拾死ノ噺 早乙女姫也
今回と次回で最終回です。
困った事態であった。
ボクにはもう、時間がなかった。
別に、不治の病で死に急いでいるわけでもないのだが、それでも、僕には時間がないのだ。
中学一年生の8月31日に、全く手付かずだった夏休みの宿題を行った時以来の、緊急事態であった。
それ以前の夏休みの宿題は、兄である早乙女姫花に急かされ、7月中に全ての宿題を終わらせていたのだが、その夏は兄がいない、最初の夏であった。
しかも、その年の7月の中頃には北王子昴の仮物『赤ノ髪』が発現し、少し大きな事件が起きたこともあり、僕は夏休みの宿題など、手をつける暇もなかったのだ。
彼女は、しっかり宿題を8月初旬に終わらせていたが。
その夏休み以来の、緊急事態であった。
僕は、三人の少女に、決断を迫られていた。
その決断は、僕が逃避して、逃げて、回避して、先伸ばしにしてきたものなのだけれど、今日の三人は、本気だった。
何が理由なのかは皆目見当がついている、明白だった。
状況を冷静に分析してみよう。
僕は北王子昴と共に、妹である早乙女百華の療養しているサナトリウムにお見舞いに来ていたのだが、たわいも無い会話を交わして数十分経過したその時、事態を急変させる存在が現れたのだ。
そいつは、甘噛祈理であった。
百華の個室に僕達と同じ目的で現れた彼女は、早速、昴と百華と恋バナをし始めた。
彼女達の恋バナといえば、恥ずかしながら僕であるため、すぐさまその場を離れようとしたのだが、甘噛は僕を呼びとめ、僕の手のひら掴んでおもむろに自分の股間に導き、重大発表をした。
いや、しやがった。
「ボク、女の子になれたんだよ!!…‥ふたなりだけど」
なんと最近、甘噛に女性器が出現し、睾丸にあたる部分が消失した、というのだ。
胸も少し膨らんできた、というのだが、そんなことはないと思う、それは断言できる。
僕は驚愕した。
甘噛祈理といえば、最強のスペックを誇る少女である。
天真爛漫で、どんな人にも当たり障り無く接し、尚且つ、家事は万能。
男であっただけあって、男の好きなものを心得ている、最強の幼馴染である。
例えば、最近では僕の家に朝早くに来て(不法侵入ですお巡りさん!)さっさか朝食を作り、裸エプロンで添い寝、というどこぞの、いや、九割方のギャルゲーがやってるイベントを難無く、自然にやってのけ、水着はスク水とか、僕が風邪の時はナース服で看病とか、とにかく健気で、男の(というか僕の)趣向を完璧に「分かってる」少女である。
もし、女の子と化した彼女が健気に僕の家に朝早くから来て朝食を作って添い寝をしていたら、スク水で攻められたら、裸ワイシャツで一緒の部屋にいたら、僕の理性は完全に崩壊してしまうであろう。
健康的な少年である僕が理性を保っていられたのは、彼女が完璧な『男』であったから、この一点だけが理由だった。
歴史に『もしも』はないが、仮に、もし甘噛が、小さい頃から女の子であったら、そして、もし、昴や百華と出会う前であったら、きっと僕は、彼女と付き合っていただろう。
彼女が男である、ということだけが、二人の間にある壁であった。
だが、今は違う。
今の僕は、彼女だけが好きな男ではない。
昴も、百華も、甘噛と同じくらい、好きなんだ。
だから、その重大発表を聞いた僕は、どうすればいいか、わからなかった。
しかし、事態は急変した。
僕の気持ちの整理がつかないまま、再び急変したのだ。
今度は、早乙女姫華は、負けじと重大発表をしたのだ。
早乙女百華、15歳。
ビジュアルは、完璧なモデル体型、大人びた造形の顔で、腰まで伸びたプラチナブロンドの髪をポニーテールで結び、透き通るほど美しい色白の肌をしている。
去年の誕生日に僕がプレゼントした白のワンピースがお気に入りで、今日もそれを着ていた。
声は、まるでカナリアのように澄んでいる。
料理もプロ並みに上手いし、文才もある。
絵を描かせても、裁縫や編み物など物を作らせても、何をさせても人並み以上にできてしまう。
性格はおしとやかで、三つ指をついて旦那の帰りを待つような、そんな一昔前に絶滅してしまった『大和撫子』という言葉が本当に似合う完璧な少女であった。
僕がバカ兄であり、贔屓目で見ていることを差っ引いても、彼女のスペックは普通の女子よりも数段上である。
そんな僕の妹である、彼女が。
妹といっても、義理の妹なのだが。
病弱だった彼女が、そのプリっとした唇を開き、言ったのだ。
「兄さんに黙っていたけれど…‥私も、退所が近いんですよ。一緒に、いれますからね?」
どれを聞いた僕は、素直に嬉しかった。
彼女がこのサナトリウムを去る、ということは、それだけ彼女の体が元気になった、ということだから。
百華は常々、僕と一緒に暮らしたいと言っていた。
彼女も、僕が好きなのだ。
だから、僕が女性となった甘噛の魅力に陥落する前に、最大級の自己アピールをしたのだ。
彼女は先に説明した通り、完璧超人で、家事は甘噛に負けず劣らずのレベルの達人であるし、勉強も出来る、周囲への気遣いもできるし、努力家だ。
眉目秀麗、温故知新、空前絶後、絶対可憐、機動戦士、それが彼女、早乙女百華である。
そして、唯一、病弱である、という彼女のというジレンマが消えようとしている。
きっと彼女も、僕の傍にいるようになれば、甘噛と同じようなことをするだろう。
朝食を毎日作るだろうし(療養所でも毎日作っているらしい)添い寝イベントもきっと起こすのだろう、お風呂場で鉢合わせとか、裸ワイシャツとか、そんなギャルゲーみたいなことを、きっと彼女はしてくれるのだろう、そうに違いない。
そして、彼女自身も、僕と一緒にいた方が、安心して暮らせると思う。
彼女は、僕と一緒にいられない時のストレスから、仮物が一度、出現したことがある。
甘噛が「蒼薔薇の獣(ブルーローズティラノ」と名付けたこの仮物は、青い薔薇の皮膚をもったティラノサウルスで、百華の僕に『会いたい』のに『会えない』ことが原因で出現、僕を求めて、大暴走を起こし、街中を破壊した。
その時は、北王子昴が応戦してくれたため、僕は全治三ヶ月の怪我で済んのだが、最強の仮物『赤ノ髪』と互角に戦えた『蒼薔薇の獣』の力に驚くと共に、百華に対し、申し訳ない感情でいっぱいであった。
普段は笑顔を絶やさない彼女が、いかに無理をして生きていたのかを、ストレスを抱えていたのかを、文字通り痛感したのだから――
だから、そんな内面に凄い負担を抱えて、それでも皆の前では普通に振る舞う、健気で保護欲をそそる彼女が一緒に暮らしていたら、きっと僕の理性は崩壊する。
断言出来る、一日で崩壊する。
だから、彼女が退所出来る、というのは良い報告であると共に、僕と彼女の何かが確実にグラッと変わることを意味していた。
甘噛と百華、どちらもかわいい女の子だ、だから、僕はこんな中途半端な気持ちでいる。
みんな好きなんだ、という、なんとも言えない気持ちを抱いている。
しかし、それだけで話は、終わらなかった。
甘噛、百華ときて、残る一人、北王子昴が何もビッグ発言をしないわけが、なかった。
「私だって、姫也が好きだ。」
昴は、再び僕に告白をした。
それは彼女の、実に56回目の告白であった。
それは彼女の、願いだった。
北王子昴は、僕に好意を抱いていた。
彼女は僕が中学の一年の時、僕の兄が命をかけて助けた少女だ。
幼く理不尽な僕は、彼女のせいで兄が死んだと、憎んだ。
それが原因で、彼女は贖罪のために『力』を求めた。
最強の仮物『赤ノ噛』は僕を守るための、力だった。
それは、敵を倒せば倒すほど、強くなる力。
それは、十代の少女がもつには、あまりにも強大な力。
その力が暴走し、彼女は危うく人間の器を大きく逸脱した化け物に変質するところであった。
だから、僕は彼女と一緒にいた。
彼女は一見すると気丈な素直クール少女であるが、内面は脆くて、繊細だ。
だから、一緒にいた。
一緒にいるうちに、恋をしていた。
好きになっていたのだ。
彼女は、甘噛のかわいさが欲しかった。
彼女は、百華の。
だから北王子昴という少女は、だれよりも可愛らしくあろうと努力をした。
だから彼女は、誰よりも僕の傍らにいようとした。
そんな北王子昴の告白により、事態は次なるネクストステージへと進んだ。
「で、結局姫也クンは、誰が一番好きなの?」
甘噛がこの台詞を言った瞬間、僕は完全に逃げられなかった。
三人の少女は、キラキラとした瞳を潤ませ、僕を真っ直ぐに見つめた。
そして『答え』を求めた。
サナトリウムの中の四畳半の個室の中で、僕は人生最大の決断を迫られた。
そんな、事態であった。
どんな事態だよ、と。
「一生のお願いだ。頼むから、あと二時間、くれ」
多分それは、本当に一生に一度の、願いであった。
そして、彼女達の了承を得ると同時に、僕はその前から姿を消した。
妹がいるサナトリウムから飛び出し、街中をさ迷い、そして、今に至る、と――
「どーすりゃいいんだよぉオイ…‥」
僕は、学校の屋上にいた。
そして、ボケッと街を見ていた。
そんな余裕全く無いというのに、街を見ていた。
「どうもこうも、姫也さんが招いた事態じゃないですか」
淡々とした声が、背後から響いた。
「ってかうわあっ!?なんだ…‥伊丹か」
顔面を覆う黒い包帯が日に日に薄くなってきた伊丹は、怪訝な表情をしたように思えた。
もう口元は完全に露出し、顎の見えないライダーマンのようになっていた。
「またヨロイ元帥だと思ったんですか?」
いや、そいつの宿敵ライダーマンだと思ってました。
つうか、このビジュアルは志々雄さんのが近いか。
「まさか、っつうか、何で俺の置かれてる状況を踏まえた厳しいコメントを?!」
そうだよ伊丹さん、なんで、君は僕の思考を読み取れるの?
読心術?
「姫也さん、全部喋ってましたよ」
あ、ソウデスカ。
「マジか…‥あぁ、なんなんだろぉなぁ~もう」
がっくりと肩を落とし、ハンモックに腰を下ろす。
このハンモックで週間少年ヴァンプを読んで、みんなのバカ話を聞いていた昨日までの僕に戻りたい。
いや、どうせ明日からも漫画は読んでいるのだろうけど。
「姫也さん、私、思うんですけど、妹さんとは面識ないので一概には言えないんですが、姫也さんを好きな人なら、姫也さんが優柔不断で全く決断能力がないことくらい、理解していると思うんですけど」
「言いたいことが、よくわからないんだが…‥」
彼女の言わんとしていることを全く掴めずにいると、伊丹はやれやれといった表情で首を傾げた。
「まあ、とりあえず、彼女達は…‥あ、メールだ」
何か重要なことを言おうとしていた彼女は、携帯をとり、メールの内容を確認した。
よほど重要な用件なのだろう、眼前の僕など眼中にない様子であった。
おいおい、話の途中だったでしょう…‥
「えっ、誰から?」
メールを確認し終えた伊丹に、僕は問いかけた。
「彼氏からです」
彼女は即答した。
「えぇぇぇえええええっ!?」
意味が分からなかった。
多分、甘噛女になったことと同じくらいの衝撃を受けた気がする。
「と、言いたいのは山々なんですが違います。同じ小学校のクラスメイトだったのですが、この前ちょうど街中で会いまして、メルアドを交換して、色々相談にのってくれるんです。今のメールは、来週映画を見ようか?って内容でした」
それはもう、彼氏じゃねえかよう。
僕の知らない間に、彼女も色々あったのだろう。
あれだけ、他人と壁を作っていた彼女に男が出来るとは、よかったよかった。
「くっ、リアけものめ…‥」
それはあなたでしょう、という突っ込みも恐れず、僕は呟いた。
しかし彼女はクスクスと笑い、僕の手に何かを握らせる。
「姫也さんも頑張って下さい」
そして、彼女は携帯を握りしめて僕に背を向け、その場を歩きだした。
手の平を開くと、黒い包帯が、握らされている。
そこには白いボールペンで『something is wonderful』と、書いてあった――
そして、屋上を去っていく彼女の顔面から、はらはらと、黒い包帯が舞ってゆく。
様々なサイズの黒い包帯が桜の花びらのように散ると、彼女の後頭部があらわになり、黒い長髪が風に舞って綺麗だった。
不謹慎だけど、嬉しさと共に、淋しい気持ちが、胸に残る――
「あれが、伊丹傷――」
なんてガンダムキャラみたいな台詞でカッコつけて、腕を組んでる場合じゃなかった。
時間がないのだ。
ハンモックから離れて、歩き出そうとする僕の携帯に、メールが来た。
甘噛からであった。
僕は恐る恐る、メールの内容を確認した。
もし、一人に選べなかったら、中央公園に来てください。お口の恋人、甘噛より。
甘噛はいつから、ロッテになったのだろう。
まあとにかく、行く場所はきまった
公園だ。
僕は屋上から飛び出し学校を後にすると、公園へとつづく細い一本道を、走り出した。
「公園か…‥」
左右を塀があるアスファルトの道を、ひたすらに走っていると、何やら、虹色の着物を着て、仮面を被った変質者が電柱の上に立っていた。
「HAHAHA!!また会ったな!!」
そいつの姿を、肉眼で捉えたくなかった。
とりあえず僕は目を合わせないよう、全速力を更に越えたスピードで走った。
とりあえず、相手をしたくなかった。
今はそんなことをしている時間はないのだ。
というか、今僕の視界の外にいるそいつの相手など、二度としたくないのだが。
「つうか無視すんなコラ!」
変態侍を後に、僕は颯爽と去る。
ようやく決断出来る、もう、迷いはない――
十数分後、僕はようやく夕日に照らされていた公園にたどり着いた。
もう、日が沈む、一日が終わってしまう。
その前に、ケリをつけよう。
この公園は街の中央に位置しており、だだっ広い敷地内には芝生コーナーと巨大遊具が豊富にあった、のだが、昨今の事件のせいで殆どの遊具がなくなっており、今や滑り台しかなくなってしまった寂しい場所である。
そんな場所で、三人の美少女は待って…‥
「キサマが…‥早乙女姫也か」
いてくれなかった、なんか、約束が違う。
僕を待っていたもの、そいつは、死神だった。
恐ろしい形相の髑髏マスクを被り、獅子舞のように後ろに長いマントを羽織ったそいつは、巨大な鎌を振り上げて、僕を威圧した。
「なっ、つうか…‥三人はどこっ?!」
その死神は僕の問いかけなど知らぬ顔で、しかしこちらを真っ直ぐに見つめて、巨大な鎌を持ちながら近づいてくる。
「その前に聞いておきたい、貴様は…‥早乙女姫也は、『北王子昴』『甘噛祈理』『早乙女百華』の三人を、比べることが出来ないくらい、大好きか?」
個人情報はどうやらダイレクトメールを送ってくる輩だけでなく、死神にも駄々漏れのようである。
しかも、こんなプライベートなことまで知っているなんて、本当に厄介な存在である。
自分の買った過去の商品を参考に、おすすめ商品を紹介して買わせようとしている某アマゾンさんもビックリだ。
「なっ…‥なんで、死神に言わなきゃならないんだ!」
昴みたいに素直クールじゃないんだから、恥ずかしいではないか。
僕の問いに、不親切な死神は答えてくれず、やれやれといった感じで肩をすくめた。
そして―
「言わないと、問答無用で殺す」
死神が鎌を振り下ろすと、大地に亀裂が入った。
そして、その衝撃派はまるで津波のように地を走り、滑り台をまるで割り箸のように粉砕した。
これで、この公園には遊具の類は一切なくなった。
あ、無理。
こいつには敵わない。
この死神サン、昴の『赤ノ髪』並のパワーだ、僕じゃ歯がたたない。
さすが、死神。
「い、いいか?僕は素直だから答えるんだからな?別にさっきの一撃でビビって答えてるわけじゃないからな?!」
一応面子を保つために虚勢を張る。
「小さなプライドを守るための前置きはいいから、答えろ」
張った虚勢は数秒で障子のように破られた。
くそう。
「今、くそうって思ったな?」
死神が鎌をこちらに突き出し、その刃が僕に当たるか、当たらないかくらいの距離まで接近する。
僕は、あまりの威圧に、動けなかった。
どうやら、思考を読まれているらしい…‥
まるで、甘噛の『灰ノ瞳』のようである。
「はいはい、正直に言いますよ」
けだるい感じで、吐き捨てるように言ったため、死神は怪訝な様子で再び鎌の刃をこちらに向けた。
本当に物騒なヤツだ。
「『はい』は一回でよろしい」
チッ、うっせーな。
「今、スノボの日本代表みたいなこと思ったろ?」
思考がお見通しということを忘れていた。
あはは、なんて学習しないヤツなんだ僕は。
「はい、思いました。すみませんッした!」
とりあえず僕は、高校で流行っている最大級の謝罪のポーズ『土下座前転』で謝った。
「よろしい、では言ってもらおうか、お前の本心を」
僕は頭を上げ死神を見つめ、土下座の体勢から、僕は立ち上がった。
「僕は、北王子昴、甘噛祈理、早乙女百華の三人が大好きなんだ!半端な考えや妥協で誰か一人とくっつくなんて…‥彼女達に対しても失礼だ!!」
言ってやった。
言ってやったら、死神は少し俯き、ゆっくりと鎌を横に構えた。
僕の体を横に真っ二つにするつもりだ、こいつは。
「…‥じゃあ、どう三人に落し前をつけるつもりだ、貴様は」
静かな声で、死神は問い掛けた。
「僕は一生、独りで生きる。彼女達には…‥僕なんかより、もっと相応しい男がいるはずだ」
そう。
誰も選べないならば。
僕は、三人以外の女の子を好きになることもなく、生きる。
僕は、一人でいい。
それで彼女達が、納得してくれなくても、これは、仕方ないことなんだ。
「その考えが一番自分勝手で彼女達を苦しめるということが……‥なぜわからん!!」
死神は激昂し、僕に向かって、鎌を思い切り横になぎ払った―――
つづく
次回最終回です、ですが素直クール、男の娘は永久に不滅です!!