七ノ噺 甘噛祈理(あまがみ・いのり)
奇っ怪な夢を見ていた。
「みんな!抱きしめて!銀河の、果てまで!!」
「抱きしめねーよ!!」
甘噛が、巨人達が集う武道館で、ライブをしていた。
恐ろし過ぎる夢のため、これくらいしか、僕は覚えてられなかった。
夢を忘れられるからこそ、人間は今日を生きることが出来る、のかもしれない――
彼女が、『甘噛』が、甘噛祈理が僕の学校に転校してくる。
そんな現実が待ち受けているにも関わらず、僕の体は睡眠を欲し、そして泥のように眠ってしまった。
僕は、酷く疲労していたのだ。
変なサムライに取っ捕まり、助かったのはいいものの、終電に乗り家に帰ってきた頃には日付が変わっていたので、すぐにベッドに入り、僕は眠った。
そして、もう朝が来てしまったのだ。
ベッドから出たくなかった。
いつもは広いと思っていた僕の部屋が、狭く感じた。
あ、7:20分、まだ余裕があるな…‥
「姫也クン♪あっさだよ♪」
灰色の布団と毛布を引っぺがされた、寒い。
そして本編初登場の♪マークを使うほどに、その少女は機嫌が良さそうに僕の耳元で囁いた。
しかも、僕の死角から、接近してきたのだ、全く見えなかった。
生暖かい吐息が、僕の耳を優しく刺激する。
「あーまだ眠いから、あと5分…‥」
そうだ、睡眠は大切だ自分。
寝よう、全て忘れて。
甘噛の昨日の電話は、きっと僕の聞き間違いなのだ。
甘噛は転校ではなく、天候と言ったのだ、ウェザーだ。
奴はきっと気象予報士になるつもりなのだ、ヨシズミの後釜を狙っているのだ、間違いない。
「もぉーテンプレートな台詞だなぁ、幼なじみが起こして来てあげてるのに、お寝坊さんだなぁ」
全力で現実逃避をしている僕の頭皮を撫で、甘噛祈理はクスクスと笑う。
ああかわいいなあくそ!とりあえず帰れ!
「うっせえよ甘噛…‥」
そうだ、甘噛、黙りっしゃい。
「……‥」
その名前を口にして、僕は気づいた。
あ、甘噛…‥だと?
「……‥え?」
僕は今、気づいた。
甘噛祈理が、僕の部屋にいる――
「ひぃいやぁぁー!!」
僕は布団から飛び起きて、思わず絶叫していた。
生まれた瞬間くらいにしか、このレベルの音量を口から出したことはないだろう、そんな感じの大声で、僕は叫んでいた。
僕の目の前にいる少女こそ、『甘噛』であった。
セミロングの栗色に近い黒い髪、前髪は右側にピンで留めてある。
で、二重瞼の瞳に、アンニュイな表情の、幼い感じを残した丸い輪郭。
そして、僕より拳一つぶん小さい体をしている、肉つきなどは、普通だ。
「うわっ…‥失礼だなぁ姫也クン、ボクは熊か何かなの?」
いや、お前より熊に遭遇した方がマシですサーセン。
と言いたかったが、止めておいた。
口は災いの元である。
もっとも、災いは既に現在進行形で起きているのだが――
「いえね、感動のあまりに、思わず叫んじゃった」
「感電したって、そんな声は出ないと思うけど?」
「いやぁー朝から飛ばしますね甘噛サン、というか二、三、質問があるんですが、いいですか?」
「いいよ♪姫也クンの質問になら、バストのサイズだろうが、身につけてるものの色や形だろうが、乙女の恋するハートの中身だろうが、何でも教えてあげるね♪」
いや、知りたくねぇー!
とくに二番は本当に勘弁してくれ!
「えーと、まず一つ、なんでここにいる?」
時計の針は、既に午前7時30分を指していた。
そう、この時間、僕の家には誰もいないハズだ。
父は朝早く仕事に。
義理の母は夜のクラブの仕事が、今終わるくらいの時間である。
義理の妹は…‥今、この時間はサナトリウムのキッチンで、自分で作った食事をとっているであろう。
そして、甘噛の家は隣町だ、僕の同じ学校に転校になったのだとしても、それはこの家にいる理由にはならない。
どこか学校に近い家に引っ越ししたハズだ。
そう、設定的に、ここに甘噛祈理がいるわけがないのだ。
「え~姫也クン、大好きなオトコノコを起こしに来るのは、幼なじみの特権だし、義務じゃない、分かってないなぁー」
ぷくっと頬を膨らませ、可愛くスネてみせる甘噛。
そんな義務がいつ出来た?
政権交代の弊害か?
「今の時代バリアフリーだし、譲り合いの精神は凄まじく大事だ。僕はお年寄りに席を譲らない若者が大嫌いだし、いざという時に他人に譲れるように、僕は優先席に優先的に座っている。千歩譲ってその理由で納得するとしよう」
仕方ない、甘噛の説明で理解し、納得するしかなかった。
それしか、僕に選択肢はないのだから。
甘噛は嬉しそうに自分の髪に触りながら、コックリと頷く。
「うんうん♪妥協と譲り合いが大事だよ、姫也クン♪譲り合い宇宙だよ♪というか、台詞長いね♪」
よく気づいたな、舌噛みそうだった。
「で、もう一つの質問だ。なぜ――裸エプロンなんだ!!」
そう、甘噛祈理は裸エプロンであった。
いや、違う?
…‥よく見たら何か青いものを肌に着ている、なんだあれは。
僕はハッキリと覚醒した瞳をゴシゴシと擦り、恐る恐るピントを合わせてみる。
まさか…‥まさか!!
「ざーんねんでした♪姫也クンのエッチ♪裸じゃなくて、スク水エプロンだよ♪」
きゃははは、と無邪気に笑いながら僕の部屋でクルクルとターンして見せる甘噛。
そして、部屋の中央に位置するテーブルの上に置いてあった、二つの皿を手にした。
皿の中身は、何とも美味しそうなカレーであった。
「あと、これはボクが作った朝食♪カレーだよ♪」
「それは感謝感激なのだが、とりあえず服を着て下さい」
甘噛はちぇっ、と言いながら、脱ぎ捨てられていた紺色のセーラー服を身につけた。
確かに甘噛の料理は美味い、家庭の味だ。
殺人的な弁当しか作れなかった北王子昴に料理を教え、食べれる料理を作れるように助力したのも彼女なのだ。
僕はベッドから立ち上がり、やれやれ、と肩をすくめながらテーブルの前に座った――
「それより姫也クン、ボクも一つ質問いい?」
なんだよもう、僕はカレー食うのだ。
腹が、減っているのだよ。
「へいへい、何でもどうぞ。エロ本の隠し場所から、夜のオカズの本の隠し場所、更にはいかがわしい本の隠し場所まで、何でも教えてやるわ、こんチクショー」
僕は投げやりに答える。
高校の授業で、野球部員が仕切って行われる野球の試合の前にウォーミングアップする普通の生徒くらいに、やる気のない言葉のキャッチボールであった。
ほぼ暴投である。
「それ、全部エロ本じゃない…‥」
男子ですから。
「で、何だよ?」
そうだ、何かあるというのか甘噛よ。
「服、着ないの?」
服?
衣類?
「…‥?」
僕は自分の姿を見てみた。
ダビデ像よろしく、全裸であった。
上も、下も。
「きゃあああああッ?!」
そういえば、僕は昨日、疲れまくって、帰ってから着替えの途中で寝てしまったような気がする。
あ、なら、朝食食ってシャワー浴びないとか。
「つうか、見てんじゃねえよ?!」
「あはは、ごめん。あまりに堂々と裸だったから…‥ほら、カレー食べて落ち着いて」
放り出されたトランクスと学ランを裸の上に着て、とりあえず僕はカレーを食べ始めた。
「ったく……‥めんどくせっ」
眼前に甘噛がいるが、もう恥じらいなどないぜ。
「もう、姫也クンったら…‥昔から変わらないなぁ」
カレーをぱくぱくと食べながら、やれやれといった表情の甘噛が笑う。
朝から調子が狂いまくりだ。
ったく、何なんだこいつは…‥
友人である北王子昴も「僕をからかう事が生き甲斐」と公言するほどのお騒がせな人物であるが(本人は静かなのに)、この甘噛という少女は、その比ではない。
以前の説明の通り、彼女は存在そのもの、その幼なじみ美少女という皮を被りながらも、ややエキセントリックで突拍子もないな言動から「美少女台風」と呼ばれている。
美少女の台風である。
つまり周囲の人間を根こそぎ巻き込み、そして、去っていくのだ。
アポロガイストさんですら凌駕するであろう、ハタ迷惑な存在なのである。
この少女がその力を正しく駆使し活躍するのは、仮物事件解決のため『だけ』である。
それだけは、僕も認める。
「伊丹傷」の「黒包帯」ケースもそうであるが、彼女がいないと、まず事件は一つとして解決しないであろう。
セミプロというスタイルではあるが、しっかりと解決出来る確率が七割強なので、既にプロを名乗ってもいいんじゃないか、と僕は思うのだが、彼女は「いや、プロに失礼だからいいや」と否定する。
しかも、報酬は豆乳のブリックパック一つ(価格は驚きの3パック230円!!)、という破格のプライスで、事件解決に奔走してくれるのだ。
台風ではあるが、ビジュアルも中々のもの、いや、本当は美少女と呼んでも全く問題はないくらい、綺麗で、かわいいのだ。
中身も中身で、典型的でテンプレートな世話焼き幼なじみキャラに、好きな幼なじみの、オトコノコの好みに合わせて柔軟に対応してくれる従順さと、ちょっと相手をからかう余裕をプラスして進化した、最強に近い幼なじみキャラなのだ。
転校初日に僕的にクリティカルヒットなスク水エプロンでカレー作って起こしに来るなんて離れ技を使いこなしている時点で、その最強さは分かるとは思うが。
ファッションセンスも良く、フリルいっぱいの服なんか着た日には雑誌の読者モデル顔負けである。
本人に言ったら調子に乗るから、絶対に言いたくはないのだが。
今、サナトリウムにいる病強な僕の義妹のスペックも完璧ではあるが、彼女もそれに匹敵するほどの高性能美少女であった。
MSに例えるならば妹はダブルオーライザー。
甘噛はゴッドガンダム。
因みに北王子はカイラスギリー。
伊丹はエヴァ零号機である。
ここまで甘噛祈理について話すと、一つだけ、本当に一つだけ疑問に残ることがあるだろう。
そう、僕の甘噛に対しての対応だ。
幼なじみの世話焼きキャラに対するものではない、とお気づきだろうか?
あまりにつれない態度で、つっけんどんに返している。
それ以前に、出会い頭に叫び声をあげるなんて、なんなんだ、と思う奴もいるだろう。
だが、それだけの理由が、僕にはあった。
多分八割の人は、理由を聞いて納得してくれるだろう。
彼女は、甘噛祈理は普通の女の子ではないのだ。
かと言って、普通ではない女の子でもなかった。
僕の幼なじみである彼女、甘噛祈理は――
普通ではない『男』だった――
続く。
ついに本作最強のダークホース、幼なじみ、甘噛祈理の登場です。
彼女は動かし易い、行動原理がしっかりしてるし、絡ませ易い。
かなりこの七ノ噺はハイスピードで書き上げられました。
甘噛のキャラ紹介の必要はなさげなので、今回はここまで。