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03

 洞窟の中の建造物の内部にあっては、外の季節など判る筈もない。

 空調を整える魔法具が稼働音を忙しなく放っているのは年中変わらないのだ。閉鎖空間に似ている。


それでも採光のまったくない環境では人間は生きられないから、どんな老人も一月に一度くらいは外に出てみる。ラウルは自分の研究にそれほど関わりはないにも関わらず、採掘場を好んで訪れては石を見ているから、その外出頻度は奇特なほどだった。


「リン鉱石まで産出されたのですか?」


 人夫たちの休憩所に置かれた大きな黄色い石を見て驚いた。

 リン鉱石というのは産出に条件が付き纏う希少な鉱石で、この採掘場から産出されたことはない。諸条件も満たしていない筈だったから、ラウルも驚いた。


 が、人夫たちは笑って、

「いえいえ、わざわざ取り寄せたものでございます」

 と、ここより西にある火成鉱床より産出されたものを金で引き取って運び込んだものだと言う。誰かの研究に用いるのだとも。


「ああ、そうでしたか」


 柔らかく笑ってみせるが、少し失望もした。もしも産出されていれば、産出条件が見直されることになる。そうなれば自分の専門外ながら面白かったのだが、予想外というのはあまり起こらないものだ。


 休憩所は狭い。ほとんど人夫たちが食事をする時くらいしか使われない場所だから無理もなかった。壁に沿って低い棚が置かれて、水筒やら弁当やらが入っていて、棚の上に産出された石やなんかが等間隔で飾られている。


 これを見れば、この採掘場から産出される石が一目で判るのだ。採石場は他にも三つほどあって、それぞれ産出される石も微妙に異なる。


 ラウルは石灰岩が好きだ。かつて海だったという仮説のあるこの場所で、サンゴや貝類の炭酸カルシウムが体積して産出される白い石を眺めるのが好きだった。

 単に、好きというだけのことである。ラウルの専攻は空気だから、鉱物は専門外だ。砕石を用いて実験をすることもあるが、ここのところは比重を置いていないから、単に趣味というだけで採石場を訪れている。


「この間はこんな大きなものが採れました」


 人夫たちも、自分たちを使う立場でありながら物腰の柔らかく、仕事の邪魔はしないように心掛けているラウルが嫌いではないから、気さくに声を掛けてくれる。


「たいしたものです」

「なかなかお目に掛かれませんからなあ」


 と、抱えるほどの大きさの鉱石をぺちぺちと叩いた。


「いえ、これを運んだことです。俺にはとても出来そうにない」


 大真面目な顔でそう言ったから、人夫たちは笑った。

 本を読むことで一日の大半を費やし、残った時間をほとんど実験に当てている人間と肉体労働者の体力は、それは比較にならないだろう。


 ラウルにとってはただの事実である。元よりおかしみや諧謔といったものを解するという気の利いたところがないから、笑う理由も判らない。首を傾げたが、まあ笑っているのなら良いことだろうと雑に納得して休憩所を出た。

 これ以上は邪魔になる。奥の方でつるはしの響く音を背にして、出口へ向かう。


 山の青葉が目に痛いほどに青い。夏が来るのだ。

 ラウルが日差しで目を焼かぬよう手をかざした時、走ってくる人影が見えた


 邪魔にならぬよう半歩左に退いて、すれ違うように歩くが、その人影はラウルの姿を認めると目掛けて走ってきて、止まった。


「俺に用?」

「ああ。急いで戻ってくれ」


 同輩だった。男は肩で息をしながら、乾いた喉に唾を通してなんとか言った。余程慌てたものらしい。

 なんだろう、と首を傾げる余裕があるのは、暢気者だからだろうか。とにかく急げというのだから、汗を掻くのは嫌だったが走って戻った。


 採石場は地上にある。二百メートルほど走って、大きく口を開けた洞窟の入り口を通り、門衛に開いた本を象った印章を見せて施設内に入る。


 一歩施設内に入れば、四方は岩や土でなくコンクリートである。三つの採石場から産出された石灰などを組み合わせてセメントにし、水と砂と砂利を併せてコンクリートにする。

 叡智の徒である魔法使いは、この穴を掘った百年以上も前から、水酸化カルシウムに二酸化ケイ素を混ぜると硬質化する特性を知って、建造物に利用することを考えついた。


 コンクリートの誕生であるが、建材として用いることを世に広めることはしなかった。その理由は、現在考古学などを専攻する者たちの研究材料で、明瞭でない。ただ、かつて師が言った、

「石灰と生石灰の違いの判る者が居るか」

 という言葉が大凡の理由ではないかと、専門外のラウルなどは漠然と思う。


 カウラー魔法協会の施設は階層に分かれており、呼ばれたのは地下三階である。階段を下りねばならないから、ラウルはともかく慌てて呼びに来た同輩などは手すりに持たれて息も絶え絶えだった。


「ここでいい。適当に休んで、なにかあるなら追いかけてくれればいい」


 気の毒になってそう言うと、少し救われたような表情になって行き先を教えてくれた。

 なんのことはない。師の部屋だった。


(呼び出しか。珍しいこともある)


 あの腰の曲がった老人は、用があると大抵は自分の足で出向いてくる。温和な性格だからなのか、呼びつけるということはあまりない。せいぜい説教の時くらいだが、ラウルに心当たりはない。


(まあ、確かに老人にあそこまで走れというのは酷か)


 外に出る機会は多いから、まだ上層部と言える地下三階程度の上り下りならいつものことだ。さっさと階段を駆け下りて師の私室へ向かう。

 この階層は全て居住区で、人に教えられるまでに練達した者のみが住まうことを許される。ここより上部の階層は来客用である。ほぼ、立ち入る者はない。

 ラウルのような若輩の居住区は四層目から五層目になる。


 階段からフロアに向かう扉の前で、乱れた服装と息を整える。


 扉を開け、廊下に出る。等間隔に並んだ扉の一つ一つが師匠たちの私室である。監獄に似ていた。天井から釣り下がったランプ、同じものが壁にも等間隔で備えられている。地下だが足元に不自由するような闇は掃われている。


 造りは下層の弟子たちの部屋も同じである。ほとんど寝るだけの部屋だからだろう。魔法使いたちの生活の簡素さは、外にも有名である。


 少し歩いて、ラウルは扉を叩いた。

 返事がして、開けて入る。


 扉のすぐ横にクローゼットがあり、過ぎるとベッドがある。ベッドの正面に机があって、それだけだった。やはり弟子たちのものと変わらないしラウルの私室とも変わりがない。

 机の傍の椅子に師が腰を下ろして待っていた。座る場所はないから、立ったままでラウルは会釈した。


「お呼びと聞きましたが」

「ああ」


 いつになく、真剣な面持ちだった。

 更に珍しいことに、用件を口にするのを躊躇している様子で、視線も落ち着きなくさまよっている。そのくせラウルを見ようとはせず、只事でないことを察せられた。


「まさか、家族になにか不幸でもありましたか」


 それくらいにしか、師がこれほど言い淀むことは想像がつかない。ラウルは弟子の立場だから、協会からの給付金では生活が出来ない。両親からの仕送りがないならここを離れねばならず、両親の不幸は肉親の情以上に切迫した問題だった。


 が、そうではないという。ひとまず安心した。師は、そのことを否定したもののなかなか本題に入れない。

 ラウルは若いから、焦れた。決心の定まらない様子を半ば批判するように促した。

 そこでようやく、重い口を開いた。


「お前が、選ばれた・・・・・・」


 カウラー魔法協会への資金援助が少なくなってきているのは先に聞いた。存続を左右するほどではないが、智者というものの多くは悲観主義的で、少しの事態に精神が動揺する。

 魔法協会の方針を決める 重鎮(アデプト )たちの会議も、そういう雰囲気だったらしい。

 そこで、この協会で行われる研究や実験が如何に世に必要なのかを証明する必要が出てきたという。ここまでは良い。当然の帰結だろう。


 問題は方法だった。


「指令だ。リーマに新たに出現した迷宮の神秘を解け。可能なら持ち帰れ」


 迷宮、というのは地下に続く回廊のことで、人類の未踏破の場所を示す言葉でもある。多くは人間と敵対する種族が縄張りとし、迷宮の最奥に古代の遺物が秘されていることも珍しくないという。


 師は開拓の時代、と現代を評したが、各地方の領主や国主たちはこの迷宮の探索に熱を上げているから、その評は正鵠を射ている。

 古代の遺物によって、水脈から水を引く画期的な方法を知ったり、失われてしまった叙事詩の一篇が発見されたり、災害を防ぐ手立ての一助になったりするから躍起にもなるというものである。


 その迷宮を踏破するために、冒険者というものを募る。迷宮が発見される十数年前まで、この言葉は未開拓地を踏破して間道を繋げたり、集落の近くに現れた魔物を追い払ったりする者を指す言葉だった。


 だが現代の語感は、未踏の神秘を人類の叡智に変えるために危険を顧みない命知らずを指すものとなった。多くはフリーランスで、迷宮探索の過程で手に入った物を迷宮探索の依頼を出した者(領主であったり国家であったり、或いは富豪であったりする。とにかく出現した迷宮を敷地内に収める権力者が主)に売って生計を立てている。


 リーマというのはこのカウラー魔法協会から北西に七十キロほどの地点にある村で、途上の山や森林などを迂回すれば行程は八十キロほどにもなる。

 これほどの距離を老人の多い師匠たちに行かせるわけにもいかず、しかも迷宮を踏破する体力を残しながら、となると絶望的である。


「お前は若い」


 だからいい、と師は言う。どうも師の意見ではなく、協会の方針を定める師匠たちの協議で決まったことらしく、しかもこの師は弟子への憐れみのために多分に否定的であるらしかった。


「俺が、一人で、ですか?」

「先日のお前の研究発表の、抜群の成績を鑑みてだそうだ」

(嘘だ)

 と、ラウルは思った。嘘に違いなかった。


 ラウルは自分の研究が人々の生活に役立つことは判っているし、そのために研究しているが、かといって着眼点や発想に飛びぬけたものがあるわけでないことも判っている。自分でなくとも、いつか誰かが取り掛かる研究だと思っている。


 ラウルがこの若さでありながら自らに課すのは、

「いつか天才が現れて、俺のような凡骨には想像も出来ない研究を成し遂げるに違いない。そういう者の地盤を固めることが、凡才なりの責務だ」

 天才が己の研究に集中出来るように、誰かがやれることなら自分がやる、という自分への展望を諦めたようなところだった。


 研究内容を発表して、魔法協会の師匠たちもそのことが判っただろう。

 要するに、この冒険の途上でラウルが死んでも、その研究を引き継ぐ者は現れ得るということだ。


 智者らしい判断である。仮に失敗して、貴重な魔法使いが死ぬことになっても被害の少ない優秀な凡人を派遣することに決まったらしい。


 師はそういうラウルをひどく憐れんでいるようだった。そうだろう。名と栄誉を背負って難事に挑み、そのために命を落とすのならともかく、ほとんど捨て駒である。


 何故なら、迷宮内で発見、発掘された遺物の所有権は迷宮を有する土地の権利者にあり、冒険者は彼らから報酬を貰って仕事にしている。

 その遺物を持ち帰れとは横車もいいところで、常套な手段では出来ない。無法に頼るよりないが、もし為したとすれば死は免れない。そもそも迷宮を踏破することさえ、若すぎるラウルに出来るかどうか。


 更に、ラウルが盗み出した遺物の研究を魔法協会が行うには、ラウルは放逐されたような形にしなければ世間に言い訳が立たない。かといって最初から放逐したとすれば、もし失敗した時に世間の同情も買えない。


 つまり、ラウルは失敗するまで魔法協会の派遣員で、成功したとしたら遺物を盗んだ盗賊の扱いに堕ちる。世にこれほど残酷な扱いがあるものだろうか。


 ラウルは老人たちのあれこれとした仕掛けに感心するような、呆れるような心地だったが不思議と不快ではなかった。

 ラウルという若者はこの変わり者の巣窟のような場所でも、ひと際変わっている。老人にこうも憐れまれるともうそれで満足した気分になって、他愛もなく頷いた。


「では支度を整えて明日より向かいます。八十キロならせいぜい二日か三日。まさか一人では挑めませんから、現地で仲間を募ります。師よ、どうかお達者で」


 踵を返す。


 迷宮というものがどういうものなのか、幼い頃から魔法協会の内部で研究に明け暮れていたラウルには想像もつかないし、師匠たちも挑んだ経験がないのなら似たようなものだろう。


 だが、これが今生の別れになるという認識は共通していた。おそらく、ラウルは死ぬだろう。しかしカウラー魔法協会は援助が乏しくなったために若い秀才を世に輩出せねばならなくなり、その結果命を落としたという事実さえあれば世間に面目も立つ。

 同情者が現れれば援助もかつてと同じくらい集まるかもしれない。


(人には分がある。どうやら俺の分は、同輩や後輩のために死ぬことにあるらしい)


 特殊な環境で育まれた異常な価値観のためだろうか。ラウルは寧ろ自分の生死に意味を見つけられたという点で、ひどく朗らかな気持ちになった。

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