第一章 五 研究開発部の仕事
五
「金は要らないとのことだが、条件?」
ルイドが、ラーディに聞き返す。隣にはブラッジ、そして今日はグラも来ている。直したカレイドスコープが私の目の前に。ブラッジの顔はどこか得意気だ。
「ええ、三つ。一つは、管理者権限はこのままこちらに残すということ。もう一つは、この人形は高い性能を持っているかもしれないけど、停止している機能もあって、だから、解析や実験の段階で、直せたら直してほしいんです」
「それは──グラ、今提示された条件で、何か問題が起きる可能性は?」
「壊れていたり、停止されている機能は、復元させないことにはこちらにも支障が出るから問題ないけど、管理者権限については少し厄介だ。何らかの権限を必要とする作業が発生した際に……」
「それが必要なときには、俺を直接呼び出してください」
グラとルイドが顔を見合わせる。私はひとつどうしても気になることがあって、ラーディに尋ねた。
「……学校は?」
「そのときは、サボるから問題ない」
問題があると思うけど、口に出すことはやめておいた。
「それで、最後の一つは?」
「期間は二年。それが過ぎたら、返してもらう」
グラが答える。
「それは問題ない。二年もあれば、十分な時間だ。やはり──大事な人形なのか?」
「ええ、大事です。とても」
そう言うラーディの声は、冷たい感じがした。にこりと笑う。気のせいかもしれない。
「わかった、じゃあ、契約書は郵送するから、サインして、同封の説明に従ってコピーを返送してくれ」
ルイドがそう言って席を立つ。
「はい。アサ、今後二年、警備隊の人たちの言うことを聞いて、解析や実験に出来る限り強力してくれ」
それだけ言って、ラーディはその場を立ち去ろうとする。
「ラーディ、これ、持っててくれたらうれしいです。なくすといけないから」
カレイドスコープを渡す。何も言わずにそれを受け取ると、ラーディは再び背を向けて歩き出した。車に乗って、最初に見た警備隊の本部の建物へ。
人がたくさんいる建物の中。たくさんいるのに、どうしてか寂しいと、そう思った。
「システムチェック機能自体が壊れてるのか……」
そう、グラが呟いて、私の耳からプラグを外した。
現在までに確認された不具合は、時間測定機能が停止/視覚センサーが二種類しか動作していない/モニタリングセンサーの機能不全/内部制御フレームの経年劣化/バッテリーの劣化/ユニットシステムの不備。その他、細かな部分もたくさんあるらしく、紙に次々と書き出されていくそれを眺める。
「あの……本当に私って役に立つんですか?」
「ああ、そこは気にするところじゃない。ゼロから何かを作るっていうのは大変なんだ。壊れているとは言っても一部だし、これは予測の範囲内だ。非接触型アクチュエーターを生産する設備がないから、ここで君の能力を百パーセントコピーした人形を作り出すことはできないが……八割の性能をもった人形を量産できるだけでも、恩の字なんだよ。まぁ、今後の解析がスムーズに進めばの話だが」
実践に耐えられる人形がたくさんいれば、この街や他の街も、守れる。私が実践に耐えられるのかどうかはよくわかってないけど、きっとこのグラという人が言うからには、ある程度正しいことなのかもしれない。
モニタリングセンサーの改修──視界に様々な情報が出てきて、文字で埋め尽くされる。正常とか、異常とか、こんなに一気に表示されてもわからない。
時間測定機能の改修──今が何日の何時なのかが、常に表示されるようになった。もう何時だろうかとか、考える必要はなくなった。
視覚センサーの改修。通常の可視光線を検知するモードと、自動的に切り替わっていたモノクロ表示に加え、情報表示モード、サーモグラフィ、赤外線、音波による物体表面の形状情報を視覚化したり、まるで玩具をもらったような気分。カレイドスコープを思い出す。ああいう視覚センサーもあったら良いのに。そうしたら、世界はもっと綺麗になる。
複数センサーの結果を重ね合わせて表示することもできるらしく、それで遊んでいたら、
「そんなにおもしろいのか?」
とグラから言われた。
劣化したバッテリーの交感。バッテリー残量表示がいつ減るのかがわからないくらいに長持ち。計算では、一度満充電すれば約一週間は保つらしい。エネルギーを消費するような行動をすれば計算よりも減るし、節約すればもっと長くなるらしいけど、一日やっと保つぐらいだったので、とても助かる。
シールド処理の無効化。ナノマシンの抽出。円筒形のろ過器に接続し、その中をコアの液体が満たしていく。ナノマシンのいなくなったコアの内容物が、自分のコアへと戻っていく。何かが変わったという実感はない。
テスト用として目の前に出されたユニットに信号を送る。白かったユニットの色が青に変化すると共に、ユニットをロックした旨がメッセージとして視界に表示される。なんだか懐かしい表示だ。グラを見ると、満足そうな笑みを浮かべていた。
日に日に、正常な機能が増えていく。
内部構造を詳細に調べ、身体機能を制御しているソフトウェアやチップを把握するには、私を分解する必要があるらしい。ラーディが必要となるような事態にはならなかった。管理者権限を必要とせず、作業が進むことにグラは驚いていたが、それは当然のことだと思った。これはラーディが決めたことなのだから、それに従うのは当たり前のことだ。
部屋には私の他にも、人形がある。組み立てられているものや、分解されているもの。眼球の部品が転がっていたり、頭だけが机の上に乗っていたり。私もあんな風に分解されるのだろうか。
スイッチを切られる直前に、時間を確認した。二三○二年の八月二十九日だった。
視界にグラの顔が映る。その後ろには、知らない人たち。
「名前は?」
「アサ」
「持ち主は?」
「ラーディ」
「現在時刻は?」
「二三○三年の、三月四日」
「ここはどこかわかるか?」
「第五十三地区、警備隊本部の地下研究室。人形を対象とした研究開発室」
「システムチェック開始」
「システムチェック完了。放熱に問題あり」
どこからか、髪のパーツを持ってこい、という声が聞こえた。しばらくして、頭に何かが取り付けられるような感覚。頬や肩に何かが触れる。視線を落とすと髪の毛が見えた。見慣れた髪だ。ネジで取り付けるの忘れるなという声。何かのモーター音が、頭の周りで響く。続いて振動。
全て終わったのか、グラが再び目の前に。
「再度、システムチェック」
「システムチェック完了。全て正常です」
瞬間、拍手が巻き起こった。何が起きたのかと周りを見る。グラと同じように白衣を着た人々が、嬉しそうに笑っている。
「オリジナルがお目覚めだ」
そうどこからか聞こえた。後で聞いたところによると、色々と問題があって、元通りにするのに試行錯誤していたらしい。ちょっとだけ怖いと感じた。
試作機のテスト。
広大な演習場で、一体の人形と向かい合う。本気で戦わなければならないらしい。動きやすいからと、体に張り付くような服を着る。特別動きやすくなったような感覚はない。人と私とでは感じ方が違うのかもしれない。固着した人工皮膚を傷つけないためにと、ある程度の防弾効果もあるらしい。
相手の人形は、セラミックスの装甲がむき出しだった。戦闘用ということで、あまり人間らしい振る舞いをする部分にコストをかけたくないと、グラが言っていた。顔の表情もないし、声の勢いが変化することもない、戦闘に特化した人形。
でも、この地区に護送されたときに一緒にいた三体の人形に比べると、髪の毛が長い。今まで扱ってきた敵の人形と違って、かなりの放熱面積を取らないと暴走するらしい。私も同じ理由で髪が長いということを知った。正確には、熱伝導性に優れた繊維であって、髪の毛ではない。
子供の姿であったり、女性の姿であったりするのはあまりよくないらしいので、目の前の人形は、私をコピーしたものだけど、背が少し高く、体つきもちがう。それ以前に人工皮膚がないため、どこかまったく別のものに見える。私も、人工皮膚がないと、こんな感じなのだろう。
『じゃあ、開始してくれ』
スピーカーからのルイドの声が場内に響く。この件に最初から関わっていたため、最後まで面倒を見ることになったと言っていた。
足元に散らばったユニットに信号を送る。
ユニットのロック完了。ロック数六十四。
ターゲットの捕捉完了。
対象との距離五十メートル。三十二のユニットをターゲットに目掛けて発射。同時に三十二のユニットを防御に回す。衝突。全ユニットが相殺。ロック解除。
私のコピー、同じ性能。床に散らばる無事なユニットがなくなるまで、その状態が続く。勝負がつくのだろうかと疑問に思い始めたころ、相手がこちらへ駆け出した。待ち受けて、その動きを読む。
狙ってくるのは胸。コアの部分。初めてそこで、明確な違いを把握する。相手の動きが遅い。難なく突進する腕の軌道を反らし、腕を掴んで関節を逆側へと捻る。
本当はコアを狙うのが一番だと思ったが、それではきっと、この人形はもう動かなくなってしまう。
バランスを崩した相手の反対の腕を捻ったところで、蹴るように前足が突き出される。避ける必要もないことを瞬間で理解し、その足を掴んで投げ飛ばした。
起き上がろうとしているが、両腕が使えないので時間がかかっている。
『終了、そこまでだ』
テスト時間、三十二秒。起き上がろうとしている人形に近付く。
「大丈夫……?」
「両腕が破損。修理を必要とします」
そう、冷静に言ってくる人形。そういえば、この人形の名前は何なのだろう。
場内の扉が開いて、グラを含めたメンテナーたちが集まってくる。
「アサ、手加減しただろう?」
「……いいえ、そんなことは」
「いや、わかってるから良いんだ。まぁ、そういうところが、完全に戦闘型と言い切れない君の面白い部分なんだが……、しかし、予想通りというか、ユニット操作に関しては何も問題がないな。あとは運動性能をどれだけ向上させることができるかだが……とりあえずご苦労だった。休んでくれ」
研究室にいることが多かったが、何も用事がないときは、割り当てられた小さな部屋で過ごすことが多い。一応本部の建物を出なければ、一般の職員が入れる場所であればどこにいても構わないとのことで、パスカードを支給された。
電子ライブラリの部屋に向かうのが習慣になる。モニターと操作パネルで様々な情報を検索することができる部屋。知らないことを、知ることができるのは嬉しい。
カレイドスコープ──複数枚の鏡で構成される筒の端から光を取り入れ、中にある着色された微小の欠片による鏡像を見て楽しむ玩具。
人形──人間の姿に似せて作られた物。観賞用、玩具、ファッションのディスプレイ等に幅広く用いられる。
ロボット──人の代わりとして働く機械全般を指す。
ピノッキオ──児童文学作品。木で出来た人形が意思を持ち、様々な困難に直面するも、最後は人間になる。
木──植物。幹と枝と葉から構成され、小動物や虫の住処になる。
クローバー──空想上の植物で、三枚、もしくは四枚の葉を持つ。四枚の葉を持つクローバーを見つけると、幸せになれるという言い伝えがある。
空想上……誰も見たことがないのは、そういうことだったのか。パネルの操作を続ける。
下層──地下にある人の居住空間。記録では千年程前から、正しく環境設備が動作していない。いつ頃から存在し、どのように建造されたのかは不明。
上層──地上にある人の居住空間。これ以上の情報は存在しない。
機械人形──主に家庭での家事、育児をサポートする家庭用、商業サービスで用いられる汎用型、娯楽サービスで用いられる愛玩用、兵器として兵士の代用を目的とした戦闘型に分類される、人の形をした機械。
戦闘型 機械人形──上層で開発された兵器。技術的な問題から、下層では実現されていない。
第四十七地区──二三○二年、人形による強襲で壊滅した地区。確認できている生存者は一名。より詳細な情報へのアクセスにはクラスA以上の権限を要する。
壊滅した地区──下層、全九十八地区の中で、人の住まない壊滅した地区は二十三地区存在。
治安維持局──上層・下層における治安の維持を目的として設立された局。下層の特定地区壊滅に関与している疑いがあるが、これ以上の情報は存在しない。
三○八ガードライン──治安維持局と対立する組織。これ以上の情報は存在しない。この情報は正確ではない可能性がある。より詳細な情報へのアクセスには、クラスA以上の権限を要する。
ラッカク──情報が存在しません。
リズリ──情報が存在しません。
そんな情報、あるわけない。モニターに自分の顔がわずかに映っている。
蝶──空想上の生物。四枚の美しい羽でひらひらと舞うように飛ぶ。魂の象徴とされる。
魂──生命や精神の源とされている概念
生命──生物が活動する過程において必要となるもの。生命の活動には代謝、繁殖などが挙げられる。
代謝──生物が活動する上で常に行われているもの。生物を構成する細胞は、周期的に生と死を繰り返す。尚、生死のサイクルには限界があり、あらゆる生物は代謝を繰り返すことによって老化、死に至る。
繁殖──生物がその個体を増やすために行う活動。分裂、増殖を繰り返すものもあれば、雌雄が存在し互いのDNAを接合するものもある。後者の場合は遺伝子に多様性が生まれやすい。
死──生命活動が停止すること。明確な定義は定まっていない。
「ああ、やっぱりここにいたか」
背後を振り返る。白髪の混じった髪。グラだ。私の操作していた端末を覗いてくる。
「死……か」
「グラ、私も、いつか死ぬ?」
「さあね、全ての形あるものは壊れる。一年後か、百年後かはわからないが、君もいつかは死ぬよ」
道具には、生きていて、死ぬという状態があるのだろうか。
「私は道具なのに、死ぬと言って良いの?」
「……逆に聞くけど、生きているって何だ?」
わからない。
「人間は生きているって簡単に言うけど、生きているって何だろうね。まぁ、死ぬって言葉が気になるなら、機能停止でも何でも良い。自分が理解できる方法で理解すれば良い。僕がいつか死ぬように、君も、いつか、動かなくなって、考えることもできなくなって、永遠に、世界から切り離される」
「もう誰とも話せないのは、怖いかも」
「ああ、怖いね。怖いけど、生きてるからしょうがない。そうそう、二回目のテストを明日やるから、午後三時に、またこの前の場所に来てくれ」
「わかりました」
「うお、すっげーな。圧勝じゃねーか」
ブラッジが、私の前でそう言った。グラがものすごく、しょんぼりとした顔をしている。今渡こそはと思っていたのにと、つぶやいて、私が壊してしまった試作型の人形を、数人で抱えようとしている。
「ほら、見ろよ。俺も腕を新しくしたんだ。勝負しろ!」
少しだけ小型化された腕を振りかざして、ブラッジがそう言ってきた。
「あの──人を傷つけるようなことはできないので、無理です」
「うーん、じゃあ腕相撲ならどうだ!」
「腕相撲?」
入ったことのないカフェテリア、数十人の見物人たち。テーブルを挟んで向かい合う私とブラッジ。肘をテーブルに付けて、相手の手を掴み、倒したほうが勝ちというゲームらしい。でも、掴むと、私の手がすっぽりとブラッジの手の中に消えてしまった。
「こ、これで良いの?」
「とりあえず勝負だ勝負!」
周りからは、賭ける賭けないの言葉が飛び交う。
「レディ……」
ファイト!という掛け声と共に、力を入れる。拮抗。ブラッジの顔を見ると目が合った。ミシミシと何かが鳴る。あれ、なんだか嫌な音がした。
「げっ……」
「ブラッジ、何遊んでる」
ルイドが現れた。
「遊んでねーよ。性能テストだ! ったんだが……どうしよう……」
「……グラは普段おとなしいが、あまり怒らせないほうが良いぞ」
ルイドの視線の先、自分の右腕を見る。途中から、綺麗に折れて、中のフレームが捻れ曲がっていた。
「私、怒られる?」
「俺は悪くねー。マキタがこんな化けもんみたいな腕作るのがわりいんだ」
「ブラッジ、お前の責任だ。とりあえず、研究室に行ってこい」
「……おう」
腕相撲に誘ったブラッジが全面的に悪いということになり、グラに怒られるブラッジ。彼はいつも怒られていることが多くて、なんだか少し可哀想になる。ちなみにまた給料から、一部弁償することになったらしい。彼の生活が心配になる。
『第三テストを開始する。双方、全力で破壊しろ』
腕と脚が、金属のフレームを剥き出しにした人形。装甲で守るよりは、機動性を重視するために、骨格自体を変えたとのことだった。電子ライブラリの写真で見たことがある、何かの動物を思い起こさせる脚は、瞬時にこちらへと距離を詰め、その腕は、ブラッジの右腕を連想させる。
圧倒的な速度。前回とは比べ物にならない早さに、即座にユニットを展開して時間を稼ぐ。勢いを削ぐ間に体勢を建て直し、相手の腕を掴もうと肘を伸ばす。が、逆にその腕を掴まれてしまう。
振りほどけない。けども、これで良い。
計六十四枚のユニットを一斉に発射。狙うのは私を掴んでいる腕。しかし避けられた。
約半分を追撃に回し、残りを飛来するユニットの防御に回す。計八枚のユニットを寸前で回避し、二枚のユニットが服を割いた。
追撃したユニット全てが破壊され、最初に戻る。
──ロック。六十四枚のユニットを展開。
──ロック解除。六十四枚のユニットを一時解除。
──ロック。〇コンマ一秒の差で六十四枚の新たなユニットを展開。
──ロック解除。六十四枚の新たなユニットを一時解除。
計百二十八枚が宙に浮かぶ。正確には、十分の一秒単位でロックとロック解除を切り替え、同時に浮かんでいるように見せかけているだけなのだが──。
再び突進してくる相手に向けて、半分を射出。全方向から来る十分な数のユニットならば、速度をいくら早めても逃げられない。逃さない。
速度を犠牲にして新たな弱点となった腕と脚を目標に撃ち込んだそれは、相手のユニット数で防げるはずもなく、射出したうちの三分の一が命中。
あれ、熱い。
当たったが十分な致命傷を与えることができなかった。胸を狙ってくる腕を回避し、待機させていたユニット全てをその右腕に集中。
──ロック。六十四枚のユニットを展開。
ロックを細かく制御することで何枚でも操作できるのではないかと思う。けど、そんなことを考えている余裕もあまりなかった。
空を切った自分の腕。足で蹴られて、宙を飛ぶ。姿勢制御。着地。強い。負けたら、死ぬのだろうか。まだ死にたくない。
運動性能は遥かに相手のほうが高い。セラミックス装甲を外してあるせいで、防御力自体は減っているのだろうが、この部屋に用意してあるユニットのタイプはあまり強力なものではない。
身体を捻って初撃を回避。そのまま攻撃に転じるも、完全に動きを把握された自分の腕が再び掴まえられる。残していたユニットを相手の背中に目掛けて射出。避けられるという予測通りに避けられ、場内の壁にそのまま叩きつけられた。
異常発生を知らせる警告メッセージ。
こんなに強いなら、きっとこの街も、この下層の人たちも、守ってくれるに違いない。良かった。
近付く相手を見ながら、ぼんやりとそう思う。
でも、まだ生きていたい。ラーディを頼むと言われたし、言われなくても守る。守るためには、ここで動かなくなってしまうわけにはいかない。
視界に映るユニットのうち、使えるものを把握。隅にある機材用の倉庫からも、ユニットの信号を感知。一秒だけあれば──。
六十四枚、ロック。ロック解除。六十四枚、ロック。ロック解除。六十四枚、ロック。ロック解除。スレッディングした処理で、一枚一枚のユニットに短時間で命令を与える。十分の一では駄目だ。百分の一の間隔。信号を送信し、結果を受信できる最小限の時間で、制御を開始。
機材用の倉庫からユニットを無理矢理に取り出す。
一○二四枚。狭い部屋に浮遊するユニットの切っ先を、目の前の相手に向ける。私はもう、一歩も動けそうにないけど、相手も身動きが取れない。空間内に敷き詰めたユニットが、それを許さない。
一秒、間に合った。白い羽が舞う。
なんだか熱い。視界の隅、長い見慣れた髪が、白くなっている。どうして?
どうでも良い。まだ生きていたい。
全ユニットを相手に向けて射出。金属同士が噛みつくような音が場内に響く。ユニット同士が我先にと、相手に向かって競い合うように走る。白く舞っていた羽がだんだんと消えていき、そして対象の周囲に残骸となって積み重なっていく。白いもので覆われた相手の姿を確認することはできそうにない。
『テスト中止!』
その声を聞いて、信号を停止させる。相手のいた場所を見つめる。ボロボロになった機械の屑が、転がっていた。
視界にグラの顔が映る。その後ろには、知らない人たち。
「名前は?」
「アサ」
「持ち主は?」
「ラーディ」
「現在時刻は?」
「二三○三年の、七月十八日」
「ここはどこかわかるか?」
「第五十三地区、警備隊本部の地下研究室。人形を対象とした研究開発室」
「システムチェック開始」
「システムチェック開始。全て正常です──あれ……」
「良かった、問題ないようだ」
「テスト……三回目のテストは?」
「テストは中止した。まさかあんなことになるとは……もう少し早めに中止するべきだったが、こうして再び話せて嬉しいよ」
グラがそう言って、私の頭を撫でる。髪が黒に戻っていることに気付く。
「ログを見たところ内部の動作クロックが途中から上昇、その結果熱暴走を起こして一時的に機能停止状態にあった。幸い、メモリは保護されていたようだから、記憶や命令、ソフトウェアに不具合は起きてないはず……」
「私の相手になった人形は?」
「ああ──十分な性能を発揮してくれたよ。単体として見た場合には、まったく問題がない。予想以上の運動性能を示してくれた。あとは部隊として行動させ、様々な状況に対応できるようにしていく必要があるけど……」
「私、完全に壊してしまった?」
「……壊すよう命令したし、そういうものだよ。君が負ける状態になれば、即座にテストは中止する予定だったんだが──すまない、あの光景に目を奪われていたんだ」
「あの光景?」
「いや、何でもない。そう、嬉しい知らせだ。テストは今回のもので最後だ。二年という約束だったが、予想外に早く開発することが出来た。今後の課題は、君の力を借りなくても進めていける。もしかすると、また手伝ってもらうこともあるかもしれないけど──とりあえずは、君を持ち主の元に返そう」
「グラ、あの強い人形がいれば、もう、死ぬ人はいない?」
「できればそう願いたいね。僕は、兵器を開発することはできるけど、実際に守るのは、この本部や出張所にいる兵士たち、そしてこれから量産される人形たちだ。彼らが上手くやってくれれば、少なくとも、今までより、殺される人々は減るだろう」
「大丈夫だ。死傷者ゼロになる! なんたって俺もパワーアップしたしな」
どこから現れたのかブラッジの大声。自慢の右腕を振りかざして、近付いてくる。
「ブラッジ、最近良く本部に顔を出すね。アサは直ったか?と子供のように騒ぐお前が企んでることくらいわかってる。パワーアップしたのが嬉しいんだろうけど、もう勝負はしないでくれよ」
「ちがっ! 俺は、ふつーに心配してたんだぜ!」
そのブラッジの背後にルイド。
「ブラッジ、俺はお前とは十年以上の付き合いだが、お前が誰かを心配している姿を見た覚えがないな。変な死亡フラグを立てたくなければ、心にもないことは言わないようにしろ」
ルイドはそう冷たく言い放って、私の側へ。
「契約では二年だったが、今日でそれも終わりだ。私が車でラーディの元へ送ろう。職員に服を用意させたから、それに着替えて一階の入り口に来てくれ」
そう短く言って、ルイドは姿を消す。
「つまんねー野郎だな」
「君がおもしろすぎるんだよ」
ブラッジとグラのやりとり。見ていておかしい。ああ、でも今日で終わりなのか。
「また遊びに来ても良い?」
「ここは遊ぶ場所じゃないんだけどね……、まぁ、本部の一階は住民に開放されているし、一階ですれ違うこともあるだろう。見かけたら気軽に声をかけてくれよ」
「俺はいつでも勝負してやるぜ!」
それは避けたい。もう絶対、壊されるという結果が目に見えているし、ブラッジがまた怒られると思う。
「そうそう、一つお礼というか、こちらで開発した関節制御構造を君に移植しておいた。計算上では約二十パーセント、速度が向上しているはずだ」
「……それって役に立つ?」
しばらくグラは考えてから、何かひらめいたように私を見た。
「階段を二十パーセント早く登れるな」
それって便利なのだろうか……。地味。でも、言わないでおく。傷つけることになりそうだから。
「今、地味だって思っただろう? ええとな他には……鍋を煮込みながらかき混ぜるときに二十パーセント早い速度でかき混ぜることができる」
「……グラは料理するんですか?」
「いや、まったく」
おそらく予想するに、鍋の中身が飛び散る可能性が高い。それに早くかき混ぜたからと言って調理が早く終わることにはならないと思う。
届いた服に着替えることになった。私を分解したり検査しているときに、散々見ているはずなのに、なぜか気になるようで、私は更衣室に連れていかれた。
更衣室に入る。誰も──あ、一人誰かいる。気にしないことにして、手近なロッカーにもらった服の入った袋を置いて、肌にぴったりと張り付くような服を脱ぐ。脱ぎにくい。
もう、ここにいる必要はないのだ。そう思うと、心の中にぽっかりと穴が開いた気分になる。──ん? 私に心はあるのだろうか。もう、ここに私は必要ないのだ。新しい、守れるだけの力を持った兵器が、人々を守ってくれる。
どんな服だろう。袋の中身を開ける。黒と白の布。ワンピースを発見。なんだかすごく裾が短い。靴下を発見。でもとても長い靴下……靴下かなこれ……。小さな黒い靴と、エプロンと、何に使うのかよくわからないものも入ってる。
とりあえずワンピースを着てみたところで、本当にこれで着方が合ってるのか不安になる。
「何!? それ着ようとしてんの!? 何かのパーティ?」
「え?」
横から女性の声。
「着方が……」
「うん、かなり間違ってる……あ、何かの罰ゲーム?」
「え、違うけど……」
手伝ってもらって、なんとか着終わる。こんなに難しい服が世の中にあるとは、思ってもみませんでした。
「ありがとう。助かりました」
「いいえ……じゃあ、頑張ってね」
女性が出て行って、今まで着ていた服を袋に入れてから外へ出る。何を頑張れば良いだろう。少し離れた場所に、グラとブラッジが待っていた。
「──誰が選んだんだ?」
とブラッジ。
「ルイド?」
とグラが言う。
「これを連れて歩くのは辛いね」
「とりあえずまぁ、一階にいこうぜ! まぁ、良く見りゃ──かわいい──のか……?」
私を見て、最後が疑問系の言葉を発したブラッジが、勢いよく歩き出す。一階に移動。なぜか視線が集まるのでブラッジの陰に隠れる。トラウマ。
「ルイド、これ君が選んだのかい? 人の趣味をどうこういうつもりはないけど……」
「なっ──」
ルイド。一番冷静で、一番真面目そうなその人が、彼らしくないほど狼狽。口をあんぐりと開けて私を見る。そうして、耳に付けた通信機に向かって、
「メリッタ! 今すぐ一階の出口へ来い!」
そう言って、再び私の方を見た。
「君ら、誤解しているようだが、これを選んだのはメリッタだ。と言ってもこの不手際の責任は俺にある。少し待ってくれ」
もう冷静ないつものルイドに戻っていた。出口は人通りが多くて、さらに視線が降りかかる。どうして? 服のせい? 外はちょっとだけ暗くて、時間を確認するともうすぐ六時。
短い裾を引っ張る。ひらひらしたレースがこんもりと大盛。
「あの、どうかしましたか?」
ルイドたちと同じような黒っぽい服を来た女性職員が現れる。
「メリッタ、どういうつもりだ」
ルイド、非常に怒っている。
「え?」
メリッタと呼ばれた女性、何も理解していない様子。と、私を見て、にっこりと笑顔になる。
「わー、やっぱ可愛いじゃん。遠くからしか見たことなかったけど似合うと思ったんだー! ばっちりだよばっちり!」
ぶんぶんと私の手を握ってすごい勢いで褒められる。褒められてるはずなのだけど、あまり嬉しくない。あれ……。
「で、メリッタ。俺は服を買ってこいと言ったんだ。仮装パーティの衣装を買ってこいと言った覚えはないんだが……」
「えーこれは、少しクラシックですけど、由緒正しい家政婦の服で、俗にメイドと呼ばれる、これまたクラシックな職の制服のはずなのに、ものすごく可愛いという不思議な代物で」
「お前の知識や趣味は良い。一般的に見て普通の服を買ってこい。世間一般の十代後半から二十代前半の若者が着るような……いや、不安だな。俺も同行するからもう一度選び直せ」
「でも、もう予算使っちゃったし……」
「……俺が出す」
車に乗り込む。なぜかブラッジもついてきた。
「俺が超かっこいいのを選んでやるぜ」
かっこいいのは、どういうのだろう。かっこいい……のは見たことがない。
「だめです! 私がもっと可愛いのを選んであげます」
可愛いのは……シーズのお店にあったピノッキオは可愛かったかも。
「おい、かっこいいのも可愛いのも駄目だ。頼むから普通のものを選んでくれ。普通が一番だ。最終的にどういう服を購入するかは俺が判断する」
普通って何だろう。職員が着ている服は、普通?
「権力の濫用ですね」
「違う。大体、変な恰好させて持ち主に返してみろ。恥をかくのは俺なんだぞ。いや俺だけじゃない、警備隊の印象が悪くなる可能性もあるな……そうなると一大事だ……」
ルイドは色々大変そう。でも怒られるブラッジも可哀想。メリッタも、怒られて可哀想。
「えー、でも、情報では今は十六歳の健全な青少年なんですよね。メイド服の女の子が帰ってきたら、きっともう、今夜は大変なことに」
大変なことになるのなら、それは困るような気もする。
「お前の腐った頭はどうにかしないとまずいな」
「え、ひどい!」
頭が腐る……。じっと、メリッタの頭を見る。
「……そんなに見つめられるとおねーさん恥ずかしい」
「メリッタ、アサはお前の頭を心配してるんだ。あと、お前は一度死んだほうが良い」
「そんなひどい!」
お店に到着。大きなお店。服が色々。婦人服と書かれた売り場で、メリッタとブラッジが交互に服を持ってくる。
「ブラッジ、そんな露出の多い服は認めん」
「メリッタ、レースが多い。レースの総量は全体の十パーセント以下。この規定を満たした服のみ許可する」
まわりのお客さんたちの視線が、なぜか集まる。なんでだろう。私の服のせいだけじゃない気がする。
「ブラッジ! スカートもズボンも、膝が見えるのは駄目だと言っているだろうが!」
その様子を見ていたメリッタがつぶやく。
「ルイドが選べば良いじゃない……」
「む……俺は男だ。ご婦人の服を選ぶことなど──ああ、店員にコーディネートしてもらうのが一番だな。二人は大人しくしていろ。アサ、ついてくるんだ」
お店のカウンターに向かうルイド。後ろから盛大なため息が聞こえたのは気のせいだろうか。
「すまないが、この女性に一着服を選んでもらいたい」
「はい、どういった服を?」
「普通のものを」
「は?」
「普通のものを、頼む」
「はぁ……じゃあ、ちょっと何着か選びますので、まずはサイズを計りますね」
サイズを計り終わった店員が、両手に抱えるように服を持ってきて、小さな小部屋が並ぶスペースに案内してくれる。ここで、試しに着ても良いとのことらしい。
「じゃあ、まずはこれから」
着替えて外に出る。目の前にはルイドと店員。あ、隅っこにブラッジとメリッタがいる。
「いかがでしょう?」
「私はこれでも別に──」
「駄目だ。君には言い忘れていたが、膝下十センチから二十センチ、それ以上もそれ以下も認めん」
「か、かしこまりました」
店員が即座に服を選び直して、再び着替える。
「いかがでしょう?」
「良いかな……」
「……駄目だ。もう少し淑やかな感じを三十パーセント程醸し出す服を用意してくれ」
「ええと、わかりました……」
どうわかったのだろう。私にはまったく理解できないルイドの言葉に店員は笑顔──少しひきつった笑顔で、応対する。
「これで、いかがでしょう?」
「もう少しコントラストを抑えてくれ」
何十着と着替えたかわからない。店員さんは疲れてるし、私も疲れたかもしれない。ブラッジは暇そうに床にあぐらをかいていて、メリッタはどこかに行ってしまった。あ、服を選んでる。自分用かな。
「疲れました……」
「すまないが、これは大事な任務だ。君の最後の仕事と言っても過言ではない。手を抜くことなど──」
「あーもう! ルイド、これで良いんじゃね? ほら、これだ。派手じゃねーし、ひらひらしてねーし、ふつーだ。服の基本に忠実な感じがする」
ものすごく脱力したブラッジが、手近にあった服をルイドに渡す。見てた私は、すごく適当にその辺の服を掴んできたものだということを知っている。けど何も言わない。もう何でも良い。最初から何でも良いけれど……。
「ふむ……ブラッジ、お前にしてはなかなか良い選択だ。アサ、着てみてくれないか」
あれ、店員さんがいつの間にかいなくなってる。逃げた?
灰色にチェックの入った、おそらく膝下十センチから二十センチの範囲内に収まる──ボックスプリーツだっけ……。ちょっとだけレースが入った黒っぽいブラウス。総量十パーセント以下に収まっていてほしいと念じる。
「もうちょっと──なんだあれ、黒い靴下みたいなやつを用意しろ」
「俺が? 何? タイツ?」
「そう、それだ!」
ブラッジが、面倒そうな顔をして、しばらくしてから戻ってきたのでそれを履く。
「ルイド、もう良いですか……?」
「ブラッジ、帽子とかあったほうが良いとは思わんか?」
「俺が探すのか?」
「そうだ」
髪が黒いから、白っぽいほうが良いかもという良く分からない理由で、少しふわふわした白いハットを手渡される。
「良くなった。が、バッグもあったほうが良いかもしれない」
「……わかった」
ブラッジが可哀想。
黒くて光沢のある小さなハンドバッグを手渡される。
「あとは靴だな。靴のサイズを……あれ、店員は!?」
今頃気付いたんですかと言いたくなる。店員さんがものすごく嫌な顔をしながら戻ってきて、靴のサイズを計ってくれた。シンプルな茶色い靴を選んで、着たままお会計。
「五千二百点になります」
「……高いんだな、婦人服というものは」
色々買ったせいだと思うけど……。ラーディの好きだった食べ物……名前何だっけ、あれが大量に買える金額。思い出した、レジルだ。
疲れた。メリッタが近付いてくる。
「うわ、これルイドの趣味?」
「違う。普通の服を選んだ結果だ」
「そう……『普通』ねぇ……」
すっかり疲れ切った二人の人間と一体の人形を車に押し込めて、ルイドはこれでやっと送り届けられると満足気に言った。
「メリッタ、その由緒正しいお前が選んだクラシックな服は、明日からお前の制服になるよう申請しておく」
「ごめんなさいもうしませんゆるしてくださいそれだけは──死んでもイヤ」
すごい勢いでルイドに謝罪。
「ほぉ、死んでもイヤなものを、選んできたのか」
「……」
メリッタの顔が青い。ブラッジは何も聞いてないような顔。
もうすっかり暗くなった夜の街を走る。ラーディはまだ起きているかな。ずっと本部の建物にいたから、この街を見たのは、ここに到着した一年前の日以来で、一年も住んでいるのに、とても新鮮な感じがした。
やがて、あのときの学校が見えて、ラーディの住む寮の前に到着する。
ここまで来て私は、何でこの場所にいるのだろうと思った。ラーディは、二年経ったら私を返してほしいと言っていた。それは、きっと私のことを必要としてくれているからだ。そう思っていた。なのに、思ってしまった。
私は何か、役に立てるのだろうか。「守れなかったのか?」と聞かれた言葉を思い出す。車の扉を開けて、地面に足を降ろした。買ったばかりの新しい靴。履き慣れてない違和感の残るそれが、不安を掻き立てた。