第二章 一 三十四日の平和
二章第一話は難産……だったかも。サービス的なシーン?とかを頑張ろうとしたのですが、何がサービスになるのか良くわかりません……。
二章第二話以降は楽に書けているので、すぐにアップできそうです。
徐々にここから物語が加速していく予定。展開が遅いかなと、読み直して不安になったりも。
楽しんでいただけたら幸いです。
一
時刻は夜の一時。勉強を終えたラーディが、シャワーを浴びて、若干濡れたままの髪で戻ってきて口を開いた。
「そういや、アサって、シャワーとか浴びないの?」
「浴びたことないです。たぶん」
そう言えば、汚れてるのかな。服の袖をまくって腕を見たり、自分の脚を見たり。なんだか、若干埃っぽい気もする。
「もしかして、錆びるとか……?」
心配そうにラーディがそう言った。そうだ、金属は錆びる。
自分の身体で金属の部分は、
「わからないけど……電源のソケット部分は金属だから錆びそう?」
「じゃあ、タオルで拭いたりするくらいが良いかな。人間みたいに汗を掻くこともないから、そんなに気にしないでも良いんだろうけど」
再び腕や脚を見る。少し気を使ったほうが良いのかもしれない。
「タオル使っても平気?」
「いちいち聞かなくて良いよ。全部アサが自由に使って良いから」
適当な一枚を取り出して、服に手をかける。
「ちょっと待った。あっちで脱いでくれ! ほら、約束しただろ!」
狼狽するラーディ。そうだった。約束。命令ではない。目の前で服は脱がないという約束。
シャワー室の扉は開けたことがない。その隣にはトイレもあるけど、たぶん一生その扉を開けることはないだろう。蛇口を捻って水を出す。初めてラーディに料理を作ったときのことを思い出した。ここに台所があれば完璧なのに。
タオルを濡らして、きつく絞って、身体を拭く。
そういえば、服も洗濯したほうが良いだろうか。ガレットとリシアの家では、家の中で洗っていたけど、ラーディは外に洗濯するお店があるからと、昨日ついていったことを思い出す。
シャワー室の中からでも聞こえるかな。
「ねぇ、ラーディ」
しばらく経って、返事が帰ってきた。
「服って、洗濯したほうが良い?」
「あー、昨日一緒にすれば良かったかな」
他の服は鞄の中に入れたままになっている。
「服、どれか適当に選んでもらっても良い?」
「ええと、アサの持ってきた、この鞄の中?」
「うん」
しばらく経って近付いてくる足音。
「自分で選んでくれ……よくわからんので鞄ごと持ってきた」
どさりと、扉の向こうから重い音が聞こえた。
「あ、ごめんね。ありがとう」
拭き終わったタオルを見る。ちょっと黒ずんでいる。掃除は大切。リシアに買ってもらった服の中から、ラーディが着ているような、寝るのに良さそうな服はあったかなと探す……が見つからないので、着るのが簡単なワンピースを手に取る。もしルイドがこれを見たら、ひらひらし過ぎだ。却下する!と言うことだろう。疲れた表情のブラッジとメリッタを思い出した。
「ラーディ、ありがとう。綺麗になったかな?」
「たぶん、うん。そろそろ寝る?」
「うん、私は寝る必要ないけど」
「夜、もしかしてずっと暇?」
「寝ないけど、疑似睡眠──スリープモードで、一時的に機能を停止させているので、何か物音とか、しない限りは寝ている感じなのかな」
「自分でもよくわかってない?」
少々飽きれた顔でそんなことを言われた。色々出来ることが増えて、機能が増えている。元々あったものなのか、研究開発部のグラが追加したものなのかはわからないけど……。
「私の取扱説明書があったらまっさきに自分が読みたい気持ちです」
「そうか……大変なんだな」
そう言って部屋の灯りを消したラーディは、そのまま床に寝転がった。それを見て、なんだか、やっぱりそれは駄目な気が。ベッドの上を見ると良いものを見つけた。とりあえず毛布を一枚手に取って、ラーディにかける。
「何?」
ギロリと、暗闇の中でこちらを見る目。かけてはみたものの、風邪を引きそうだ。だって床は冷たい。そうだ、良いことを思いついた。
毛布を取り払って、ラーディの腕を掴む。
「何をする!」
非難の声を無視して、そのまま抱きかかえるようにしてラーディをベッドの上に乗せた。
「アサ、力強すぎ……っていうか、さっき言ったよな? 今夜は俺が床に」
「こうすれば問題ないかも?」
おそらく一人用のベッドだろうけど、背が伸びたと言ってもラーディはガレットみたいにがっしりとした体格じゃないし、私もそんなに大きくない。から、二人で並んで寝ても、そんなに窮屈じゃないと思う。
ベッドに膝を乗せて、ラーディの隣で横になる。
「何のつもりだ」
「一緒に寝る。こうすれば、ラーディも私のこと気にしないし、私もラーディを心配しなくて済む?」
起き上がろうとするラーディを止める。
「嫌?」と尋ねると、「嫌」と、ラーディが即座に答える。
「どうして?」
「だって、アサは女だし」
その言葉がなんだかおかしかった。生物には雄と雌がいるけど、私は生物じゃないから、あくまでも、見た目だけの問題のように思う。
「なんで笑う!」
笑っているつもりはなかった。表情を制御する信号に、一時的に何らかの異常が出た可能性がある。
「じゃあ、こうします」
流れる髪を両手で後ろにまとめ、そのまま襟から中に入れる。蝶の髪飾りを外して、ベッド脇に置いた。
「今から男ということに」
「どこが!?」
「髪を短くしたように見えないかな」
「髪が短ければ男なのか」
駄目ですか、難しい。
ああ、胸があるから? 男の人にはない。
「これ取れないのかな……」
自分の胸に手をあてて考える。確かにグラシスが言ってたように、柔らかい。けど、中に何が入っているのかはわからない。
「──お願いだからやめてくれ」
そう、どこか必死なラーディの声。嫌なことなのだろうか。男になる作戦失敗。そういえば、ミラも、『問題がある』みたいなことを言っていたような気がする。
「何か問題あります?」
「……いや」
良かった。でも、歯切れの悪い返事だ。寝付けない?
「寝る前に本でも読んであげます。暗くても本が読めるので任せてください」
「もう字は読める。話題をすりかえないでほしい」
困った。
「どうして女だと嫌なの?」
しばらくの間。ラーディの表情が面白いようにコロコロと変わっていく。ブツブツと何かを言いながら、
「……ごめんなさい、悪かったです。この俺が心を落ち着かせれば済む話なんです。嫌じゃないからもう寝よう」
最終的に、投げやり気味にそう言ったラーディは、私に背を向けて静かになった。寝たかな。すーすーと寝息が聞こえはじめたのを確認して自分もスリープモードに入る。
朝。スリープモードを解除する。身体を横にしていたのだが、目の前に髪の毛があった。視線を少し下に向けると、ラーディの顔。目を閉じていて、私に抱きつくような形で寝ている。動けない。そういえば、頭に置いている枕を、寝ている最中に抱きしめてる姿を良く目撃した。ラーディの場合には、枕が二個あったほうが良いのではと思う。
時間は八時。いつもなら起こしている時間だけど、今日は学校がお休みらしいから、もうすこし寝ていても大丈夫。その寝顔を見つめる。
耳を触ってみる。もぞもぞと動いて、私の胸に顔をうずめてきた。なんだか面白い。
「アサ、パンケーキを作らないと」
と、胸の中でもごもごしながら良く分からない台詞をつぶやくラーディ。ケーキって、食べ物だったかな。好きなのだろうか。服をぎゅっと掴んでくる。何か夢でも見ているのかもしれない。
もうすぐ九時だから、そろそろ起こしたほうが良いだろう。
「ラーディ」
名前を呼ぶ。返事がない。身体を揺する。
「ラーディ?」
もう一度身体を揺する。ラーディの顔が離れて、目が開いた。眠そうに半分だけ開いた目蓋と目が合う。
「おはよう」
私の目を見て、それから視線が下に移って、もう一度私と目が合って、何だか顔が赤くなっていっている。熱でもある?
「もしかして、風邪? 顔が赤い」
大変だ。額に手をあてようとしたら、服を掴んでいた手が緩み、勢いよく私から逃げるように離れる。でもラーディ、そっちは壁……だと言おうとしたら、遅かった。ゴツンという音とともに、頭を抑える。
「だ、大丈夫?」
「いってぇー……」
「熱はない?」
ラーディに近付く。
「待て、ないない! 全然ない! というか、俺は寝ている間に一体何を」
「寝ている間に何かありました?」
「何かしたのか!? なぜ俺は抱きついてたんだ!」
「それは、私も気付いたら抱きつかれてて、ラーディは良く枕を抱きしめて寝てるから、癖なのかなと」
「俺はなんてことを……」
なんだかものすごく、頭を抱えて後悔している、のかな。
「落ち着いて。どうしたの?」
「……どうもしてない」
人の心は複雑だと思う。私にはまだ、ラーディの、人の心を理解することなどできそうにない。
時は移り変わる。平穏な日々はゆったりと過ぎていく。
ラーディは、大体はいつもグラシスとミラと三人でいることが多い。二人は、良くうちに遊びに来る。
ミラがグラシスを蹴るのは挨拶みたいなものだから気にしないようにと言われたのだが、蹴られるのを見る度に、あんなに痛そうな挨拶をする文化や風習があるなんて、世界は広くて、人間は不思議だと思う。
シーズは、街の飲食店での仕事をはじめたようで、ラーディと何度かその店に遊びに行った。
「なんとか暮らしていけてるから大丈夫だし、ここはとても平和で、ご飯も美味しいから天国みたいだ」とを言っていた。天国には行ったことがないからわからない。人は死ぬとそこへ行くらしいけど、私はきっと行けないだろうから、ガレットやリシアにはもう会えない。
夜帰ってくるのが遅かったり、休日に出掛けるラーディのことを、最初は気に留めていなかったのだが、気になって何をしているのかなと尋ねたら、孤児たちの住む施設に、学校が終わったあとや休日に手伝いをしていると教えてくれた。ボランティアのようなものだけど、僅かなお金ももらえるようで、食事や子供の世話や、休日には遊び相手になったり、簡単な勉強を教えているようだ。
ミラやグラシスも一緒で、地区から支給されるお金を上手く運用して、一般の人々がその施設を運営している。孤児という言葉が、ラーディの過去を思い起こさせる。ラーディの両親はいない。家族のいない子供たちは、彼の目にどう映っているのだろう。
と、色々思うことはあるものの、とりあえず今は、今日こそ言うか言わないかで悩んでいた。休日に何度「一緒に行く」と言っても「大変だからゆっくりしてて良いよ。好きなことしてて良いよ」という返事が返ってくるばかり。それは私を思っての言葉なのだろうけど、一人は暇、正しくは一体だと暇なのだ。
「今日、行ってみても良い?」
「大変だから好きなことしてて良いよ」
いつも通りの返事。
「ラーディ、暇です。暇、暇。このままだと私死ぬと思う。私も手伝えないですか!?」
思い切ってそう伝えてみる。出来るだけ必死さが伝わる表現でなくてはならない。
「どこでそういう言葉覚えてきたんだ……ああ、やっぱりミラとグラシスが……」
そう言いながら、なぜか悲しそうな目で私を見てくる。もうひと押し。
「暇です」
「他にやりたいことないの?」
「ラーディと一緒に行きたい」
しばらく考えるような間。
「……一緒に行くとなると、流石に、アサのことはちゃんと説明しないといけなくなる。けど大丈夫?」
「何が?」
「人形ってことを施設長に知らせないといけない。だから、そうなると、ミラやグラシスにもそのことを伝えないと……」
「人形だとわかるのは良くない?」
「以前、アサがそれを嫌がっていたような気がしたから。ミラやグラシスには、実は──って説明すれば全然問題ないだろうけどさ」
そういえばそうだった。人形は、嫌われるのだと思っていたから、出来るだけ、隠しておきたかった。でも今はあまり気にならない。きっと、ラーディやシーズが、普通に接してくれているからかもしれない。本当のところは自分でもよくわからないけど。
ラーディが続けて口を開く。
「施設では人形も使われているからたぶん問題はない。ただ、前々から思ってたんだけど、アサは、人形の中でもかなり精巧というか、うーん、俺もよくわからないけど、一般に使われている人形と全然違うから、変に思われないかなーって。警備隊の人も、すごい人形って言ってたし」
普通の人形、普通に使われている人形を私はまだ見たことがない。すごいと言われても、戦闘型の機能を持っているだけで、それ以外は普通のような気がする。
「私は何か変?」
「変とかじゃなくて……人間に近い気がする。施設の人形は、ロボットっぽいというかなんというか」
具体的にどんなものなのかな。
「それッテ、コんナカンジ──デス?」
なんとなく自分が思うロボットっぽさを前面に喋ってみる。ラーディの目が、なんだか変なものを見るような目に変わっていた。
「──別にそんなしゃべり方してても良いけど、そんなしゃべり方する人形は施設にもいないよ?」
違ったようだ。じゃあ、どういう感じだろう。
「自分以外の人形って興味あるし、ラーディが手伝っていることを私もやってみたい。ので、一緒に行きたいかも」
「そっか……まぁ、どうにかなるかな。一緒に行くか」
小さな建物だったけど、学校みたいに門があって、敷地の半分は庭になっている。庭には何に使うのかよくわからないものが多い。建物に向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。
「よっ、ラーディ! と、おおこれは、お姉さんではありませんか。この僕に会いにわざわざ足を運んでくれるなんて、幸せで胸が張り裂けそうだ」
グラシスがいた。その後ろに、なんだか機嫌の悪そうなミラ。グラシスの胸が張り裂ける? それはとても、危険な気がする。
「大丈夫ですか!?」
「いいえ、貴女の可憐な顔を思い出すだけで、毎晩胸が苦しくなる。この病を治すことができるのは貴女だけ……」
「私が今すぐ楽にしてあげるから!」
次の瞬間、グラシスの脇腹に足のつま先がすごい勢いでぶつかり……彼は地面に倒れ込む。
「ミラ、あまり痛いことは……」
「大丈夫よ、こいつは頑丈だから」
「でも、病がどうとか……」
「そんなこと気にしなーい! ところでラーディ、アサはもしや助っ人?」
私が人形だと知ったら、どう思うかな。
「うん、助っ人というか、自分も何かできないかなって言ってたから、今から施設長のところに挨拶に行って話してみる」
「わー、じゃあ一緒に頑張ろうね!」
ぶんぶんと私の手を取って振るミラ。すごく楽しそうだけど、不採用になったら何と言おう……。
「それじゃ、私はとりあえず年少グループと戯れてくるよ」
そう言い残して、ミラは建物に駆けて行った。グラシスは地面に倒れたまま。
「ラーディ、グラシスは……」
「ほっといて良いよ」
そう言われてもものすごく気になる……倒れたまま動かないグラシスを見つめていると、腕を引っ張られた。大丈夫かな。
「で、ええと、元々僕の人形じゃないんですけど、今持ち主は自分で、少しでも施設の足りない人手を埋めることができたらと思いまして」
ラーディがおじさん、いや、おじいさんかな──に向かって話をしている間、私はその少し後ろで待つ。綺麗な白髪で、椅子に座ったまま、そのおじいさんはラーディの話を静かに聞いている。
場所は一階の、施設長室と書かれたプレートのある、小さな部屋。
「申し出は嬉しいんだが、その人形は、何型? 見たことないタイプだから、よくわからん。まぁ、今のところ、人手が足りないところばかりだから、何でも良いんだが。というか本当に人形なのか? ラーディ、私をおちょくろうとしてるんじゃないだろうな」
懐疑的な目。証明できるものは……。
「暗いと目が光るのでわかりやすいけれど……あ、背中に電源ソケットがあるので、見ていただければ──」
服のボタンに手をかけようとしたところ、
「待った! アサ、約束は!?」
そうだった。なぜかおじいさんも慌てている。
「すまんすまん冗談だ。ラーディは真面目だし、嘘を付く理由もない。人形が安く買えれば、ここの人手不足も解消されるのになぁ。まぁ本来、子供たちを育てるのは、人がやるべきことだが……」
「それじゃ、採用ということで良いんですか?」
ラーディが尋ねる。
「ああ、採用も何も、こちらもお願いしますという気持ちだよ。ラーディ、いつも言ってることかもしれんが、学校のほうもあるんだから、施設を手伝うのもあまり無理せずにな。えーと、そっちの人形、アサと言ったかな? これからよろしく頼むよ」
「こちらこそよろしくお願いします。そういえば、お名前は?」
「私はここの施設長の、ランドだ。というか、本当に人形なのか?」
「……背中見ますか?」
「いや、大丈夫だ。技術の進歩は早いな」
そう、最後のほうは聞こえるか聞こえないか程の声で呟いたおじいさん──ランドは、関心するように頷いた。普通の人形とどこが違うのか気になる。
「では、ありがとうございます。失礼しました」
礼儀正しくラーディがお辞儀をしたので、それに倣う。
「失礼しました」
「いやいや、こちらこそありがとう」
そうにっこりと笑ってくれた施設長の部屋を出た途端、
「あー……良かった」
大きなため息をついて、さっきまでビシっとしていたラーディが急にふにゃふにゃになった。
「ごめんね。大変だった?」
「いや、大変じゃないけど、どうなるか不安だった。まぁ、人手が足りないのは本当だから大丈夫だとは思ってたけど。それにアサが手伝ってくれると俺も助かる。人が少ないとその分、個人個人の負担が大きくなるからな。俺は学生だから、平日はちょっとしか出れないし」
ラーディの負担をこれからちょっとでも軽減できるなら、それは良いことかも。学校にも行ってないし、仕事もしていないから、これからたくさん頑張ろう。
「でも、本当に良かったのか? 好きなことしてて良いのに」
「好きなことしてるので大丈夫だよ?」
納得がいかないというようにラーディは首を傾げて、再び歩き出した。
少し大きめの部屋に案内される。
「ここが、職員というか、施設で働いている人たちの控え室みたいなもので、誰が今どこでどういう仕事をしているのかっていうのを管理してるんだ」
机が並んでいて、数人の大人たちが何かの作業をしている。大きなホワイトボードには、表に場所と名前が書かれているのに気付いた。
「これで確認?」
「あ、うん。まぁ、自分の仕事内容だけ把握しておけば問題ないよ」
そう言って、スタスタと歩いていくラーディ。一人の女性に話しかける。
「エスリ、今大丈夫ですか?」
「ええ、どうしたの? む、もしや彼女!?」
三十近くに見えるその女性は、私とラーディを見てそう言った。眼鏡をかけている。眼鏡は、目の悪い人が使うものだ。
「……違いますよ。こっちはアサ、人形なんですけど、施設長に話してここで働く許可をもらったので、シフトを決めないとなと思って」
「人形には見えないんだけど……というか、ラーディはそんなにお金持ちだったっけ?」
「正確には……もらいものなので、自分で買ったとかじゃなくて」
「──へぇ、イケないこととかしてないわよね?」
「は?」
「いや、なんでもないわ。ラーディは純情だからねぇ。で、冗談はそのくらいにしておいて、彼女なの?」
「……だから人形ですってば。純情って何ですか」
「嘘は良いから」
「ウソじゃないです……」
ああ、この人も疑ってる。今度から、人形ですっていう看板でも持っていたほうが良いかな。
「背中見てください」
ボタンに手をかけて、半分ほど外そうとして、約束を思い出した。
「ちょっと待て、脱ぐな!」
慌ててそう言ってくるラーディ。その声に、部屋にいる数人の視線がこちらに集まる。何か良い方法。暗闇を作るには、影を作れば良いから……。
「ちょっとこのノートお借りします」
エスリという女性の向かっている机にあったノートを手に取って、それで自分の顔に影を作る。上手く行くだろうか。
「目が光っているのがわかるでしょうか?」
「え、ほんとに、人形なんだ……」
そうぽつりとエスリが呟いた。
なぜだろう。この地区の人々がそうなのか、この施設の人々がそうなのか。みんな驚く。普通に人形がいる街だと聞いているのに、そんなにも私は変なのか。
「これで証明になりました?」
「……ええ、とりあえずうん。でもそれだけ人間っぽいんだから、あんまり服脱がないほうが良いと思うわ。でないとラーディがねぇ、大変そうだし」
若干微笑みながら、エスリが視線を移す。その先を追うとラーディの顔があった。ラーディが大変?
「ラーディ? 私のせいで大変?」
「……大丈夫だ。で、そんなことより、シフトは?」
何か無理をしていそう。大変ならば、はっきりと言ってほしい。
「うーん、とりあえず今から組み直すのは無理だから、十日間くらいは、臨機応変に人手が足りないところ──ああ、出来る作業と出来ない作業ある?」
「やってみないとわからないけれど、大抵のことはできると思います。料理とか掃除とか、簡単なこと教えたりとか、子供の面倒くらいなら見れるかなと。あ、でも本当にたぶん何でも平気です。あ、注射は駄目です。あれは絶対駄目です」
「注射……はする機会ないと思うけど、うん、じゃあとりあえずラーディに適当なところ連れて行ってもらって、そこでなんとなく雰囲気掴んでちょうだい。あー、年少グループの面倒見てくれると助かりそうかな」
「わかりました。じゃあ、アサ、とりあえず行こう」
「うん。あ、エスリ、どうもありがとう。これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね」
綺麗な笑みでそう返事が返ってきた。
年少グループ。さっきミラが行くと言っていたところ?
「年少グループって何?」
「主に三歳から六歳くらいまでの子供のグループだよ。まぁ、遊んでるときに喧嘩したり、怪我したりしないように監督して、あとは絵本読んであげたり、お昼寝の時間に寝かせたり、色々なんだが……出来そう?」
「……たぶん」
「心配しなくて良い。今日はミラが担当だから、それを手伝う感じで感覚掴んでもらえれば」
「うん」
一階の隅にある部屋。先ほどの部屋の二倍程はありそうだ。その中から、子供たちの騒ぐ声が聞こえてくる。
「みんな元気だからな……負けるなよ」
そう言って少し笑いながら、ラーディが扉を開ける。駆け回る子、絵を描いてる子、小さなブロックを積み上げてる子。騒がしい。
あ、一人の子が横の子の頭を殴った。
「ちょっと、イール! お友達殴っちゃだめでしょ!」
ミラの怒鳴る声。グラシスを蹴ってばかりいるミラがその台詞を言うのは変な気がする。
「殴ってないもん」
殴ったように見えたけど、イールと呼ばれた子はそう言い放って部屋の隅へと逃げていく。殴られたほうの子はわんわんと泣きながら、ミラの服を引っ張る。
「ミラ……今大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわよ! ちょっとイール! どんな理由があっても、暴力は駄目よ! アズレに謝りなさい!」
「やーだー!」
……大変そう。しばらくしてなんとか事態を収束させたミラが私たちに近付く。どうやら二人の子供は仲直りできたようだ。泣いてた子がもう笑っている。
「はぁ……疲れた。で、おっけーだったの?」
「うん、大丈夫だった。で、とりあえず今日はミラの手伝いみたいな感じで、研修的なものをさせてほしいんだけど」
「おお、良いよ良いよ! 助かるー!」
ぱぁっと笑顔になったミラが、再びぶんぶんと、私の手を握っては振る。何かの儀式? そういえば、グラシスは大丈夫かな。
「あと、俺も年長組の授業があるから、あんまりゆっくりしてられないけど、ミラに一つ伝えることがあるんだ」
確認するように、私のほうを見るラーディ。黙って頷く。あのことだろう。でも……また疑われるのでは……。
「ミラ、アサは俺の姉だって言ってたけど、実は……」
「……実は? もしかして、本当は妹だったり?」
どっちでもありません。と出そうになる言葉を抑えて、ラーディの言葉を待っていると、
「っていうか、似てないよね……もしや……」
「いや──やっぱり言うのはやめとこう」
「ちょっとなによそれ!」
やっぱりやめておいたほうが良いのかな。でも、いずれわかってしまうような気がする。だからちゃんと言っておいたほうが良い。
「ミラ、私は人形なんです」
瞬間時間が止まったようにミラが私を見て動かなくなった。どうしよう。
「あれ……ミラ?」
「またまた〜、冗談言うなんて、アサらしくないよ。とりあえず、ラーディは早く授業の準備してきなよ」
笑っている。全然信じてない。
「ミラ、本当ですよ?」
「はいはい。わかりました」
まったくわかってないような気がする。
「いや、だから──」
何と言えば良いか迷っていると、ラーディが口を挟む。
「アサ、もう良いや。俺、授業の準備があるから、ミラと上手くやってくれ」
ものすごく諦めた表情のラーディ。
「うん……」
ラーディの姿が見えなくなる。子供たちの騒ぐ声。
「ミラ、あの、背中見てもらえる?」
「ん? どうかしたの?」
「良いからちょっと見てください」
「う、うん……」
ボタンを少しだけ外して、背中を向ける。
「……背中かゆいの?」
「違います……」
ミラが襟を掴む。見えてるかな。
「背中に金属の電源ソケットがあります。電源供給するためにあるもので、私は人間ではありません。見えますか? 証明になるでしょうか?」
「見えたけど……、え、ほんとに!?」
「さっきから本当だと言ってます」
ほっぺたをぷにぷにと触られる。
「柔らかいよ?」
「人工の皮膚で覆っているからです。他の人形は違う? ここでは、人形もいるとラーディから聞いたけど……」
「うん、違う」
そうきっぱりと返事が返ってきた。どんな感じなのだろう。研究開発部のテストで戦った、装甲が露出しているような感じなのかな。
「じゃあ、ラーディの姉じゃなくて、ラーディが買った人形? うわー、どこにそんなお金が……」
「元々の持ち主は違う人で、色々あって今はラーディが持ち主になっていて、買ったとかじゃないですよ」
「そうだったんだ。うーん、全然気付かなかった……」
「嘘をついていてごめんなさい。ここで働くので、きちんと説明しておかないと、いずれわかってしまうと思ったので」
「え、良いよー。気にしなくて。でも、グラシスには黙っておいたほうが楽しそう」
にやりとミラが笑う。楽しそう……かな。
「黙っておくと、後々何か問題は起きませんか?」
「問題起きるから楽しいんじゃない! これ、絶対秘密ねー」
「……はい」
楽しいかな……。問題が起きると大変なような気がするのは気のせいでしょうか。
お昼時、子供たちを食堂へと連れていくのだが、それがなかなか上手く行かない。
「あの、移動するのでついてきてください」
と言ってみるのだが、数人の子供があっちへふらふらこっちへふらふら。ミラが首根っこを掴まえてなんとかこっちへ戻ってくる。
「アサ、言うこと聞かないときは実力行使で」
「……うん」
食堂は、ここの施設にいる全員が入れるくらいに大きな場所で、たくさんのテーブルと椅子が並んでいる。とりあえず子供たちを席につかせようとするのだが、それも一苦労。言うことを聞かないときは実力行使と言われたので、引っ張って言って無理矢理席につかせる。ちょっと申し訳ない気分もする。
歳が上の子たちも集まってきて、その子たちは食堂の端にあるカウンターに食事を受け取りにいっているが、小さな子たちは落としたりこぼしたりする可能性がかなり高いというか、そもそもカウンターに手が届きにくいので──私とミラと、食堂の係の人たちが配膳する。
あれ、あれは何だろう。人の形をしているけど、人ではないと一目でわかる。その両手には、トレーと食事が乗っていて子供たちのテーブルにそれをひとつひとつ置いていく。
「ミラ、あの動いているのは?」
「え!? ……ええと、人形だよ?」
動く度にモーター音、それになんだか異音も聞こえる。ミラが言うには人形と言う、それらが三体、食堂で忙しそうにトレーを運んでいる。背は、ラーディとほとんど変わらない感じがするし、手も足もあるし、歩いているのだが……どう見ても人に見えない。
光沢のないクリーム色の樹脂と、金属のフレームが見えている。顔はクリーム色の樹脂で作られた円筒形の形をしており、目の部分には透明なレンズ。
「あれは第一世代型って呼ばれてるから。そうそう、グラシスの家にいる人形は、結構人間と似ていたよ? でも、それでもアサみたいに人間に近くはなかったけど……アサって、最新型?」
固まってる私にミラがそう言ってきた。自分のことはよくわからない。グラシスの家に人形がいるというのは初耳だ。
「最新型とかじゃないと思うけれど……驚きました。どうりでみんな、私のことを人形だと言っても信じなかったわけです……」
笑いながら、ミラもトレーを受け取って子供たちのところへ持っていくので、私もそれに倣った。
「あ、ラーディ、とグラシス」
何度か往復していると、ラーディの姿を発見。グラシスも無事なようで安心する。施設で働いている人もここで食事を取るらしく、見渡すとエスリの姿も見えた。おじいさん──ランドの姿は見えない。
「ほら、あれだよ。あれが人形」
「うん。ミラに聞きました。なんだか想像とかなり違うんですが」
「だよね……俺も最初は驚いた」
喋ったりするのかな。第一世代と言うのは、古いという意味だろうか。
「人形に興味があるならうちに来る? 第二世代型だからかなり人間に近いよ」
グラシスの言葉。どうしようと考えていると「行かないから」とラーディの声。
「ラーディが行かないなら行きません」
がっくりと肩を落としたグラシス。ラーディともっと遊びたいのかな、今度ラーディに、グラシスの家に行かないかと話してみよう。
カウンターからトレーを受け取って施設の職員が集まっているテーブルのほうにラーディは向かった。ミラの姿を探すと、子供たちを座らせたテーブルに一緒になって座っている。
食事をする必要はないのでどうしようかと思っていると、先ほどの人形が私に近付いてくるのが見えた。
「こんにちは」
挨拶してみる。
「こんにちは」
返事が返ってきた。クリアな合成音。口がないけど、どこから発音しているのだろう。丸いレンズが私を見つめる。
「アサと言います。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。私はロボです」
「ロボ?」
「ずっとロボと言われています。私の名前です。名付けたのは、あそこに座っているミラです。十年程前のことになります」
そう淡々と喋る──ロボは、ミラを指さした。
「それまでは何と呼ばれていたの?」
「DCです。DCの一二◯◯シリーズだったので、DCと呼ばれていました」
私をじっと見つめてくる。透明のレンズの奥に、微かに赤い光が見えた。ぼーっとしていると、
「食事を取るならばトレーをお持ちします」
と言われた。同じ人形にも勘違いされるなんて。
「いらないです。大丈夫です。私も人形なので」
再びじっと私を見てくる。
「何ですか?」
「いいえ、あまりにも外見が人に似ていたため、認識を誤りました。確かに、人の耳では聞こえない程ですが、モーター音が聞こえます。人形なんですね」
みんなが食事しているのを眺める。ロボと名乗った人形も、私の隣でじっとしている。私も人工皮膚や髪や、そういう外側を覆う色々なものを取り去ってしまえば、ロボと変わらないように思う。なんで私はこんなに紛らわしい姿をしているのだろう。
「ミラは、ここにずっと昔からいるのですか?」
「十年と百十二日前にここに来ました。その後、三年と六十八日前にここを出て、奨学金をもらう形で中央学園に入学したと聞いています」
ミラも、親がいないのかな。ラーディと一緒だ。
がやがやと騒がしい音。子供たちが、楽しそうに笑顔でご飯を食べている。ラーディを初めて家に呼んだときのことを思い出した。
──第五十三地区の全住人にお知らせします。直ちに各区画の避難所へ避難してください。繰り返します……──
どこからか、そんな声が聞こえた。静まる食堂。地響きと、重い音があたりに響いた。
「避難所ってどこだっけ」
ぽつりとその静寂を破ったのは、グラシス。
「このあたりの区画は中央学園の体育館だ。それくらい覚えとけよ」
そう返事をするラーディ。顔が強張っている。勢いよく食堂の扉を開ける音。みんなの視線がそこに向かう。ランドの姿。
「みんな落ち着いて。グループごとに分かれて、避難所へ向かうことにしよう。まずは年少グループからだな」
その声に、ミラが子供たちに席を立つように言う。まだ食事が途中の子供が多かった。お腹が減っているのに可哀想だ。子供たちをつれていくのは大変そうだ。
「あ、私も手伝わないと。ロボも一緒に?」
「私は掃除があるので、これで」
掃除? 避難は?
「避難しないの?」
「私はこの建物の掃除を任されているので、それをする必要があります」
こんな状態で、誰も掃除なんか頼まないと思うけど……。ロボの腕を掴んで、ランドの元へ行く。
「ランド、ロボは掃除があるから行かないって言うけど、避難しないと危ないですよね……?」
「ああそうだな。ロボ、掃除は良いから、ミラを手伝って年少グループを避難させてくれ。アサも頼んだぞ」
「わかりました」
頷いて、そのままミラの場所へ。
騒ぐ子供や、不安なのか静かになってしまった子、泣きそうな顔になってる子たちを連れて、食堂を出る。ああ、足にぺったりしがみついてくるこの子はどうしよう。ちょっと歩きにくい。
遠くから爆発音。
思い出すのは四十七地区での出来事。
もう、何も起きないと思っていたのに。新型の、戦闘用の人形が、この地区や他の地区を守ってくれているのではなかったのだろうか。それとも、守り切れなかったのだろうか。
──第五十三地区の全住人にお知らせします。直ちに各区画の避難所へ避難してください。繰り返します……──
アナウンス。これって、どこかで聞いたような……メリッタの声のような気がする。それに混じるように、男の人の声が続く。
──繰り返します。第五十……おいメリッタ、ここはヤバいから早く逃げろって! アナウンスなんかしてる場合じゃねー!──
思い出した、ブラッジの声。それきり、アナウンスは途絶えた。
状況を把握することはできそうにないけど、何か大変なことが起きている。ラーディは後から来るよね……と不安になって、建物の廊下から、今出てきたばかりの食堂の扉を見つめる。
「アサ、早く。ロボも、引きずってでも良いから子供迷子にならないように気をつけて!」
ミラが必死な様子で叫ぶのを聞いて、子供たちに目を移す。計二十三名。
施設の外がやけに暗いことに気付く。まだそんな時間ではないのに──。嫌な予感しかしない。庭に出る。ここから学園までは普通に歩けば十五分程だが……。
メリッタやブラッジのことを思い出して、本部の建物がある方角を見た。天井は真っ暗で、本部の方角だけが赤い。そこに何か違和感があることに気付くが、それが何なのかを考えるだけの時間はない。
中央学園へと向う。
その日、平穏な日々は壊れた。ラーディとの二人暮らしを始めてから、三十四日目だった。