07
未開拓の土地である、山を拓いて道を渡し、通行の自由を設けるために二百年ほど前に人夫たちが遣わされた。その人夫たちが起居した集落がやがて村になり、名前がなくては不便だからとリーマと呼ばれるようになった。特にその名にも意味はない。おそらくその人夫の誰かの名前から取ったのだろう。
「神話にな、なんとかって英雄が記されてるが、この辺りが英雄譚の出所らしい」
初夏の陽の降り注ぐ野良道を、飼葉を満載した荷馬車が通っている。その背に寝そべって、空に向かって言った男が居る。
「らしいって?」
百姓の老人が手綱を引いて、馬がぱかぱかと長閑な足音で進む。繋いだ荷車の後ろから女が二人、間隔を空けて歩いていた。
「神話だからなあ。資料が足りないんだろう。欲呆けや色呆けの多い英雄共には珍しく、清く正しく美しくって、絵に描いたようないい男だったらしいぜ」
「絵に描いたもなにも、誰かの空想でしょ?」
ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らす女は、女というより娘のような。
麻地の服を上下に分けて臍を出し、青い顔料で染め抜いている。袖は長く手首まで多い、しかし下衣は膝上しかなく太股までが露わになっていた。
背は低いが足が長い。肉はついておらず、しなやかに伸びた脚は軽捷な小動物を思わせる。目が大きい割りに癖なのか常に細まっていて、小生意気そうな顔立ちであった。
「空想ばかりとも限らん。だいたい、各地の英雄譚にはそれに相応しいモデルがあるものだ。元になった人物というのが、そういう品行方正な人だったんだろう」
姉が言い聞かせるような口調で、おかしそうに笑うもう一人の女。
こちらは対照的だった。起伏に富んだ肢体、背が高く、だらだらと歩く娘とは違ってこの女の歩き様はきびきびとして美しい。木綿仕立ての一重服で、下衣はない。ただ上衣がひどく長く、脚の動きを妨げないために腰で前後に分かれたものが足首まで垂れている。
体の線を浮き彫りにするほど肢体に張り付き、ぱっくりと開いたスリットからよく鍛えられた逞しい太股が見えていた。
「ふーん」
と、娘の方はあまり興味がない。寝そべった男が笑った。
「こりゃ、日曜日の学校だのお祈りだのは、行けたとしても二度寝した類だな」
「しゃらくさいんだよね。自分たちは他人のお金巻き上げて生きてるくせに、聞こえのいいことばっかり。しかもどいつも黒ずくめで辛気臭い」
「ひどい偏見だ」
女が笑った。
「お三方、しっかり頼んますよ」
荷馬車の主の百姓が困ったように言った。
この辺りは野犬が多い。中には狼の群れも交じることがある。それを除けるためについてきている筈の三人に緊迫感や真剣みというものを感じないから、不安にもなる。
「ご亭主はどうです。憧れましたか?」
「え? ああ、学校だのお祈りだのですか?」
「ええ。それと、英雄にも」
「止してくださいよ。あたしなんかは親の代から食うにも困る貧農所帯ですわ。日曜の学校とやらも行ったことはありませんよ」
「朝から晩まで田んぼや畑を弄るのって楽しい?」
娘の方が口を出してきた。皮肉ではなく、好奇心なのだろう。振り向かなくても声音でそれくらいは判った。馬を手繰りながら、
「さあ。生活のためですからなあ。楽しいとやらが暮らしの役に立つんなら、もう少し真面目に考えてみるんですが」
「ふうん」
興味をなくしたようで、それきり黙った。
野犬除けといっても、危ないのは陽が落ちてからだ。確かに昼の間はうららかな日差しの降り注ぐ寂しい間道だが、それにしてもなんとなく話し込んでしまう緩さはなんだろう。
百姓の親爺は首を捻った。
程なくリーマに着いた。山間部を拓いて作った村は、獣を除けるために木の杭を打ち込んで柵にしたもので囲われている。近在の村と交流するための道に向かって、三か所に造った入り口の一つの近くで荷馬車は止まった。
「中には入らないんですかい?」
「ええ。後ろの馬車に荷物を預けてありますから。それを受け取らないと。集積所は逆方向になりますから」
荷台の男が降りた。では、と馬を手繰って飼料を村に運び入れるために入っていく。
次の荷馬車は飼料ではなく、村と交易を行うためのものだから、麻布で天幕を張った大きなもので、馬も大柄で逞しい。
道を開けた三人の間で止まった。
「さっさと引き取ってくれよ」
御者が邪魔くさそうに顎をしゃくった。本来なら荷の積み下ろしを行う集積所まで止まることはないのだが、余分に金を貰っているため三人の都合で止まらざるを得ない。
「へいへい、ご苦労さん。すぐ済むよ」
男と女の二人が後ろに回る。男は必需品を詰めたずだ袋を引き摺るようにして降ろす。女は、荷台の中央で横たわる大きな円盤状の包みに手を伸ばす。
「あ、あんた一人でかい? 手伝うよ」
荷台で、積み下ろしのためについてきた男が目を見張る。この荷を預かって積み入れる際、一人ではダメだったから二人で左右に分かれて持ち上げたほどだったのだ。
「ああ、大丈夫です。自分のものですから」
女は片腕を伸ばし、包みから突き出た中心の取っ手を掴むと、みきっと腕を鳴らして持ち上げた。
「お、おお・・・・・・」
ぐわ、と少し浮いて、腕を引いて荷台から下ろす。上衣が盛り上がった筋肉の形に浮き上がり、その膂力の凄まじさを物語る。そのくせ、表情一つ変えない女に思わず息を呑んだ。
この大きさと密度でこの重さは、木材ではないだろうと荷物運びの男は判っている。布越しの感触は石材でもなく、金属だろうと察しはついた。それを、この女は片手で持ち上げているのか。
「さすが、冒険者ってやつかねえ」
感心して呟くと、悪戯っぽく笑った娘が、板敷に寝転がっていたために節々が痛むのかぐっと伸びをしている男を肘で突いた。
「いつもの法螺吹きをどうぞ?」
「んあ?」
伸びをしたために知覚が鈍って、先のやり取りを聞いていなかった。が、どうやらからかわれているということだけは判った。男はちょっと考えたが、
「弓を引けば弦が切れ、鉈を振るえば柄がささらになる。伝説の鬼女たぁ、この女のことさ」
と、下手な冗談を言った。下手過ぎて冗談であることも判じかねて、男たちが息を呑んだところで、話中の女がこつん、と男を小突いた。
「さっさと宿決めに行ってこい。私はメイと日銭を稼いでくる」
怠け者の夫にでもするように尻を叩いて追いやって、荷を運んでくれた男たちに一礼する。
冒険者や旅人といった、放浪に慣れた者に見られる沈毅な様子や血気盛んな様子はまるで見られない。近所に出かける微笑ましい家族のような所作に、荷馬車の二人は首を捻った。
「女の人の力は凄いですが、あれで本当に冒険者なんですかねえ」
「家出かもしれんな。食うに困って冒険者なんぞになろうってんなら、気の毒だな」
世間ではその類の者もあるという。冒険者になり損なえば、野垂れ死にか野盗にでも崩れるか。しかし、あの一行には暗さがない。旅慣れた様子も所作に表れているし、なににしても奇妙だった。
が、所詮は他人事である。すぐに忘れて、馬車は村に入っていった。
リーマの周辺の道路は、その昔に人夫たちが開拓、整備したものだが、カウラー魔法協会へと続く道は違う。
これは人里への行き来を簡単にするため、魔法協会側が雇った者たちが拓いたものだから、リーマから魔法協会へは道を知っていないと辿り着けない。ここだけでなく、魔法協会から人里へは彼らだけが知る道筋を辿らないと行き当たることはない。
魔法協会からは直線距離で七十キロ。近いとは言えないが、人里から隔離した場所にわざわざ作った以上は、整備しないと交通が不便になるためやむを得ない。
リーマを開拓した人夫たちは、周囲の木々を伐って土を均し、人が歩くのに不便のない道普請をしたくらいだからリーマを中心として半径十キロがせいぜいだった。
ラウルが歩いた迂回路八十キロのうち七十キロは、やはり魔法協会が整備したことになる。人夫たちは驚いたであろう。ふと気がつけば自分たちが拓いた以上の道が続いており、しかも行き先が判らぬままに絶えている。
幻術を使うという狐狸の類が気の向くままに、道を繋げたようにしか見えない。無論、土木工事に玄人でも、それ以外に頭脳の重点を持たない彼らに、魔法使いたちが巧みに隠蔽した協会への通路など気づけるわけもない。
(先達は皆、尊敬すべきものだと教わっているがそれにしても恐るべきものだ)
工事自体は魔法協会に雇われた人夫たちの仕事だろうが、よくぞ七十キロも開墾したものだと舌を巻いた。
理由は判っている。この地に神話の時代の英雄譚があるためだ。それを研究する者の発案で行った工事だろう。
が、期待は虚しかった。村やその周囲から出土した資料(多くは石板に文字を刻んだ叙事詩)が極端に少ない。各地で出土した神話の叙事詩の一端から、英雄の名と功績と冒険譚の場所は判ったが、その場所で見つかった資料が乏しいのでは研究も行き詰った。
そうしてしばらくはほったらかしになっていた研究と道路である。ラウルの興味も、その英雄譚に向かうのは無理もなかった。
(調べてはみたい。が、さすがに後回しだ)
疲労だったのだろう。ラウルは昼に起きた。舐めた程度の酒が残っているのか、多少頭にズキズキとした痛みがあった。
支度を終えて、メモを三度見返して前夜の自分と今の自分の感性を繋げて、宿を出た。
村の集会場に増設された俄か普請の掘っ建て小屋が、迷宮を探索する際の事務をする受付所になっている。ラウルはまずそこへ向かった。
幸いにも、待つということもなかった。六畳ほどの小さな小屋で、おそらく本国から派遣されてきたのであろう女性事務員が実に不愛想に手続きをしてくれた。
「原則として二人以上五人以下でないと、迷宮への挑戦権はありませんよ? それに、幾ら魔法協会の方でも資格も証明書もお持ちでない方の挑戦は適当とは言えません」
「やはりそうですか。もしも私が仲間を集めた時、資格や証明書を持たないと私だけ弾かれることになるのですか?」
「その場合は、ご帯同される方の資格に依ります。四人以上であれば不要ですが、三人以下となるとまた変わります。二名ではお二方に資格を求められますので、不適格と見做されます」
「よく判りました。ありがとう」
予想通りである。
迷宮探索にはルールがあると聞いていた。ルールとは、探索人数に制限があることだ。これは迷宮探索を依頼する者が設けたルールではなく、迷宮自体が定めたルールだという話である。
(さすがは古代の神秘で編まれただけのことはある。人の道理は、あの場に限っては通じない)
人数が制限されているということは、挑戦した者が帰還するか、中で死んでくれない限り次の挑戦者が挑めないということだ。そのため、単独での挑戦は許可されていない。
救援の依頼を出すために帰還するもう一人が必要になり、救援の見込みがないのなら安らかに死を呉れてやる者が要るためだ。
「二人以上五人以下か」
リーマの周辺には迷宮が三つある。そのうちの二つは既に踏破され、最奥に眠る秘宝は既に発掘されて集積所に積み上げられている。これらは次の土曜日に都に運ばれ、魔法協会が派遣した魔法使いや神学者によって事歴を明らかにし、活用法を見出される。
しかし、それはそれとして仲間である。
禁止されているが、仮にされていなくても魔法使いが一人で潜ったところで骸骨を一体増やすのが関の山だ。どの道、募集を掛けねばならない。
(しかし、集まるか・・・・・・?)
迷宮探索に魔法使いというものは必須の人材ではない。
なにしろ魔法使いの役目は専攻している分野に応じて変わる。謂わば人材が集まった時に自然と欠けてしまう穴を埋めるというのが近く、魔法使い自体が少ないために埋めぬまま挑むということも多い。そして埋めぬままでもなんとかなってしまうことも多いのだ。
(といって、穴埋めの要因に入れられてしまうと魔法協会の立つ瀬がない)
成功したところで一行の成功であり、魔法協会の立場を救う功績にはなり得ない。失敗しても同様に、同情を買うことは出来ないだろう。
やはり自分で集めるしかない。ラウルは骨柄の逞しい冒険者の間を駆けずり回って勧誘したが、無駄だった。
「魔法使い?」
そう名乗るだけで、皆一様に訝しげに眉を顰めた。
当然だろう。世に出る魔法使いの多くは、既に事を為した老人が多い。研究が成果を結び、属した集団に利益を呼ぶ者こそ魔法使いである。
ラウルのように、研究も半ばで経験もない若造とくれば、どれほど実情が違っても魔法協会を追い出された不良物件にしか見えないのだ。
(まあ、予想通りとはいえ・・・・・・)
と、ラウルは途方に暮れた。
(なるほど、世間とは厳しい)
ラウルは生まれて初めて値踏みされる立場に立ったが、自分にこれほど値打ちがつかないとは思いもよらなかった。
もっとも、この場合はラウルにばかり非があったわけではない。物事の筋は、魔法協会の側からリーマに布告を発して、ラウルの立場を最大限に援助して救ってやるのが責務であったろうに、彼らはそれを怠った。
明晰な頭脳が、既に魔法協会の立場を救うにはラウルに死んでもらう必要があると断じてしまっていて、それを起点に物事を捉えているからそんな簡単な理にも気がつかないらしかった。
とはいえ、残してきたルーシェが奔走して数日後にはラウルの窮状を救うために布告が出されるのだが、既に遅かった。そのことは今は余談
山の向こうに暮れる日をぼんやりと見つめて、取り敢えず宿に引き取ろうかと思った時、
「もうし、そこのお方」
ラウルの肩を叩いた者があった。
(・・・・・・?)
不審だった。言葉遣いは丁寧なくせに、いきなり人の肩を叩くなど随分気安い。或いは既知の者かと振り返ってみたが、知らない顔だった。
「先ほどお話を伺いましたが、魔法使いの方でいらっしゃるとか」
背の低い、皺くちゃの顔をした猿のような中年男が揉み手をしながら小腰を屈めた。
「ああ、お気を悪くなさらんでください。盗み聞きをしたわけではござんせん」
無理に丁寧な言葉遣いをしているのは、そのたどたどしい口調で知れた。
「そう丁寧に来られても困ります。見ての通り、若輩の身ですから」
「いえいえ、そのお歳で魔法協会から派遣されるとは大層なお方に違いありません。一つ、私どもの話を聞いていただけませんか?」
怪しい男の話など聞きたくもなかったが、こう下手に出られては無碍にも出来ない。ラウルは立ったままで聞いた。
が、悪い話ではなかった。
「実は、裏道がございます」
資格の取得に、である。
ラウルは表情を動かさず、山の向こうに暮れた陽の残照を見ながら訊いた。
「迷宮から見つかった遺物は、リーマの長者でヤクワというお方の所有になります。この方が熱心な方で、早くから遺跡の探索に資格など要らぬと周りの者にお漏らしなさっているようで」
後から調べたが、これは事実だった。
ヤクワは齢は四十で、二代前の当主がウコギの根を煎じて飲む方法を見つけて山を下り、それを伝え歩いて財を成した。ウゴキの根は強壮剤になる。人夫たちが拓いた村にはうってつけで、由来が由来だから説得力があり、飛ぶように売れたという。
やがて村に戻って屋敷を構え、長者として村を管理した。特に暗愚な者も居らず、蓄えた財をよく散じたため評判も良い。更にウコギの葉の調理法も開発して名産と称して売ったから衰えもしなかった。
その今代の当主のヤクワは、家伝のウコギを重んじながら、幼少時父親に連れられて街でウコギを売り歩いた街育ちだから投機的で、先進性が高かった(少なくとも山間の村に於いては目立つほどに)。
そのため自分の管理する土地で迷宮が見つかったのを幸い、遺物を元手に更に発展しようと考え、その遺物を発見する冒険者をひどく好んだ。
そのため資格などという縛りで出入りに制限を掛ける世の方針に不満があり、そのことを漏らしているのだという。
「そこで、わざわざ裏道を準備なさったとか」
と、男はそこで話を打ち切った。
これ以上は、単なる親切で教えるわけにはいかない、と言った。なるほど、そうだろう。知る者が限られているから裏道なのである。軽々に言い触れるわけにはいかない。
「どうせよ、と仰るのか」
「仲間に加わっていただきとうございます。あなたのお知恵が要ります」
ラウルはしばし考えた。
しかし、考える余地もないことは、この話しかけてきた男にもラウルにも判っている。
「判りました。加わりましょう」
「いや、よかった。これで百人力です」
男は心底嬉しそうに手を叩き、祝いにとラウルを店に連れて行こうとしたが、断った。
「今日は走り回って疲れました。お仲間の都合もありましょう。引き回しは後日に勘弁願います」
「そう堅苦しい言葉を使われますな。もうお仲間ですぞ」
ぽんぽん、と気安く肩を叩く。
「お宿はどこに取っておられます」
教えてやると、男は自分の宿とは別だと言い、こちらに来られてはと誘ったが、ラウルは断った。
「既に滞泊のお金は渡してあります。一度渡したお金を返せというのは嫌なので、不便を掛けますが承知していただきます」
男は不服そうだったが、承知した。
「では明晩、他の仲間に紹介しますので、お越しいただけますか」
「お願いします」
男は小腰を屈めるようにして会釈して、ラウルも同じく会釈を返して別れた。
さて、妙なことになった。
(どうせ遺物を盗むのなら、あの手合いの方が良いのかもしれない)
裏道とやらがどういう類か判らないが、どうせ真っ当なものではあるまい。その裏道を辿って資格を得れば、自然の流れであの男の仲間というものと共に迷宮に挑み、遺物を持ち帰ることになるだろう。
仲間があぶれ者なら、交渉の余地はある。あの人相と風体では、仲間とやらもその類に違いない。
しかし、気乗りしない。
(あぶれ者、か・・・・・・)
理知を重んじる魔法協会の人間が、社会に背を向けた者共の仲間に加わるなど、とても歓迎出来ることではない。
ため息を吐きながら宿に引き取り、上着を脱ぐと、
「お客さん、ちょっと」
と、宿の主人に呼ばれたので行ってみると、奥で男が待っていた。
「どなたです」
「お待ちしてました。ヤクワの使いで参りました。主人が是非お会いしたいとのことで、ご足労願います」
なんの用だろう、と首を捻った。