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「ラウル、ラウル」

 揺り起こされた。目を開けると、視界に人の頭の影があった。

「ラウル、生きてるか?」

 リアンの声だった。

 頭痛がした。酸欠の影響か、それとも昏倒した時に石の床に頭をぶつけたからなのか、鈍痛がする。


「リアン?」

 数秒の空白の後、意識を失う前と今が繋がった。

「生きて、いるんですか・・・・・・?」

「ああ、全員な。まあメイが来なきゃやられてただろうがな」

 事情を知らないラウルには判らないが、全員無事ならそれが一番いい。安堵した。した瞬間に、あの白い顔が浮かんだ。


「ネルレイニア!」

 起き上がり、振り向いた。リアンたちの戦っていた筒状の部屋から漏れた光の中で、異形の怪物は物言わぬ物体に成り果てていた。

「ネルレイニア? あいつの名前か?」

 立とうとして、気がついた。そういえば足が地面から伸びた針で縫い留められている筈だ。


「ああ、立つなよ。シェラが針の根元を折ったけどまだ刺さったままだ。外科手術で抜かないと後に障る」

 這って、ネルレイニアの死骸に近づいた。

 俯いている。顔の穴という穴から血を噴いた、凄まじい死相。片方の目は眼球が飛び出して紐でぶら下げるようにして目の奥と繋がっている。


「お前がやったのか、ラウル?」

 リアンの問いには答えず、その死に顔に触れてみた。

 冷たい。やはり冷たかった。この女が持っていた温もりは、もうこの世に存在しないのだ。


「最期に笑ったのですか、ネルレイニア」

 最早、その面影すらないが、絶命を感じ取ったその瞬間、確かにネルレイニアは微笑んだ気がした。しかも、自分になにかを言おうとしていたようだった。

 その真意は、最早永久に判らぬまま。或いは酸欠で昏倒する寸前に見た、幻だったのかもしれないが、強く網膜と頭の奥に焼き付いて離れない。


「なにかあったみたいだな」

「なにかって?」

 リアンが半分振り返って、後ろのメイに話しかけた。

 シェラとメイは、ラウルの意識が戻るまでの間、奥の石板の運搬法を考えていたところだ。


「さあな。まあ只事じゃないんだろう。あの怪物、ネルレイニアだったか、あいつがラウルを食い殺したって嘘を吐いたのも、関係あるのかもな」

「・・・・・・傷になる?」

 メイは、ラウルを見ていた。表情からはなにも推し量れない。

 ただ惜しむように、或いは慰めるように、ラウルはネルレイニアの死顔を撫でている。


「なるだろう。お前も判ってるだろ。殺す側が余程慣れていないと、殺す相手と言葉を交わしちゃいけないのさ。殺せなくなる。それでも無理に殺したら、それは癒えない傷だ。況してやあいつは通じ合っちまったんだろう。一生残る傷になる。

 俺らにはもうどうしようもねえよ。あいつの人生に寄り添うことが出来ないなら、俺らにとってはもうそれでおしまいさ」


「痛い、ね。勝ったのに、みんな生き残ったのに、こんなにも痛いよ」

 メイは、泣きそうな顔をしていた。リアンはため息を吐いた。

「座り込みそうになる痛みだが、座り込んだら正面から向き合わなきゃならなくなる。今は働こう。そうして忘れていられたら、そのうちに向き合っても大丈夫な余裕が出来る。

 さあ、帰ろう。とにかくシェラとラウルを医者に見せなきゃならん。途中で多分あの爺さんも拾えるだろう。まだまだ休めないぜ」




 事後処理はつつがなく行われた。

 迷宮は主を失っても尚健在で、侵入人数の制限もなくなったので人を大量に雇って、遺物と思われる物は全て運び出された。権利関係の処理も、魔法協会から人が来て円滑に進んだ。

 事前の取り決めの通り、権利者のヤクワは遺物の研究占有権を魔法協会に譲渡し、その報酬を得た。リアンたちには魔法協会から少額ではあるが報酬が支払われた。


 発見された遺物は、解析作業をするまでもなく歴史的な大発見であると知れた。魔法協会は狂喜した。この遺物だけで現在の窮状を救うかどうかはまだ判らないが、それ以上にこの遺物によって明らかになる歴史に興味を惹かれた。

「肉が埋まるまではまだ掛かるな」

 一方、功労者の一人であるラウルの足の傷は思ったより深く、二週間が過ぎてもまだ杖が必要だった。ラウルも傷が癒え次第、帰ることが決まっており、その際にこの功績を表彰することも決まっている。


(暑い)

 が、一日の大半は、寝台の上だった。

 別に寝たきりである必要はないのだが、魔法協会から派遣されてきた同輩が起きるのを許さなかった。あまりにも過酷な働きを強要されたラウルを労わる気持ちからなのだろうが、好奇心の塊にとっては随分な苦痛だった。

 だが、やはり疲れていたのだろう。人生であれだけ長い時間、緊張を味わったこともなければ命をすり減らしたこともない。嘘のように阿呆になって数日を過ごし、その間、ようやくまだ夏が終わっていないことに気がついた。


(そうか。まだ一か月も経っていない)

 もう何年もリアンたちと共に過ごし、あの迷宮へ挑んだ気持ちになっていた。それだけに、別れは少しつらかった。

「もう行くのですか」

 シェラの体力はラウルの比ではなかった。内臓に損傷のない裂創と失血で帰還後数日こそ衰弱したが、もう歩き回れるくらいに回復していた。

 村の入口まで見送りに出る。

 そろそろ出発する、とリアンに告げられたのは前々日の夜だった。


「貴方たちと過ごすのは楽しい。ネルレイニアを倒したのはどうやら俺のようだし、なにか力になれるならとも思うのですが」

 ラウルは俯いた。このままリアンたちと別れるのはあまりにも惜しい。そう思うのだが、リアンたちはまだこれからも冒険者として生きるようだから、目指す場所が違う。ラウルは自分が魔法使いであることを望んでいるし、なによりも。


「俺の心は折れてしまった。貴方たちの足を引っ張らずに危険と相対することも出来ないだろうし、いえ、それは言い訳のような気がする。なによりは・・・・・・」

 ネルレイニアのことが頭から離れない、と。

「いいんだ。それで。俺たちはたまたますれ違っただけさ。それが楽しかった。それでいいじゃねえか。まあ俺は大噓つきになっちまったが、それはそれでいい」

「嘘つき?」

「お前を守ってやれなかったし、傷もつけちまった。ネルレイニアがお前に興味を持たなかったらお前は死んでいた。なんとか生き残っても、一番つらい役割を押し付けたんだ。十分な嘘つきさ」

 ラウルがなにか言おうとするのを、リアンは止めた。


「いいのさ。結果がよければなんでも。過程もよければ文句ないが、それは望み過ぎだ。なにも失わなかった代わりが俺の不名誉なら、出来すぎくらいうまくいったってことさ」

 ぽん、とラウルの肩を叩いた。

 しばらくどちらも口を開かなかったが、ぽつり、とラウルが言った。


「最期に笑ったんですよ。あれは、どういう意味だったのか、今でも判らなくて」

「判る筈がないさ。俺たちは人間で、怪物じゃない。神話の時代に生きていなければ女でもない。永遠に判らないままさ。だから適当に当たりをつけて、自分の中で消化するしかない。

 真実が失われたのなら、それくらいでいいのさ。歴史だってそうして積み重なるんだから。気に入った男が自分を殺してくれたこと、永い命がようやく終わったこと、そういうことを最期に臨んでふと嬉しくなった、そんなところでいいんじゃないか?」


 リアンはラウルの定まらない思考を言葉にしてくれる。なんとなく結論がついた気になって、少し落ち着くのである。

 ネルレイニアの死んだ現象についてもそうである。あくまで仮説だが、と前置きして後にリアンは語った。


「ネルレイニアを圧縮した空気で圧し潰そうとしたってことは、周りの空気は空気の壁に阻まれて通らなくなっていた。空気ってのは薄いところへ流れる性質がある。あいつの周りは、少なくとも頭の周りはちょっとした真空だったんだろう。ネルレイニアの体内の空気が勢いを伴って外へ向かって流れた。血管がその圧力に耐えられずに破裂した。

 ぱっと見だがそんなところだろう。人間の心臓の構造にあの下半身じゃ、キリンと一緒でかなり血圧も高かっただろうしな。まあ真実はいいさ。事実は、お前があの怪物を倒したってことだけだ」


 リアンは、自分の屁理屈で少しでもラウルの心を和ませようとしているようだった。後の引っかかりといえばやはり、あの哀れな女を語り継いでいいものかということだった。

 このまま歴史の闇に安らかに放逐してやった方がいい気もするのである。

「そいつは好きにすればいい。命ってのは死んだら終わりだ。これからお前がどうしようが、死んじまったネルレイニアにはもう関係ない。お前の気持ちが満足するだけだ。だから、お前の気の済むようにすればいい。たとえそれで契約が反故になって、お前や協会が困っても、お前がいいならそれでいい。

 まあもっと気楽に考えることだ。あいつにどんな過去や思いがあっても、その何十倍何百倍という数のそれを喰って生きてきた怪物だ。つらいなら忘れればいい。抱えたいなら気が変わるまで覚えておけばいい。

 俺たちのこともそうさ。人間の一生は長い。その中ですれ違った奴のことは、都合のいいように捉えて思い出にしちまえばいい」


「そんな寂しいことを」

「幸せは重さだ。それで安心する者もあれば窮屈になる者も居る。俺は、さあどっちかな。身軽な方が好みだがね。お前にとってはどうだ?」

「判りません。今はまだ、そんなことまで頭が回らない。ただ俺が今回のことで得た教訓は、俺が思っていたより命とは重いのに、意味がないものだということです」


「そうさ。命ってのは生きてるってだけのことさ。他に意味なんてない。なにかに影響を与えても、それは与えられたものの勝手だ。そりゃ、善人の顔をした常識人は言うさ、命の重さに軽重はなく、生きられるうちはせいいっぱいに生きなさい、とね。

 でもな、そんなことはないんだ。その日を気儘に生きているどっかの誰かと、なにかのために命を懸けて、未来のために生きているお前の命は違うんだ。死んだ時に困る奴の数が違うって、ただそれだけのことで命の重さは違うんだ。だが言っちまえば、そんなものなのさ」


 ここまで来ると、どれだけ賢かろうとやはり他人である。リアンの理屈は、ラウルの実感とは少し違っていた。言葉ではうまく伝えられなかったが。

出発の日になった。情の強いシェラなどは半分涙目になっていたが、メイとリアンは普段通りだった。


「じゃ、元気でな。長い人生、生きてたらどっかで会うこともあるかもな。その時にこの出会いが不幸に繋がらないことを祈ろう」

「またそうやって縁起でもないことを言う」

 シェラが肘で突くが、メイはもう完全に無視している。ラウルに向いて、

「元気で。幸せに」

 簡潔に言った。こういうことに慣れていないのだろう。困ったような表情が、ひどく可愛らしかった。

「ええ。貴女も。俺はすごく楽しかった。もしみんなもそうなら嬉しい」

 リアンとメイは笑ったが、シェラはもう涙が溢れていた。感極まってラウルを抱き締めたが、その力強い抱擁は少し苦しかった。


 あやうく釣られて涙も滲みそうになったが、旅立ちには相応しくないと思って堪えた。妙な気分だった。ラウルがここへ向けて旅立った時には、その環境の変化と使命の重さのあまり気づかなかったが、惜別とはこれほどに心を動かすのか。

(ルーシェの気持ちが、ようやく判った気がする)

 自分を最後に見送ってくれた姿が、なんだか遠い昔のように思い出された。

 出発した。その背中が見えなくなるまで、ラウルは入口で立っていた。


「変な奴だったね」

 メイが言った。二人も同感だった。

「ま、たまにはこんな酔狂働きも悪くないかもな。次はもう少し堅実に稼ぎたいもんだが」

 思い出を噛み締めている。別れの後に、こうやって反芻するのは珍しい。それだけ、三人にとっても心地いい時間だった。

「一つ心残りがあるとしたら、ルーシェのことだな」

 二人の、顔も知らない女性とまったく無自覚なラウルの恋路がどうなっていくのか、それを見届けられないのが無念だと、シェラがため息を吐いた。

「出歯亀共め。女ってのはどうしてこう、そんな話が好きなのかねえ」

 リアンが鼻で笑った時、前から人影が向かってきた。

 暑気と日差しを避けるためなのだろう。外套で頭まで覆った二人は、すれ違う時に三人を呼び止めた。


「もうし、そこの方々。お伺いしたいのですがリーマという村はこの先でしょうか?」

 女の声である。

 言葉は丁重だったが声音にハキハキとしたリズムがあって、気品を感じた。

「ええ、間違いないですよ。道に沿って行けばつけます」

 リアンが答えると、女はちょっと小腰を曲げて会釈をした。

 女の連れは、どうやら従者らしい。歩く女の後を荷を担いでついていく。


「もしかして・・・・・・」

 と、シェラとメイが顔を見合わせた。リアンが、またため息を吐いた。

 そんな偶然もあるまい、とも思うが、あってもいいとも思う。ただこの道を歩く間、この調子の二人がはしゃぐのかと思うとひどく面倒だった。


 その頃、村の入口で、名残りを断ち切ったラウルがそろそろ戻ろうかと背を向けようとした時、三人とすれ違った女が駆けてきた。

 姿を認めるなり顔を見せるようにフードを外し、目元に涙まで滲ませて、らしくもなくつんのめるようにして走ってきた。

「・・・・・・!」

 思いもよらなかった懐かしい顔、ほんの今しがた思い浮かべた顔に白昼の夢かと疑ったが、どうやら現実であるらしい。感極まって胸に飛び込んできた女を抱き留めようとしたが、足の負傷のため押し倒されて転がった。


「ちょうど、貴女のことを考えていました」

 ラウルにしては珍しい、場と心情を弁えた言葉。それだけで、案じ続けた心が救われた気がした。が、次の一言がよくなかった。

「一足違いでした。遺物はもう協会へ送ってしまいましたよ?」

 殴ってやりたくなったが、このらしさ極まる物言いがひどく懐かしかった。


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