弐之噺 黒包帯
錆びたフェンスに引っかかり風に揺れる、黒い、ひたすら黒い、一切れの包帯。
僕の不用意な一言により、死んでしまった少女のものであった。
彼女の名前は伊丹傷。
黒い包帯に包まれた顔面に、少女の体。
今になって僕は思い出すことが出来た、彼女は確かに、僕のクラスにいたことを。
あれは確か去年の学園祭の時のクラスの出し物の看板制作の時であった。
僕と一緒に看板をさっさと書いて、それぞれ帰宅したのだ。
会話はあまりなかったが…‥
あの時の女子生徒が、確かに伊丹傷だった。
だが、僕は彼女の顔を思い出すことが出来ない。
そして、僕は彼女の声を思い出すことが出来ない。
確かにそこにいた、ということだけ、僕の脳裏に蘇ったのだ。
僕も所詮、彼女をスルーし続けたクラスの皆と同じということなのだろう。
全てが手遅れであるが、もう今更何を言っても言い訳や詭弁にしかならないのだろうが、僕は…
もし、出来ることならば、彼女と話をしてみたかった。
自責の念からではなく、本当にそう思えた。
彼女にとってこの世界は、どのように写っていたのか。
何をみて、何を思っていたのか、僕は知りたかった。
そしてたわいのない話をして、笑いあいたかった――
「あ、あ…あのぅ…‥大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない…‥僕は最低だ、手遅れだったんだ……」
そう、こんな風に。
へ?
「ぬなっ!?」
振り向いたその先には、相変わらず黒い包帯をした伊丹がいた。
幽霊になって、僕に語りかけてきたというのか。
それもそうだ、僕がきっかけとなったのだから、僕は何を言われても、何をされても因果応報というやつなのだろう。
17歳の春に散るとは、短い人生だった。
まだやりたいことも沢山あったし、僕はこの世の中に未練ありまくりなわけであるが。
サナトリウムで療養している妹が悲しむだろう、僕はそれがまず気になった。
あいつは僕が週に三日面会に来るのを何よりも楽しみにしているので、僕がいなくなったらどうなってしまうのか。
自慢の妹だった。
僕より二つ下の彼女は頭もいいし、スタイルだって抜群、料理もプロ並みに上手いし文才もある、絵を描かせても、字を書かせても、何をさせても人並み以上にできてしまう。
性格はおしとやかで、三つ指をついて旦那の帰りを待つような、そんな一昔前に絶滅してしまった『大和撫子』という言葉が本当に似合う完璧な少女であった。
僕と血は繋がってはいないが、自慢の妹だ。
ただ一点、ただ一点だけ、病弱なのだ。
病弱で、状態の悪い時はいつも咳き込んでいる。
彼女はどんなに状態がよくても、この街の外に行ったことがないのだ。
そんな妹を泣かせるのは、どうしても嫌であった。
とにかく、僕はこの幽霊と化した伊丹に消されてしまうのか。
そんな事情も、お構いなしに。
嫌だ。
やっぱり、嫌だった。
死にたくない。
生きていたい。
妹の件もそうだが、まだ僕にはやらなければならない事がある。
伊丹傷を傷つけたことは完全に僕が悪い、だが、死にたくない。
もう理屈ではなかった、僕は死にたくないのだ。
僕は、自分が死ねば解決するなら命はあげましょう、と言えるほど、お人よしではないのだ、綺麗な人間ではないのだ。
だってそうだろう?
そんな事を平然とやれる人間なんか、この世の中にいないと思う。
そんなに人間が、善なる心だけで出来ているとは、僕は到底思えない。
とにかく僕は伊丹に、殺されたくなかった。
「あ、あああのぅ……て、手遅れかもしれませんが……私、生きてますけど……」
え。
僕は、勘違いをしていたようであった。
確かに、彼女の言うとおりに眼前にたっている伊丹傷は足がしっかりとあるようだし、なによりその全身から生気を感じられた。
しかし、彼女は身投げしたはず、投身自殺したはずだ…
「えっ、じゃあ、伊丹さん……あ、ああの包帯は…‥」
僕は、恐る恐る幽霊疑惑のある伊丹に話かけ、未だにフェンスに引っかかっている黒い包帯を指差した。
「かっ、かか、風で飛んだみたいです…‥」
外では絶対に、一本も取れないのに、と彼女はとても小さな声で付け加えた。
「え?じゃあサイレンは?女子生徒の悲鳴は?」
「サイレン…‥はさっき廊下で貧血で倒れた子がいたんで、それだと思い…‥ます。悲鳴は、最近よく学校の庭にシベリアンハスキーが迷い込んでくるので、そのリアクションだと思います……多分、おそらく………きっと」
なるほど、全て僕の勘違いだったということか。
しかし、僕は貧血の子なんて気にもとめず走ってたが、よく伊丹は気づいたな。視界、かなり狭いだろうに。
そして、シベリアンハスキーを野放しにしている街というのは治安的にどうなのだろうか。
いや、そんな事は今、さほど重要ではない…
「そ…‥そうだったのか、ひぃ」
腰が抜けた僕は地面にペタンとへたれこむ。
「私、じ、自分が大切ですから……そういうこと、考えたことないですよ……」
そうだ、命は大切なんだ、綺麗ごとではなく。
だから、僕は本当に安心した。
「さっきは…‥本当に悪かった、すまない。ごめん…」
僕は間抜けな姿勢のまま、謝罪の言葉を口にした。
「え?え…‥え?」
何が?
といった感じで、首をかしげる伊丹。
いやいや、僕が謝罪するとしたら、あの発言しかないでしょう伊丹さん。
「君をゲルショッカー首領呼ばわりして悪かった……弁解の余地もない、俺が圧倒的に悪かった。」
正座し両手と頭を地面につけて、土下座をしていた。
命を差し出せない僕の、最大限の謝罪であった。
「えぇ…‥と、あの……‥その」
僕はそんな姿勢だったからよく分からなかったが、彼女はうろたえているようであった。
ただでさえ途切れ途切れに紡いでいた言葉を、更に詰まらせていた、よほど言いにくいことなのだろう。
「ゲルショッカー首領って、何ですか?」
「…‥あ」
間抜けな声を出していた。
なるほど。ああ、そりゃそうだ。
ゲルショッカー首領を、彼女は知らなかったのだ。
今の若い子が仮面ライダー(初代)に出て来る最後の敵ゲルショッカー首領の容姿を知っているわけがないのだ。
むしろ、僕のように知ってる平成生まれのほうがマイノリティなのだ。
「あの…大丈夫ですか?頭をあげてください……」
彼女の優しい言葉に甘え、僕はゆっくりと立ち上がった。
よかった、彼女が傷つかなくて本当によかった。
「さっきは、突き飛ばして……す、すみませんでした…話かけられるの久しぶりだったから、びっくりしちゃって…」
今度は彼女がペコペコと小さく頭を下げ、謝っていた。
謝る必要など、君に非など、ないというのに。
「いや、大丈夫…」
僕はいつもトラックを片手でぶっ飛ばすような奴に巻き込まれているのだから、普通の少女の腕力で突き飛ばされることなど、蚊が刺したようなものだ。
全く問題はない。そもそもこちらが悪かったのだし。
「ありがとう……あ、伊丹……さん?」
僕は核心に迫ろうとしていた。
このまま、笑ってお開きにすることも出来たが、それでは何の解決にもなっていないのだ。
それでは僕は、彼女を無視してきた奴らと同じクラスメイトの一人で終わってしまう。
彼女も、このままクラスの中で空気化して、まるで何もないかのような存在として存在するのが、僕は納得できなかった。
それだけは、僕は嫌だった。
「は……はい?」
伊丹は、首を傾げた。
「……その包帯、傷跡を隠すためのものじゃ…ないよね?」
どんな人にも分かると思うが、核心とは、伊丹傷の抱える問題とは、黒い包帯のことだ。
そう、伊丹の頭部を覆うこの黒い包帯、これは人の手によるものではない。
先の彼女の「どうやっても人前では外せない」という呟きから察するに、この黒い包帯はきっと彼女と世界を隔てる存在なのだ。
仮物。
この世界で異端なるもの、異端なるものと同化したもの、そういうものを、僕は仮物と呼んでいる。
名付け親は僕ではない、ある男だ。
そいつがなぜ仮物と呼んでいるか僕は知らないが、とにかく、とりあえず、このようなケース全般を仮物と呼んでいる。
僕は、僕の周囲の人間は、少なくとも、そう呼んでいる。
「………」
彼女は、返答に困っているようであった。
黒い包帯に隠れて表情はやはり分からないが、多分相当に困った顔をしているのだろう。
僕もあまりそういう表情をしてほしくないのだが、こう質問するしかないのだ。
僕が彼女に対して無関係である事を止めるための、どうしても必要な質問であった。
でも、勇気を出して質問した甲斐はあった。
やはり、そういうことなのだ。
黒い包帯は、仮物なのだ。
「君のその……黒い包帯、なんとかなるかもしれない」
僕は彼女に告げた。
なんとかなる、と断言できないのが、僕の情けないことであるが。
なんとかなる、と言ったら嘘になるかもしれないからだ。
なんとかならないかもしれないのだ。
どうにかなるかは、半分以上、僕の力ではどうにもならないからだ。
「へ?」
彼女はキョトン、としていた。
自分を散々悩ませている黒い包帯がどうにかなる、と思いもしなかったのだろう。
「そ、そうなんですか……私のコレ、なんとか……何とかなるんですか?」
彼女は少し興奮しているようだった。
まだ、少しオドオドとしているようであったが、それでも、彼女は自分の頭部を包む黒い包帯の一部を摘みあげ、僕に三歩だけ、近づいた。
「仮物に詳しいやつがいる、俺の友達だ……なんとか、なるかもしれない。僕が、出来る限りなんとかする」
そう、心当たりがいる。
僕の友人、というか腐れ縁的な存在。
そいつは、仮物の知識に長けていて、自称、仮物事件解決のセミプロである。
セミである所が、多分にひっかかるのだが。
「私は……」
彼女は数分間悩んだ結果、首を縦に振った。
僕は、彼女に約束をとりつけることが出来たのだ。
僕の友人の、仮物に詳しい奴。
今日の放課後、そいつにこの件の相談をするのだ。
どうなるかはわからない、だが今よりは、何もしないまま手をこまねいているなら、前に進んだ方がいい。
だから、今日をその一歩にしたかった。
明日ではなく、今日。
今日、彼女を困らせる仮物を何とかすれば、明日から彼女を取り巻く世界が変わる。
お節介でも余計なお世話でも偽善でもなんでもいい、僕は彼女の力になりたかった。
だから、そのための約束であった。
「あ……あと、伊丹さん、一つだけいいかな」
チャイムが鳴っていた。
午後の授業の始まりを告げる、電子音であった。
そして、桜が舞い散る晴れた空の下、僕は屋上のフェンスにもたれかかり、全身の力を抜いた。
本当に、長い休み時間であった。
しかし、放課後は更に長くなることを覚悟している。
そんな僕の背中に、少しだけ暖かい風が吹いていた。
「は……はい」
彼女はこくこくと頷き、僕の言葉を聞き逃すまいと、真剣な様子で身を乗り出した。
「一生のお願いだから、ゲルショッカー首領だけは絶対にググらないで」
続く
【登場人物紹介】
伊丹傷
17歳。
高校二年生の少女。
高校一年の最後あたりで仮物『黒い包帯』が出現、今に至る。
黒い包帯は顔面を完全に包んでいるが、締め付けているわけではなく、若干緩く巻き付いている。
隠れていて全く見えないが、銀色の長髪、瞳はぱっちりとした二重瞼である。
首から下は普通の女子高生であり、早乙女曰く、並以上のモノを持っている、らしい。
性格はかなり引っ込み思案であり、積極的になにかをやろうとすることは少ない。
また、良く言えばマイペース、悪く言えば感覚が他人と少しズレていることもあり、クラスでは浮いた存在である。
カドケシ集めと家庭菜園、ネット検索、昼寝が趣味。