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05

 そういうことがあっての朝だったから、気になることはあるがもう無駄であろう。

 元々人の心より謎めいたものはないが、人間の心理を推察するのは専門外だから余計なことは考えない。時間もない。

 出発しなければならない。すれば、もうルーシェに会うことはない。

 階段を登り、上層へ出て、扉へ向かう。

 もうこの床を踏むことがないと思うと、心が萎む思いがした。

 入り口の重たい扉が開き、門衛をすり抜けて洞窟を出ると、師や数人の同輩が見送りに来てくれていた。


「皆さん、行ってきます」

 沈鬱な雰囲気である。悉く朋輩の表情は沈んでおり、師も険しい表情をしている。見送られる側なのに、なんだか居たたまれなくなって別れは簡素に済ませた。ラウルが背を見せた時、涙ぐむ者さえあった。

 惜別のためというよりも、ラウルの旅立ちに同情を禁じ得ないという様子だった。

 洞窟を出ると、すぐ森である。


 というより、四方を森に囲まれた洞窟の中に協会施設を建てたという方が正しい。起伏のない森を抜けると、山が道を寸断しているので迂回しなければならない。森は協会が整備した道が走っているので突っ切れる。直線距離で二百メートルほどである。

 木陰に入った。ここからは頭上を覆う木々の葉が陽を遮るので、夏の初めという季節でもそれほど難渋しないだろう。


「うん?」

 道の先で、人が立っている。

 ルーシェであった。声の届くところまで近づくと、昨夜の様子が別人のように、丁寧に頭を下げた。ラウルも会釈を返す。

「昨夜は失礼を」

 感情を殺したような、取り澄ました声だった。

「いえ、あれから考えましたが、俺にはどうにも判らない。ですが不快にさせたのは事実のようで、謝りたいと思っていたのです」

「それはいいのです。私が悪かったのですから」


 まるで人形の会話である。

 旅立つ者と見送る者、そういう関係の筈なのに二人とも感情のこもらない無機質な会話である。もっとも、ラウルの方はどういう感情を抱くべきなのか見当がつかないからの模範解答に過ぎないのだが。

「わざわざ見送りを?」

「貴方はご存じなくても、私は貴方をよく見ていましたから」

 だから、一人で待っていた、と。しかしとてもそうとは思われない無感情さである。

「それは、光栄です」

「お気をつけて」


 端に退いて道を開ける。ラウルは会釈をして傍を過ぎた。

 数歩歩く。目の端に映ったルーシェの肩が震えていたのが気になって、歩みが重い。

「独りで、というのは貴方の意向ですの・・・・・・?」

 堪りかねたような震えた声音が背中に投げられる。ラウルが振り向くと、ルーシェは背を向けたまま俯いていた。

「いえ。そういえばどちらの、ということでもなかったように思います。行くのならきっと独りがいいと、俺も協会も勝手に納得していたようです」

「二人なら・・・・・・或いは生きて帰れるかもしれないのに」


 大抵、迷宮に侵入するには約束事があるのだが、ルーシェはそこまで知らないのだろう。それよりもラウルは気がついた。

「貴女は・・・・・・もしかして俺のために怒ってくれているのではないですか?」

 はっとしてルーシェが顔を上げた。

「間違っていたら失礼ですが、そうなのですね?」

「この別れの場で・・・・・・なんて憎たらしい人でしょう」

 鼻に掛かった湿った声音に、抑揚がついた。泣き笑いの表情らしい。それを愧じてか、ルーシェは絶対に振り向かない。


「失礼しました。どうやら俺の当てずっぽうらしい。最後に貴女を辱めたことを深く愧じています」

「ラウル」

 ルーシェは答えず、震えた声音を整えるために大きく息を吸った。

「皆が皆、諦めているわけでも憐れんでいるわけでもない。心から帰りを願う者が居ることを、どうか覚えてください」

 それは知ではなく心だと、ルーシェは言った。

 迷宮に挑んで生還する確率は、それほど高くないと聞いている。況してや若い魔法使いが挑むことなど過去になく、頭の巡りが良いだけに全員が悲観的な未来を予想している。それはルーシェも例外ではないが、願いは知恵から出づるものではなく心から湧くものなのだ。


 ルーシェの心は、ラウルには判らない。先夜、庭で出会うと生の感情を剥き出しに平手打ちを喰らい、翌朝に別人のような表情でわざわざ森まで行って見送り、かと思うと声を震わせてなにやら大切そうな言葉を諭す。

 一貫性がなさ過ぎてまったく判らないが、ルーシェが感情の均衡を失うほどには、自分を想ってくれていることは判る。

 が、ルーシェがそれほどに自分を思う理由がラウルには判らない。接点も少なく接した機会も多くなかった自分にそれほど情を掛けるのは何故か、どれほど頭を巡らせても判らない。


 ただ、普段のルーシェよりもこちらのルーシェの方が、好ましいと思った。

 それを素直に伝えて、ラウルは背を向けた。

 少しだけ足取りが弾んだ。暗い気持ちになりそうだった別れが、叙事詩に語られる英雄譚の一篇のように光芒を帯び始めた。そのことが嬉しくなって、歩き様まで変わっていた。

 ルーシェは初めて振り向いてその背中を見て、

(まるで子供のような・・・・・・)

 と、目尻の涙も忘れて苦笑した。


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