第二幕 三日癖の風花
浅間風花は、教室にいるだけで少し賑やか。
ショートカットの明るい茶色の髪は、じっとしていても跳ねている。
目はいつもきょろきょろ。面白そうなものを探すレーダーが常時起動中だ。
小柄な体にきちんと着た制服。
でも姿勢は前のめり。今にも立ち上がりそう。
「え、なにそれ楽しそう!」
「やるやる!」
考えるより先に声が出る。
浅間風花は、だいたい何でも楽しめる。
ただし、三日目までは。
体験入部期間。
浅間風花は、誰よりも忙しかった。
⸻
バスケ部。
「ナイスシュート!」
「でしょ! 私センスあるかも!」
三日後。
「もう少し腰落として」
「フォーム毎回確認ね」
(え、毎回?)
放課後にノートに書き出す。
――バスケ部 ×。
⸻
次は軽音部。
「ギターかっこよ! 弾いていい!?」
「まずはコードからね」
「おっけー!」
二日後。
「Fコード押さえられない…」
「毎日指慣らししよっか」
(毎日?)
ノートには軽音部にも×。
⸻
ダンス部。
「振り覚えるの楽しい!」
「じゃあ基礎ステップ繰り返すよー」
「え、ずっとこれ?」
「基礎が大事だからね!」
(基礎って永遠?)
ノートにダンス部も×。
⸻
動画撮影部。
「編集ソフト触れるの!?」
「テロップ入れてみよっか」
「おおー!」
三日目には。
「位置ずれてる」
「書き出しやり直し」
(え、また最初から?)
またもノートには動画撮影部 ×。
⸻
楽しくなかったわけじゃない。
最初は、全部わくわくした。
でも。
(あ、これずっとやるやつだ)
そう思った瞬間、少しだけ心が離れる。
⸻
ページの横線が増えていく。
一本。
また一本。
「……はい、今回も終了ー」
浅間風花はペンを置いた。
まだ、三日目だった。
昼休み。
教室は、すでに“所属済み”の空気で満ちていた。
「バスケ部さー」
「軽音もう本入部した?」
あちこちで部活トーク。
浅間風花は、机に突っ伏したまま、隣の席をちらりと見る。
黒いパーカー。
静かに本を読んでいる幼馴染。
「……ねぇ綾音ちゃん」
反応はゆっくり。
「なに」
「演劇部、どうなの」
ページを閉じる音。
「どう、って」
「楽しいの?」
一瞬、考える顔。
「……うん。楽しい」
「え、即答?」
「即答」
淡々。
風花は顔を上げる。
「えー、だってさ。人前立つんだよ? セリフ言うんだよ? 無理じゃない?」
「無理だと思ってた」
「え」
「今も、ちょっと思ってる」
さらっと言う。
「でも」
綾音は机の上に指を置く。
「昨日よりは、怖くない」
「なにそれ成長?」
「多分」
「もう役とかやってんの?」
「基礎ばっか」
「ほら地味!」
「地味」
「じゃあなんで続いてんの」
少しだけ、間。
「……やめなかったから」
静かに言う。
風花は眉をひそめる。
「それ答えになってる?」
「うん」
「いや意味わかんない」
綾音は小さく笑う。
「風花は?」
「うっ」
痛いところ。
「バスケは三日で引退」
「軽音は指が反抗期」
「ダンスは基礎が永遠」
「動画は未来が遠い」
「全部体験したの?」
「うん。忙しい」
「楽しそう」
「最初だけね」
綾音は少しだけ首をかしげる。
「演劇部、見に来る?」
「え?」
「見学、自由だよ」
「……私が?」
「うん」
「キラキラしてる?」
「地味」
「即答やめて」
「でも」
綾音は、ほんの少しだけ前を見る。
「ちゃんと、自分と向き合う感じ」
風花は黙る。
「……重」
「重い?」
「いや、なんか」
椅子をぐらぐらさせながら呟く。
「綾音がそういうこと言うの、ちょっと悔しい」
「なんで」
「なんでも」
昼休み終了のチャイム。
綾音は立ち上がる。
「放課後、来るなら連絡して」
「別に行くとは言ってないし!」
「うん」
「でも」
風花は小さく言う。
「ちょっとだけ、気になる」
綾音は振り向かないまま言った。
「三日目までは、楽しいよ」
「それ、私の呪いみたいに言うな!」
綾音の肩が、少しだけ揺れた。
放課後・多目的室
「体験入りまーす!」
風花、勢いで扉を開ける。
「いらっしゃい」
三年生、落ち着きすぎ。
「今日から三日間限定でお世話になります!」
「期限付きなの?」
「更新制!」
⸻
ストレッチ
「はい、ゆっくり首回してー」
全員ゆっくり。
風花だけ高速。
「早送り?」
「時短!」
「演劇は倍速再生ないからね」
「えー」
⸻
発声
「あ・え・い・う・え・お!」
揃う。
風花だけワンテンポ早い。
「あえいうえお!」
「未来に生きてる?」
「私だけ次の台本読んでる感じ!?」
⸻
早口言葉
「今日は軽めでいきまーす」
七海が読む。
「隣の客はよく柿食う客だ」
「はい順番ね」
順調に回る。
風花の番。
「となりのきゃきゅはよくかきくうきゃく……」
「客が増えた」
「柿も増えた」
「きゃきゅって何」
「新キャラ」
笑いが起きる。
「もう一回」
「隣の客はよく柿食う客だ!」
言えた。
「お、いけるじゃん」
「ほらセンスあるって言ったじゃん!」
次。
「生麦生米生卵」
「なまむぎなまごめなまたまご」
「なまむぎなまごめなま……なまたまごなまたまごなまたまご」
「卵だけ主張強い」
「卵フェス?」
「なんで増えるの」
⸻
テンポ練習
「じゃあ、みんなで同時に」
「東京特許許可局」
揃う。
風花だけ半拍遅れる。
「とうきょとっきょきょかきょく!」
「許可局が逃げた」
「局長不在」
「え、なんで私だけズレるの?」
「0.3秒遅延」
「通信環境!?」
笑い。
でも。
風花は一瞬、横を見る。
綾音、ちゃんと揃ってる。
(あれ)
⸻
体幹練習
「壁に背中つけて、まっすぐ立って」
全員ピタ。
風花だけ、
かかと浮く → 直す → 前のめり。
「落ち着きどこ行った」
「走ってる」
「じっとしてるのが一番難しいって初めて知ったんだけど」
⸻
休憩。
「どう? まだ三日目まで楽しい?」
ひのり。
「楽しいよ!」
即答。
でも目が少しだけ泳ぐ。
「揃わないのは気にしてる?」
「いや全然! 全然気にしてないし!」
一拍。
「……ちょっとだけ」
三年生、誰も茶化さない。
「基礎ってさ」
みこが静かに言う。
「派手じゃないから、誤魔化せない」
「……」
「ズレてるの、ちゃんと分かるでしょ」
風花、黙る。
「それ、悪いことじゃないよ」
七海。
「分かるってことは、聞こえてるってことだから」
風花は床を見る。
(分かるの、ちょっと悔しい)
⸻
風花がうつむいた、そのとき。
コンコン。
多目的室の扉がノックされる。
「失礼します……あ、やってる最中でした?」
ひょこっと顔を出したのは、晴山夏美先生だった。
「あ、晴山先生」
ひのりが振り向く。
「お疲れさまです。今ちょうど基礎練してました」
「き、基礎……!」
晴山先生、ちょっと構える。
「すごいね、みんなちゃんとしてる……」
「先生も入ります?」
りんかが言う。
「えっ!? い、いや私は見学で……!」
「副顧問なのに?」
「だって未経験だし!」
風花、思わず吹き出す。
「先生も未経験なんですか?」
「そうなの!」
即答。
「演劇ゼロ。文化祭で一回ナレーションやったくらい!」
「ほぼ初心者じゃん」
「そうよ!」
なぜか誇らしげ。
晴山先生は部屋を見渡す。
「でもさ」
「さっき廊下まで声聞こえてたよ」
一拍。
「揃ってるっていうより、“揃えようとしてる音”だった」
風花が少し顔を上げる。
「揃えようとしてる音?」
「うん。私みたいな未経験からするとね」
少しだけ笑う。
「みんな余裕でできてるようには見えないの」
七海が小さく目を細める。
「ちゃんと必死にやってるのが見える」
晴山先生の視線が、風花に止まる。
「あなたも」
「え、私?」
「うん。ズレてるの、分かってる顔してた」
「顔に出てました?」
「めちゃくちゃ」
即答。
笑いが起きる。
でも、空気はやわらかい。
「私ね」
晴山先生は少し声を落とす。
「今日、職員室で思ったの」
「演劇って、才能いるんだろうなーって」
「でも今見てて思った」
一拍。
「“続ける勇気”の方が、いるかも」
風花の指が止まる。
「未経験の私から言わせてもらうとね」
「三日でやめるのって、めちゃくちゃ簡単そう」
「……」
「でも、三日目の“悔しい”を超えるのは、ちょっとだけ勇気いる」
風花は目を逸らす。
図星だった。
ひのりが穏やかに言う。
「晴山先生、いいこと言いますね」
「でしょ?」
ちょっと照れる。
「副顧問として、成長しました」
「まだ一日目ですよ」
「え」
また笑い。
晴山先生は最後に言う。
「私は未経験代表として応援します」
「ズレてるの、ちゃんと分かるところまで来てるなら」
一拍。
「もうちょっと、もったいない」
風花は、ほんの少しだけ笑う。
「……更新、考えときます」
「更新制なの?」
「三日単位で」
「サブスクやめなさい」
部屋に、軽い笑いが広がる。
でも風花の中の“悔しい”は、消えていなかった。
それは、まだ少しだけ温かかった。
体験が終わり、風花と綾音が帰ったあと。
多目的室に、少しだけ静けさが戻る。
「……元気な子だったね」
紗里が笑う。
「三日で辞める宣言してたけど」
「してた」
みこが頷く。
「でも、悔しそうだった」
唯香が窓の外を見る。
「悔しいってことは、向き合ってるってことよ」
七海が軽く息を吐く。
「綾音、ちょっと先輩っぽかったね」
「ね」
ひのりは壁にもたれる。
「去年の私より落ち着いてるかも」
「それはどうかな」
紗里が即ツッコミ。
笑いがこぼれる。
一瞬の軽さ。
でも、すぐに空気が戻る。
「……残るかな」
ひのりがぽつりと言う。
「風花ちゃん」
みこは迷わない。
「分からない」
一拍。
「でも、今日ここに立った」
七海が続ける。
「ズレたまま、立った」
唯香が静かに言う。
「それだけで、十分“始まり”よ」
そこへ。
「りんかは残ると思います!」
元気な声。
全員が振り向く。
「え、なんで?」
ひのり。
「だって悔しそうでしたもん!」
「悔しい顔って、伸びる顔ですよ!」
音羽が静かに補足する。
「逃げたい顔じゃなかった」
「揺れてる顔でした」
まひるが小さく言う。
「怖いのと、やめたいのって、違いますよね」
ひのりが少しだけ目を細める。
「……見てるね、二年生」
「見てますよ?」
りんかが胸を張る。
アリスがゆっくり口を開く。
「今日の彼女は」
一拍。
「“自分ができない側”に立つことを、まだ嫌がっていませんでした」
静かな言葉。
「それは、とても強いです」
晴山先生が、少し照れくさそうに言う。
「未経験代表として言わせてもらうとね」
「ズレてるって分かってる子は、もう半分こっち側よ」
「こっち側って?」
紗里。
「沼側?」
「違います!」
笑いが起きる。
でも空気はやわらかい。
ひのりは円の中心を見る。
少し前まで、そこに風花が立っていた。
「私たちさ」
一拍。
「今年、何をやるかじゃなくて」
顔を上げる。
「誰が残るか、なのかもね」
七海が小さく笑う。
「“舞台”は消えるけど」
みこが続ける。
「“時間”は消えない」
唯香が目を細める。
「演劇部は、作品を作る場所じゃないのかもね」
紗里が肩をすくめる。
「人を作ってる感じ?」
「作るっていうか」
ひのりは少し考える。
「変わる瞬間に立ち会ってる」
夕日が床に円を描く。三年目の演劇部は、もう始まっている。
残すのは、舞台かもしれない。
でも本当に残るのは――
今日、少しだけ悔しかった誰かの時間だ。
夜。
浅間風花の部屋。
ベッドに転がりながら、天井を見つめる。
「三日目まで楽しい、ね」
小さく笑う。
机の引き出しをなんとなく開ける。
出てくるのは、昔の名札やバッジ。
ピアノ教室。
スイミング。
書道。
英会話。
ダンス。
「全部、三日じゃなかったけど」
長くもなかった。
最初は楽しかった。
でも“毎週”になった瞬間、少しずつ重くなった。
(これ、ずっとやるやつだ)
その瞬間、気持ちが離れた。
だから、やめた。
向いてなかったんだと思っていた。
「何が向いてるんだろ」
ぽつり。
今日の多目的室が浮かぶ。
揃わない声。
笑い。
“ズレてるね”って言われたときの、あの感じ。
悔しかった。
でも。
逃げたくなかった。
そこが、いつもと違う。
「……なんでだろ」
ベッドに寝転んだまま、手を天井に伸ばす。
基礎練は地味だった。
派手じゃない。
キラキラもしてない。
でも。
(あそこ、笑ってくれたな)
噛んでも。
ズレても。
馬鹿にされなかった。
(ちゃんと見てくれてた)
それが、じわっと残っている。
「演劇ってさ」
独り言。
「上手い人だけの場所じゃなかった」
むしろ。
「できないって分かる場所、だった」
目を閉じる。
今日、自分は“ズレてる側”に立った。
でも、追い出されなかった。
「……向いてるって」
小さく息を吐く。
「上手いことじゃなくて」
一拍。
「逃げないこと、だったりする?」
沈黙。
口が、無意識に動く。
「東京特許許可局」
今度は、ゆっくり。
ちゃんと揃えようとする。
少しだけ、気持ちが前に出る。
「三日目、超えたら負けって言ったけど」
天井を見る。
「超えてみたいかも」
小さく笑う。
それは、初めてだった。
“楽しいから”じゃなくて。
“続けてみたい”と思ったのは。
続く。




