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金属が圧し折れる音というのは、ひどく耳障りなものだ。
硬く鋭いものが、それよりも硬いものにぶつかって、それが長いものなら衝撃は根元へ向かい、その途中で傷でもあったらそこからひしゃげて折れる。その際の音は、他に類を見ない。
「くっ」
シェラが息を呑んだのは、その音が手元から発せられたことであるからだが、瞬時にその音の正体を見破ったからでもあった。
骸骨の鎖骨に向けて振るった剣が、中ほどから折れていた。
確かにもう何体目なのか、数えていられなかったがそれだけで骨に当たったくらいで折れはしない。刃毀れこそ無数にあるものの、まだまだ剣の耐久力には余裕がある筈だ。現にリアンの片刃の剣は、まだ殺傷能力を失っていない。
(だとすればあの時・・・・・・)
おそらくは、ネルレイニアの脚が盾を貫通した時だろう。あの時、わき腹を裂いた先端が腰から吊られた剣に当たって傷をつけたに違いない。
シェラは折れた剣を力任せに振って、獣人の頭蓋に食い込ませ、反対側を強く殴って無理やりに致命傷へと届かせて柄から手を離した。
素手になった。武器を手に戦う者がその武器を手放したということは、戦闘能力が半分以下になったということだ。そんなことは、知能の低い獣人にも判る。優位性を自覚して、笑みを浮かべているようにさえ見えた。
シェラは、胸の覆いを外した。
シェラの鎧は肩と腕と脚にしかない。あとはその豊満な乳房を覆う金属製の乳当てだが、それを外した。
乳当ての中央に金具があり、それを外せば二つになる。その二つで拳を覆った。
「ほう」
思わず感心したのは頭上から見物していたネルレイニアである。まだ闘志が衰えないどころか、そんなものまで使う機転に素直に感心した。
「ふっ!」
シェラには、そんな様子を窺う余裕はない。迫り来る刃を横殴りに弾いて、一歩踏み込んで獣人の顔面に拳を浴びせる。生来の怪力に金属の多いである。頬骨が割れて鼻がひしゃげ、亀裂は頭蓋全体にまで行き渡る。
取り囲む敵はそれを見て尻込みするように一歩退いたが、冷静に見れば最後の足掻きだということは誰の目にも判る。
最低限の止血で済ませたわき腹の傷はまた血を太腿にまで垂らせているし、防ぎ切れなかった小さな裂傷は体中にある。汗が浮かび、息が荒くなってきている。
絶対に抗えない疲労がその体を覆った時、シェラは自ら膝をつくだろう。その時は既に近い。
一方、リアンは手一杯であった。
剣というのは重いのだ。重いからこそ攻撃力足りうるが、同時に使い手の体力をどんどんと蝕むものだ。そこに命を懸けているという緊張感が混ざれば、そう何度も振れるものではない。
既に十近く、リアンの足元にバラバラになった骸骨や獣人の死体が散らばっている点、その働きは伝承の勇者に決して見劣りするものではなかったが、息を入れる隙すら少ない。
(シェラ、は・・・・・・!)
なんとか道連れにしてしまった女の無事を確認したいが、視線を走らせることさえ許してはくれない。
これが多人数を相手にする不利である。どんな強者も数には勝てない。一撃で一人を確実に倒しているリアンとシェラの手際の良さに、怯んでいるからかろうじて戦えている状態である。
剣の切れ味が鈍り、体力が衰えてくればその怯みもなくなってくる。そうなれば、二つ三つの刃が同時に襲うことになる。人間である限り同時に防げない。
リアンの目にも、自分たちの終わりが見えてきた。そんな時である。
視界の端に、小さな体躯が現れたのは。
(メイ・・・・・・?)
敵の体の向こうに、その影が見えた気がした。幻覚だろうと思った。思った分、自分の死が近いのだと感じた。そうでなければ、去った仲間の幻影など見えはしまい。
「いけぇえ!」
メイは、それが幻などではないと叫ぶように、錆びた剣を振りかぶってネルレイニアに向けて投げた。
自分の短剣を自分に投げ返された仕返しの意味を込めて。登ることの出来ない高さから睥睨する化け物に一矢報いるために。
凄まじい肩である。その小さな体にどれほどの力が宿るのか。或いは山岳に住む四脚獣の如き瞬発力の賜物なのか。投げられた剣は確かに、ネルレイニアの元へ届いた。
「む」
しかし、やはり反応の速さが凄まじい。メイがなにか投げたと見るや、ラウルを包んだものとまったく同じもの、つまり生命力が掲げた右手より立ち上って、入口を塞いだ。
剣は、硝子を貫いたように突き刺さったまま止まっている。
「この、剣は・・・・・・」
ネルレイニアが遠い目をした。
ラウルと語らい、自分の名を思い出したからなのか、なにか記憶と記録を結ぶような言葉や物に触れると虚ろな表情になる。数秒、ネルレイニアは剣を見たまま完全に停止した。
(今だ!)
と、ラウルは思った。思った瞬間、行動を開始していた。
自身を覆う膜の隙間から、自分が操れる空気を外に出す。それをまとめた。
空気の流出入を制限された状態でなら、操作可能な空気がそうでない空気とぶつかって混ざり、分解されていくのを防げる。この状態でこそ、出来ることがある。
(イメージはあの時の・・・・・・!)
ラウルは呼吸を止めた。もう、この檻の内側に人体の呼吸が許すほどの酸素は残っていない。そうして、必死に記憶を辿った。
思い出すのは、リアンとメイのために剣の進路上の空気を除けた時。あれは空気に流れを作って意図的に薄い部分を作った結果だった。ならば、その逆をすればどうだろう。
つまり、最も外側に強い気流を作って、内側の空気を閉じ込める。更にその空気に圧力をかければ、物体をひしゃぐことも出来るのではないか。
ネルレイニアの頭を、潰すことも或いは可能なのではないか。
(いや、仮に出来なくとも・・・・・・!)
やるしかない。そう思って、ラウルは全神経を魔法に注いだ。
「う、ん・・・・・・?」
我を取り戻したネルレイニアがすぐに異変に気づく。
ほんの数瞬、自分より遥かに小さく、か弱く、愚かな生き物のささやかな抵抗だろうと微笑ましかったが、酸欠になりかけているラウルの形相を見て、それらの侮りを捨てた。
ネルレイニアは知っている。否、知っている気がする。怪物に成り果てて幾星霜、もう忘れかけていたが、人間だけが自らの命をなげうつほどに力を振り絞り、不可能さえも覆すことを。奇跡さえも手繰り寄せることを。
(命懸けは、まずい)
思考でなく判断を直感して、振り向こうとした。この瞬間、ネルレイニアは初めてラウルを敵として認識したが、結果的に見れば既に遅かった。
ラウルの操る空気は、拳を握り込むようにしてネルレイニアの頭部を覆っているが、ラウルの仮説に間違いがあったか、そもそも不可能なのか、握りつぶすには到底至らない。確かに圧迫感こそあるが、それだけである。
しかし、問題なのは空気の流出入を阻む外側の気流である。それが、ネルレイニアの呼吸を許さない。
更に、ネルレイニアは六本の足のうち、真ん中左右一対の二本を失っている。下半身が蜘蛛に似た、前後に長い体型では振り向くという動作が引っかかるようにたどたどしい。
極めつけは、メイの毒刃である。
メイの刃に塗布されている毒は、筋肉を麻痺させる類のもので、ネルレイニアの体型からすると量が少ない。が、酸素が不足すると脈拍が上昇し血圧が高くなる。つまり血管を巡る血液が早くなる。血中に侵入した毒が、全身に行き渡る。
ほんの僅かではあるが、メイの毒がネルレイニアに効いた。足の運動を司る根元の筋肉が痺れて、石の床を噛む脚が伸びて尻もちをついた。
「く・・・・・・!」
ラウルは、ネルレイニアを見ない。魔法の感覚だけに集中している。なんとかネルレイニアが体勢を崩したのを感じ取って、執拗に空気の拳を頭にまとわせる。
が、その拳がネルレイニアの頭を潰すには足りていないことを、ラウル自身も気づき始めていた。ここまでか、という諦めと、ここまでは、という感心が去来した。
あと一分もしないうちに、自分は意識を失うだろう。魔法は解ける。昏倒した自分をネルレイニアがどうするかは判らないが、魔法使いとしてはここが限界だろうと感じた。
(リアン、シェラ、メイ・・・・・・)
一瞬、処理し切れない感情が去来した。
別れを惜しむのか、これまでへの感謝か、それとも、自分に付き合わせておきながら真っ先に敗北する不甲斐なさへの憤りか。
感情の由来を推察する頭脳さえも、今は割けない。無駄かもしれないが、意識を失うその瞬間まで、この魔法に懸けた。
「ぐ、ぶ・・・・・・」
初めて、ネルレイニアが苦悶を見せた。酸欠ではない。圧迫感でもない。
しかし、彼女は自身の死を予見した。
「・・・・・・」
ゆっくりと、顔だけを向けて、ラウルを見た。
「・・・・・・!」
無酸素状態の苦しみについ開いた目と、意外に優しげなネルレイニアの目が合った。
視線が絡んだ。そのことになにかを思うよりも早く、ネルレイニアが微笑んだ。
「・・・・・・」
なにか言おうとしたのか、唇を開いた。しかし、その唇がなにかを言おうとするよりも早く、つまり、言葉よりも早く血が噴いた。
ぶしゅ、と。口からだけでなく鼻からも、耳と目からも。目に至っては、一瞬前に見せた優しい細まりが名残りもなく、血の噴く勢いに押されて左目は眼球が飛び出した。
そのまま、ネルレイニアは動かなくなった。同時に、ラウルを覆っていた生命力の膜が消えた。
「ネ・・・・・・」
しかし、ラウルの意識もそこで途絶えた。なにが起こったのか判らないが、ついさっき呆気ないほどの意外さで潰えたネルレイニアの命と、閉じられた生涯への悲しみが溢れた。だがそれらを自覚する前に、昏倒した。




