめた」

「良い小遣い稼ぎになる」

 少年はそう言うとにやりと笑って私を見た。が、店主の顔が少し険しくなる。

「ラーディ、飯も食わせてやるし、なんならうちに住んでも良いんだ。悪いことはしてないだろうな?」

「し、してねーよ」

 あらぬ疑いをかけられているようで、私も店主に伝える。

「大丈夫です。案内してもらって助かりました」

「そうか、なら良いんだが……こいつはやんちゃだからなぁ」

 と、元の笑顔に戻った。ほっとした少年と私。良い人が怒られるのは可哀想だ。狭い店内には、箱や瓶に入った商品らしいものが並んでいる。

「で、具体的に何ほしいんだ?」

 少年が私へと聞いてくる。私も、具体的に何を買えば良いかわかってない。

「何か食べ物を、と思って」

「何でも良いのか?」

 そう言って少年は、店の棚を眺める。

「わかんないけど、何でも大丈夫。たぶん──」

「これ美味いよ」

 レジルというラベルのついた瓶。中は固形の小さなものが一杯入っていて良く分からない。

「これ何?」

「……何だっけ?」

 少年が店主のほうを見て、私もそっちに顔を向ける。

「ああ、そいつは、野菜と小麦粉を使ったやつだ」 

 野菜って、こんな形だっただろうか。

「野菜とか、あるの?」

 店主に尋ねると、カウンターの上にいくつかの小瓶が並べられる。

「これはたまねぎ、こっちはキャベツ、こっちは大根で」

 そう、当然のように瓶を指差しながら店主は次々と説明してくる。何か違う気がする。絶対、こんな、瓶に入ったよくわからない小さな塊の粒ではなかったような気がする。

「たまねぎって、茶色で、丸かった記憶が……。キャベツは──青色の丸くて薄いのがいっぱい重なったやつだっけ」

 少し考えるようにしてから、店主が口を開く。

「もしかして、加工されてないやつか? こんなところに、そういうのはないよ」

「どうして?」

「どうしても何も……あんた、元は上層にいたのか?」

 店主は珍しいものでも見るように、私を見た。

「野菜って、これじゃないのか?」

 そういって、少年がもうひとつの瓶を取る。緑色の固形物が詰まった、よくわからない何かが入っている。

「……色は似てるかも」

「おい、そりゃ栄養剤だ。あんた、他所から来たんだろう? ここで暮らすなら、こういう食い物に慣れたほうが良い。何、大抵の人間はすぐ慣れる」

「私が食べるんじゃないけど、うーん……」

 これって美味しそうに見えない。味はわからないし、食べることも出来ないけど、ラッカクが朝、ご飯を食べていた姿を思い出すと、そう思ってしまう。美味しくなさそうに食べていたのだ。

 第一、ご飯は、もっと暖かそうなものだった気がする。食べる人が笑顔になれるような、そんなものだった気がする。

 そう思っていると、

「特別だ。アレを出すか」

 と言って、店主は店の奥へと向かった。しばらくすると、袋を抱えた彼が戻ってきた。

「こいつ、俺が作ったやつなんだけどな。いや、こんな下層でも、何か出来ないかと思って、うまく育たないから、小さくて申し訳ないんだが」

 そう言って、店主はカウンターに袋の中から取り出したものを広げる。

 下層とか上層って何?

 そう思いながら、カウンターの上に並べられたものを見る。覚えている。思い出した。これは、

「たまねぎ、にんじん、これは……」

 私が言葉を途切れさせたまま、思い出そうとしていると、

「じゃがいもだ」

 店主が名前を教えてくれた。

「これ、食い物?」

 少年が、カウンターによじ登るようにして、不思議そうに尋ねる。

「確か、そうだったと思う」

「四年前に仕入れたまま全然売れない塩や胡椒もあるし、買っていくか? 金があるんなら売るよ」

「いくらですか?」

「これ、育てるのに金がかかっててな。1つ五十点だ。ないなら、そっちの固形食料にしときな。五点だから安いぞ」

「うわ、おっちゃん吹っ掛けてんじゃねーの」

「そんなわけあるか。俺がこれを育てるのにどんだけ苦労したと思ってるんだ。ちなみに俺はシチューが好きなんだ。もう何年も食ってないが」

 それは、知ってる気がする。料理だ。

「私、シチューは聞いたことあります。ここにある材料で作れる?」

「似たようなものであればここにある材料と、塩と胡椒、コンソメ……小麦粉、あとはミルクで作れる。肉があったら完璧なんだが、手に入らんからそれを用意するのは無理だ」

 カウンターの後ろの、扉の付いた棚を開けると、カウンターに次々と品物が並んでいく。

 塩と胡椒は小さな瓶に入っていて、あとは小さな箱に入れられている。ミルクって液体だったような記憶があるけど、こんな白くて四角い塊だったろうか。

 手に取ってそんなことを思っていると、店主が口を開く。

「保存が効くように、水分を飛ばして特殊な保存料とともにフリーズしてある。水で煮込めば元に戻るさ」

 少年は、物珍しそうにそれらを見ている。

「ラーディ、何なら後で飲ましてやるぞ」

「いらない。良いってば」

 この二人はどういう関係なんだろうか。と、二人を交互に眺める。

「で、あとは作り方なんだが、その前に本当に買えるのか? 調味料なんかは古いから、多少値引きするが……」

「えと、これで買えますか?」

 バッグの中から、お金を取り出して、カウンターに置く。

「お嬢さん、あまりそういうのは感心しないな。悪い店もあるから、いくらかを聞いてから、金を出したほうが良い。相手が金を持ってると知ったら、吹っかけてくる奴もいるからな」

 そういって、店主はカウンターの上に置いたお金を、私のほうへと押し戻すように手渡した。

「塩と胡椒は、合わせて百点、コンソメは三十点、小麦粉は百八十点、ミルクは二百点、あと、こっちの野菜はひとつ、おまけして四十五点にしてやろう」

「ありがとう。五百十点と、あとは野菜が1つ四十五点だから……」

 千二百点だと少年は言ってたから、野菜は、十五個まで買える。

「そうそう、ラーディ。お客さんを連れてきてくれたから小遣いだ」

 そう言って、店主は一枚のコインをラーディの手の平に落とす。

「さんきゅ」

 そう、慣れた風にお金を受け取ると、少年はさっきのレジルという商品を大事そうに抱えて、カウンターに戻ってくる。

「これ買う。ちょうど今ので五点になった」

「お前、それ好きなのか?」

「安くて量が多いから、一番良い」

「確かにな」

 そう言って店主は笑う。

「じゃあ、今日は綺麗なお嬢さんを連れてきたから、四点にまけとくよ」

「まじ?」

 少年はうれしそうに、四枚のコインを店主に渡す。

 それを見て、なんとなく私も、少年にお礼をしたい気分になった。

「じゃあ、じゃがいもと、にんじんと、たまねぎを、3つずつで」

「あいよ。全部で……」

「九百十五点ですか?」

「計算早いな。……うん、九百十五点だ」

 紙のお金を十枚渡す。一枚百点だから、十枚。お釣りと言って戻ってきたのは、八枚の紙のお金と、五枚のコインだった。

 店主が品物を袋に詰めるのを待つ間に、少年に声をかける。

「あの、お礼。案内してくれたお礼」

 お釣りとしてもらったお金を、少年に差し出す。

「こんな大金もらえない」

「でも、助かったから」

「もらえない。俺、お前を連れてきたから小遣いもらえたし」

 頑として譲らない。嫌がっているようで、これ以上言っても迷惑になるかもしれない。

 どさりと、カウンターの上に袋が置かれる。

「お嬢さん、品物だ。作り方を書いた紙も中に入っている」

 品物を受け取る。作り方までいつの間に。とても助かる。

「ありがとう」

 やり取りを聞いていたのか、店主がラーディに向かって言う。

「でな、もらっておけるもんはもらっとけ」

「嫌だね。俺は乞食じゃない」

 やれやれと、店主は肩を竦める。良い案を思いついた。

「じゃあ、私の家でご飯作るから、食べない?」

「何で俺が」

「私の名前はアサ。あなたはラーディ」

「だから何!?」

 驚いた表情でこっちを見てくる。あれ、何を言いたかったのか、自分でもわからない。

「わからない。えと、友達? になる? 自己紹介」

「なんで疑問形なんだよ。っていうか、からかってんのか!?」

 頑なに拒絶される。私はなんだかしつこい変人かもしれない……ラッカクと同じにはなりたくない。

「ご婦人の提案を断るのは、紳士じゃないな」

 ぼそりと、店主がそう言った。

「なっ」

 ラーディは、驚いたように店主を見上げる。

「シチューは美味いぞ。俺が作った野菜を使うんだしな」

「別に良い」

 横顔を眺めながら思う。ものすごく興味深々な表情が、全然隠せていません。

「もったいないな。お前じゃ、一生食えないかもしれんのに」

 店主は意地の悪そうな表情で、少し笑いながらそう言った。

「……そんなに美味いのか?」

「このお嬢さんが失敗しなければ……な」

 今度は意地の悪そうな顔が、私に向けられる。

「大丈夫ですたぶん……完璧に作ってみせます。ラーディ、来ない?」

 テーブルに椅子は四つあったから、ラーディが来ても大丈夫だ。ものすごい葛藤があったのだろう。どういうことで悩んでいるのかはわからないが、しばらく待っていると、

「じゃあ、行く」

 観念したような、期待に満ちているような、複雑な表情でラーディはそう言った。

 毎度という声を受けて、私たちは店を出た。抱えた袋には、食材が一杯入っている。

 きっと失敗せずに作れる。そうしたら、きっとラッカクも美味しく食べれるだろう。

 大丈夫だ。と、私は自分に言い聞かせた。

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