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 一方、と言うにはあまりにも状況が接しているが、ラウルはネルレイニアが去ってから戻るまで、状況把握と分析に努めていた。

 元々が頭脳労働の徒である。足の痛みに集中力を遮られるのには難儀したが、それでもほぼ完璧な経過と結果だった。


(下ではリアンたちが戦っている。そして俺の周りには空気がある)

 ラウルの周囲は、ネルレイニアの生命力そのものが渦巻いて触ることさえも許されない。が、不審はある。自分の周囲十センチ程度の余裕を持って渦巻くそれに取り囲まれながら、何故自分は窒息していないのかということだ。

 つまり、空気が流出入する隙間があるのだ。そうでなければとうに酸欠で倒れている。


(しかも小さくはない筈だ。苦しさを感じないのだから、おそらくは)

 酸素は空気中では重い。地面擦れ擦れの辺りに隙間がある筈だと見込んで、魔法を使ってみた。

 懸念だったのは、他人の生命力に囲まれながら魔法は使えるかということだったが、問題はなかった。思った通りに地面とこの生命力の檻には隙間がある。人体を通さなければ檻として成立するのだから、その隙間を埋める地面の周りにまで巡らせる必要がないのは道理だった。


(しかし、これでどのように)

 状況を打開するのか。そこが思いつかない。加えて、魔法を使っている間は檻の中の空気が薄くなる。苦しさが襲って、酸欠の危険性を思わせた。

 いろいろと試行錯誤を試みた。なにやら下から声のような音の名残が届き、時折大きな音が聞こえてくるが状況は判らない。ならば、今は自分が出来ることに集中すべきだろう。

 判ったことは、一度この鳥かごの中に入ってきた空気ならばその全てを操作出来るということ。そしてその操作範囲は、せいぜいがこの穴の出口、光の溢れるネルレイニアの出ていった場所までということ。そしてその間、檻の中の空気は人間の呼吸に耐えられる量の酸素を供給出来ないということ。


(当然か。内部から出しているのなら外部から入り込む筈がない。俺の集中力が酸欠にどこまで耐えられるかは判らないが、おそらくはせいぜい・・・・・・)

 一分か二分。なにかを為すにはあまりにも短い時間であった。しかも、人体が倒れ込む余裕のないこの檻に触れた時、どうなるかも判らない。少しでも意識を失えばそれで全て台無しになることもあり得た。


(範囲も総量も増えている。人間は追い詰められた時、潜在能力をある程度引き上げるというが、当たっているのかもしれない)

 この迷宮に挑む前と今では、ラウルは自分の魔法が、それを扱う技術と感覚が成長してきているのを感じた。同輩が人間の成長性について研究していたが、身を以て今、そのことを実感しているのが嬉しかった。

 場違いに笑みをこぼした時、ネルレイニアが戻ってきた。


「気丈だな」

 出口から下を睥睨して、なにかを語りかけている。

(この空気を使って、なにか出来ることは・・・・・・)

 入念に、ラウルは頭の中で組み立ててみた。浮かんだ理論を脳内で仮想し、想像力の限りを使ってさまざまに試みる。

 が、有効な手立てはなかった。元々ラウルの魔法は攻撃力に乏しい。直接この怪物を、リアンたちでさえ手こずったネルレイニアを打倒するには届かない。


(一つ、なくはないが・・・・・・)

 なんとかひりだすようにして浮かんだものも、ネルレイニアの周囲で空気が出入りしている状態では不可能だ。無尽蔵に動き続ける空気の前では、ラウルの操作する空気は紛れて消えてしまう。

 閉鎖された環境。それが不可欠なのだ。


(なんとかして入口を崩すかして、閉じ込めないと不可能・・・・・・やはり、無理だったか)

 ネルレイニアの巨躯をすっぽりと収めるこの空間を閉じ込めるなどは、どう魔法を使っても出来そうにない。

 ラウルはようやく頬に流れた汗に気付いて、袖で拭った。




 老人の足は遅い。というよりも、加齢で股の筋肉が衰え、関節が軋みだした年齢に階段はつらい。歩みは当然遅くならざるを得ず、それは撤退というにはあまりに緩慢だった。

「ふう、は、ぁ・・・・・・」

 息も荒い。かろうじて腰を下ろしてはいないものの、皺だらけの額から汗が滴っており、数歩先を行くメイは待ってやらねばならなかった。

 この歩みの遅さが、メイに何度目かの迷いを生んだ。


(本当にこのまま・・・・・・)

 引き返すべきか。いや、引き返してどうにかなるというものでもない。あのネルレイニアの巨躯から生まれる攻撃力と耐久力は身を以て知ったし、その巨躯に見合わない反応の速さと俊敏さもこの目で見た。

 勝ち目というものがまったく見えないわけではなかったが、しかし、一度撤退した身を翻してどうにかなるものなのか。

 メイは頭が良い。学はないが、物事を整理する頭脳を充分持っていたし、整理した情報から結論を導き出す思考力も備わっている。その頭脳は、引き返すことへの無意味さを教えていた。


 しかし、と思う。

 この老人の遅々として進まぬ撤退に付き合っている暇に、もしもリアンとシェラが倒れて無数の敵がここを駆け登ってきたら。それこそ終わりである。ならばいっそ、三人で協力すればまだ勝機はあるのではないか。

 メイは戦力分析と判断をリアンに任せてきた。そのため、この撤退という判断を疑ってはいなかったが、それが成功するかどうかはリアンも不安であったのだろうということに勘付いている。


(いっそ戻ろうか)

 もう何度目になるのか、心と頭がせめぎ合って、決断と逡巡が繰り返された。振り子のように、往くと退くが行ったり来たり。

「は、あ・・・・・・少し、休ませてくれ。下ると上るでは、まるで違う」

 老人が弱音を吐いた。これがきっかけだった。


「リアンの紙束、渡してあるよね。それを見たら帰れるから、一人で帰って」

「は?」

 老人が顔を上げた。メイはもう、その脇をすり抜けていた。

「命って、正しいかそうでないかで使うものじゃないんだって、なんとなく今わかった。

 やりたいかやりたくないかで使うものなんだ。少なくともあたしのは」

 老人が振り返った時には、もう階下の闇へその身を投じていた。

 足音さえもなく、メイは登ったばかりの階段を駆け下った。


(まあ、いいや)

 感情での決断に、頭脳は異議を唱えている。その感情を揺さぶるために、撤退した時の、つまり生き延びた先の楽しさのようなものを浮かばせている。更に、戻った時の仲間の動揺や失望も、頭脳は訴えていた。しかし、それらを全てため息と共に追い出した。

 したいようにする。少なくともどちらの判断で助かるか否か、そのことが不透明であればそうすることにした。


「うん?」

 リアンとシェラが死闘を繰り広げているであろうその扉の直前で、メイは気がついた。

 行きの時には動いていなかった壁が動いていること。退いた時には視線の向きの関係で決して気がつかない変化に。

「これは・・・・・・」

 それは、古い剣らしかった。刀身は長い年月で錆びついていて、指に引っかかる。

 なにかに使えるかも、そう思って剣を握って、メイは扉を潜った。リアンとシェラの元に舞い戻ったのだ。


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