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04

 求道の途にありながら、自らの機能に限界を認めた者の胸中は、鬱屈したものであったのかもしれない。ラウルは早くから自分が天才でないことを知っていた。ラウルの思う天才というのは、天地に自分がまず在りというほど自己肯定が強く、そのくせ世のことや当たり前のことに疎く、そしてなによりも強運を持っているということだった。

 ラウルは自分をそういう人間ではないと思っている。もっと細かな計算が得意な、謂わば天才たちの地盤を整える凡才の持ち主だと実感を持って断じている。ならば正にこれは機会であろう。

 或いは、まったく別のことかもしれない。


 ラウルが死を思う時は、決して病や傷によるものではなく、外の世界を伴った漠然としたものを思った。如何に秀才でも、これまで命を怪しませるほどの難事を経たことがない者では明確に死を想像出来ないようであった。

 ラウルが朗らかな気持ちになるのは、或いは死というものを思ったからではなく、付随した外の世界の想念からではないか。つまり、好奇心が昂じて外の世界への憧れが死という暗澹たる印象を覆い隠してきているのだ。


(まあ、判らない。自分のことなど、きっと死の間際でようやく判った気になる程度のものなのだ)

 ラウルは旅立ちの朝、寝床から身を起こしてそう笑った。若者らしい大人ぶった考えだ。なんにしてもこの安閑とした日々から脱却していく日に、沈む気持ちを立て直す努力をしなくていいのは幸福だった。

 気になることと言えば、先夜のことである。


 何分にも急な話だったので、荷物をまとめるのにも時間が掛かった。話を聞きつけた同輩たちが選別にとあれやこれやを渡してきて、それらをいちいち取捨選択するのにも随分時間を割かれた。

 小休止のつもりで部屋を出てみた。いつもならあまり立ち入らない階層へも無意味に足を伸ばして、初めてここに来た新参者のようにきょろきょろと見回しながら歩いた。


 深夜のことだ。夜行性のものを研究する者以外の大半は寝付いてしまっていて静かである。コツコツと施設内を歩き回る自分の靴音だけが響いた。

 そのうちに、庭へ出た。

 庭と言っても面積は九平方メートルほどの小さなもので、一階層目にある。無論地下なのだが、時間によって光を加減する工夫が施してあって、地上の風景がここでだけ現出している。


 月光を模した光に、庭草が映えている。ラウルはふと立ち入ってみたくなった。

「・・・・・・ああ、咲いている」

 屈んで見てみると、花が開いていた。専攻でないから名前は判らないが、白い花弁が五つ開いた姿はなんとも可憐で、人工的ではあるが月光の光を浴びる姿はひどく美しかった。

「ええ、咲いていますわね」

 不意に、声がした。

 気づかなかった。慌てて顔を上げると、知った顔だった。


「花を愛でる感性がおありとは、存じませんでしたわ」

 金色の長い髪を左右に分けてカールを巻いた、二つ年上の女だった。

 協会員にしては珍しく、服装の華美さを好むこの女は、人目に自身を曝すとき着飾るのを忘れない。夜半にも関わらず、月光に金の刺繍が映える赤地の服装で、健康に生育した肢体を包んでいる。

「ルーシェ」


 名を呼んで、立ち上がる。あまり親しくはない。

 ラウルとは違い、長じてから協会員になった女だ。十四でこの協会に推薦状を携えて現れ、簡単な試験や面接を受けて合格し、自分の研究を始めた。

ルーシェは頭の回転が早い上に勘が良い。理論を構築出来る上にその理論を裏打ちするなにかを見つける勘が、恐ろしく鋭かった。


 俊英、と言っていい。協会の方でも手の内で温めるようにして育つのを待っている。そのうえ、生家は富豪らしく、身なりもよく社交感覚にも優れているから、協会の方から用事を頼んで外の世界との交渉役をも、この若さで一任されていた。


(大層なものだ)

 と、ラウルは感心する思いでいる。

 魔法使いというのは研究職だから、対人感覚に疎い者が多い。ラウルも幼時から協会に起居しているから例外ではない。その点、ルーシェのような如才ない才媛を見ると、感心を通り越して別の生き物を見るような感覚がある。


「そうでしょう。誰にも言ったことがないですから」

 ルーシェに比べると、ラウルの返答のまずさはどうだろう。

 言葉の選びに典雅さがあり、諧謔を忘れず、口調も抑揚をつけるルーシェの話しざまには温かみがある。比べて、ラウルは事実を事実のまま、簡潔に述べるだけだから冷たい。

 尤も、協会員の大半がラウルのようなものだから、この環境下では珍しくないが、外に出れば足を引っ張ることになるかもしれない。


(その点でも、俺より彼女の方が向いている)

 だが、この協会内で唯一と言っていい人材を危険な任務を負わせて放つわけにもいかない。老人たちの配慮を推察するのではなくラウル自身がそう感じた。

「外へ、行かれると聞きました」


 丁寧な言葉遣いなのに、声音に張りがあって、有無を言わせない迫力がある。

「ええ。明日、発ちます」

「迷宮へ挑むと聞きましたが」

「お耳の早いことだ。忙しいのではないのですか?」


 他人事のような物言いに、ルーシェの表情が険しくなった。

「生きて帰る公算があっての了承ですの?」

「いいえ。まだ見たこともない迷宮に対して、そんな計算は立てられません。だからこそ、協会も死んでも構わない人間を選んだのでしょう」


(なにを訊くのだろう?)

 ラウルは不思議だった。

 研究の分野も違い、考え方も役割も違うラウルとルーシェは、言葉を交わすことも少なかった。どこかで会えば会釈くらいはするが、それだけである。

 確かに、一度だけ、師に言われて彼女の研究発表の場に立ち会ったことはある。ルーシェがここに来て間もなくの頃に、感心したことを覚えている。

「すごい人ですね!」

 十二歳のラウルが、発表を終えて堂々と引き上げるルーシェの背中を追って、そう声を掛けたことも、微かに覚えていた。


「・・・・・・正気で、ここを出ると?」

 歩み寄ってきた。

 初めて会った時、自分を見下ろしていた身長差が逆転して、ルーシェの顔が自分の胸くらいしかなかったことに初めて気がついて、少しだけ動揺した。

「俺が行かねば、俺より有望な者が行くことになりますので」

 例えば、貴女のような。

 軽く言ったつもりだったが、顔のすぐ下から仄かにくゆる女の香りに声が震えた。

 瞬間、頬が熱くなった。


「・・・・・・?」

 じんじん、と痺れるような痛みと熱。視界が一瞬ブレたことを併せて考えると、どうやら平手打ちを頬に貰ったらしい。

「え?」

 ちょっと信じがたいことだった。どんな時も典雅を忘れたことのないルーシェが、人を叩くなど聞いたこともない。驚きのあまり顔を見遣ると、唇がわなわなと震えていた。


「なんという馬鹿な・・・・・・!」

 抑えられない憤懣が溢れ出したような、凄まじい声音だった。

 知と理を重んじるこの協会内にあって、ここまで発露した怒りの感情を目の当たりにするのは初めてだったから、ラウルは思わずたじろいだ。

 同時に、不思議でもあった。


(いったい、何がこんなにもこの人を・・・・・・)

 怒らせているのか。馬鹿、という知能の低さを罵る最大限の言葉は、誰に向けてのものなのか。自分か、それとも協会のことなのか。もしも自分なら、尊敬の対象でもあった者にそう評されるのが、ひどく恥ずかしかった。


 ルーシェはその後、わなわなと全身を震わせていたが、やがて踵を返した。両肩を揺らした歩き様は、如何にも憤懣やる方ないといった様子で、声を掛けられたものではなかった。

(出発前夜に凄い謎を貰ったものだ)

 心残りのようなものが湧き出てくるのを感じた。


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